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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

最後通牒  

2025-01-20 20:41:30 | 文化

>文春オンライン   >「来るべきものが来たのだ」開戦待ったなしなのに日本陸軍作戦本部長がアメリカからの最後通牒を前向きに受け止めた意外な理由   >川田稔によるストーリー・   >4時間・   

()  

>◆◆◆   

>田中から見た「国策再検討」   

> その翌日(1031日)、東条首相と杉山参謀総長との会談が行われた。   

> 杉山は、本格的戦争準備を「12月初頭」を目途に整え、外交は作戦を有利とする目的にそうように運営すべきだと主張した。   

>東条は外交を作戦の手段とするような「偽装外交」はとうてい「陛下」に申し上げるわけにはいかないとして反対した。   

>杉山は、今後の対米交渉においてさらに「条件を緩和」することがないか、と危惧を表明したが、東条は、対米交渉での条件はこれ以上「低下」することはあり得ないと述べた。   

> この点について田中は、海・蔵・企画各相は、ただ交渉を続け、最低要求をさらに低下して「妥結」を図ろうとしている。   

>それでは「国防の自主性」を失った妥結に陥る危険が多く、時日を遷延し「国防の好機」を逸する危険が大きい。   

>したがって東条の意志に反して内閣と統帥部との衝突となる危険があるとみていた(田中「大東亜戦争への道程」第10巻)。   

> この頃、田中は、連絡会議における国策再検討の経過を振り返り、次のように記している。   

> 第一に、「戦争決意」をしたといっても「開戦決意」がされていない。   

>第二に、「遂行要領」に12月初頭「戦争発動」の決意を挿入しなければならない。   

>第三に、戦争決意と12月初頭「武力発動」が決められなければならない。   

>第四に、開戦決意は「11月中旬」でなければならない。   

>したがって、外交交渉は11月中旬まで、武力発動は12月初頭となる。   

>もし米側提案を全面的に受け入れる場合には、「米国の圧迫」なしとみるのは「虚妄」であり、「支那」から完全撤退せぬ限り圧迫の軽減は不可能である。   

>第五に、三国同盟からの離脱は不可避的に「国際的孤立」となる。   

>数年後には「米ソ支」による対日圧迫を受け「国家存亡の危機」に陥る(田中「大東亜戦争への道程」第10巻)。   

> このような立場から、11月中旬開戦決意、12月初頭開戦、三国同盟の維持を強く主張しているのである。   

> また、東郷外相より提起された乙案(編集部注:一定の譲歩を示したうえで暫定的な妥結を図る意図で東郷外相が提案していた)についての田中の見方は先にも触れたが、少し詳しくみておこう。   

>「乙案」は南部仏印進駐前の状態に復帰するもので、「航空揮発油」の供給はあてにならない。   

>国防の不安と「支那事変解決」の困難性は一層高まる。   

>対米戦の戦機を逸することになり、米国に戦争介入の諸準備のための時間を与えてしまう。   

>だが日米間の「妥結」の可能性は相当に大きい。   

>妥結が成立したとしても、それは「米国政戦略上」の一時的戦術であり、「統帥部」としては「反対」の態度を明確にすべきであろう。   

>統帥部があくまで反対すれば、「内閣の倒壊」とならざるをえない。   

>しかし、その後の「政局収拾」の確実なる「目処」は立たず、しばらく事態を「静観」するしかない。   

> 乙案による日米妥協の可能性は高く、統帥部としては好ましくない事態だが静観するしかない。   

>それが田中の判断だった。   

> ところが連絡会議では、東郷の提案を東条首相が支持し、「陸軍統帥部」としては政変を回避するため「譲歩」せざるをえなかった。   

>この事態に田中は、乙案が成立しても、それは米側の「謀略的」な一時的宥和であり、半年後には「対米一戦」か「大東亜共栄圏の放棄」かに追い込まれる。   

>だがその時は日米艦艇格差の拡大によって日本はもはや「戦えなく」なっている、と危機感を高めていた(田中「大東亜戦争への道程」第10巻)。   

>幻のアメリカ「暫定協定案」   

> 112日、大本営政府連絡会議は、再検討の結果に基づいて、あらためて「帝国国策遂行要領」案を決定した。   

>その主要な内容は以下のとおりである。   

>〈一、武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完成する。   

>二、対米交渉は、別紙要領によりおこなう。   

>三、独伊との提携強化を図る。   

>対米交渉が121日午前0時までに成功すれば、武力発動を中止する。〉   

> そして、別紙対米交渉要領には甲案、乙案が併記された。   

> 115日、御前会議が開かれ、「帝国国策遂行要領」(甲案・乙案を含む)が正式に決定された。   

>原則的には、96日の御前会議決定に事実上回帰したのである。   

> 対米交渉の甲案と乙案は、御前会議決定前の114日、野村駐日大使に打電された。   

>野村は、まず甲案を117日にアメリカ側に提示したが拒否され、1120日に乙案を示した。   

> 1121日、甲案不成立を知ると、田中は、乙案による「妥結の見込み」はほとんどなく、乙案が拒絶されれば「開戦」の外はない、と判断した。   

>翌日、連合艦隊に「布哇(ハワイ)奇襲」の命令が発せられたとの通知を受けとっている(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。   

> 日本国内で事態がこのように推移しているなか、アメリカ政府は、乙案に関心を示した。   

>対日戦を先延ばしにして、フィリピンその他での戦力増強のための時間的猶予を望んでいたからである。   

>米政府は、7月の極東アメリカ軍創設後、9月頃から、B-17大型長距離爆撃機部隊の配置計画など、フィリピン軍事基地の強化を進めようとしていた。   

> 米国務省内では、その対案として、北部仏印の日本兵力を25000以下とし、両国の経済関係を資産凍結以前の状態に戻す旨の「暫定協定案」が作成された。   

>そして、ハル国務長官は、乙案に対して、石油禁輸などの経済制裁を3ヶ月間解除し、さらに延長条項を設ける暫定取り決め案ではどうかと、口頭で野村大使らに示唆した。   

>その上で、英蘭中などの同意を求めたうえで、正式に日本側に提示すると述べた。   

> 米国務省の暫定協定案は、間もなく、イギリス、オランダ、中国(蒋介石政権)などに内示された。   

>日本の南進に脅威を感じていたオランダは賛成したが、蒋介石政権は、中国の抗戦意欲に打撃を与えるとして強硬に反対した。   

>この中国の主張にイギリスが同調し、結局、暫定協定案は断念された(福田『アメリカの対日参戦』)。   

> 19411127日、ハル国務長官は、乙案に対する回答として、いわゆる「ハル・ノ ート」を提示した。   

>その内容は、ハル四原則の無条件承認、中国・仏印からの無条件全面撤兵、南京汪兆銘政権の否認、三国同盟義務からの離脱を求めるものだった。   

>開戦やむなし   

> ハル・ノートを受け取った東条首相は、その内容に愕然とした。   

>東郷外相も激しく失望した。   

>両者ともに、もはや交渉の余地なく、開戦やむなしと判断した。   

> ハル・ノートを知った田中は、「来たるべきものがきた」との感をもった。   

>その内容は実質的に「対日最後通牒」であり、「宣戦布告」だと受け止めた(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。   

> 同日、大本営政府連絡会議が開かれ、ハル・ノートにより「非戦派閣僚」も一気に開戦論に転換した。   

>対米開戦で閣僚の意志一致がなされたのである(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。    

> 田中は、これをアメリカが極東侵略政策をあらわにしたものと受け止めた。   

>ハル・ノートは日本の「アジア解放」政策たる「大東亜共栄圏政策」に敢然と挑戦したものであり、「ワシントン体制」の復元を強要するものと断じた。   

>日本の「東亜新秩序政策」と正面衝突するものであり、満州を含めた「全支」から全面撤兵を要求し、「満州建国」や「汪政権」の解消を要求するものと解釈した。   

>それによって満州事変以来10年の日本の経営は「水泡」に帰する。   

>「対ソ対支」国防は危殆に瀕することになる。   

> また「支那大陸」は完全な「赤化」か、「モスクワ帝国主義」と「米英帝国」との争奪戦場と化する。   

>米国は米英支配下の「植民地支那」を未来に描いている。   

>日米英支ソ蘭泰7ヵ国の多辺的不可侵条約によって「集団的平和機構」を作ろうとしているが、それは「架空論」であり、その結果はアジアの「大混乱」を造り出すに過ぎない。   

>仏印を米英支ソ蘭泰6ヵ国の「共同保証」の下に置くことを提議しているが、これは日本の「南進政策」を阻止するための「鉄壁」を築こうとするものに他ならない。   

>ハル・ノートの意図は結局のところ日本の「主導的地位」の覆滅にある。   

>こう田中は判断していた(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。   

>ハル・ノートという「天佑」   

> 田中は、ハル・ノートの到来は、日本にとってむしろ「天佑」だとみた。   

>これで日米開戦に消極的な東郷外相らも開戦を決意せざるを得なくなり、国論も開戦に一致するだろう。   

>開戦方針貫徹のためには、情勢は一気に好転した、との認識だった。   

>「ハル・ノートが日本のためには、あたかも好機に到来したことは、むしろ天佑であるといえる。   

>このような挑戦的な文書をつきつけられては、東郷(外務)、賀屋(大蔵)の両相も、もはや非戦的態度を固辞し得なくなるだろう。   

>これで国論も一致するであろう。   

>……要するに来るべきものが来たのだ。   

>……既定の開戦方針貫徹のためには、[田中自身にとって]情勢はこれで一気に好転したのだ。」(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)   

> 田中にとって、ハル・ノートは、ワシントン体制、9ヵ国条約体制への復帰を強要するもので、大東亜共栄圏政策、東亜新秩序建設と正面から衝突するものだった。   

 

我が国は孤立無援の状態ですね。   

 

> 田中は仏印のみならず、満州を含む全中国からの全面撤兵を要求し、汪政権や満州国も解消することを求めているものと理解した。   

>満州国の否認について文面上は明言していないが、日米の力関係からして事実上そうなっていくとみていた。   

>それは、日本の満州事変以来の全ての努力・営為を否定するものだと考えたのである。   

> ハル・ノート受領後、田中は、次のような情勢判断を記している。   

>「南方戦争」は東南アジア地域に限定されることなく「印度、豪州」に発展していき、太平洋における「全面的長期持久戦」となっていくのは「必至」だ。   

 

我が国の国力を過大視しているようですね。戦わずして勝のが善の善ですね。   

 

>ドイツの不敗は間違いないという判断   

> また「欧州戦争」は「独伊完勝」の夢は過ぎ去ったが、欧州戦全局としては「持久長期戦争」となるだろう。   

>イギリスの「海上封鎖」の実現は相当困難で、陸上防御態勢も強化され、イギリスを「全面的に席巻」するがごとき部隊の上陸はほとんど不可能になった。   

>したがって「従来の対英判断」「独逸の対英攻撃の能力判断」は再検討の要がある(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。   

> それでは、このような情勢にどう対処すべきか。   

>海軍は太平洋正面2ヵ年は「大丈夫」と保証している。   

>海軍が2年間西太平洋の「制海権」を維持し「南北の海上交通」を安全にし続けるならば「長期戦争態勢」は確立しうる。   

>しかし2年間の「西太平洋維持」が挫折するなら「戦争指導」は崩壊の危機に直面することになる。   

 

そうですね。全損事故を回避するための政治的な取引をする優れた国際的な政治家は居なかったのですかね。   

我が国には対等な議論が普及しない。我が国は誰もかも名前を呼び捨てにする‘ため口’の社会ではない。事あるごとに尊敬と軽蔑を示さなくてはならない序列社会である。(ため口:相手と対等の立場でものを言うこと)         

 

> また、ドイツの欧州における「不敗態勢の確立」が日本の「戦争指導上の一大要因」であるが、現時点で必ずしもドイツ有利とは言えないにしても、ドイツの不敗は間違いない。   

 

ドイツの不敗は誤った判断ですね。   

 

>いずれにせよ太平洋地域での戦争の勝敗は、結局「飛行機と船」の問題である。   

 

そうですね。   

 

>田中はこう結論づけている(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。   

>〈 軍務局長を殴り、東条英機を「馬鹿者共」と罵倒…日本の勝利を考え続けた“作戦部長”が自ら辞職を願い出た“まさかの経緯”とは 〉へ続く   

>(川田 稔/文春新書)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


モヨ氏  

2025-01-20 18:28:39 | 文化

Hint-Pot   >あいさつ不要論 が出る日本とは対照的 買い物や交通機関でもあいさつ必須のイギリスやフランス 日本人女性が感じたことは   >Hint-Potの意見・   >6時間・   

>旅行するときの注意事項としてよく見たり、聞いたりするのは「人に『Thank you(ありがとう)』、フランス語では『Bonjour(こんにちは)』などを言いましょう」というあいさつのマナー。   

>しかし、果たしてそれは本当なのでしょうか?    

>日本からひょんなことからイギリスに移住、就職し、海外在住歴7年を超えたMoyoさんが外国暮らしのリアルを綴るこの連載。   

>第52回は、イギリスやフランスでのあいさつにまつわるマナーを紹介します。   

>◇ ◇   

>あいさつがないと始まらない日常風景   

>日本を離れて海外を旅したり、いざ暮らしたりすると、驚きの発見が何かしらあることは間違いありません。   

>これまでの連載でもいろいろと書いてきましたが、なかでも驚いたのは、日本とは比べ物にならないほどあいさつが頻繁に交わされることでした。   

 

それは礼儀正しい外国人ということでしょうか。   

 

>それは、私が初めて長期間の海外暮らしをすることになった、イギリスに着いてすぐに感じました。   

>街のありとあらゆるシーンで、とにかくあいさつが飛び交っています。   

>たとえば、カフェやスーパーマーケット、雑貨屋さん、レストランやパブといったお店に入店するとき。   

>日本では、店員さんから「いらっしゃいませ」と声をかけられるのが一般的です。   

 

日本の礼儀作法は序列作法になっていますからね。ものの上下を間違えると大変なことになりますね。   

 

>しかし、イギリスではどこへ入るのにも、とにかく客側からのあいさつから始まります。   

 

それは、上と見るか、下と見るかの挨拶ではないでしょうね。   

 

>また、レジでの支払いや注文時など、店員さんとやりとりが必要な場合には必ず「Hi」「Hello」などのように、軽くあいさつをしてから本題に入ります。   

>これはバスやタクシーなど交通機関でも、ホテルでも見かける光景です。   

>バスに乗って、運賃を支払うためにオイスターカード(電子交通カード)やクレジットカードをピッと機械にタッチするときに「Thank you」とさっと言うのは普通。   

>降りるときも「Thank you, driver!」と言っていく人をよく見かけます。   

>タクシーやUberに乗っても、それは一緒です。   

>また、ショップに入ったものの、何も買わずに出ることもあるでしょう。   

>たとえ見るだけで終わったとしても、「ありがとう」「さようなら」などと言って去るのがマナー。   

>何も言わない人も見かけますが、大部分の人があいさつをしているイメージです。   

>このあいさつが飛び交うシーンに、最初はある意味びっくりしました。   

>というのも、日本では客側が一切話さなくても、何も不自由なく物事が進むのが普通になっていますよね。   

>それに比べて、こちらでは人と接するときは何かしら必ず言うと言っても過言ではないかもしれません。   

>あいさつのバリエーションがさらに多いフランス   

>その習慣に慣れたと思っていた私でも、フランスに移動してからまた驚きました。   

>なぜなら、そのあいさつの頻度や範囲が輪をかけて広いから。   

>冒頭に書いた「Bonjour(こんにちは)」はもちろん、「Merci(ありがとう)」「Au revoir(さようなら)」の3点セットは、いつでもどこでも欠かせません。   

>さらに、向こうもあいさつをしてくれるのが普通なので、「Bon journee(いい一日を)」などと言われると「Merci, vous aussi(ありがとう、あなたも)」とお返しするまでがセット。   

>ある程度定型化しているとはいえ、なんとなくどういう流れなのかがわかるまでは、少しどぎまぎしてしまいます。   

>そして、このあいさつ一回に割かれる時間が長いのだなぁと改めて思いました。   

>さらに、イギリスではあまりありませんでしたが、フランスでは店員さんなどのスタッフだけでなく、その場にいるほかの人たちにもあいさつをします。   

>たとえば、病院の待合室に入ったときや、待っているときにほかの患者さんがいればあいさつをします。   

>それに、お店に入るときや出るときも、ほかのお客さんがいれば声をかけますし、電車内で車掌さんが見回りで歩いて来たときなども例外ではありません。   

>とにかくこれでもかというほど、さまざまな場面で、誰にも彼にも必ずあいさつします。   

>ここまで徹底したマナーは、私も初めての経験。   

>フランスへ引っ越した最初の頃は、言われてから初めてお返しするくらい、どこで言ったらいいかわかりませんでした。   

>ところが、今ではもう、どこでも言うというマインドセットでいたほうが簡単なことに気づきました。   

>つまり、一日中何かにつけて言い続けてもまったく不自然ではなく、逆に言い続ける必要があるかもしれません。   

>日本では“あいさつ不要論”が議論になるほど、あいさつ自体を不要に思っている人、形式だけで気持ちのこもっていないあいさつはいらないと考える人もいると知り、驚きつつなるほどなぁと思いました。   

 

日本人の礼儀作法は序列作法になっていますからね。日本人の序列作法を間違えたりすると相手を傷つけることになります。それで挨拶は日本人はかた苦しい生活を送らなければならないですね。      

 

>あいさつは相手を敬い、敵意がないことを示す、簡単で有効な手段です。   

>知らない人とあいさつすること自体に抵抗があったり、しなくてもある程度の平和が保たれたりしているのは、日本の治安の良さゆえなのかもしれませんね。   

>前述した通り、日本では買い物のときなどにお店の人にすらあいさつしなくても成立することが多いため、あいさつのハードルが高くなりがちです。   

>しかし、訪日外国人が年々増加し、職場などでもグローバル化が進むなか、あいさつの習慣は身につけておいてもいいかもしれません。   

 

外国人はため口をきく人たちですからね。(ため口:相手と対等の立場でものを言うこと。)人を見損なってはいけないという非難の無い社会ですね。      

 

Moyo(モヨ)   

>新卒採用で日本の出版社に入社するも、心身ともに疲弊し20代後半にノープランで退職。   

>それまでの海外経験は数度の旅行程度だったが、イギリスへ語学留学ののち移住した。   

>そのまま、あれよあれよと7年の月日が経ち、現在はフランスに在住。   

>ライター、エディター、翻訳家、コンサルタントとして活動している。   

>最近ようやくチーズのおいしさに少し目覚める。   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。    

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大谷享子氏  

2025-01-20 02:50:10 | 文化

BUSINESS INSIDER JAPAN      31歳で会社員を辞めてイギリス大学院に留学した私が「地獄のような準備期間」を乗り越えて分かったこと   >大谷享子によるストーリー・   1日・   

>海外留学。   

>言うまでもなく、それは学生だけの特権ではない。   

>しかし、ビジネスパーソンが海外への社会人留学を考えるとき、「お金をどう工面する?」「今から留学したら、帰国後には何歳?」「そもそも、受験勉強はどうするの?」といった不安や懸念が頭をよぎり、夢のまた夢だと諦める人も多いかもしれない。   

 

生涯教育が大切ですね。   

 

>それらを乗り越え、31歳で海外の大学院への社会人留学を実現させた人がいる。   

>スタートアップで働きながら留学準備や勉強を進めた後、20249月からイギリス・ロンドンの大学院に留学している上平田蓉子さんだ。   

>ネームバリューや「他者軸」での人生選択に疑問   

>上平田さんが今に至るまでの道は、決してまっすぐではない。   

>中学生のとき、科学雑誌『Newton(ニュートン)』を目にしたことから脳科学に興味を持ち、大阪大学の理系学部から大阪大学大学院・脳情報通信融合研究センターへ。   

>卒業後は博報堂に新卒入社し、理系の思考を生かしたデータサイエンスに従事した。   

>その後博報堂を退社し、渡米。   

>シリコンバレーで起業準備を進めるも、その最中に自身の使命を日本での活動に見出したことから帰国し、教育系のスタートアップ企業に入社する。   

2020年から4年間は、成人教育分野での仕事に邁進した。   

>そんな上平田さんには、今の選択につながるエピソードがある。   

>それは高校生のとき、脳分野の学びを視野に、理系学部の大学への進学を希望したときのこと。   

>当時の彼女の得意科目は英語と国語。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。  

 

>さらにその頃は理系に進学する女子が少なく、周囲からは文系のままトップ大学を目指すよう促されることが多かったという。   

10代で、社会に出た後のことを想像して進路選択をするのは難しく、かつ自分の意志ややりたいことに反して、ネームバリューや大学の合格実績を基準とした進路を促す周囲との狭間で戸惑う。   

>「最終的に、私は自分のときめきに従って進路を選びました。   

>進学後の苦労もたくさんありましたが、“この選択をして本当に良かった”と思えたことが、その後の人生にも影響しています。   

>博報堂の退職や、起業準備から一転、前職のスタートアップへの入社も、悩みつつ自分や応援してくださる方を信じて踏み出すことができました」   

>しかし、それはあくまでも上平田さんの場合。   

>歳を重ねるにつれて経験や責任も増え、本音を基準に道を選ぶタイミングは少なくなりがちだ。   

>未来への見通しの良さや周囲からの評価を切り離して、わざわざ道なき道に飛び込むことが幸せかどうかはその人次第で、「みんながそうするべきとも思わない」と彼女は続ける。   

>「私は10代の頃から、自らの人間性や過去を受容し、『挑戦する』『挑戦しない』などのあらゆる決断の舵取りをするための、“自分の軸”を形成する教育が十分ではないことに違和感がありました。   

 

そうでしょうね。   

 

>日本ではまだまだ、自分の軸を理解するための基盤や、その上で人生をデザインする自由さや仕組みが足りないのではと感じます。   

 

そうですね。それは日本語文法に起因するものもありますね。   

 

>誰もが“自分が主役”の人生を実現すること。   

 

それが何よりも大切ですね。   

 

>そのために義務教育に何らかの形で携わることが、いつしか私の目標であり夢になりました」   

 

義務教育よりも高等教育の方が問題ですね。  

 

>「前職の仕事には熱狂していました。   

>今も大好きな会社です。   

>けれど、本気で『誰もが“自分が主役”の人生を生きる世界を実現する』ために、これから何をしていくべきかを改めて考えたときに、今の自分のままでは限界を感じたんです。   

 

日本語には時制というものが無いので考えの内容を言い表すことができませんから、自分が主役にはなれませんね。   

 

>義務教育の変革に取り組むには、あまりに教育や省庁・行政の“現場”について無知だと思いました。   

>同時に、博報堂やスタートアップでどっぷり過ごして培ったビジネススキルを持って、教育と向き合うからこそ、見えることもあるはずと可能性も感じました。

>ここまでやって、その先に何があるんだろう?   

>前職に所属したからこそ分かった、限界と可能性。   

>その狭間で揺れ動き、次の人生の選択はどうするべきなのか、答えを出せずにいた上平田さんは、よく11で相談していたアメリカ在住の大学時代の友人に話してみることに。   

>すると、返ってきた答えは「昔から教育に課題を感じて一貫して行動してるんだから、もうさっさと世界トップ基準の教育を学びに行きなよ。   

 

受け売りとその後追いの日本式練習には限界がありますね。自己の考えを表現する練習が必要ですね。これはトップ水準の教育に成りますね。      

 

>世界トップを学べば、現状とのギャップが分かり自ずと次の道は見えてくる」   

 

そうですね。子供と大人の違いが分かりますね。   

 

>──この言葉を受けた上平田さんは、そこに選択の節目に感じてきた“ときめき”を感じ、悩みながらも社会人留学を決意した。   

>しかし決めたはいいものの、スタートアップで働くめまぐるしい日常は続く。   

>ネックになったのは、やはり情報収集や受験勉強時間の確保だ。   

 

日本では子供が勉強していますが、英米では大人が勉強しますね。   

 

>ではどのように向き合ったのか、キーとなったのは“取捨選択”だという。   

>「時間も資源も体力も無限ではないことは、社会人を経験した人の多くが身をもって知っていることです。   

>特に時間に関しては、1日=24時間というのは誰にも変えられません。   

>働きながら本当に海外大学院に留学しようと思うなら、特に英語が高校以来だった私は人一倍の努力と、何かを手放す必要があると考えました」   

 

日本人には特に英語が大切ですね。   

 

>そこで、上平田さんは大学院への受験勉強期間、友人や家族と遊ぶ時間を最低限にし、SNSも消去。   

>同時に、土日は12時間、仕事のある平日は始業前や就業後、昼休みといったすき間時間も勉強に打ち込む日々を過ごす。   

>「自分でも“本当にこの優先順位で大丈夫なのかな?”、“ここまでやって、その先に何があるんだろう?”とよく思っていましたし、眠れない日も多かったです。   

>決断から達成までの過程に、葛藤や不安が一つもない人なんて少ないんじゃないかなと思います。   

>ただ、その葛藤や不安を感じる回数を最低限にして、自分のメンタルとペースを乱さない工夫はできると思います。   

>その一つがSNSの消去でした。   

>他者の生きる時間を垣間見るとどうしてもそれと比較したり、自分の選択を疑ったり、大好きな家族や友達に会いたくなったりしてしまうし、周囲からの何気ない声も、不安の隙間には入り込みやすいです。   

>しかし残念なことに、他者の人生を見ている時間やむやみに悩む時間は、1ミリも英語のスコアや受験結果に結びつかないのです。   

>そう思うと受験には最も不要な時間だし、海外大学院に入学できるかは自分次第なので、30代を迎える次の10年のためにも“今目の前にあるやるべきこと”を大切にしていました」   

>30代をどう生きたいか   

>さまざまな葛藤を経て、最終的にイギリスの名門大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(通称UCL)のインスティチュート・オブ・エデュケーションという教育分野における世界最高峰の研究・教育機関に進学した上平田さん。   

 

英米の教育機関は入学よりも卒業の方が難しいですね。   

 

>社会人留学を実現するために猛奮闘した1年間は、「正直なところ、地獄のようだった」と振り返る。   

 

勉強は大人になっても必要ですね。   

アメリカでは、めでたく小中学校の教師になっても一定の期間内に修士号が取得できなければ、以後教職を続けることはできませんね。その期限は、ニューヨーク州では5年、オレゴン州では10年です。   

 

>なぜそんな思いまでして大変な道を選んだのか、今一度聞いてみた。   

>「さまざまなことに挑戦した20代での楽しかったことや挫折から学んだことを書き出してみて、“30代はどう生きたい?”と自分に問いました。   

>そこで思ったのは、やっぱりこれまで通り、一度きりの人生、まだまだ予想のつかない展開を楽しみたい、可能性を信じてどこまでも飛んでみたい、ということです。   

 

そうですね。人生にはチャレンジ精神が必要ですね。   

 

>その感覚を子どもの頃からずっと大切にしています。   

>あともう一つは、ここまで大変かどうかは終わってからじゃないと分からなかったという部分も大きいです。   

>最初から解像度高く“地獄”だと分かっていたら、踏み出せなかったかもしれません。   

 

そうですね。むやみな想像は為にならないですね。      

 

>上平田さんは20249月からロンドンに移住。   

>刺激的な日々を送っている。   

>「現地に来て、日本と海外の教育に関するギャップも学びたいことも山程出てきています。   

 

経験は則ち学習ですね。   

 

>挫折したり課題に追われたりする日々ですが、教育改革を志すリーダーたちが世界中から集まる環境から受ける刺激は、何事にも代えがたい経験です。   

 

そうですね。国際社会で通用する能力が大切ですね。      

 

>“30代からの留学”は変数や制約が多い決断でしたが、まずは挑戦してみて良かったなと心から思います。   

>この留学が終わるまでそう思い続けられるかは自分次第。   

>日々起こる予期せぬカオスな出来事に対して、自分なりに留学生活をカスタマイズしながら生きていこうと思います」   

 

それが良いですね。学業の成功を祈ります。   

 

>(文・大谷享子、編集・中島日和)   

 

 

 

 

 

 

 

 


尾原宏之氏  

2025-01-19 17:57:41 | 文化

>ニューズウィーク日本版   >慶應こそが「東大制覇」の目撃者であり、被害者だった...「私立蔑視」と「国立崇拝」の歴史と背景   尾原宏之 (甲南大学法学部教授) によるストーリー・   1時間・   

><明治維新以前から、私学・私塾の伝統がもともとあった>   

>国家のエリート養成機関として設立された最高学府「東大」の一極集中に対し、反旗を翻した教育者・思想家がいた...。   

>彼らが掲げた「反・東大」の論理とは何か?   

話題書『「反・東大」の思想史』(新潮選書)の第1章「「官尊民卑」の打破――慶應義塾・福澤諭吉の戦い」より一部抜粋。   

 

上下社会における葛藤物語ですね。  

 

>◇ ◇   

>「私学の国」の夢   

>私立蔑視と官立(国立)崇拝は、明治から現在に続く根強さを持っている。   

 

上下の比較は日本人の最大関心事ですね。太陽が上か、雲は上か、風が上か、、、、   

 

>しかし、教育学者の天野郁夫が「もともとわが国は、明治維新の以前から私学の国であった」というように、近代以前に私塾すなわち私立学校の果たした役割は大きかった。   

 

そうですね。我が国に近代国家としての政府が存在しない時代 (江戸時代など) でも学問がありましたね。わが国の教育界に私立と官立が共存すれば、出資の違いによる上と見るか・下と見るかの争いも激しくなりますね。学問以外の競争が起こりますね。         

 

>中江藤樹の藤樹書院、伊藤仁斎の古義堂(堀川塾)、広瀬淡窓の咸宜園など、師弟関係を原点とする私塾は、徳川政権の昌平坂学問所や各藩の藩校と並立して学問と教育を担っていたのである(『大学の誕生』)。   

>歴史家の大久保利謙も、「近世の学問発達史を見ても、真に貢献のあつたのは官立学校でなく、寧(むし)ろ之等の私塾であつた」と指摘した(『日本の大学』)。   

 

官立学校は西洋の学問の受け売りをする為に必要だったのでしょうね。私立に任せておいたのでは能率が上がらない。      

 

>明治になってからも、ある時期までは私塾から発展した私立学校は光を放っていた。   

1858(安政5)年に福澤諭吉が創設した蘭学塾を起源とする慶應義塾は、明治初頭に入門者が増加し、塾舎の増築や出張所・分塾の開設、移転を繰り返して発展した(『慶應義塾百年史』)。   

>大ベストセラー『西洋事情』を書いた代表的洋学者の私塾は、志ある全国の若者を惹きつけた。   

>ちょうど維新の混乱期で、明治新政府は学校どころではない。   

>「日本国中苟(いやしく)も書を読んで居る処は唯慶應義塾ばかりという有様」で、洋学といえば慶應義塾という状態が56年は続いたという(『福翁自伝』)。   

>開塾5年の1863(文久3)年から1871(明治4)年までの入門者数は1329人を数える(「慶應義塾紀事」)。   

>『西国立志編』で知られる中村敬宇(正直)、自由民権運動を代表する思想家である中江兆民も、それぞれ同人社、仏学塾という私塾を持っていた。   

1873年創設の敬宇の同人社は、福澤の慶應義塾、近藤真琴の攻玉塾(攻玉社)とともに明治の「三大義塾」と呼ばれたという。   

1874年に開かれた中江兆民の仏学塾(はじめ仏蘭西学舎)は、名前が示すようにフランス語教育とフランス学が中心であり、モンテスキュー、ルソー、ヴォルテールなどのテクストを用いた。   

>仏学塾が刊行する雑誌『政理叢談』は、ヨーロッパの思想を紹介して自由民権運動に強い影響を与えることになる。   

>ルソーの『社会契約論』をもとにした兆民の『民約訳解』が掲載されたのも、この『政理叢談』である。   

 

その頃は世を上げて翻訳文化でしたね。   

 

>夢物語にすぎないが、もし政府が官立学校を作らずに私学を育成する方針を選んでいたとしたら、特色ある「同人社大学」「仏学塾大学」などが続々誕生し、慶應などと覇を競う別の世界が生まれたかもしれない。   

 

翻訳文化大学の乱立が起こったでしょうね。   

 

>少なくとも、後世の私立学校生が官学との格差に煩悶する事態にはならなかっただろう。   

 

それはおそらく序列メンタリィティから来る悩みでしょうね。学問から来る悩み事ではないでしょうね。日本語文法の呪いですかね。     

 

>官学が存在しなければ私学差別は発生しないからである。   

 

出資者の違いが学問の本質に影響するとは考えられませんね。   

 

>ところが、同人社も仏学塾も明治20年代にはその歴史を閉じ、いまや跡形もない。   

 

寄らば大樹の陰ですかね。見栄と外聞かな。学問の本質に関係のない所に日本人の学問の問題が在るのでしょうね。      

 

>私塾起源の私学は、近代日本の学問と研究の王座に君臨することなく、東大を頂点とする官学がその地位を占め続けた。   

 

出資者の違いが学問の成果に影響を与えるという事ですかね。   

 

1871年設置の文部省よりも前に創設され、大きなプレゼンスを誇った慶應義塾は、私学の衰退、官学の隆盛を実体験しながら歴史を刻んでいくことになる。   

>慶應こそ東大の覇権確立の第一目撃者であり、第一被害者でもあった。   

 

東大と慶應は加害者と被害者の関係にあるのでしょうかね。日本人はややもすると上下の判定に熱を燃やしがちである。大学はもっと他に専念すべき使命があるのではないでしょうかね。     

 

>尾原宏之(Hiroyuki Ohara)   

1973年、山形県生まれ。   

>甲南大学法学部教授。   

早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。   

日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。   

>博士(政治学)。   

>専門は日本政治思想史。   

>首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。   

>著書に『大正大震災──忘却された断層』、『軍事と公論──明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男──丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』など。   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 


河野克俊氏  

2025-01-19 05:16:37 | 文化

>日刊スポーツ   >就任前から過激発言トランプ氏、元自衛隊トップが真意探り読む 日本にも軍事的役割求める   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >11時間・    

>海上自衛隊出身で、第5代統合幕僚長を務めた河野克俊氏が18日、東野幸治(57)が進行するABCテレビ「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」(土曜午前930分=関西ローカル)に出演。   

20日に就任式を控えるトランプ次期米大統領の“真意”について解説した。   

>就任式まで「あと2日」に迫ったトランプ氏をめぐっては、過激な発言が注目を集めている。   

>番組では、トランプ氏の「カナダは51番目の州になるべきだ」「安全保障と世界の自由のため アメリカはグリーンランドの所有権と管理権が必要だ」「パナマ運河はぼったくりだ アメリカへの管理権の返還を要求する」といった発言を取り上げ、河野氏が詳説した。   

>この日、ゲスト出演していた北斗晶(57)から「グリーンランドにパナマ運河、カナダをアメリカに?    

>冗談にしか聞こえない…」との意見が出ると、河野氏は「戦争をやるということではなくて、明らかに中国、ロシアへの対決姿勢を鮮明にした。   

>私は正気だと思います。   

>それなりに根拠はあると思います。   

>ハッタリだと思っていると、見誤ることになる」とした。   

>グリーンランドをめぐっては、パソコンなどに使用されるレアアース(希土類)埋蔵量が未開発地域で世界最大規模とされ、元財務官僚で経済学者の高橋洋一氏は、その全貌が「最近、氷が溶け出して分かってきましたね」と指摘。   

>河野氏も「北極海の氷が溶け出して、使える海になってきたということ」と同調した。   

>河野氏はその上で「ロシアの原子力潜水艦、ワシントンを狙えるヤツですが、今オホーツク海に展開しているとされていて、北極海にも展開できるとなれば、アメリカは対処が難しくなる」とし、グリーンランドを治めて備えを強める狙いがあるとの見方を示した。   

>太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河にしても、そもそも、1914年アメリカの建設で開通し、99年にパナマへ返還されている。   

>この世界の物流拠点に対し、河野氏は「もともとフランスがやろうとして、無理だった。   

>だけど、アメリカが巨費を投じて作った。   

>でも、カーター大統領がリベラルな方で、返還を約束。   

>クリントン大統領の時に返還された。   

>両(氏ともに)民主党の時に、行われていて、(共和党の)トランプ氏はおもしろくない」との背景も類推した。   

>また、カナダをめぐっては、トランプ氏は昨年11月、カナダからのすべての製品に25%の関税を課す意向を表明している。   

>河野氏は「これも、正気だと思うんですよ。   

>カナダが51番目の州になったら、グリーンランドよりも北極海に面してる」などの理由をあげ、トランプ氏の“本気度”を解説した。   

>さらに、そのトランプ氏が「日本に何を求めてくるのか」を聞かれると、河野氏は「韓国のように、日本に、有事の際には参戦するよう求めて来る可能性がある。   

>お金だけではダメ。   

>トランプ氏は『これはこれ』『それはそれ』という人」と指摘した。

>以前の韓国と同じく、米軍駐留経費の増額要求とともに、日本にも軍事的役割を求めるのではないかとの懸念を示していた。   

 

そうですね。   

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。口先だけの操作ではどうにもならない。   

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相 

 

古びた山門の両脇に立つ仁王像は、不法を見て極度の怒りを発している。そして筋骨隆々とした肉体を誇示して自己にその矯正力のあること示している。    

トランプ次期米大統領はウクライナのゼレンスキー大統領に停戦をしろと圧力をかけた。停戦しなければ、武器援助を止めると脅した。  

彼はロシアのプーチン大統領に停戦しろと圧力をかけた。停戦しなければ、ウクライナに武器援助をすると脅した。   

彼は自己の持っている力を誇示して停戦の実現に可能性のあることを示した。

我々日本人はこの力を用いた仁王様のやり方を取入れる必要が在る。そして建設的な態度を示そう。我々は力なく生涯を単なる歌詠みに終わらせてはならない。