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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

とかく、この世は無責任

2016-09-30 21:32:14 | 政治
> 「それぞれの段階で、流れの中で、空気の中で(盛り土案の骨抜きが)進んでいった」。東京都の豊洲市場(江東区)の盛り土問題を受け、小池百合子知事は30日、厳しい言葉で都庁の「甘えの構造」を批判した。続いて調査報告書の内容を報道陣に説明した都幹部は時折、言葉を詰まらせながら「信頼を裏切った」「責任を深く痛感する」と謝罪した。

英米人には意思がある。
意思は未来時制の文章内容である。頭の中に蓄えられる。
個人のリーズン (理性・理由・適当) を公表し、議会に掛けて決議する。
決議事項は世界に向けての宣言となる。その内容はグローバル (全地球規模)・ユニバーサル (全宇宙規模) になる。

日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) がある。
恣意は文章にならない。小言・片言・独り言になる。頭をすり抜けて腹の底にたまる。
お互いに意思の疎通がない。そこで、以心伝心が頼りとなる。阿吽の呼吸を求めている。
腹蔵の無い談合により決着する。英米人のリーズンとは無関係である。だから、リーズナブルな説明責任を全うすることはできない。これでは国民の隠ぺい体質は避けられない。

日本人には意思がない。だから、よきに計らえと下知することが多くなる。
だが、恣意が有る。だから、上意下達の上意は、上の者の恣意である。文章にならないから意味もなければ、矛盾もない。だが、下の者の実行だけが義務になる。
意思を示せば、関係者となる。示さなければ、傍観者となる。意思があれば加害者意識 (罪の意識) も有る。意思が無ければ罪もない。大人の図体をして罪を知らない人間が恨めしい。

日本人は、礼儀作法を重んじる国民である。日本人の礼儀作法は序列作法であるから、序列判断は日本人の強迫観念になっている。日本語には、階称 (言葉遣い) がある。礼儀正しい日本人になるためには、言葉遣いに習熟しなくてはならない。そして、縦社会の人間になる。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで上意の実現に励めば、南の島に雪が降る。ああ、むなしい。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」




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腑に落ちる

2016-09-26 21:58:20 | 文化
>先日部署内で飲み会をした際、「普段なかなか出来ない本音の話が出来て良かった!」という声があがりました。

部署内は建前で、飲み会は本音ですか。

>お互いどう想っているか?何を考えているか?何を大切にしているのか? どうしていきたいのか?

個人には世界観が必要ですね。無哲学・能天気ではいられない。

>綺麗事だけでなく、本気で交わっていきたい、という意気込みが感じられる場となりました。

‘建前 (方針・主義) でない、本音 (本心から出た言葉) を聞きたい’ ということですね。

>この「腹を割って話す」ということ。
>古くから日本では、「腹」が重要な意味を持っています。

‘重要なのは、頭ではなく腹である’ ということですか。文章は脳裏に蓄えられる。バラバラの単語は、腹の中に落ちて底にたまる。そして、腹芸の原動力となっている。意味もなければ、矛盾もない。

>頭でっかちに考えたり、言葉尻だけで捉えるのではなく、五感で感じ、腑に落ちるかどうかを判断軸にしてきました。

建前の内容を頭の中に詰め込むと、頭でっかちになる。無哲学・能天気の輩は、’ああいえば・こういう’ のやり取りに終始して、一向に建設的な議論にならない。相手の発言を五感で感じ、気分・雰囲気で捉える。感情論ですね。頭を働かせる理性・理解とは関係がない。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

日本人の考え方は、今も昔も変わらないですね。腑に落ちる。しかも、これを高く評価している。
反理性である。リーズン (理性・理由・適当) を失った行為は極めて危険です。
我々には意識改革が必要です。


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国家の品位

2016-09-24 01:29:32 | 国際・政治
>教育条件も日本は経済力からみて非常に劣悪です。
> 欧米では小中学校は1クラス20~30人なのに、日本では35人学級すらいまだに完全実施していません。35人学級は関係者の一致した要求で、民主党政権時代に国会の全会一致で順次実施することが決められました。>安倍政権はこれに背を向け、文部科学省は35人学級推進の予算を17年度の概算要求に 盛り込むことさえ3年連続でやめてしまいました。>ゆきとどいた教育を願う国民の声に真っ向から反しています。

安倍政権は、行き届いた教育の追求には、興味がないのでしょうね。だから、成し遂げるべき使命感が湧いてこない。教育は序列順位の争いのための単なる手段であって、国民が平等でありさえすればお相子さまです。教育条件の優劣にかかわらず、序列順位は定めることができますので、現政権は心配をしてないのでしょう。教育は、序列人間の製造過程というものか。

日本人は、無哲学・能天気であって、哲学・非現実には縁がない。
非現実の内容を主張する者に対しては、’そんなことを言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’と言って現実肯定主義者は反撃する。天下の真理を述べているつもりになっているのかもしれない。
理想・非現実の主張に対しては‘そんなものは、夢物語だ’ともいう。
意思のあるところに方法がある。日本人には意思がない。意思がなければ、夢の実現は他力本願・神頼みじゃ。

日本人と西洋人では、夢に対する価値観が違う。
日本人の夢は見ることはできても、触れることのできないもの。はかないもの・当てにならないものである。夢の内容は、実況放送・現状報告とはならない。だから、日本人は夢に対して否定的である。その内容を日本語で語ろうとすれば、空想・妄想となる。
西洋人の夢は哲学である。希望の源である。夢は脳裏に存在する。非現実の文章内容として存在する。だから、肯定的である。

日本人にとって学問とは実学 (技術) である。’実社会に出なくてはダメだ’ という。無哲学・能天気の日本人は実学を励んで技術立国の道を歩んだ。この世では実現されることは無くても、正しい考え方というものは存在するものだという考えはない。
日本の国は天皇制 (序列制)、日本人は天皇製 (序列人間) である。序列があれば、問答無用。後は裁量でやらせてもらう。上意下達で恣意がはびこる。説明責任など、取れるものではない。
日本の礼儀は序列作法、礼儀正しい日本人は序列人間である。序列は社会生活を通して我々の強迫観念となっている。

‘All men are created equal.’ (全ての人は平等に作られている) と T. Jefferson が言えば、それはphilosophical (哲学的) である。非現実・理想で、高尚である。
Emperor Hirohito が ‘The war situation has developed not necessarily to Japan’s advantage.’ (戦局必ずしも好転せず) と言っても、philosophical ではない。現実・事実であり、高尚ではない。

‘見栄と外聞’ は、日本人の判断基準である。日本人論である。
自己 (内) に基準 (哲学) が無いから、外 (現実) に基準を求める。実況放送・現状報告の内容が基準となる。これを ‘見栄と外聞’ という。他人の考えを聞いても、自分の考えを述べない。あるべき姿を持たないからである。気分・雰囲気についてなら述べる。だが、文章にはならない。歌詠みのようなものか。小言・片言・独り言なら表現できる。だが、文章が無くては論理体系ができない。過不足ない世界を表現させる手段がなくて、空想・妄想・雑念の類になる。ああ、むなしい。

頭の中に基準を置くか。頭の外に基準を置くかである。哲学の内容は、自分の頭の中にある。が、残念ながら無哲学・能天気の日本人にはない。見栄と外聞の内容は、頭の外にある。哲学の内容は非現実、見栄と外聞の内容は現実である。見栄と外聞を丹念に集めれば、日本人論になる。自分に意見を求められても困る。’ああでもなければ、こうでもない’ と知識の多さを披露する。これは詰め込み教育の成果であるか。



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難関大学

2016-09-20 23:28:47 | 教育
大学の良さは、その学問の高さにある。
その業績を比較すれば、大学の良さは自ずと判明される。
だがしかし、我が国では大学評価の基準が驚くほど逸脱している。
入試の難易度で、その優秀性を比較するからである。そして、ありがたい難関大学と呼ばれるものができる。
入試の水準は素人の高校卒レベル、学術業績はプロの学者レベルに関係している。その知的レベルの違いは、未成年と成人の違いほどある。基準の違いがあっては、大学の国際比較を論ずることはできない。学問を通しての国際競争も、子供と大人の競争のようなものになる。

このことから察しても、国民の高等教育に対する関心の極端な差のあることが明らかである。
中国や韓国にも難関大学はあるであろうが、これらの国民の大学に対する見方は、我が国の見方とそれほど変わったものではないであろう。特亜三国の学問業績の高さでわかる。無哲学・能天気では、高尚 (非現実) なことは言えない。特亜三国の知識人は、欧米諸国と人々とは知的な面で切り離されている。その発言は低俗にとどまる。

誰も見たことのない恐竜時代の有様を詳しく述べる能力は、非現実の内容を述べる哲学による。恐竜物語は、矛盾を排除したところの ‘作り話’ である。矛盾さえ取り除けば、非現実の内容は真っ赤な嘘とはならない。真理となる。非現実の文章を作るためには、時制ある英語を使わなくてはならない。特亜三国の言語には時制がない。だから、英米流の高等教育の第一歩として、英語の習得はきわめて重要である。さもなければ、我々は民度の低さを克服できない。

非現実の内容に矛盾を残せば、筋が通らない。だから、哲学にはならず、空想・妄想・雑念になる。いつまでたっても真面目人間にはなれない。矛盾を交えた非現実の内容は正しい考えにはならずして、漫画・アニメの類になる。かくして我が国は漫画大国の道を歩くことになった。仏頂面をしていても、漫画人間であることに変わりない。真面目に大学に通う学生になろう。

>「数年前に比べて“半端な留学生”が増えたような気がします」とグエンさんは言う。ちなみに、アメリカの留学生は原則として就労が禁止されている。関連の業界からは一様に「本気で勉強する人材はむしろアメリカに向かい、日本に来ないのでは」という声が漏れる一方、「日本では“なんちゃって留学生”が増えてしまう」との懸念が広がる。




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天皇家

2016-09-20 16:52:39 | 国際・政治
>日本史、世界史を勉強されたらわかると思いますが、日本は、国を興してから2000年間、天皇家を中心に国を発展してきました、おかげで2000年以上世界で古代から唯一滅んでいない国家となっています。
>高校の世界史の裏表紙(世界史年表)を見てください、国の寿命はせいぜい300年ぐらい、ローマ時代から帯一直線の国が1つだけあるでしょ それが日本国なんですよ。

そうですね。日本国は異民族に征服されなかったのですね。地政学的な条件が良かったのですかね。

>天皇家は、日本の宗教「神道」の神のお告げを聞く神主の最高責任者であり、政治の象徴(権力者ではなく権威者)として、直系血族として 現在125代目の天皇ということになります。 世界での宗教の権威者では、ローマ法王があり、皇室の権威者ではエリザベス女王がありますが、この二つを足しても、天皇家には全くかなわないんです。

権威が長続きすることはよいことだ。天皇家の序列につながる民の支持が存在するからでしょう。権威主義であるから、最高責任者の責任感はあまりないでしょうね。

>日本は、一度も滅んだことが無いため、伝統文化と宗教行事が1体化してしまいました、正月、七五三、月見、花見、夏祭り、秋祭り、これらは全て神道の宗教行事ですが、日本人は、自分が神道の信者なんて意識して参加している人はいないでしょう?

意思のないところに責任はない。無意思でも通用する行事なら、宗教は何でもよい。

>神道の理念は「すべてのもには、神がやどるので全ての物に感謝しましょう」というものです、それが証拠に、太陽、石、川、自然、はもとより、無くなった人、他の宗教の神様、言葉(言霊) 虫、男女の性器、横浜ベイスターズ… どんなものでもご神体になっています。 日本人は、無宗教という究極の宗教信者なんです。

意思を示す必要がないならば、何でもご神体になる。

>この心情から、昔から、礼儀正しく、高い技術、を作り出す文化が生まれて、国を発展してきたんです。 1543年に鉄砲伝来からたった1年後にコピー商品をつくり、10年後には大量生産化し、後の植民地化を免れたのも、現在の技術立国を生んだのも、全てはこの国民性が生み出したものなんです。

日本人の礼儀作法は、序列作法である。だから、序列のないところには、作法はない。相手に因って態度が小さくなったり大きくなったり、人を見損なってはいけないと強迫観念にとらわれる。旅の恥は、かき捨てか。
日本人は序列修業により目先・手先の事柄に注意力を集中できるようになるので、細工物の仕上がりもよく、上意下達で作業能率もよい。おかげで日本製品の国際的評価も高く、我が国は技術立国を足掛かりとして、経済大国にのし上がった。この日本語の恩恵を世界中に広めて、途上国の技術支援を通して世界の経済発展に貢献したらよい。

>さらに天皇家は、皇室として、政治の象徴として2000年間国家の代表にいた人です。 公家、藤原家、源氏、平家、足利、徳川、これらは全部天皇家の親戚です。日本人のほとんどは、ご先祖をたどると、どこかの公家か源氏、平家筋の本家にたどり着くことができると思います。 すなわち天皇家とは日本人の共通の本家筋に当たる家柄になるんですよ。

アフリカ家は人類の共通の本家筋に当たる家柄になるんですよ。
‘上とみるか、下とみるか’ の判断には、上下関係の存続には必要です。日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は上下のつながりを求めます。脳裏にそのつながりを形成できれば、それで安心がえられます。’なぜ’ という疑問が消えてなくなるからです。
我々日本人とつながりのない人は ’外人’ で、つながりを捨てた人は ‘非国民’・’棄民’ となります。日本語脳の持主にとっては、序列外であることは精神的に大打撃となります。序列による人民統制の可能な範囲は、日本人の居住地域に限られます。だから、日本語脳の存在しないところに、序列国家存立の基礎はない。だから、日系移民は根無し草になる。日本人特有の神通力を発揮できない。そして、非日本語住民を巻き込んだ、グローバルだの、ユニバーサルなどの着想は、我が国においては育たない。

>血族=言語=民族=国家=文化=宗教=人種=皇室=国家=大陸(日本列島) これらが 1つにまとまっている国なんて世界に日本以外ないんです。ですから、天皇家は国家の象徴として憲法第一条に定められているんです。

我が国の ‘国家の象徴’ は、戦後アメリカ人の若者がこしらえてくれたのでしょうね。だが、これを国粋主義の材料にするなど、日本人でなければ思いつかないことでしょう。’小さな体に、大きな望み’ ということになりますね。

>現在125代目の天皇を本家として、1億人以上の人間が、血縁家族として、国家として存在している。

もっと遺伝子を調べたらアフリカまでは行くでしょうね。

>もう一つ不思議なことがあります、それは日本列島です、世界地図を縮小した形であり、美術家が作ったような綺麗な形をしており、春夏秋冬雨季乾季、亜熱帯、ツンドラ、地中海(瀬戸内)世界中の全ての気候があり、アルプスに匹敵する立山連峰があり、膨大な海洋資源、浅瀬~深海まで全ての地形を持っています。あと採算レベルほどでは有りませんが、ウラン、金銀銅、石油、宝石、無数の鉱物と殆ど全ての鉱物の山脈があります。自然、気候、地形、文化、全てのものを持っているのが日本なのです。

本当に、日本は世にも不思議な国ですね。

>日本人は、週末に、最先端の都市、世界最古の寺院、自然豊かな山、流氷の見える海、珊瑚がみれる海、など世界で楽しめるであろう、文化、観光、レジャーが全て国内で清潔で治安もよく、のんびり楽しめる奇跡の国なんです。

住めば都ですね。天国か、楽園か。台風・地震のない国か。

>私は、日本が高度な文明を維持しつつ、永続可能な文明社会を継続させるビジネスモデル(国体)を示すことが出来る唯一のポテンシャルを持った国家だと思っています。

優雅と低俗を結合させた、奇跡の国ですね。’掃き溜めの鶴’ のようなものでしょうか。

>これがメリットです。 日本の暖簾を現在降ろすことはデメリットしかありませんよ。

我が国は、利点も多いが難点もないわけではないですね。お変わりないのが安泰の証拠とはならないでしょう。
メリットの取り上げ方にもいろいろありますからね。世界には、個人の数だけメリットの数え方があるのでしょう。
下記のような記事もありました。
>>2012年の経済平和研究所によるランキングでは、日本は5位となった。しかし国連の「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(Sustainable Development Solutions Network、以下SDSN)」が発表した、2016年版の『世界幸福度レポート』では日本は53位だったというではないか。(引用終り)




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