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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学力

2019-04-30 17:52:16 | 教育
>あたたかい学力は、利他的であるといえる。

聞きなれない学力ですね。

>世に貢献する学力である。

殊勝な心がけですね。

>冷たい学力。 >それは、冷たく凝り固まった学力である。 >応用が利かない。 >決められたテストに対し、機械的に決められたように答える学力である。 >公式の丸暗記などもこれに当てはまるだろう。

暗記のための暗記ですね。

>逆に言えば、あたたかい学力は、応用が利く学力である。 >模範解答の存在しない問題に対し、立ち向かっていける学力である。>要は、あたたかい学力とは、クラス会議でつけようと目指す力そのものである。

創意・工夫のことですね。

>他に貢献し、仲間と協力しながら、自分たちで答えを求め、新たな問題を発見していく。>これからの時代に必要な学力である。

問題とその答えを発見する学習ですね。

>子どもにつける学力の話のようで、これは大人にこそ必要である。

そうですね。誰にも必要なことですね。

>凝り固まった思考をしていないか。 >身の回りにある様々な問題に対し「仕方ない」「そういうもの」と諦めていないか。

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思がない。だから、仕方がないので、無為無策でいる。

>いや、そもそも問題を問題と捉えていないことこそ、最大の問題点である。

そうですね。日本人には、意思がない。人間が、自然の中に溶け込んでいるから問題がみえにくいです。だから、天災と人災の区別がつきにくい。

>子どもに「あたたかい学力」をつけられるよう、自分自身にその力をつけたい。

それは良いことですね。

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説明のつかない力

2019-04-30 01:05:44 | 政治


>■責任を追及しない日本社会
>(前略) >いくつかの出発点のひとつは、なぜ安倍政権は潰れないのかという素朴な疑問だと思います。 >安倍政権はひどい政策をずっと続けているのに、なぜか長きにわたって政権を維持している。 >ここには合理的には説明のつかない力が働いており、私たちはそれに従わされている。

そうですね。’説明のつかない力’ の存在が気になりますね。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

>白井君はそこに「国体」という構造を見いだしているのだと思います。 >この国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。 

そうですね。国体は、天皇を頂点とするわが国の序列体制のことですね。

>しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。>『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。 >そう指摘しているわけですね。

日本人の序列メンタリティは、変わりませんからね。

> 白井:そうです。>「戦後の国体」となった対米従属構造を維持することで、権力を保持しているのが安倍政権に代表される日本の支配層です。

日本人には、それしかないでしょうね。対天皇従属構造が、対米従属構造に変わったということだけですね。

>(中略)> 白井:戦後直後から今に至るまで、日本人はアメリカに負けたという事実から目をそらそうとしてきました。

そうですね。日本人は、現実直視が苦手ですからね。自分ないし自分たちに有利な色を付けて物を見るのが常のようです。

>8月15日を「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでごまかしていることから始まって、戦後の日本は「敗戦の否認」を続け、アメリカに従属していることを直視しないでいる。

敗戦の現実直視は、面白くないですからね。

>でも、そうした支配を否認する日本人の心理的な構造は、戦後に始まったものではない。 

そうですね。現実直視からの逸脱は、わが国の伝統ですね。

>わかってしまえば、簡単なことです。 >戦前の日本人には、疑うことなく「国体」に付き従うというマインドがインストールされていた。

それは、’序列と無意志’ が組み合わさったメンタリティですね。

>(中略) >たとえば、特に悲惨を極めた南方戦線では、弾に当たって死んだ兵士よりも、餓死やマラリアで死んだ兵士のほうが断然多かった。 >(中略) >だからあの戦争が終わったとき、人々の間にはとてつもない解放感が広がったわけですね。 

序列社会と無為無策から出る閉塞感から解放されたのですね。

>負けたことよりも、とにかくこんなばかげた状態が終わってうれしいということになった。

とにかく、自分が助かったと言うことですね。負けたのは国、助かったのは自分です。

>それは要するに「国体」から解放されたということだった。

そうですね。でも、それは勘違いでしたね。序列メンタリティは以後も続いて無くなりません。

>■思考を奪う「国体」という病
> 國分:それは別の言い方をすると、そもそも日本は戦争に勝とうとしていなかったということになりますか。(中略)

初めから勝算なしでしたね。

> 白井:負ければ大変なことになる、そして現実に敗色濃厚になりつつある。>それらは自明だったわけですね。 

国は、ずいぶん大変な決断をしたものですね。

>そうなると、もうそんな現実は見たくない、というメンタリティではないでしょうか。 >そういう意味では1945年の敗戦以前に「敗戦の否認」をしているのですね。

現実逃避ですか。’見ざる・聞かざる・言わざる’ ですか。

>「国体護持」を唱えながら、国を真剣に守るという思考が停止していたのです。

そうですね。無為無策でありながら、他力本願・神頼みをしていたのでしたね。

>で、敗戦の事実が確定した後にも、それをだらしなく続ける。 >だから、関係者たちの責任が放置され、今日でも追及が甘い。

日本人には、英米人に相当する ‘責任’ の概念がないのでしょう。
責任 (responsibility) は、応答 (responsi) 可能性 (-bility) のことですが、日本人には応答 (response) がない。
応答がないのは、日本人には、意思がないからであります。
なぜ日本人には意思がないかといえば、意思 (will) は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないからであります。それで、日本人には意思がない。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は仕方がないので、無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。関係者たちの責任が放置されています。

>(略)


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ルール大国

2019-04-28 23:06:19 | 文化

>右翼になろうよ♪/なぜ日本人は他人を救済しないのか リンクより
(略)
>◆なぜ日本に表示にあふれているのか
>初対面の日本人の若者を数人集めて、名前をつけた名札をつけて共同作業をさせた。 >初対面の人たちはうまく連携できずに、作業が進まなかった。 >そこでみなの名札に年齢を書きこんだ。 >すると、途端に連動しだして、作業の効率が上がった。 >日本人らしいエピソードだ。

そうですね。ひとを見損なってはいけないと言う想いが、日本人の場合は強迫観念の域にまで達しています。相手の年齢を知ることは、大いに序列判断の助けとなります。日本語の階称 (言葉遣い) が禍をなしていますね。

>会話するにしても、年齢がわからないと、タメ語なのか、敬語なのか、フリーズしてしまう。

自己発現に抑制がかかりますね。

>日本人は再帰運動に慣れているが、それを補完するのが、儒教的礼だ。 >礼は理屈でなく、決まったルールだ。 >儒教的礼だけでなく、日本人は多くのルールを作るルール大国でもある。

そうですね。日本人は、指示がないと行動に出られません。あらかじめ社会的に定めていただければ楽になります。日本人には、意思がない。意思表示なしで済ませることができます。

>シルバーシートはその一つだし、日本の社会には、他国で信じられないぐらい沢山の表示にあふれている。

わが国は、礼儀作法の国ですね。わが国の礼儀作法は、序列作法になっています。序列なきところに礼儀なしです。だから、指示も多くなります。

>たとえば日本の駅に行くと狂ったように表示があふれている。

親切運動のようなものですかね。

>日本人の他者へと配慮であるとともに、再帰運動の負荷を低減させるためだ。

自己判断のきかない人間たちは、手間がかかりますね。

>指示が明確でないと、日本人同士が何が正しいか顔を見合って、しまう。

上からの ‘指示待ち’ ですね。だから、序列社会には ‘上’ が必要です。

>外国人ならみんな自分の好きにするだけのことだろうが。

外国人は、自由を楽しみますね。日本人は、’不自由を常と思えば不足なし’ です。

>多くの指示は、不特定多数が集まり生まれる再帰運動にかかる社会的な負荷を低減している。>これが行き過ぎると、大きな声で一方向に全体が流されやすい面が出てくる。

付和雷同ですか。

>また儒教的礼が衰退してから、日本人の中でうまく空気を読めず、精神疲労する人が増えているのも確かだ。

自分の頭を使うことは、疲れることですからね。

>◆なぜ日本製品は世界に拡散できたのか  >なぜか世間のポジティブな面はあまり語られない。

そうですね。

>日本人の中の終わりなき再帰運動を日本人は自虐的にガラパゴスと呼ぶが、みなのために奉仕するという日本人の世間の倫理は、たとえば生活空間としての広義の社会インフラを向上させて、世界的にも優秀な豊かで公平な社会を実現させている。 

そうですね。日本人は、凝り性ですね。 得意になれる励みですね。

>たとえば日本人が100円でチョコレートを買うとき、それはすでに美味しいのである。 >チョコレート屋は100円の安い商品だろうが、美味しいものを作ろうと努力する。 >日本の社会では高いからうまい、安いからまずいという合理的な経済法則は成り立たない。 >西洋のサービスは、価格により明確にランク分けされている。 >だから誰もが使う公共サービスは質が悪い。

そういわれてみれば、そうですね。仕事が丁寧ですね。

>対して、日本のおもてなしは対価に相関しない。>安い金でもできる限りのおもてなしをする。>その中から多くが世界へ発信されて、世界へ慈悲を届けている。 

インド人の哲学と共通の考えですかね。

>日本製品、日本の工場、そして日本の影響を受けた製品は世界に拡散して、世界の社会インフラを向上させている。 >たとえば日本の品質管理技術は、世界中で取り入れられて、高品質な製品を安価に世界に拡散している。 >ただ日本人の慈悲の再帰運動がやりすぎて、ガラパゴス化して価格が上がって、世界の貧しい人達が買えない。

職人風の凝り性ですね。お客様本位になっていないのでしょうね。

>それを中国人は適度に手を抜いてコストを下げて、世界に発信している。 

彼等は、同じ目的の商品について、あらゆる価格帯のものを用意していますね。客が値段を言えば、商品の性能は決まりますね。

>中国、韓国は、日本人の慈悲の優秀な拡散機関とも言える。 >そしてそれら製品の中で日本の慈悲は世界の幸福を祈っている。 

特亜三国 (日本・中国・韓国) の製品は、仏教に関係があるのですかね。

> (後略)


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シルバーシート

2019-04-28 13:08:19 | 教育

>右翼になろうよ♪/なぜ日本人は他人を救済しないのかリンク より
(略)
>◆なぜ日本人にはシルバーシートが必要なのか
>外国人にとって、日本語一つにしても覚えるのは難解だし、それが日本の文化と密接であり、外国人が日本に住むのが大変なことは想像に難くない。 >他人を受け入れることに関しても、往々にして西洋人の方がフランクだ。 >たとえば西洋人は電車の中でお年寄りを見ると、さらっと席を譲る。 >シルバーシートなんて改めて決めているのは日本だけだ。

そうですね。個人判断ができないところに、日本人の問題がありますね。

>日本の慈悲は、弱者を救済しない。

残念なことですね。

>なぜなら仏教において、この世界に生きるすべての生きとし生きるもが弱者だからだ。

それは、序列社会の慣行とは違っていますね。我々の社会では勝負があって、強は上、弱は下に通じている。相撲社会のようなものです。

>だから弱者救済は暴力だ。 >誰かを弱者に貶めている。

それは、インド人の考え方に基づいているのですかね。現実の中の体力を直視した方が良いのではありませんか。そうすれば、リーズナブルな答えが得られます。

>弱者も強者も、世間に慈悲を施す。 >救済という行為にはからならず、力関係が生まれる。 >慈悲はそれを戒める。

インド人には、力の行使は無いのですかね。

>日本人の他者への配慮とは、弱者救済ではない。 >みなが世間のために行う当たり前の配慮だ。 >ここに日本人の公平性がある。

個人に関する力量の差は、考えの中に入らないのですかね。全員 ‘無差別級’ に属しているのか。 それは、人権のように不変なものか。

>他者へ配慮することで、救済になっていないか、配慮する。>互いに繰り返し繰り返し終わりなく配慮し合う再帰運動。>それが現代なら日本人の空気を読むということだ。

自己に基準がないのだから、何事にも気配りが必要になりますね。

>日本人は救済することが嫌いだし、救済されることも嫌いだ。

上下関係の確認が嫌いだからですね。序列社会のトラウマのようなものか。

>弱者に貶められる。>だから根性論がうける。

わが国では、恣意 (私意・我儘・身勝手) を鍛えて意地・根性・大和魂とする。

>弱者であっても、助けを求めずみずから立ち上がる。 >自ら立ち上がれ! >日本ではみな公平だ。

頑張って! 現実の強弱を無視するのですか。弱者は無理をするなよ。上下感などに意味は無い。無差別級の公平などには意味も無い。公平で平等なのか。意義があるのか。

>日本人ほど、他者へ配慮する再帰運動が活発な国民は他にいないだろう。

我々日本人の序列順位に関する思いが強迫観念の域に達しているからでしょうね。

>外国人がよくいう日本人に対する印象、なにを考えているかわからない、言っていることと本音が違う、自分の意見をはっきり言わない。

無哲学・能天気ですから、何も考えていませんね。相手にわかるはずがない。
本音 (私意・我儘・身勝手) は文章になりませんから、語る内容とは違ったものになりますね。
自分には考えの内容がないから、自分の意見を述べることは難しい。普通は、他人の受け売りになります。

>日本人の重層な再帰運動を前にした、単純な再帰運動の外国人の典型的な反応だ。 >日本人は本音を言わないのではなく、配慮の運動を繰り返して、絶えず相手と調整している。 >すなわち空気を読んでいる。

自己がなくて配慮がある。だから、気分・雰囲気に左右されますね。

>しかし外国人にはこれは苦しいだろう。 >なぜなら再帰運動は、西洋精神分析でいう神経症と同じ構造だからだ。 >西洋人にしたら日本人の再帰運動は頭がおかしくなる。

そうですね。我々には、自己の確立が大切ですね。そうでなければ幼児症になる。

(略)

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秩序の高い社会

2019-04-28 03:04:57 | 言語


>◆なぜ日本人は高い社会秩序を維持できるのか
>世界的にも日本人ほど秩序の高い社会を営んでいる人々はいないだろう。

何事につけ、他からの指示がなければ行動に出られませんからね。日本人には、意思がない。

>このような高い秩序は、国家などトップダウンの厳格な法と規律訓練により可能になると、個人主義の西洋の文脈では考えられがちだ。

そうですね。

>しかし日本人は、特別、法、規律訓練が厳格化ということはない。

意思がなければ動けない。

>この日本人の秩序を維持しているのは、通俗道徳である。

そうですね。暗記物による教育効果ですね。

>小さい頃から厳しいしつけをしている訳ではなく、日本の通俗道徳は日本社会の慣習に組み込まれていて、日本で生活する中で、そのように振る舞っている面が強い。

同感です。’人の振り見て 我がふり直せ’ ですね。

> 勤勉、節約、孝行、和合、正直、謙譲、忍従など儒教徳目を基礎とした通俗道徳は、時代遅れになりつつあると言われる。

そうですね。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>新たな秩序は、合理的で、個人を尊重する西洋近代的なものである。 >そこには、流れがある。 >通俗道徳から西洋合理性へ向かうことが正しいと。

個人には、個人判断が必要ですね。各人に哲学が必要である。Everyone needs a philosophy.

>それでも、いまの日本人の秩序は、西洋人のそれとは大きく違う。

日本人は、思考停止をしているところが西洋人と違いますね。

>それは通俗道徳の本質が代わっていないからだ。>確かに儒教的徳目は失われつつあるかもしれないが、本質である慈悲は変わっていない。

空白の脳裏には、詰め込み教育が必要ですね。

>より具体的には他者への配慮である。 >たとえば現代的な例では、空気を読むこと。 >あるいは世間圧。

気配りですね。日本人には自主性がないから、そうなりますね。

>徳目は時代による変化はあっても、他者へ配慮しあう、互いに空気を見合うことにより、秩序を維持する日本人の秩序維持の特性は代わっていない。

そうですね。なあなあ主義ですね。恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) というのかな。


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