>363115 キライなことば――「平和」という生簀 >匿名希望 20/12/31 AM00
>リンク より引用
>「平和」は、明治新政府がラテン語のPax(英語のPeace)の対訳に適当な日本語として採用した、古くからある漢語「和平(平らげて和やかにする)」を倒置し「平らげられて和やかな状態」という意味を持たせた造語である。
そうですね。中国人は漢字を作るのが上手である。日本人はそれを組み合わせて造語を作るのが上手である。
>世界史でPax Romanaを「ローマの平和」と習うが、ちゃんと書けば「ローマ帝政の支配にもとづく平和」であり、冷戦期のPax Americanaなどは「アメリカの覇権(脅威)による平和」だ。 >ならば「平和」には必ず支配者が要るということになる。
そうですね。誰かが支配者になる必要がありますね。自分たちが支配者になる必要がありますね。
>これで「平和」が急に嫌なことばに見えてくるのは筆者だけではないはずだ。 >耳障りな「支配」ということばを「統治」「制御」「執政」「管理」などと言い換えたところで何も変わりはしない。 >平和を保つには支配者が必要である。
そうですね。
>しかし支配される側の人間は支配者を選べないのである。 >歪みの根はこれなり。
我々は参政権を得る必要がありますね。代表制の民主主義ですね。
>「平和」にあたる語句を日本の祖先が話した「やまとことば」のなかに見出す。 >同意とは言い難いが「やす」がそれを包括するだろう。
日本人には意思がない。だから、同意は難しい。
>休む、癒す、治す、などの動詞の原型が「やす」である。 >漢字をあてると、安、泰、康、保、易、寧、靖、恭、などがある。 >それぞれ少しずつ違いをもつが大意はおなじくして「争いや病や波風のないさま」である。
弱肉強食 (The right of the strongest) は自然の掟ですね。
>「やす」は、天と人と地の間で保たれる均衡とでもいうべき崇高な言葉で、戦火で焼き尽くし軍靴で平らげた「平和」とはそもそも格が違う。
力は正義ですね。Might is right.
>話を平和ボケに戻す。 >まず「平和」にたいする幻想を捨てなければならない。 >戦争よりはマシだがそれ程きれいなものではない。
一億総玉砕よりはマシですね。 だが、我々は政治音痴ではいられませんね。
>平和を誰がどう設計したか見極めないうちは真に良い国は築けないのだ。
そうですね。政治哲学の探求が必要ですね。
日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)
>そとの海で生きる術など知る必要もない、飼い主のくれる餌をほおばり、外敵の存在もしらない、まな板の上でさばかれていてもまだ気がつかない、生簀の魚のような生きざまを平和ボケという。
そうですね。日本人には世界観がない。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。
わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。
>魚ならず人であれば若いうちにもっと外を見て歩くべきだ。
そうですね。井の中の蛙ではいられませんね。そのうちに茹で蛙になります。
>テレビを消して、新聞や雑誌も捨ててはどうか。 >遊びのための小遣いを旅にあててはどうか。
‘可愛い子には旅をさせよ’ ですね。
>そしてその目で確かめて欲しい。
そうですね。見ればわかる。Seeing is believing.
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