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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

無限責任の国

2015-08-30 11:31:21 | 国際・政治
・> 日本がなぜ戦争したかは、新国立競技場問題が教えてくれる[橘玲の日々刻々]
・> 政治学者の丸山真男はこの皇太子狙撃事件を例にあげて、日本社会の特徴は範囲の定めのない無限責任にあると論じました。いったん不吉なことが起きると、関係する全員がなんらかの“けがれ”を負い、批判の矢面に立たされるのです。

日本人には ‘意思’ が無い。意思は未来時制のセンテンスであるが、日本語には ’時制’ (過去・現在・未来のセンテンスの区別) が無い。意思の内容は、個人個人で違っている。だから、問うてみなければわからない。意思が無ければ、利己主義はあっても、個人主義がない。問うてみることもない。没個性の社会となる。
個人に意思が無ければ、その責任もない。だから、問題が生じても、個人をその責任者として名指しすることもできない。いったん不吉なことが起きると、個人の範囲の定めのない無限責任になる。無限責任は、無責任ということ。とかく、この世は無責任。

・> こうした無限責任の社会では、いったん責任を負わされたときの損害があまりにも大きいので、誰もが責任を避けようとします。その結果、天皇を“空虚な中心”とする、どこにも責任をとる人間のいない無責任社会が生まれ、破滅的な戦争へと突き進んでいったのです。

‘空虚’ は、’無責任’ の言い替えに過ぎない。無責任体制では、危険を回避することはできない。これは、’ 武器を持つ・持たない’ の議論の次元を超えている。言語は考える手段であり、文法の問題は、言語教育の問題である。言語のつたなさは、人間そのものの出来具合に関係することになる。

・> 新国立競技場の建設計画をめぐる経緯は、戦後70年を経ても、日本が「責任と権限」という近代のルールからかけ離れた社会であることを白日のもとに晒しました。
・> 事業の発注主体であるJSC(日本スポーツ振興センター)も、監督官庁である文部科学省も、オリンピックを招致した国や東京都、JOC(日本オリンピック委員会)などスポーツ団体も、計画にかかわったとされる政治家たちも次々と責任を否定しますが、この異様な光景も、「なにが起きても自分は責任を取らなくてもいい」という無責任を条件に参加しているのだと考えればよく理解できます。

意思による行動を起こさない人間には、加害者意識はない。気楽な異様な責任者の存在を我々は許すのか。
我が国民は、日本語とともに時制のある英語をも学んで、思考力を鍛える必要がある。




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ロシアと日本

2015-08-27 20:06:15 | 国際・政治
いつの時代にも、意思の表明は大切である。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).と言われているが、意思が無ければ、無為無策で居る。座して死を待つしかない。
このことを司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、バラバラな単語でない文章の重要性として強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、長いセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話も聞けず、何を言っているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」と彼は書いている。
意思は未来時制のセンテンスの内容であるが、日本語文法には時制 (過去・現在・未来の文章の区別) が無い。だから、日本人には未来の内容を表現する意思のセンテンスが無い。いつも意思決定に難渋している。はたから見ると、優柔不断・意志薄弱に見える。
メドベージェフ首相は日本時間の22日午前10時前、極東のサハリンの空港から専用機で択捉島に出発しました。そして、午前10時半ごろ、択捉島の空港に到着しました。 外務省の林欧州局長はロシアのアファナシエフ駐日大使に対し、電話で「ロシアの首相が日本固有の領土である択捉島を訪問したことは、北方4島に関する日本の立場と相いれず、日本国民の感情を傷つけるものであり、極めて遺憾だ」と述べて、抗議しました。ロゴジン副首相は23日夜、自身のツイッターに投稿し、「真の(日本の)男なら、伝統に従ってハラキリをして落ち着いたらいい。今は騒いでばかりいる」とやゆした。
それにしても、外国人から、’黙って腹切りせよ’と言われるのは残念な国民性である。 抗議だけでは、何も解決しない。相手の受け入れそうな提案が必要である。腹切りは非建設的な態度である。未来社会の建設を心がける意思表示をすることが指導性を発揮する。我々は、これをしなくてはならない。



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英国人と日本人

2015-08-19 11:08:18 | 国際・政治


・> 過去の清算にあくまでもこだわるか、現在と未来の友好関係に免じて過去を水に流すか。この2つの主張はいつまでも交わることのない議論にも思えます。同じ英国人であっても、現在の良い関係が悪化することによって被害を被る人たちがいる一方で、今だに50年以上前の悪夢に苦しめられている人たちがいるという事実は、戦後補償という、高度に政治的な問題と相まって、物事をさらに複雑にしているようにも見えます。

英語と日本語は違う。
英語脳と日本語脳は違う。
だから、英国人と日本人は違う。

過去の事実は、過去時制の文章内容となって英語脳裏に保存される。文章には意味がある。だから、容易に忘れない。
日本語脳裏においては、過去の事実は、過去時制が無いので文章内容にはならず、意味がない。夢 (未来)・幻 (過去) のごとくに見えてとりとめがなく、内容に筋が立たない。脳裏にとどめおく場所もない。だから、日本人は、過去のことを忘れたことにするか、水に流す。これしかない。

この違いを無視して相互理解もなく、友好関係が築けるはずもない。信なくば、立たず。日本人の常識は、英国人の非常識か。我々には、更なる学習が必要である。

・> しかし、いかにこの問題を解決するのが難しいとしても、それは、問題を無視していいということは意味しないでしょう。少なくとも、わたしは、中高の歴史の授業でこの話を聞いたことも、日本のメディアがこの問題を取り上げたのをみたこともありません。現に、宮内庁が、今回の元戦争捕虜たちの抗議行動を大きく取り上げないように各マスコミ関係者に要求した、ということもこちらの新聞にかかれていました。ほとんどの日本人がこの元英国軍人戦争捕虜補償問題の存在すら知らないという状況で、どのような「友好関係」が築けるのでしょうか。



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罪なき世界

2015-08-14 22:12:29 | 国際・政治
・>【北京=川越一】中国国営新華社通信(英語版)は14日、安倍晋三首相が戦後70年にあたって発表した談話の中で、過去に対する「お詫び」に言及したと速報した上で、「未来の世代は大戦中の残虐行為について謝罪を続ける必要はないと付け加えた」と伝え、反発をにじませた。

我が国は、国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。だから、関係諸国からの謝罪要求は続く。当然、未来の世代にまで続く。亡父の借財は、その相続人のところに請求がいくようなものか。
だが、断罪も嫌い。謝罪を続けるのも嫌い。日本人は、今なお‘罪のない世界’に生き続けている。そのうえ 恥 (下位) からも逃れようとして、必死の努力を続けている。はたして、国際社会において、名誉ある地位 (上位) を占めることに成功するか。子供のようなメンタリティか。

米MIT (大学) の教授・ジョン・ダワーは以下のように述べています。

、、、、、よしんばこれ [東京裁判] が「代表的」指導者に戦争責任について説明責任を問うための発見学習的あるいはショウケース的裁判であると了解したとしても、ある種の集団、ある種の犯罪がそこから見逃されていることはいかにも顕著である。ひとびとにおそれられた憲兵隊は誰も起訴されなかった。超国家主義秘密結社の指導者も、侵略によって私腹を肥やし、「戦争への道」を拓くことに親しく関与してきた実業家も、起訴されていなかった。日本が植民地統治していた朝鮮人と台湾人を強制動員したことは「人道に対する罪」として追及されなかったし、何万人もの外国人の若い女性たちを狩りあつめて帝国軍人に性的サービスを提供する「慰安婦」として働かせたことも訴追されなかった。また、検察団を支配していたアメリカ自身が、残虐非道さにおいて疑問の余地のない罪を犯した特定の日本人集団を、秘密裏に、そっくり免責していた。満州の七三一部隊で、何千人という捕虜を実験台に使って生物兵器を開発していた将校や科学者たちである (研究成果をアメリカに教えることを交換条件に訴追を免れた)。中国における化学兵器使用の証拠についても、検察は真剣には追求しなかった。* (引用終り)

  *増補版・敗北を抱きしめて 下 第二次大戦後の日本人 ジョン・ダワー 岩波書店 2004 p.261



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危険なメンタリティ

2015-08-12 21:31:34 | 国際・政治
・> 自民党の稲田朋美政調会長は11日のBSフジの番組で、安倍晋三首相が14日に公表する戦後70年談話について、「未来永劫(えいごう)謝罪を続けるのは違う」と述べ、先の大戦に関する「おわび」の文言は明記すべきでないとの認識を示した。

罪の意識が無いから謝罪は嫌いであろう。形式的な謝罪は、自虐の表れであるか。謝罪は平和外交の特効薬で未来永劫効き目が持続する。だが、それでも謝罪を早く切り上げたいのであろう。

・>村山談話に盛り込まれた「侵略」についても「こだわる必要はない」と語った。

相手の指摘する自分たちの間違いを真摯に受けようしない。’過ちは、繰り返しませんから’の誓いを意図的に空虚にするつもりであろう。では、なぜ、そのような文言を石に刻んだか。未来永劫に読まれるためではなかったのか。

・>稲田氏は「日本は痛切な反省に基づき、この70年間、戦争することなく、平和に貢献してきた」と強調。

現実の話は、過去の過ちとは別のこと。原因があって、結果があった。だから、原因重視が大切である。
自己慶賀が好き。うぬぼれが過ぎる。国際社会において、名誉ある地位を占めたいとの一心か。わが民族特有の向上心か、出世欲か。この態度により、尊敬を得ることは難しい。地球村は、序列社会ではないからだ。期待外れか。

・>中韓両国と国交正常化を成し遂げた後、「中国に政府開発援助(ODA)を行い、韓国にも援助してきた」とも指摘し、「謝罪をするのは違和感を覚える」と述べた。

昔は天皇と富士山が我が国の誇りで、今は資金援助が誇りである。自分さえ善ければということか。自己慶賀の方に力点を置きたいのであろう。相手は、この自己慶賀の方にこそ違和感を覚える。信なくば、立たず。またもや国粋主義か。どこがおかしいか理解できているのか。
日本人には世界観が無い。理想の内容が、全地球に関することでもなく、全宇宙に関することでもない。だから、全人類からの共感も得られない。果たして、無哲学・能天気の花咲爺は、地球村の指導者になれるか。話ができないということは、信念が固いということか。またもや、我が国一国で世界相手に戦う国際孤児になりかねない。我が国は、世界の中にあって世界に属していない。危険思想を育てる危険メンタリティの持ち主か。




起(た)て一系の大君(おおきみ)を/ 光と永久(とわ)に戴(いただき)きて/ 臣民われら皆共に/ 御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往(ゆ)け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし /四海の人を導きて/ 正しき平和うち建てん/ 理想は花と咲き薫る




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