>二階元幹事長「不出馬」で考える スウェーデン82%、日本36.5% これが日本の“おじさん政治”を生む【報道1930】
>政治とカネに揺れる旧態依然とした日本の政界。
>85歳の議員が“次の選挙に出ない”と発言したことがニュースになったりする。
>年齢が不出馬の判断に影響したのかという記者の問いに「年齢の制限があるか?」「お前もその年齢になるんだよ。ばかやろう」と凄んだ自民党の二階元幹事長だ。
>一方、フランスに34歳の首相が誕生している。
>大統領もまだ46歳(就任時は30代)。
>進むフランスと“おじさん政治”が続く日本との差は何なのか…。
>「同じ議員同士なら年齢や経験に関係なく平等に発言する」
>世界ではLGBTも含め年齢、ジェンダーを超えたリーダーたちが政治に多様性を花開かせている。
>日本で“多様性”といえば、自民党青年局が企画した、いわゆる“過激パーティー”が思い浮かぶ。
>そもそも不祥事でもなければ話題にもならない、自民党青年局とは…?
>1955年に設立された、原則45歳以下の議員の集まり(当選回数など他にも規則はあるが)だ。
>とはいえ地方では議員不足などもあって、46歳以上の議員が所属している県連がほとんどだ。
>愛媛県連には67歳の青年局員もいる。
>広辞苑で『青年』と引くと“14、5歳から24、5歳云々”とある。
>そもそも被選挙権が25歳からの日本では、文字通りの青年局は成立しない。
>日本政治の世界では「40、50は鼻垂れ小僧」という世界だが、フランスで34歳の首相が出たと聞けば、何がそんなに違うのか気になる。
それは人間序列の有無ですね。
>日本とフランスの政治・文化の比較研究を専門とする先生に話を聞いた。
>ちなみにフランスの首相は選挙で選ばれるのではなく、大統領が任命する。
>三重大学 ティエリー・グットマン教授
>「マクロン大統領はイメージ戦略に優れている。
>(新首相の)アタル氏は若いだけじゃなく同性愛者。
>だから“若さ+同性愛者(を選ぶ)進んでる国”、(彼を任命した)進んでる大統領…というイメージ戦略が大きかったと私は見ている」
>フランスでは若者票の獲得が課題となっている。
>若返りは首相だけでなく、野党・国民連合の党首バルデラ氏も28歳だ。
>また、フランスが若い指導者を認める理由のひとつに歴史的背景があると、グットマン教授は言う。
>三重大学 ティエリー・グットマン教授
>「(革命で王政を打倒した歴史から)平等意識は高い。
>フランス人たちは、その人が自分より年上だからあるいは経験が長いから自分は黙ってその人の言うことを聞く、っていう意識はあまりない。
フランスは序列社会ではありませんね。
>同じ議員同士なら年齢や経験に関係なく平等に発言する。
>その場で“この人鋭いこと言ってる”、“賢いこと言ってる”と目立つ。
>そして目立った人は次に抜擢され、また目立って。
>ポストが上がっていく。
>アタルさんはその典型」
>「息子が選挙運動で変な選挙違反にでも関わったら人生終わっちゃう」
>一方、日本の政界で若手が伸びない理由として、グットマン教授は3つの問題を挙げた。
>ひとつは出馬に必要な供託金300万円だ。
>得票率10%を獲得しないと没収される。
>もうひとつは2週間という選挙期間。
>短い時間では、知名度のある現職が有利だという。
>そして、もうひとつはアジア地域の特性にあるという。
>三重大学 ティエリー・グットマン教授
>「東アジアということで(日本も)儒教の影響は強いでしょうね。
>“年上を尊敬する”日本ではどの分野にも年功序列的なものがあって…年上がリーダーになることは当然っていう文化…。
>“自分は若いのにこんな発言しちゃいけないな”という自己検閲が無意識にブレーキをかける…」
日本語には階称(言葉遣い)がある。自己検閲が無くては話ができない。
>その中でも自民党は保守。
>儒教的な古い日本の影響を強く受けている政党だから若者が伸びにくいのだろうと、グットマン教授は語った。
>立憲民主党の寺田議員は、若者が政界に進出できない理由のひとつに“地元づきあい”を挙げる。
>立憲民主党・政倫審筆頭幹事 寺田学 衆議院議員
>「特に地元活動は、どこに顔を出した、お祭りに顔を出した、催事場に顔を出した、街頭に立っていた…そういうフィジカルプレゼンスをとにかく出さないと知名度向上につながらない…これが若い人たちに“政治、ムリ”って思わせている…」
日本人はノンポリ・政治音痴ですからね。
>自民党・政治刷新本部幹事 牧原秀樹 衆議院議員
>「若者から意見を聞いた時に供託金を挙げる人は多かった。
>県議なら60~70万かな、でも国会議員は300万。
>比例も兼ねると600万円になる。
>自民党は党が出しますが、政党によっては自分で出せっていうところもある(無所属なら当然自腹)。
>20代は無理ですよね…」
>そしてもうひと最近の傾向として、政治にかかわると大変な目に遭うかもしれないと敬遠する若者が増えていると、牧原議員は言う。
日本人には世界観がない。だから、議論が出来ない。
>自民党・政治刷新本部幹事 牧原秀樹 衆議院議員
>「かつては選挙運動に学生ボランティアに参加していただいたんですが、最近は親が断ってくる。
>“息子が選挙運動で変な選挙違反にでも関わったら人生終わっちゃうから”とか…」
>共同通信 久江雅彦 編集委員兼論説委員
>「いちばん大事なのは、投票率ですよ。
>1970年代までは若者の投票率も60%くらいあったんですよ。
>どんどん下がって今3分の1ですよ。
>被選挙権も(選挙権同様)18歳に合わせれば自分に身近な人が出るって、投票率も上がってくると思う…」
そうですね。我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。残酷なものは過去のない老人と未来の無い若者である。
>確かに日本の直近の総選挙でも、投票率は70代が72.3%なのに対し、20代は36.5%と低い。
70代は義理で投票しますからね。20代には義理がない。義理があっても無くても政治音痴はかわらない。
>ところが、20代の投票率が実に82%という国がある。
>政治に関わりたいなら?“政党の青年組織に入ります”
>北欧・スウェーデンの国会議員の平均年齢は約46歳(日本は約58歳)。閣僚の平均年齢は45歳、最年少閣僚は26歳だ日本は(62.4歳)。
>選ばれる側が若いように、選ぶ側も若く20代の投票率が82%だという。
選ぶ側と選ばれる側には年齢の対応がありますね。
>なぜスウェーデンでは“若い政治”が実現したのだろうか?
>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官
>「スウェーデンでは若い人たちの投票率が、他のどの年齢層よりも高い。
>この国では非常に早い時期、幼い頃から有権者となり、民主主義のプロセスに参加することを奨励するシステムを築いてきた。
>私が初めて模擬選挙に参加したのは9歳の時で、1985年の選挙だった。
>実際の選挙と全く同じだった。
>投票用紙を持って封筒に入れて、秘密の投票所に行って投票用紙を箱に入れた。
>今では子供たちが投票によって学校の決定にかかわることが許されることも増えてきた。
>例えば校庭にどんな遊具を置くとか、給食で何を出すとかね…」
>スウェーデンでは選挙権・被選挙権ともに18歳だが、それ以前から政治に参加できるシステムが整っている。
>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官
>「スウェーデンの17歳の子に“政治に関わりたい、あるいは選挙に出たいならどうすればいい?”と聞けば、ほとんどの人がこう答えるでしょう。
>“政党の青年組織に入ります”。そうすることで、もし望めば政治的なキャリアを追求したり、より高いレベルで政治に関与することができる。
>そういう意識が高いのだ」
>スウェーデンでは若者が票田になっていて、そのことが政治を変えたとフルトクイスト参事官は言う。
>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官
>「社会の半分に過ぎない男性、あるいはもっと小さなグループである老人だけに焦点を当てることだけでは当選できない。
>だから若者が選挙に参加し投票することで、その変化が加速した…」
>先日、スウェーデンのような政治を目指そうというイベント『民主主義ユース・フェスティバル』が東京で開かれた。
>その会場にいた若者にマイクを向けた。
>「政治家は権力やお金がたくさんある悪いことをしているイメージ」(18歳・高校生)
>「政治に興味を持っていることに対して冷笑的な目線を向けられることがつらい。
>どこかの政党に凄く熱心なわけではないのに、思想が強いとか変な考えに染まっちゃったみたいに取られる…」(27歳・大学研究所勤務)
日本人には現実 (事実) ばかりで、非現実 (考え・哲学) がない。’我々は何処の行くのか’ という哲学的命題は想定外になっている。
>「今の若者は本当に政治に関する意識が低いと思う。
>おかしいなと思ったことについて、自分が変えてみようって意識を持ったらいいと思う」(15歳・中学生)
日本人には意思が無い。意思のあるところに方法がある。 Where there’s a will, there’s a way.
>この声を聞く限り、意識の高い子がいないわけではないようだ。
>ニュース解説 堤伸輔氏(フォーサイト元編集長)
>「『冷笑的な目線を向けられることがつらい』、これは日本社会に本当にある傾向だと思う。
>これはずっと戦後のいろいろな制約、はっきり言って右からも左からもかけられて生まれた。
>この15歳の子の意識の高さに思わず頼もしく思ってしまったのですが、実はイギリスはいま、16歳を選挙権年齢にしようというキャンペーンが始まっている。
>イギリスは4つの連合ですが、地方選挙では、すでに2つの地域は16歳で投票できる。
>いずれ総選挙もそうなっていくでしょう。
>この15歳の子は、外国から見たらこんな若い子がこんなことを言うのかという例外的なものではなくなっているということを、もうちょっと日本は知っておかなければならない」
英米の高等教育は現実だけの人間を現実プラス非現実の人間に変える。わが国には大人の教育がない。
言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。
世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。
日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
(BS-TBS『報道1930』3月25日放送より)