>しかも、その評価の基準は場の空気次第で大きく揺れ動くので、その都度ごとに相手の反応を探らなければならなくなっている。> 今日の若者たちがゆとり世代と呼ばれ、その生き方が生ぬるいと批判される理由もここにある。
気分・雰囲気の問題ですね。空気の読めない日本人は困ってしまいますね。わが国には、
‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)
>確かにこの世代の人たちは、がつがつとしたハングリーな生き方を「意識高い系」や「ガチ勢」と呼んで揶揄したりする。
>しかしそれは、一人だけが頑張って周囲から浮いてしまうと、コミュニケーション能力の欠如した空気が読めない人物と看做されかねないからである。
コミュニケーション能力がない人と、周囲の無理解の人の集まりですね。
日本人は、自己の考えを文章にすることができない。そして、文章にならないものは考えではない。だから、無哲学・能天気の状態になる。
非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章内容になる。その内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) として示される。
日本語の文法には時制というものがないので、日本人には非現実の三世界もない。これらの三世界は the sequence of tenses (時制の一致) により文法的に守られていて、三世界の内容を区別なくごっちゃに混ぜて語ることはできない。日本人の初学者は英作文をするときに、この時制による制約に慣れていないために難渋する者が多い。それで、自己の考えを論文にすることができないのである。
>逆に言えば、みんなが一緒に頑張っているときに一人だけが怠惰なのも、今日ではかつて以上に嫌われる。
考えの内容は人・人によって違いますからね。対話なしでは通じない。対話下手は困ったものです。語学力の問題か。
> 「そんなことやってられねえよ」と、斜に構えた態度が不良的で格好よく見えた時代もあったが、今日ではまったく事情が異なっている。>良くも悪くも周囲から目立つことは、自分の居場所を不安定にすることであり、ともかくご法度なのである。
そうですね。安定を得るために人の後ろに隠れているのが上策ですね。
>ゆとり世代の若者たちは、やる気の足りない人間というわけではなく、人間関係に対して過剰な気遣いを示す人々だと考えたほうがよい。>「個性的であること」が忌避されるとしても、周囲から承認されるための自己有用感は互いに強く求め合っている。
それは、家畜のようなものですね。各人の個性は望まれていないが、有用性は大いに期待されています。
>したがって、チーム全体でやる気を出し、創造力を発揮するのはOKだともいえる。
創造力は、個人の頭の中で生まれるものですね。チームの協力体制は、また別なものですね。
>事実、クール・ジャパンとして世界に誇る日本発のコンテンツの多くは、若者たちがチームを組んで共同作業で生み出したものであることを想起すべきである。
クール・ジャパンは、やればやるほど赤字がひどくなるのだそうですね。
(341819 暴走する悪徳エリートの所業 18/12/21 PM09 「クールジャパン」はこんなにひどいことになっていた(1) )
> 職場の中でゆとり世代の若者たちと向き合う上司の方々は、そんな彼らの心情を察しつつ接するべきだろう。>それが感性の豊かな彼らの創造力をうまく活かす道であり、企業の業績アップにもつながっていくはずである。
それが上手くゆくと良いですね。
> 彼らの生きてきた環境に想像力を巡らせることなく、ただ単に憂えてみせているだけでは、新旧どちらの世代にとっても、したがって日本の社会全体にとっても、結局は不幸な結果に陥ってしまうこととなるだろう。
そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、時制の重要さを十分に理解する必要がありますね。そうでなければ、正しい考えを表明することは難しい。時制を使って自己の世界観 (world view) を示すことができるようになれば、批判精神 (critical thinking) も持てるようになります。自己の意思が表明できるようになれば、外国人と対話・議論も可能になります。意思疎通が可能になれば、外国人からも信頼されるようになる。国際的に協力者を得て未来社会の建設に日本人も指導的な役割を果たす貢献ができます。
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