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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

クルクル変わる  

2021-08-31 20:24:21 | 文化

>370191        威信を失った国、自信をなくした専門家  >孫市 ( 44 会社員 )           21/08/31 PM03

>岡田正彦 Masahiko Okada, MD, PhD  >新潟大学名誉教授(医学博士)>新型コロナのエビデンス より転載です  >リンク  >(2021.8.28)  >NEW!

>威信を失った国、自信をなくした専門家

>----------------------------

> 感染対策を巡って、国の方針、専門家の発言がクルクル変わるのは、どこの国でも同じことです。  

 

そうであれば我が国民も安心できますね。   

 

>英国は、ロックダウンを解除するとともに「感染予防のいかなる対策も停止する」と発表し、世界を驚かせたばかりです。  

 

これで英国製のワクチンは売れなくなるのかな。    

 

>8月20日、同国の政府は、さらに驚きの報告書を発表しました。>過去数か月間にわたって同国で開催されたテニス、サッカー、カーレースなどの大イベントで、「実験的試み」と称し、いっさいの感染対策を行いませんでした。>その結果、サッカーの数試合だけで6,000人を超す感染者が出たことがわかり、この部分だけ日本でも報じられました。>ところが報告書の結論は、「スポーツイベントで感染した人の割合は、一般市民における感染率と同じくらいだった。>したがって今後も、各種イベントは制限なしで行って大丈夫」というものだったのです!!  

 

日本の政治は恐怖政治の傾向がありますね。恐ろしいことばかりを知らせます。       

 

>・・・昔のギャグ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を思い出してしまいます。  

 

制限なしで良いならば、ある程度は恐怖感が和らぎますね。    

 

>米国の状況も似たようなものです。>感染対策の総本山CDCは「マスクは無意味」と言ったり、「必ず着用すべし」と言ったりと2転、3転、4転、5転し、いまだ記録更新中です。  

 

それでもマスクの効果が顕著でないことだけは分かりますね。     

 

>医療の総元締FDAは「ワクチンは免疫が持続し、変異ウイルスに対しても有効」と言い続けてきたのですが、8月下旬、3回目の接種を開始すると、突然、発表しました。 >しかも世界中でさんざん使ってきたワクチンですが、ファーザー社製が8月23日になってやっと正式認可されたのです。 >いままでは正式でなかった、ということになります。  

 

そうですね。これは既成事実の追認ですね。  

 

>大国の威信が失われ、専門家は、よく言えば「臨機応変」、悪く言えば「うろたえている」という状況がますます顕著になってきています。  

 

何しろ専門家の皆さんは生まれて初めての経験でしょうからね。うろたえて当然でしょうね。    

 

>米国の後追いをしているだけの日本ですから、彼の国が変われば・・・という期待もあります。

 

後追い専門のわが国首脳には責任感はないですね。後追いをしていればわが国の見栄と外聞もそう悪くはならないで済みますね。       

 

>明りが見え始めているとは言えないまでも、世間が誤りの重大さに気づき、大逆転が起こるのも、ありうるシナリオかもしれません。>同調圧力に負けないよう!  

 

当たるも八卦、当たらぬも八卦ですね。静観と待ちの政治ですかね。日本人には受動があって、能動がない。      

 

>【参考文献】

>1) Smith JAE, et al., Public health impact of mass sporting and cultural events in a rising COVID-19 prevalence in England. GOV.UK, Aug 20, 2021.

>2) Mandavilli A, The U.S. is getting a crash course in scientific uncertainty. New York Times, Aug 23, 2021.

>----------------------------

>(転載おわり)

 

 

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安藤忠雄氏  

2021-08-31 14:03:07 | 文化

>369354        『あれがない、これがない』とハンディキャップを言い訳にしていたら、行動は起こせませんよ  >匿名希望          21/08/09 PM00 【印刷用へ】

>リンク  >より引用

>数々の斬新な建物を設計し、世界を驚かせてきた建築家の安藤忠雄氏。 >戦後復興を経験し、がむしゃらに生きてきた経営者とも数多く交流してきた。  

 

彼は活力がありましたね。   

 

>安藤氏は、1990年代のバブル経済崩壊以降、さまよい続ける日本の在り方に警鐘を鳴らす。 >「仕事とは、生きることとは、"闘い"。 >その闘いにおいては、私はずっと『暴走族』でありたい」と語る安藤氏が、意気消沈する日本を叱る。

 

そうですね。日本人にはもっと活力 (vitality) がありませんね。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

 

>――新型コロナウイルス感染症が世界でまん延し、先行きの見通しが難しくなっています。 >景気後退の不安も大きい中、建築を通じて世界各国を見てこられた安藤さんは、この危機をどのように乗り越えるべきだと考えておられますか。 >「確かに厳しい状況ですが、ただパンデミックを怖がり、コロナ禍に萎縮して『先が見えない』と下を向いているだけでは何も前に進みません。 >『逆境』は乗り越えて行くしかないんです。  

 

そうですね。   

 

>大切なのはそれをいかに克服するかという戦略と目標、そして覚悟ですよね。   

 

そうですね。我々は頭を使う必要がありますね。   

 

>自分で決めた目標に向かい、突っ走っていく覚悟です」  

 

猪突猛進ですね。自分のやりたい事には疲れを感じませんね。      

 

>「『あれがない、これがない』とハンディキャップを言い訳にしていたら、行動は起こせませんよ。  

 

ハンディキャップは行動を避けるための口実でしょうね。指示待ち人間の発想ですね。        

 

>『ない』ならば『ない』なりに、やっていく方法を考えたらいいんです」  

 

そうですね。現実直視が大切ですね。現実離れした発想では問題は解決しませんね。   

 

>■仕事、生きることは、"闘い"    >「仕事とは、生きることとは、"闘い"ですよ。 >生命力が弱くては闘えませんから。 >体力、健康を保つことはとても重要なことなんです。  

 

そうですね。身体が資本ですね。     

 

>その"闘い"においては、私はずっと『暴走族』でありたいと思っているんですよ。 >自分で『こうするんだ』と決めたら、そこに向かって突っ走る暴走族。 >多少の障害物があっても強引に突き進みますから、嫌われますよ。 >仕事で10人の関係者がいたら7人くらいは私のことを疎ましく思っているんじゃないかな。 >それでも暴走します。 >言いたいことは言って、やりたいことをやらせてもらいます。 >いつかクラッシュするでしょうが、そのときはそのときです」 

 

安藤さんは猪突猛進型ですね。   

 

>――私たち日本に暮らす人間は、安藤さんの目から見て弱くなっているように映りますか。 >「日本人は闘わなくなりましたよね。 >主張しなくなった。 

 

日本人はリーズン (理性・理由・適当) がないから主張しても仕方がないでしょう。法外な主張は疎んじられますね。       

 

>1969年の東大紛争が最後かもしれない。  

 

あの紛争で何も得られなかったのではないでしょうか。   

 

>昔はね、知識層が闘ったんですよ。 

 

無哲学・能天気であっては、戦いもむなしいものになりますね。日本人には世界観がない。犠牲者ばかりが出る。       

 

>私は仕事を始める前、20代の最後に世界を旅してまわったのですが、そこで東大紛争の原点ともいうべき、68年のパリ5月革命にも遭遇しているんです。 >異様な緊張感に包まれた街で、闘っているのはインテリゲンチアの学生だった。 >フランス語でまくしたてる主義主張は分からなかったけれども、徹底的にあらがうんだという意志・感情がはっきりと伝わってきて、心を動かされました」  

 

フランス人のエネルギーは王政も倒しましたからね。日本人には天皇制を倒す力はないでしょうね。   

 

>「今の日本はどうでしょうか。  

 

パリの五月革命でフランスはどれほど前進したのですかね。    

 

>70年代以降、経済的発展を遂げていく中で、日本のインテリからは闘いの姿勢が失われたように見えます。  

 

金持ち喧嘩せずですね。かすり傷一つ受けても損は損。衣食足りて礼節を知るですね。          

 

>既に完成され、成熟した社会を引き継いだ世代はあえて闘おうとはしない。>闘いに敗れて今あるものを失うことが怖いから。 

 

我が国の序列社会はそれ相当に堅固ですからね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っている。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。 

 

>『いかに間違えないか』という減点法が物事の評価軸になっているんですね。  

 

日本人は型に嵌っていることが大事ですね。我が国の文化には形 (現実) があって、内容 (非現実・考え) がない。 だから日本人はとりわけ形式に拘る必要があります。   

 

>だから根幹のシステムが壊れるような危機にひんすると思考停止に陥ってしまう」   

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の頭の中にある非現実の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実と非現実 (考え) は区別して語らなければならない。そうでなければ、現実の内容は白昼夢と区別できない。これはキチガイ沙汰に違いない。しかし、日本語には時制がない。非現実の内容を語る為の時制のある構文がない。だから、日本人は自分の持つ非現実 (考え) を語らない。これは子供と同じ状態である。日本人の考えの内容は哲学 (非現実) にはならずして、支離滅裂な空想・妄想の類になる。だからわが国では英米式の高等教育が成り立たない。お陰様で、わが国は '漫画・アニメ' の大国になった。  

 

>■「過ぎた便利さはハンディキャップ」  >――日本が再興するための活力を取り戻すには、世の中が便利になり過ぎているのかもしれません。  >「その通りですね。 >豊かさと便利さとは、異なるものなのですが、それを今は混同していますよね。 >過ぎた便利さは、感性を鈍らせ、創造力を育てませんから。 

 

そうですね。我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。退屈男と退屈女だけがいる。彼らは創造力もなく感性も鈍い。      

 

>先人が築いてくれた便利な社会は、実は今日を生きる若者にとってはハンディキャップなのかもしれない。  

 

そうですね。問題を見つけるのが難しくなりましたね。    

 

>そして便利さのために管理され過ぎている分、問題を起こしにくい仕組みが出来上がってしまっている。>失敗への許容度が低くなった社会では、挑戦心や冒険心は育たないし、創造も生まれないでしょう」  

 

そうですね。若者は静かにしているしかないですね。   

 

>「何をどう学ぶか、そこから自分で考えて、試行錯誤の連続でした。 

 

失敗は成功の母ですね。 Failure teaches success.  

 

>学校と違って卒業がないから、ここまでやったらいいという終わりもない。>しんどく思うこともありましたが、でもそのおかげで、何でも自分の目で見て自分の頭で考える力が身についたように思う。

 

安藤さんは現実直視が可能になったのですね。  

 

>ハンディキャップから人間の個性が生まれるという部分は、絶対にあると思うんですよね」 

 

無いない尽くしで何がない。石の地蔵さん動かない。山彦呼んでも出て来ない。・・・・・

考えの内容は人人により異なりますね。ですから考える人は個性的ですね。  

 

>――「学ぶ」経験をする機会が今の日本では少なくなっているのですね。 >「私は大阪を拠点としているので、ノーベル賞を受賞された京都大学の本庶佑先生や山中伸弥先生とお話しする機会がよくあります。 >お二人とも『日本は今後、ノーベル賞の受賞者が少なくなる』と危惧しています。 

 

我が国の大学では哲学 (考え) が盛んではありませんからね。    

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。質の良い学術論文の大量生産が必要ですね。   

 

>日本全体が経済効率性ばかりに目を奪われて、文化の発展に力を割こうとしていないからです。 

 

我が国は処世術 (損得勘定) 一点張りですからね。例えば、外国人の若者を技術習得という名目でわが国の人手不足を補うなど。 若者に考える時間を十分に与える配慮がない。         

 

>コロナ禍でも、文化を守ろうという動きは少なかった。  

 

我が国は、COVID-19 のワクチンも外国頼みですしね。他力本願・神頼みか。     

 

>闇雲にお金を出せというわけではありませんが、あまりにもおろそかにしていませんか?」 >「文化を育てるには相応の時間と労力が必要ですよ。 >すぐに成果が出るとは限らない。  

 

そうですね。ローマは一日にしてならずですね。Rome was not built in a day.   

 

>だからこそ、次の世代が勉強できる環境を私たち大人が用意してあげなければなりません。」  

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制 (tense) の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>■「前に進むこと」とは、すなわち「問題を起こすこと」 

>「『大阪人はケチや』とよくいわれますが、『未来を担う子どもたちのためだ』と話せばちゃんと応えてくれるんですよ。  

 

金は目的そのものにはならないが、目的の有力な手段になる。だから、手段があって目的を持たない人は実に残念な人ですね。   

 

>持っている人には『お金はお墓まで持っていけませんよ』と脅し文句をつけたりして(笑)。  

 

金持ちは冥途の道も金次第と考える傾向があるようですね。   

 

>大阪には、民の力で街をつくり育てていこうという公共精神が遺伝子として根強くあるんです」  

 

大阪は商人の街ですね。民の力で街づくりをしますね。   

 

>「文化の力は重要です。 >コロナ禍が世界的にまん延した今日は、国際協調には程遠い、自国中心主義がはびこって、世界の在り方が変わりつつあるように見えます。  

 

そうですね。自国第一主義が各国で起こっていますね。

 

>ただ、力に頼る国のやり方が正しいわけではありません。  

 

頭脳に頼るやり方が必要ですね。わが国には人手不足はあっても、頭脳不足の話しは聞いたことがない。資源小国でありながら、人々は頭を使うことに慣れていない。       

 

>ダーウィンの進化論ではありませんが、最も環境の変化にうまく適応した者が生き残っていくのです。   

 

そうですね。環境に対する知的な適応が必要ですね。さすれば生き残ることができます。       

 

>そのために必要なのが、進むべき道を考えるために学び続ける姿勢であり、その力を育む文化なのです」  

 

そうですね。我々日本人は、思考停止の状態ではいられませんね。わが国は英米流の高等教育を実のあるものにする効果的な方策を見つけることが必要ですね。       

 

 

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無意味耐性  

2021-08-28 17:46:26 | 文化

>370093        「無意味耐性の高い人たち」というけれど  >高橋克己 ( 67 建築士 )           21/08/28 AM09

>「内田樹の研究室」リンク に、「無意味耐性の高い人たち」という文章があり、この分析に共感した。 >同時に、そういう言葉を発する人達、について考えさせられた。

>以下引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

> 8月6日の広島での平和記念式典で、菅首相がスピーチの一部を読み違えたことが報道された。  

 

残念なことですね。人間には過ちが避けられませんね。        

 

>「原爆」を「原発」、「広島」を「ひろまし」と読むなど7カ所で首相は読み違えをした。 >だが、問題は核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字を読み飛ばしたことである。  

 

核廃絶は大切な部分ですね。大量に飛ばしましたね。       

 

> そこには「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国」「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要」などの文言が含まれていた。 >そこを読み飛ばしたせいで、首相のスピーチは「日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない、核軍縮の進め方を巡っては各国の立場に隔たりがあります」という意味不明のものになった。  

 

言語明瞭、意味不明ですかね。   

 

>原稿が糊でくっついてはがれず、一枚飛ばしてしまっただけで、「完全に事務方のミス」というのが政府の言い訳である。 > なるほど、そうなのか。  

 

不注意な事務方ですね。首相の原稿には、あまり注意が払われていないようですね。       

 

>だが、私たちがここから知れるのは、首相がこのスピーチの草稿に事前に目を通さずに式典に臨んだらしいということである。   

 

そうですね。首相は場慣れしているのでしょうね。   

 

>一度でも下読みしていれば、ふつうは7カ所も読み違えをしないし、ましてスピーチの「聞かせどころ」を読み飛ばすというようなことは起こらない。 >わずか1300字の原稿である。 >5分あれば誰でも読める。  

 

そうですね。首相の心血を注いだものになっていませんね。     

 

>その手間を惜しんだのならば、首相は平和式典をひどく軽んじていたということになる。  

 

多忙な首相の姿が目に浮かんできますね。  

 

> だが、そのこと以上に私が当惑したのは、首相が意味をなさない文を平然と読み続けたということである。  

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。読む方が読む方なら、聞く方も聞く方である。        

 

>そういうことはふつう起きないからだ。 

 

小学生なら起こしませんね。首相は聴衆となれ合っているのでしょう。         

 

> 文法的にかたちをなさないセンテンスを読むと、私たちは「気持ちが悪い」と感じる。  

 

万事が気分・雰囲気の問題ですからね。   

 

>しかし、首相はそこで立ち止まることをせず、無味をなさない文を平然と読み続けた。 >これはかなり深刻な問題だと私は思う。    

 

そうですね。首相のセンテンスは重要ですね。      

 

>というのは、この事実から私たちは首相が「意味をなさない言葉を人前で堂々と話しても気にならない人」だということを知るからである。  

 

日本人は始終慣れ合っていますからね。なあなあ主義ですからね。 

‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。    

 

> いや、たしかにそういう人は世の中にいる。 >大勢いる。 >あるいはもう日本人の過半がそうなのかも知れない。 >そうでなければ、そういう人が総理大臣に上り詰めるはずがない。     

 

そうですね。日本人は大勢いる。総理大臣も日本人ですからね。      

 

>「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを私は「無意味耐性の高い人」というふうに呼んでいる。>無意味な言葉を朗々と読み上げることができ、無意味な仕事に必死に汗をかくことができる人たち、それが「無意味耐性の高い人」である。

 

無意味耐性のせいでしょう。日本人は昔からああ、むないし・むないしと嘆いていますね。   

 

>これは現代日本ではある種の「社会的能力」として高く評価されている。  

 

そうですね。これは特殊社会の特殊能力というものでしょうね。    

 

> 受験秀才は「なぜこんなことを覚えなくちゃいけないんだ? こんな知識に何の意味があるんだ?」という問いを自分に向けない。

 

彼らは処世術 (損得勘定) をちゃんと心得ていますからね。現実離れした野暮な質問はありえませんね。日本人には現実 (事実) があって、自分自身の非現実 (考え) がない。             

 

>会社で重宝されるのは上司が発する業務命令に対して「どうして、こんな仕事しなくちゃいけないんですか? これ、意味ないじゃないですか?」と言わない人間である。   

 

そうですね。期待される人間像は、指示待ち人間ですね。手段の目的化が起こっているので、真の目的が存在しない。それにもかかわらず真の目的は上司の想定外になっている。    

 

>引用終わり(引用元には続きあり)~~~~~~~~~

>今の首相をはじめとする政治家の、オリンピックやコロナ対策について発する言葉の裏側には「無意味耐性」以上に、対話も説明も拒否して無理を押し通そうとする強引さがある。   

 

そうですね。傍若無人の振舞ですね。彼は議論・対話が得意でないからでしょうね。    

 

>それが、言葉をどうでもよい軽いものにしていると感じさせる本質ではないか。

 

そうですね。吹けば飛ぶような日本人の言葉ですね。     

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。  

 

 

 

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詰め込み教育の弊害 つづき  

2021-08-28 04:48:13 | 文化

 

>2021-08-23 >戦前から顕在化していた、詰め込み教育の弊害2    >「戦前から顕在化していた、詰め込み教育の弊害1」から続く。

>大正から昭和へと時代が進むにつれて、試験エリートたちの失策は止まらなくなる。

 

なにしろリーズン (理性・理由・適当) を知らない人たちの政治ですからね。 盲目の判断による失策は無理もありませんね。      

 

>その中で太平洋戦争直前期、少数ながらも、試験制度⇒詰め込み教育の弊害に警鐘を鳴らす人物も登場する。 

 

それは時代の先覚者ですね。   

 

>『新糾弾掲示板』「スレッド<官僚論・東大論」からの引用。>「粛軍演説」とは193657日に帝国議会の衆議院で斎藤隆夫議員が行った演説。>寺内寿一陸軍大臣に対して「革新」の実体の曖昧さを突き、広田内閣の国政改革の大要の質問を行った後、軍部革正(粛軍)を軍部に強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部を批判した。 

 

無哲学・能天気では実体の曖昧さは避けられませんね。    

>--------------------------------------------

>政治を壟断する東大卒官僚を見下すことが出来る人間は、日本には陸軍大学と海軍大学卒業生しかおりませんでした。  

 

いずれも無哲学・能天気ですね。上と見るか・下と見るかの作法が激しく行われていますね。我が国民そのものの低能の表れですね。   

 

>海外の先進的教養や文化を学ぶ機会を奪われて五・一五事件、二・二六事件を起こした畸形人間の彼らには、この国の行く末など眼中にはありませんでした。 >ただ一言、狂気が支配していたのです。 

 

日本人には世界観がない。だが、政治の生命は未来を先取りすることにありますね。それができない国民は政治音痴のままで居ますね。現実の世界で激しくうごめいています。      

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'   (ウスビ・サコ)  

 

>昭和12年の二・二六事件の直後に行われた斎藤隆夫の粛軍演説は、外交主導で戦争回避を願ったとされる東大首席の広田弘毅を前にして行われましたが、厳しく粛軍を迫ると同時に政治姿勢や教育にも及びます。 >それを引用します。 >「広田首相の声明の中には、確乎不抜の国策を樹立して以て之を実現する、・・一方に政策と云う言葉がある。 >国策と政策とはどう違うのであるか、甚だ曖抹に用いられて居りまするが、併し国策と云う以上は、少くとも日本国家の進むべき大方針であるに相違ない、日本国家の進むべき大方針が、今日に於ても未だ決って居らぬ、是から研究して決めるなどと云うことは、私に取っては甚だ受取れない。」 

 

我が国の国家の未来像が定まらないのは政治音痴のせいですね。日本語を話す日本人には未来の世界を描いて見せる術がない。   

 

>「学制改革は今日世界文明国に於て最も重大なる問題となって居るのであります・・・・然るに我国の教育は如何なるものであるかと云うと、・・所謂過度の詰込主義に偏して、精神主義、人格主義を殆ど無視して居る、是が為に中途に倒れる者がどれだけあるか分らぬ、斯う云う時代遅れの教育を施して居りながら、所謂躍進日本の運命を担えと迫った所で、是が出来ることか出来ないことか、考える迄もないことである。」 

 

そうですね。躍進日本の運命を担えはまさ絵空事ですね。わが国は現実の世界を迷走することになるでしょう。       

 

>こうしてこの日本の国は亡国の大東亜戦争に突入してゆくことになりました。 

 

非現実 (考え) の内容を現実の内容に変える政治の努力が必要ですね。さすれば、国民は希望に満ちた生活が送れます。現実界をうごめいているだけでは亡国の民族となります。        

 

>点数序列の優越意識に固まった暴力集団の軍事官僚を前にして、「ああ玉杯に花受けて」の官僚達は手も足も出せず、おのれの無力を呪うわけでもなく、同じ狂気の次元で暴力に加担し、国民を見下し続け、同じ亡国の道を先導したのです。  

 

それは亡国の民族の作法ですね。その機序 (mechanism) を解明し改善する方針を立てないと改革は絶望的ですね。  

 

>国家最高峰の難関の門など虚構に過ぎないことを虚しく伝えています。 

 

序列人間のリーズンの無さをさらけ出していますね。序列メンタリティの無力感ですね。      

 

>-----------------------------------------

>『るいネット』「試験制度の問題性はどこにあるのか?」で試験制度の問題性が提起されているが、問題性の一つは、試験制度の下では必然的に詰め込み教育化してゆくという点にある。  

 

そうですね。試験制度は詰め込みの度合いを試験する制度ですからね。思考を停止している国民には半ば必然的なものですね。          

信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがよい。’  (フランシス・ベーコン)      

読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。’  (アルトゥル・ショーペンハウエル)       

 

>そして、詰め込み教育の弊害は既に戦前の段階で顕在化していた。  

 

その教育の機序を探求する知的作業が必要ですね。日本人の真の学究心が求められていますね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

>詰め込み教育というのは戦後の話だと思っていたら大間違いで、詰め込み教育の勝者が特権階級の座に座るという構図は戦前から続いてきたのだ。  

 

そうですね。無哲学と序列作法はわが民族の伝統のようになっていますね。この伝統を破壊する知的な作業がわが国の発展には必要ですね。   

 

>このように、戦前~現代を通じて、試験制度⇒詰め込み教育が無能な特権エリートを作り出す元凶であることは、疑いようがない。

 

そうですね。疑いようがありませんね。どうもご苦労様でした。          

 

 

 

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日本崩壊  

2021-08-27 00:59:16 | 文化

>370041        日本の政治は崩壊状況、従順で管理しやすい国民が仇。

>持国天 ( 喜寿 )         21/08/26 PM09

>・コロナ禍でマスコミは大騒動だが、インフルエンザに比して感染力は強いものの、致死率ははるかに低い。 >ここは動かせない事実として認識しておきたい。  

 

そうですね。  

 

>ワクチン接種を二回から三回へ、そして対象を妊婦から生徒までと、マスコミは先鞭を切って一方的に煽りを強める。 >対米戦争突入など、国難に際してのマスコミの所業はしっかりと記憶に止めておきたい。 

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。     

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>感染拡大はワクチン接種してこなかった国民の責任されてしまいそうな雲行きだ。  

 

日本人の常識によれば、それは非国民のせいになりますね。  

 

>そのなかで、国民比で世界最大の病床数を有する日本の医療界は、組織を挙げてその使命に応えようとする動きはない。>・ここぞの役割りから身をかわす日本医師会の本意は、医は算術ということか。  

 

日本人には哲学 (あるべき姿の世界) がない。あるのは処世術 (損得勘定) だけである。   

国民が思考を停止している国にはどのような特徴があるでしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'  (ウスビ・サコ)   

 

>政権も官僚組織もなすすべがないようで思考停止の状況だ。 

 

天下の秀才ばかりでは、どうにもなりませんね。   

 

>コロナ禍レベルの国難ではあるが、国民に信念を語りかける気迫も、活力のかけらも見えない菅首相。>政治の裏社会で暗躍してきた彼は、国民に信念を語る中身を持ち合わせていないようだ。

 

彼は無哲学・能天気ですね。処世術の方はそれだけ余計に発達しているのでしょうね。これはわが国の教育の問題ですね。         

 

>専門家とマスコミのあおりを受けて、思考停止の政権は事態の急進に全くお手上げ。 >有事に際して、国家としての稚拙な対応は国民視点からはあってはならないこと。 

 

そうですね。我々は準備不十分ですね。   

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の頭の中にある非現実の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実と非現実 (考え) は区別して語らなければならない。そうでなければ、現実の内容は白昼夢と区別できない。これはキチガイ沙汰に違いない。だから、日本人は自分の持つ非現実 (考え) を語らない。これは子供と同じ状態である。日本人の考えの内容は哲学にはならずして、支離滅裂な空想・妄想の類になる。だからわが国では英米式の高等教育が成り立たない。お陰様で、わが国は '漫画・アニメ' の大国になった。  

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。(Seeing is believing.) アニマルでもわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人とアニマルが共有する非言語の世界である。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて単語の内容を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解は人間だけが持つ言語の世界である。その対極は ‘なれ合い’ とか‘なあなあ主義’ である。これらは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので話にならない。かくして、日本人の対話は不可能になる。  

関東軍参謀であった東條英機は、戦後の東京A級戦犯裁判の法廷で、「自分は天皇の忠実な臣下として戦ったまでだ」と答え、ならばこの戦争は天皇の意思・命令によったのかと尋ねられると、「自分が独断でやった」と言葉を変えている。これは日本人に意思の疎通が欠けていることを示す実例である。日本人には意思がない。だから東條といえども天皇の意思・命令を確認することはできない。それで、東條は天皇に対して忖度を使ったのである。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

 「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>・左脳偏重で従順な生徒が優等生で、志は問われず試験の点数一本で登用試験を突破し官僚組織を登りつめる、こんな恐ろしい日本になってしまったのではなかろうか。

 

そうですね。 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。     

 

>幼少時から詰め込み一辺倒の教育が、従順で管理しやすい国民にしてしまった。 >日本国民の活力が世界最低だということが、このコロナ騒動からもハッキリと見える。

 

思考停止の国民には詰め込み教育しかありませんね。  

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)     

 

>何れ遭遇する日本列島の地殻変動と大震災と再びの原発破壊、強烈な台風災害や、せまりくる経済破局など、更に中国が介入する軍事衝突となれば、日本の敗北は必須ではなかろうか。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)     

 

>失われた30年などと云うが、このままの日本は更に負け続けていくだけだ。   

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

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