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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

ダロン・アセモグル氏  

2024-11-20 22:54:23 | 文化

>現代ビジネス   >2024年のノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグル教授が語る「日本はもっと移民を受け入れて大丈夫」。そのシンプルな理由   >週刊現代 (講談社・月曜・金曜発売)の意見・   >13時間・   

>豊かな国と貧しい国が存在するのは、社会制度が違うから。   

>国家と社会が互いに監視しつつ成長することで自由は生まれる—そんな新説を実証した奇才が、日本を穏やかに、かつ冷静に分析した。   

>高齢者に働いてもらおう   

>—現在の日本では年間80万人以上も人口が減っています。   

>少子高齢化問題をどう克服すればよいか、良策がありますか?   

>どの国もこの問題に頭を悩ませています。   

>私の祖国であるトルコでは、高齢化が進んでいるにもかかわらず早期退職を奨励し始めましたが、これは政策上の誤りです。   

65歳定年制は、多くの人が大変な肉体労働に従事し、60代までに多くの病に苦しんだ時代には理にかなっていました。   

>ですが、現在は70代までは認知が鋭く体力もある人が多いので、自発的に望む限り、高齢者に経済的なインセンティブ(報酬)を与えて働いてもらうことは、彼らの幸福と社会にとって素晴らしいことでしょう。   

>一方で、出生率を上げるための単純な解決策はありません。   

>「もっと子供をつくるように」と簡単には命令できないからです。   

>日本や韓国では海外からの移住者や移民がほとんどいないため、少子化はより深刻です。   

>—日本人には移民への拒否反応があり、政府も移民政策は取っていないという立場です。   

>他方で、労働者確保策として外国人の受け入れは拡大、現在2%ほどの外国人比率が40年後には人口の1割に増加するという予測もあります。   

>移民政策についてどう考えますか?    

>文化的な問題なので、とても難しいですね。   

>たとえばヨーロッパなど多くの国で少子高齢化問題がまだ深刻化していないのは、移民の受け入れに積極的だからです。   

>日本はその選択をしていません。   

>国民が望んでいないのであれば、移民政策を押し付けるべきではないとは思います。   

>世界に誇るべき文化がある   

>他方、日本はもっと移民を受け入れなくては経済成長できません。    

>日本社会や政治家たちが民主主義のプロセスを経て、移民を受け入れていく余地はあると私は思います。   

>将来的に日本は移民大国になっても大丈夫でしょう。   

>その理由は、日本はとても強靭な文化を持っていると思うからです。   

>たとえ数十万人の移民を受け入れたからといって、日本文化が失われることはないでしょう。   

>—日本文化とは、和食やおもてなし、お祭りといった伝統文化など、すべてを含むものと捉えてよいでしょうか?   

>そうです。   

>日本文化は、移民を受け入れることによって壊されるほど脆弱ではないのです。   

>日本の豊饒な文化は世界に誇るべきものでしょう。   

>移民の受け入れについてなぜ日本ではそこまで厳しいのか、私には理解しがたい。   

>外国人の受け入れを緩和しすぎるとアメリカのように反移民運動が起きるなど、社会が不安定になりますが、もう少し緩めてもよいのではないでしょうか。   

>賃上げを激しく要求すべし   

>—質の高い民主主義こそが、国家の繁栄をもたらすとあなたは考えています。   

>この先の日本には何が必要ですか?   

>今、アメリカで目の当たりにしているのは、民主主義の深刻な弱体化です。   

>大統領選で私はカマラ・ハリスに投票しましたが(トルコとアメリカの二重国籍を持つため投票可能)、共和党と民主党どちらも、アメリカの民主主義の健全さを蝕んでいます。   

>政治家は積極的にウソをつき、邪魔な制度を骨抜きにしている。   

>それは他の多くの国でも見られます。   

>トルコの民主主義は死んだも同然です。   

>それに比べると、日本社会の民主主義はうまく機能しています。   

>ただし、糾弾すべき汚職や談合はありますし、労働者はもっと激しく賃上げを要求していかなくてはならない。   

 

そうですね。求めよさらば与えられん。(何事もただ待つのではなく、自ら積極的に求める態度が必要であるということ   

日本人には意思がない。日本は序列社会で出来ている。日本人は上からの指示を待っている。社畜スタイルの社会ですね。   

下の者は、上からの昇進、上からの賃上げ、上からの改革を待ち望んでいる。上の者は無哲学・能天気である。        

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

>他方、国家について言えば、再生可能エネルギーにもっと投資しなければなりません。   

>ドイツや日本が原子力発電所を閉鎖したのは大きな間違いです。   

>原子力は他のエネルギーに移行する前の過渡的燃料として必要だからです。   

>地域によっては原発を再稼働させたほうが良いでしょう。   

 

原発は地震国には良くないですね。   

 

>自由な経済活動を維持するには、個人の暴走を防ぐ「強い国家」と、国家の暴走を防ぐ「強い社会」が両輪で成長することが必要です。   

 

そうですね。強い国家と強い社会が必要ですね。   

 

>民主主義のプロセスに従い、それを実現する必要があります。   

 

そうですね。   

 

>(聞き手/大野和基)   

>ダロン・アセモグル   

'67年、トルコ・イスタンブール生まれ。   

>ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで数理経済学と計量経済学の博士号を取得。   

>マサチューセッツ工科大学教授。   

>共著に、『国家はなぜ衰退するのか』『自由の命運』『技術革新と不平等の1000年史』(いずれも早川書房)がある   

>「週刊現代」20241116日・23日合併号より   

 

 

 

 

 

 


梶山雄一氏  

2024-11-20 05:45:09 | 文化

>現代ビジネス   >「仏教とキリスト教」にはなぜ「似た伝説」が存在するのか一人の学者が提出した「驚きの視点」   >学術文庫&選書メチエ編集部の意見・   >10時間・   

>長く関心を持たれてきた「類似点」   

>アメリカ大統領選での宗教右派の影響が議論されたり、宗教二世の問題が耳目を集めたりと、「宗教」への関心はこれまで以上に高まっています。   

>宗教に関する知識を得ておくべきタイミングが来ているのかもしれません。   

>日本で「宗教」といえば仏教ですが、日本の仏教は、もともとはインドで紀元前後にはじまった「大乗仏教」が入ってきたところに起源をもつとされます。   

>大乗仏教とはなんなのかを知るのに有益なのが、『大乗仏教の誕生』という本。   

>著者は、京都大学教授で仏教学者である梶山雄一氏(2004年没)です。   

>同書で興味深いのが、仏教徒キリスト教の類似点について解説している部分です。

19世紀以来、ヨーロッパでは、仏教とキリスト教の類似性に注目が集まっていましたが、当時のそれはかなり牽強付会の傾向があったと梶山氏は解説しています。   

>ところが、1980年代には、AL・バシャムというインド史の研究者がより実証的に両者の対応関係について考察したそうで……。   

>バシャムの考え方について紹介している部分を同書より引用します(よみやすさのため、改行などを編集しています)。   

>〈新約聖書と仏教サンスクリット文献における物語の対応例を挙げたバシャムは、しかし、十九世紀的な仏伝・福音書比較研究を復活させようとしているわけではない。   

>彼の視野は、二つの点において昔の比較研究とまったく異なっている。   

>一つは、彼は、イエスの伝記とブッダの伝記とのあいだに対応を見ようとしているのではなく、前者と西暦紀元ごろから数世紀間にわたってインドで生成・発展した大乗仏教──あるいは紀元後の小乗経典のあるものとのあいだに対応を見ようとしていること。   

>二つは、キリスト教と大乗仏教とのあいだに、一方の他方からの直接の借用を主張するのではなく、両者の共通の源泉としてイランのゾロアスター教を想定し、その東西両側への影響を考えていることである。   

>キリスト教と仏教とのあいだのこれらの相似を、偶然に帰してしまうこともできる。   

>また、偶然に帰するにはその数があまりに多いために、なんらかの概括的な判断をすれば、それはきわめて主観的なものとなってしまう。   

>とすれば妥当な唯一の結論は、それらの一致の大部分は西アジアにおける両者に共通の源泉に由来するとすることであり、その共通の源泉としてはイランの二元論が考えられる、とバシャムはいう。   

>古代イランのゾロアスター教、ズルワン・アカラナ(無際時)やミスラの信仰などの神話が一方で大乗仏教に、他方でバビロン幽囚以後のユダヤ教とキリスト教の神話に多くの暗示を与えた。   

>後代のユダヤ教に始まり、キリスト教において完成されるメシア信仰は、仏教の未来仏マイトレーヤ(弥勒)信仰と関係づけられるが、それらはいずれもゾロアスター教の、世界の終末における救済者サオシュヤントに共通の起源を求めることができる。   

>キリスト教の天使、仏教の菩薩の観念は、ゾロアスター教のフラワシやアメシャー・スペンターに基づいている。〉   

>〈しかし、バシャムは、大乗仏教がその救済論的・終末論的特徴のいくつかをゾロアスター教から借用した、というべきではなくて、西北インドにひろがったイランの影響が、仏教徒の側がゾロアスター教と似通った宗教的態度をとるための基盤を提供した、というべきである、という。   

>大乗仏教はゾロアスター教からと同じように、ヒンドゥー教からも影響を受けており、また初期仏教や小乗仏教自体のなかに、大乗仏教の教義に成長してゆく萌芽もあった、と論ずる。   

>なによりも、前二世紀から後二世紀におよぶ期間に、北方および西方からつぎつぎと侵入した外敵によって引き起こされた西北インドの動乱と苦難という社会的情況が、仏教に大きな変化を要求し、大乗仏教の生成を促した、とバシャムは考えている。〉   

>大乗仏教とキリスト教の類似には、西アジアの宗教・ゾロアスター教が関わっていたと考えられる……。   

>のちに日本にやってくる大乗仏教の淵源には意外なものがあったようです。   

  •   

 

印欧語族は文法が似ているので、話者のメンタリィティも似ているのでしょうね。彼らの宗教には地獄がある。     

日本語文法には時制というものが無いので、日本人には世界観がない。つまり、過去・現在・未来とか、前世・現世・来世といった独立した世界の内容が無い。だから、日本人の考えには世界の終わりがない。あの世がないから、この世の地獄の話をする。     

 

 

 

 

 

 

 

 


親の声掛け  

2024-11-19 17:46:33 | 文化

>プレジデントオンライン   >大人になっても役に立たないのに勉強する意味はあるのか…「勉強嫌いの子」のやる気を引き出す ”親の声掛け“    >西岡壱誠の意見・   >3日・   

>子供に「なんで勉強しなきゃならないの?」と聞かれたら、どう答えればいいのか。   

>東大生作家の西岡壱誠さんは「親が誤魔化したりきちんと答えられなかったりすると、勉強しない子になる。   

>例えば『古文』なら、“会話が理解できない人になるよ”などと意義を伝えることが大切だ」という――。   

>※本稿は、西岡壱誠『読んだら勉強したくなる東大生の学び方』(笠間書院)の一部を再編集したものです。   

>「受験」「学歴」を理由にしてはならない   

>「なんで勉強しなきゃならないの?」   

>お子さんからこんな風に聞かれた経験のある親御さんは多いのではないでしょうか?    

>子供がある程度大人になってきて、宿題がつらくなってきたり、勉強の内容が難しくなってきたりする過程で、必ず湧き出てくる想いが、「なんで勉強なんてしなきゃなんないんだ?」というものです。   

 

そうですね。   

理屈には子供と大人の区別がありませんから、気付いたことを質問すると良いですね。   

 

>「数学の計算がなんの役に立つんだ?」「なんで古文なんて昔の言葉を勉強しなきゃならないんだ!」と考えるようになって、「勉強なんてやらなくていいんじゃないか?」と感じるようになってしまうのです。  

 

そうですね。必要は発明の母ですね。      

 

>この質問に対する親の回答は、重要であり重大です。   

>ここできちんと答えられなかったり、「つべこべ言わずに勉強しなさい」と誤魔化したりしてしまうと、子供は一気に勉強から心が離れてしまいます。   

 

そうですね。頭ごなしに𠮟りつけるのは良くないですね。   

 

>さて、最近この質問に対して、多くの親御さんが「受験のために勉強しなさい」「学歴のために勉強しなさい」と答えています。   

>「社会に出たら学歴が大事だから、勉強しなさい」「中学受験で頑張れば好きな中学に入れる。   

>だから勉強を頑張れ」というような回答なわけですが、これは少し危険な回答です。   

>まだ社会に出たことがない子供たちは、学歴がどれくらい社会に出てから重要になってくるか、想像することしかできません。   

 

そうですね。我が国は序列社会の国で、学歴は人間序列の指標となっていますからね。学歴万能とは序列万能の事ですね。

日本人には序列があって個性がない。序列の競争は没個性の戦いです。独創性がないところが欠点です。個性を持ち出すと異次元の戦いとなり比較が困難で不公平な戦いになると考えられているからです。         

 

>それに、確かに短期的には勉強のやる気が出るかもしれませんが、裏を返せば「中学に合格した後は勉強しなくてもいい」と解釈されてしまうこともあります。   

 

人間序列を作る為に日本人には勝負のための勉強が必要である。だが、誰もそうとは思っていないようですね。だからわが国の教育改革は遅々として進まないのでしょう。   

日本語の文法には階称 (hierarchy=言葉遣い) というものがあり、上と見るか、下と見るかの判断がなくては話ができません。  

ため口が禁じられていて、対等な立場で議論することができない。だから子供も大人も自由な発想で議論することが出来ない。日本人は大切なものを見逃している。 (ため口: 相手と対等な立場でモノを言うこと)  

 

日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。

 

日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 ‘以心伝心・阿吽の呼吸’といったところか。     

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

日本人は学校で受け売り・後追いの練習ばかりをしている。自己の見解 (非現実) を述べる訓練をしていない。すると、知性の欠けた人間の跋扈する奇妙な社会が出来上がる。    

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、政治はわが国の若者にも夢と希望を与えない。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

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ニッポン有事  

2024-11-17 13:53:10 | 文化

>アサ芸biz   >佐藤優「ニッポン有事!」自民党 裏金を抉る情報力の反面 衆院選 敗北を理解しない共産党   >アサ芸bizによるストーリー・   >5時間・   

1027日に投開票が行われた衆議院議員選挙では、与党の自民党と公明党は公示前勢力(279議席)を大幅に減らし、過半数(233議席)を割り込む215議席になった。    

>自民は、247議席から191議席、公明は32議席から24議席へと大幅に減少した。   

>自公の過半数割れは、民主党政権が誕生した2009年衆院選以来の出来事だ。   

>今回の最終局面で、有権者の判断に強い影響を与えたのが1023日に日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」に掲載された自民党本部が非公認候補が代表をつとめる支部に2000万円を送った事実を報じた記事だ。   

>〈自民党派閥の裏金事件で非公認となった候補が代表の党支部にも党本部から総選挙公示直後に政党助成金2000万円が振り込まれていたことが22日、本紙の取材でわかりました。裏金づくりという組織的犯罪に無反省な自民党の姿が浮き彫りとなっています。   

>(中略)裏金づくりで自民党非公認となりながら、党支部長のままの候補者が8人います。   

>本紙は8人が代表の政党支部に取材。   

>ある支部の会計責任者は「他の支部のことはわからないが、党本部から党勢拡大のための活動費ということで2000万円が振り込まれた」と認めました。〉   

>(1023日「しんぶん赤旗」)   

>共産党のインテリジェンス能力は傑出している。   

>共産党が裏金議員周辺に協力者を獲得しているか、アルバイトに紛らせて工作員を送り込んでいるのでない限り、このような内部情報を入手することは不可能だ。   

>また選挙期間中に政党本部が支部に公認料や活動費を支給することは合法だ。   

>一般の新聞やテレビが2000万円支給の事実を摑んだとしても、選挙妨害になるおそれがあると考え、報道しなかったであろう。   

>「しんぶん赤旗」の前衛的努力が実を結び、朝日新聞、読売新聞などのブルジョア(商業)新聞も革命党機関紙の後追いをすることになった。   

>しかし、「しんぶん赤旗」が大スクープを打った共産党は10議席から8議席へと2割も議席を減らした。   

>この党は215人の候補者を立て、140以上の小選挙区で立憲民主党と対決したが、小選挙区での当選者は1人だった。   

>共産党は数億円の供託金を没収されることになった。   

>今回の総選挙で共産党も大敗北を喫したのだ。   

>しかし、この政党の特徴は大敗北を率直に認めずに勝利と強弁するところにある。   

 

そうですね。勝った勝ったの負け戦ですか。      

 

1028日の共産党中央委員会常任幹部会において、今回の選挙についてこう総括した。   

>〈今度の総選挙では、第29回党大会以来の理論的開拓の到達点にたち、日本共産党のめざす未来社会─社会主義・共産主義社会が、「人間の自由」が全面的に花開く社会であることをおおいに訴えてたたかう、初めての選挙戦となりました。   

 

中国やロシアなど共産主義に親しみのある国が権威主義の国であることは人間の自由に反していますね。移民の押し寄せる国でないことも共通していますね。民、信無くば立たず。(政治というものは (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]         

 

>(中略)総選挙で訴えた政策、わが党の綱領路線、科学的社会主義に確信をもって、今後のたたかいにのぞむことを全党によびかけるものです。〉(同前掲)   

 

空しい。  

 

>革命政党の論理は社会常識から著しく乖離している。   

>佐藤優(さとう・まさる)著書に『外務省ハレンチ物語』『私の「情報分析術」超入門』『第3次世界大戦の罠』(山内昌之氏共著)他多数。   

>『ウクライナ「情報」戦争 ロシア発のシグナルはなぜ見落とされるのか』が絶賛発売中。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鈴木文也氏  

2024-11-17 10:50:01 | 文化

>産経新聞   >日本語覚える気ない実習生の質も低下 外国人材制度はゆがんだビジネスから脱皮できるか   >17時間・   

>外国人材の受け入れ制度として30年以上続く技能実習では、劣悪な職場環境でも転籍(転職)が原則認められず失踪が相次いでいる。   

>対策として政府は今月、転籍を認める要件の明確化を図ったが、制度を取り巻く問題はこれだけではない。   

>日本語を覚える気もない実習生、監査を怠り機能不全の監理団体-。   

>令和9年にも技能実習に代わる新制度「育成就労」が始まるのを控え、実習生の受け入れ企業からは「本当に改善されるのか」と疑問視する声も上がる。   

>「言葉を学ぶ意思がなく、やる気があるのかも分からない」。   

>広島市内で塗装会社を経営し、技能実習生を受け入れている才峠(さいのと)光治さん(54)はこう嘆く。   

>才峠さんが実習生を受け入れ始めたのは約10年前。   

>ベトナムに旅行した際、知人から依頼を受けたのがきっかけだ。   

>当初は面接で「一生懸命なのが伝わった」とし、実習生としてベトナム人8人を含む10人を受け入れてきたが、徐々に「質」が落ちてきたという。   

>セメントに混ぜる水をバケツにくむよう指示しても伝わらない。   

>休憩時間が終わっても休み続ける。   

>才峠さんは「水という言葉も分からない。   

>せめて簡単な日本語ぐらいできないと」とぼやく。   

>現行の実習制度では、多くの職種で入国時の日本語試験が必須ではない。   

>新制度では来日前に最も初級の日本語能力試験「N5」の取得など一定の水準が求められるが、才峠さんは「もう社員を日本人に戻すかもしれない」と打ち明ける。   

>実習生は転籍が原則3年認められず、勤務先から姿を消す失踪者は昨年、9753人と過去最多を記録した。   

2年前にフィリピンから来日し、四国で実習生として働いた男性(32)も「月の手取りは約8万円。   

>責任者からは『ばか』『邪魔』と罵られ、耐え切れずに逃げた」と話す。   

>出入国在留管理庁は今月1日、実習制度の運用要領を見直し、転籍の要件に暴行やパワハラ被害などを明記したと公表した。   

>ただ、受け入れ先を指導する役割を持つ監理団体も十分に機能しているとは言い難い。   

>才峠さんは加盟する監理団体に組合費として毎月4万円を納めるものの、「3カ月に1回以上の実施が求められる監査も行っていない」と訴える。   

>実際、制度を監督する「外国人技能実習機構」による令和5年度の実地検査では、対象の4537団体のうち2352団体(518%)に監理・指導が不適切といった法令違反が見つかった。   

>新制度では監理団体を「監理支援機関」として中立性を高め、外部監査人の設置を義務付けるとするが、受け入れ側は「この程度で機能するのか」と冷ややかな視線を送る。   

3年後にも始まる新制度は同じ業務分野で転籍が認められるため、受け入れ企業が今後、外国人材の育成に十分なコストをかけなくなる懸念もある。   

>才峠さんは「新制度は問題が改善するように見えて、われわれ(受け入れ企業)には無理がある。   

>より抜本的な解決策が必要だ」と語った。   

>借金してでも来日 技能実習制度ビジネスのゆがみ   

>技能実習制度を巡って過酷な労働環境などの問題が山積する中、アジア各国から来日する実習生は後を絶たない。   

>出入国在留管理庁によると、令和5年の実習生は約40万人で、10年前に比べて約25倍に増えた。   

>背景には実習生の送り出しが現地でビジネス化している側面もある。   

>実習生を日本に送り出す現地機関の多くは、実習生から手数料などの報酬を得ている。   

>厚生労働省の委託で「三菱UFJリサーチ&コンサルティング」が昨年、ベトナムなど4カ国の送り出し機関に実施した調査(186機関回答)によると、実習生1人当たりの支払い額は20万超~30万円が最多(301%)。   

>次いで30万超~40万円(269%)だった。   

>ただ、同庁が令和34年、実習生約2千人に実施した調査によると、実習生が母国で支払った費用総額の平均は約54万円。   

>来日のために母国で借金したのは547%に上り、ベトナムやカンボジアでは8割以上が借金している状況だ。   

>現地の送り出し機関は、日本の受け入れ側である監理団体からも手数料などを得ており、日本に向かう実習生が増えるほど、手に入る報酬が増える構図だ。   

>現地の事情に詳しい関係者は「来日して多額の給与を稼ぎたい実習生の希望につけ込む形で、現地でビジネスモデルが成立してしまっている」と指摘する。    

>ビジネス色強い仕組み改めを 神戸大大学院准教授の斉藤善久氏(労働法)   

>技能実習制度の問題として、民間企業のビジネス的側面が強い点が挙げられる。   

>現地の送り出し機関や国内の一部監理団体が利益を追求した結果、実習生や受け入れ企業は金銭面を中心に負担が大きくなっている。   

>この結果、日本語を話せない実習生が大量に送り込まれている。   

>新たな育成就労制度では、受け入れ時に一定の日本語能力を要求するものの、水準は非常に低く、会話が成り立つかは不透明だ。   

>新制度では転籍も認められるようになるが、対象の業種はどこも人手不足で、転籍されたら痛手となる。   

>しかも、本人の意向で転籍するには一定水準の日本語能力が求められる。   

>日本語の勉強をさせないよう有給を与えないといった労働基準法違反に手を染める企業が出てくるかもしれない。   

>これは現行制度でも起きている問題で、決して可能性は低くない。   

>新制度に移行すれば問題が全て解決するとは言い難い。   

>民間ビジネスの側面が強い仕組みを改め、行政などがより積極的に関与する仕組みにする必要がある。   

>(鈴木文也)   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、政治はわが国の若者にも夢と希望を与えない。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)