gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

機嫌と人生

2018-12-29 20:54:39 | 文化


>■『斎藤一人 愛される人生 (ロング新書)』KKロングセラーズの要約 >人の心に灯をともすリンク より
>その人が入ってくると、一瞬で、場がパーッと明るくなる人がいる。>ワーッと歓声があがったり、笑い声がたえなくなるような人だ。

太陽のような人ですね。

>反対に、その人が入ってくると、サーっと静かになり、みんな押し黙ってしまうような人がいる。>場の空気を冷たくさせる人だ。

北風のような人ですね。

>いつも上機嫌の人は、まわりを上機嫌にさせる力を持っている。>その人がいると楽しいからだ。>そして、まわりには楽しい人たちが集まる。

そうですね。気分・雰囲気の良し悪しの問題ですね。

>反対に不機嫌の人は、不機嫌をまき散らし、まわりを不機嫌にさせる。>だから、人が寄りつかない。

そうですね。これも、やはり気分・雰囲気の良し悪しの問題ですね。

>楽しさや上機嫌は伝染する。>同様に、不愉快や不機嫌も伝染する。

そうですね。機嫌はナウな感じのする事柄ですね。その場の空気・雰囲気のようなものでしょう。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

>仕事のコツは… >「人さまのお役に立つこと」に加えて「楽しい」こと。

人様のお役に立つことについては、社畜も家畜も同じですね。機嫌だけでは、アニマルと同じですね。人間としての楽しいことには、夢と希望が必要ですね。夢と希望の内容は持続する。考えを同じくする仲間に引き継がれます。
この国には何でもあるが、ただ、夢と希望がない。夢と希望は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものが無いので、日本語の脳裏には未来時制が存在しない。だから、日本人には夢と希望がない。

>「楽しい」を加味してお役に立つことをやっていきたい。

それには、無哲学・能天気の状態を改める必要があるでしょうね。ナウな感じは無いけれども、来るべき社会の内容を念頭において毎日仕事に励む生活が、人の幸せのためには必要ですね。
使用言語に時制があると、人は世界観 (world view) を持つことができる。世界観は、各々独立した三世界 (過去・現在・未来) からなっている。だから、未来社会の内容も十分に考察できます。時制は、英語にあって、日本語にはない。それで、日本人には夢と希望がない。日本人には、夢と希望を求めた末の諦めばかりがある。それで、むなしい。機嫌の成因が非現実 (考え) の内容に基づかないところにむなしさの原因があるのでしょう。我々には、リーズン (理性・理由・適当) が必要ですね。我々には、リーズンに基づいた仕事が必要でしょう。我々日本人は、日本語と英語を良く学び、非現実 (考え) の内容の大切さを深く理解し、時制ある文章内容の制作技術をも獲得しなくてはならない。さすれば、我々は、考えの内容により相手に感銘を与えることができるようになることでありましょう。

>以上引用


.






考える自由

2018-12-27 14:19:39 | 教育


>「考える自由のない国―哲学対話を通して見える日本の課題」
>哲学を求める時代?
>ここ数年、私 [梶谷 真司(かじたに・しんじ)] は「哲学対話」という活動を通して様々なところに関わってきた。>哲学対話とは、子どもたちの思考力を養うために70年代にアメリカで始まった「子どものための哲学」に由来する。

何事もアメリカが始まりのようですね。

>それは、哲学者の思想を教えたり抽象的な問題について議論したりするのではなく、各人が一人で思索にふけるのでもない。>身近な問いから出発して、グループで一緒に問い、考え、話をしていくものである。

‘Everyone needs a philosophy’. (各人に哲学は必要である) ですね。受け売りの練習は、必要ないですね。

>中学校以上が一般的だが、小学校や幼稚園で行われることもある。>いずれにせよ、共に話すことを通して共同で思考を広げ、深めていくのが哲学対話である。

そうですね。哲学的な対話が大切ですね。

>哲学対話がどういうもので、たんなる対話とどこが違うのか、ここで詳しくは述べられないが(齋藤元紀編『連続講義 現代日本の四つの危機 哲学からの挑戦』(講談社選書メチエ)に所収の拙論「対話としての哲学の射程」を参照)、とりわけ重要なのは、「何を言ってもいい」「否定的なことは言わない」というルールである―何を言ってもいいからこそ、思考に広がりと深まりが出てきて、対話が哲学的になる。>これは、とくに教育現場では、思考力の育成につながる。

そうですね。’あれではいけない・これではだめだ’ の議論は、御法度ですね。通常話されている実況放送・現状報告の内容では、対話が哲学的になりませんね。

また否定的なことを言わないことは、他者の尊重につながる。

そうですね。他人の足を引っ張るような不作法な真似をしないのですね。それは良いことですね。

>それゆえ哲学対話は、考える力を育てるだけでなく、他者との相互理解を促し、学校でのクラスづくりや、会社などの組織づくり、地域のコミュニティづくりなど、様々な集団内の人間関係や連帯感の強化にも貢献する。

哲学対話は、建設的な態度を促進しますね。

>私自身、ワークショップを開催するほか、小学校や中高、都市や地方の地域コミュニティ、高齢者の集まりの場など、様々なところで哲学対話を行ってきた。>そうした活動を通して、これらに共通する問題が見えてきた。

小学生にも高齢者にも共通する問題があるのですね。

>それは自由に話し、自由に考えられる場がないということ、そして、その結果、自分の行動、自分の生き方に責任がとれないということである。

そうですね。同感です。日本人には、自由に考える余地がないですね。
日本語は、現実を表すための言語であります。実況放送・現状報告の内容を表現します。現実は見ることができます。見ればわかります。唯一の正解のある世界です。
非現実 (考え) 内容は、見ることができません。だから、言語を理解しなければわかりません。だから、非現実の内容の理解には、頭を使います。非現実の世界には、多数の正しい考えが存在します。
非現実は、頭の中にある。現実は、頭の外にある。両者は所在が異なるので、内容も同じにはなりません。

日本人の判断によれば、見ることのできる内容は ‘本当’ のことである。見ることのできない内容は、’嘘’ である。かくして、日本人は、嘘・本当の世界に住んでいる。これは現実の世界である。誰しも、嘘つきにはなりたくない。だから、自分自身の非現実の (考え) の内容については話さない。だから、自由に話し、自由に考えられる場が現実の中には存在しない。
非現実 (考え) の内容を文章にするには、文法に時制 (tense) というものが必要である。時制は、英語にあって日本語にはない。だから、日本人は、自分の考えを話すのに難渋している。
矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから、正解は唯一ではない。矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになる。だから、対話が役に立つ。

日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容になっているが、日本語文法には時制 (tense) というものが無いので、日本語の脳裏には未来時制がない。だから、日本人には、意思がない。英語には時制があって、英米人には意思がある。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない日本人は仕方がないので、無為無策のままでいる。だから、自分の生き方に責任が取れない。

責任とは、responsibility (応答可能性) のことである。応答は、個人の意思の表明により行われる。意思のない日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。とかく、この世は無責任である。
自己の意思を表明すれば、当事者・関係者となる。表明しなければ、傍観者にとどまる。わが国は、世界の中に存在して、世界に属していない。
意思の内容は、非現実 (考え) である。時制のある文章の内容は、言語機能が未発達の子供には難しすぎて作文できない。それで、大人が子供の意思を代弁することになっています。

>考える力はいらない?
>ずいぶん前から巷では、思考力やコミュニケーション能力が必要だと言われている。

実況放送・現状報告の内容のことですね。

>企業の国際競争力を上げるには、新しい発想を取り入れ、イノベーションを起こさないといけない。

主体的な行動を起こす必要性が指摘されていますね。

>グローバル化が進む世界では、時に衝突もしながら、いろんな国や地域の人たちと一緒に働かなければならない。

協力関係の構築が必要ですね。

>そのために学校では、クリティカル・シンキングやコミュニケーション能力を向上させようと、ディスカッション、グループワークなど様々なことが試みられている。

対話能力が必要ということですね。

>子どものうちから「自ら考える力」をつけ、異なる立場の人と意思の疎通を図り、協同していく資質を伸ばす。

日本人には意思がないから、意思疎通は無理でしょうね。疎通は、恣意疎通 (阿吽の呼吸) になりがちですね。これには、問題がありますね。

>そうやって将来、社会に貢献でき、また自立した人生が送れるようになろう、というわけである。

社会貢献・自立人生ですね。良いことづくめですね。

>こういう動きを見ていると、考える力は世の中で強く求められ、それを育てようとする動きも活発になっているように見える。

そうですね。考える力は大切ですね。活発になると良いですね。

>しかし自由にものを考え、思考を広げ深めるには、上で述べたように、「何を言ってもいい」ということがきわめて重要である。

言論の自由は根本的に大切ですね。

>ところが実際には、「何を言ってもいい」ということは、世の中でほとんどない。>それは自由にものを考えられる場がないに等しい。

そうですね。’ものいえば、唇寒し秋の風’ ですね。わが国民の深刻な問題ですね。

>しかもそれは、子どもだけの問題ではない。>大人や社会人、さらには引退した高齢者も同じ問題を抱えている。

そうですね。子ども大人、社会人高齢者は全て日本語を使用していますからね。当然、非現実 (考え) の発想には、難渋することになりますね。
我々日本人は、日本語と英語の両方を勉強して、文法における時制の大切さを十分に理解して、非現実 (考え) の内容を文章にして表現することが必要ですね。それから、他との意見交換を盛んにしなければならないですね。そうすれば、我々日本人は、言論の自由を得ることができるでしょう。

(略)


.



働く人々

2018-12-26 12:47:14 | 日本語脳

>[“自分ではない誰か”のために働く人々]
>ハッキリ言うが、この国で自分のために働けている人なんてほとんどいない。

日本人には個人主義がない。自己がない。現実があって、非現実 (考え) がない。自分は、他人 (お上) の言うがままに働かなくてはならない。これが、現実となっている。

>では、誰のために働いているか。>妻や子供、家族のため?いや違う。>あなたが務める会社の経営者や、その先にいる株主のためだ。

そうですね。

>この日本は、「資本主義」で成り立っている国だ。>その定義によれば、誰もが金銭などの利益を追求していいし、そのための生産手段を個人保有していい、ということになる。>要は、(法に触れない限り)あらゆる手段を使って金儲けをしていいよ、ということだ。

そうですね。国営企業は、批判の対象になりますね。共産国家は崩壊しますね。

>しかし、実際にそれを実行できるのは、大抵がリスクをとれる、金銭に余裕のある一部の富裕層だけだ。

グローバリズムの浸透により富裕層は有利になります。

>それ以外は、日々を生きる糧を手にするため、彼らの下で働いてお給料をもらわなければならない。>それは実質的には、稼ぎを生み出すための「生産手段」として社長や株主たちに(一定の契約に基づいて)「所有される」ということである。

社畜ですね。

>そのような、「所有と労働」の関係において私たちが求められるのは、ただただ雇用者のために懸命に働くことだけだ。

そうですね。懸命に働くのみですね。

>そこでは、「Yes!」とだけ答え、低賃金で、自分の生活さえも犠牲にして仕事だけに取り組む、そういう人間が雇用者にとっては一番都合がよく、実際に評価される。

序列社会は、順位争いの世界ですからね。雇用者の評価が出世に大切ですね。

>しかも、契約や法律で守られるはずの個人の権利や尊厳といったものは、建前上は保たれつつも、本音の部分ではあらゆる企業がそれを守りたくないと思っている。>というか、実際には守られていないし、現状それがまかり通っている。

個人の権利や尊厳は、日本人にとっては綺麗ごとですね。建前 (言い訳・口実) 上は保たれつつも、本音 (私意・我儘・身勝手) の部分ではあらゆる企業がそれを守りたくないと思っています。実に不誠実な社会です。軽薄な人間がそろっているからでしょう。

>そんなバカみたいな社会の「奴隷構造」に対して、私たちは不満を言いつつもそれを受け入れてしまっている。

私たち日本人には、奴隷以外の適性がないからでしょうね。

>いや、「そうなるように育てられてきた」といった方が正しいだろう。

日本語脳の持ち主には、他に道は無いのでしょう。しかし、現実を変えたら奴隷構造もなくなるでしょうね。
現実は、頭の外にある。非現実 (考え) は、頭の中にある。
非現実の内容を現実の内容に変えたら、自分の好きな世界になるでしょう。
非現実の世界は各人各様であるから、よく話し合ってお互いに考えを練る必要がありますね。
非現実の内容を現実の内容に変えることができたら、それは人間だけが持つ創造力を発揮したことになりますね。ですから、未来社会の建設には相手との協力が必要になります。

現実の内容は、見ることができる。非現実 (考え) の内容は、見ることができない。だから、考えは、ただ理解あるのみである。
日本人の判断によれば、見ることのできる内容は ‘本当’ のことである。見ることのできないことは、’嘘’ である。
誰も、嘘つきにはなりたくない。だから、自分の考えを述べることを差し控えている。よく話し合って、お互いに考えを練ることはできないでいる。
現実の内容の正解は一つである。日本語は、現実描写のための言語である。だから、その内容は実況放送・現状報告になる。日本人は、’嘘と本当’ の世界に住んでいる。
非現実 (考え) の内容は、無数にある。矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを示している。矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えとなる。だから、よく話し合って、お互いに考えを練ることができる。

非現実の内容を文章にするには、文法に時制 (tense) というものが必要である。時制は、英語にあって、日本語にはない。
時制のある文章の内容は、過去・現在・未来の独立した非現実の三世界に分けられる。だから、時制のある言語を話す人は、話の奥が深い。現実ばかりを訴える人は、浅薄である。
たとえば、恐竜時代には、人間は誰も住んでいなかった。だのに現実には、恐竜の生態について詳しく述べ立てる人がいる。日本流の解釈では、彼らは ‘見てきたような嘘を言う’ 人たちになる。が、国際的には彼らは考えを専門にする人たち (哲学博士: Doctor of Philosophy; Ph. D. ) である。矛盾のない考えの内容に説得力を認める世界に住んでいる。だから、学問は進歩する。我々日本人も、考える人にならなくてはならない。そのために、我々は日本語と英語を勉強して、英語の時制ある文章の大切さを理解し、自己の考えを示す英作文をわが物にする。さすれば、自己の考えを披露して外国人と意義の深い話ができるようになる。我々は、あるべき姿の未来社会に移行することも可能になる。


.




グローバル化疲れ

2018-12-25 11:09:12 | 政治

(略)
>現在、マクロン政権の支持率は21%に低下しています。元々、マクロン政権は「グローバリズム」優先の政権で、政策は富裕層優遇に傾いていました。

グローバリズムは、富裕層優遇になりますね。

>具体的には、年金受給年齢の引き上げ、労働規制を緩和し、雇用を不安定化。公共インフラの民営化、移民制限はかけない。と、まんま「安倍政権」であるグローバリズム的な政策を推進し、国民の不満が高まっているところに、燃料税の段階的な引き上げが襲い掛かり、フランス国民が激怒したわけです。>最新の世論調査によると、フランス国民の66%が今後数か月のうちに「社会的混乱」が起きると予想しています。

社会的混乱は、第二のフランス革命になるのでしょうか。

>日本マスコミでは、単なる「燃料税引き上げ反対」に矮小化してしか報じられませんが、例により話はもっと大きく、「反マクロン」「反グローバリズム」の潮流が、グローバリズムを上回ったというのが現在のフランスの状況なのです。>日本は未だにグローバル化が相対的に(欧州と比べて、という意味)進んでおらず、グローバル化疲れは広まっていません。

そうですね。

>それに対し、フランスはEUと共にグローバリズムの政策を推進し、国民は深刻なグローバル化疲れに陥ってしまった。>とはいえ、2017年のフランス大統領選挙では、ルペン氏、メランション氏という「反グローバリズム」勢力が投票で40%を超す得票は得たものの、最終的にはグローバリストのマクロン氏が大統領職を射止めた。>結果的に、グローバル化疲れに陥た国民が増加し、「臨界点」を越えたというのが現在のフランスの状況なのだと思います。>そもそも「グローバル化疲れ」とは、フランスの歴史・人口学者のエマニュエル・トッドの言葉です。

グローバル化は、庶民を絞る政策になりますね。富裕層に不都合はない。この先、どこまで行くのやら。

>さて、お分かりでしょうが、安倍政権とマクロン政権の政策は瓜二つです。 >両社ともにグローバリズムのトリニティ [自由貿易・規制緩和・緊縮財政] に囚われている以上、当然なのです。トリニティの政策が推進され、燃料税引き上げで「臨界点」を越えたフランス国民と、消費税増税(しかも二度目)でも暴発しない日本国民。

わが国は、不自由を常と思えば不足なし。わが国民は、常に冷静沈着で秩序正しいですね。

>無論、国民性というのもあるのでしょうが、それ以上に「グローバル化疲れの深刻度」の差は大きいでしょう。

日本人には、世界観がない。移行すべき未来社会の内容が想定外になっている。だから、無哲学・能天気で深刻さがない。

>つまりは、このまま我が国の国民がグローバル化疲れに陥っていくと、やがてはフランス同様に国民が耐え切れず、激発する段階に達する可能性が濃厚なのです。

江戸時代のような ‘打ち毀し’ が始まるのでしょうか。

結局、どちらが好ましいのでしょうか。グローバル化疲れが深刻ではないため、グローバリズムの政策が次々に進められる我が国と、 グローバル化疲れが深刻が故に、国民が立ち上がったフランス。どちらも、好ましくはありませんよね。

そうですね。東は東、西は西。

>正しい道は、国民のグローバル化疲れが深刻化する前に、グローバリズムの政策にストップをかけることです。>そのために、我々一人一人が何をやるべきなのか、是非とも真剣に考えて下さいませ。

そうですね。それで、あなたは真剣に考えたのでしょうか。その結果は、如何に。他力本願・神頼みか。


.




自分の人生

2018-12-23 12:59:28 | 教育

(略)
>[自分の人生を生きるために]
>ここまで書いてきたようなことは、実はみんなとっくに気付いていて、だからこそ「しかたない」「そういうもんだ」と言いながら日々の生活を営んでいるのだろう。
(略)
>しかし、そんな世の中だからこそ私が言いたいのが >「社畜を抜け出したければ、一つでいいから人生に『やりたいこと』を見つけろ」ということだ。>要は、「人に飼われる生活を送るのがイヤなら、受動的で目標の無い人生をあらためて、やりたいことを見つけたうえで、一人で「餌をとれる」ように努力しろ」ということだ。

そうですね。それができると良いですね。
意思 (will) のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.
日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本人の脳裏には未来時制がなく、日本人には意思がない。
意思がなければ、受動的にならざるを得ない。
人生の目標は、’あるべき姿’ (things as they should be) の内容である。その内容は、非現実 (考え) の世界観になる。そして、世界観 (world view) は、独立した三世界 (過去・現在・未来) からなる。我々の移行すべき世界は、未来時制の内容として表される。時制は英語あって、日本語にはない。だから、日本人には世界観はなく、我々はどこの世界にも移行しない。

>特に、未だ若い少年少女には、ここまでに書いてきた残酷な社会の真実を踏まえたうえで、この言葉を受け止めてほしい。>学校の勉強なんて、そこそこでいい。>親や先生の言うことなんて話半分に聞いておけ。>なぜなら、それは「他人の人生に奉仕する『家畜』としての『いい点』の取り方」でしかないからだ。

わが国においては、家畜も社畜もすべて奉仕の生涯を送っていますね。自己の意思を表さないものは、すべて自然の中に溶け込んでいます。

>その代わり、自分の興味があること、面白いなと思ったことを突き詰めて考えて欲しい。>行動してほしい。

‘好きこそものの上手なれ’ ですね。

>それをどうすれば、自分の力で「餌を取る」ことにつなげられるか、それをひたすら考えて欲しい。>その上で必要だと感じたら、たくさん勉強して、学びたいことが学べる大学に入ってみればいい。>大切なのは学歴ではなく、「何のために学ぶのか」「学んだことをどう生かすのか」ということだけだ。>単に学歴だけ獲得しても、それは権力者たちへ提出する「従順(おりこうさん)の証」でしかない。

そうですね。わが国の学歴は、序列社会の陋習ですね。

>それをハッキリさせたうえで、確かな知識と実力とを身に着けられれば、君は飼われるだけの家畜ではなくなる。>自分で餌を獲得しながら、世の中を渡り歩いて行ける。

自分の手で、自分の人生を切り開くのですね。自主的ですね。

>それでも「やりたいことが無い。見つけるのも億劫だ」という人は、長いものに巻かれる人生を選ぶのも一つの選択肢ではあるだろう。>しかし、覚悟してほしい。>そうした受動的な姿勢の先に待っているのは、真の意味では他人のために生きる人生だ。

そうですね。自分の意思に基づいて実行したことには悔いがない。

>(一部省略)
>いい学校・いい会社・いい生活と云う幸福論は、元々幻想だった。>その実態は、「与えられた環境で、与えられた義務を黙ってこなす力」を身に付けさせる教育だったいう事だ。

そうですね。ブロイラー (焼肉用の若鶏) のような生活ですね。

>其処から脱出する為には、自分達の生きる場は自分達で作っていく意思を持つ事だ。

そうですね。意思を持つことが大切ですね。

>其処から可能性が開かれる。

日本人に、意思を持たせることをわが国の国策にしなくてはならないでしょう。そこから、全ての日本人の可能性は拓かれます。
我々日本人は、日本語と英語を学び時制のある考え方 (非現実) の重要性を理解して、自己を表現する作文の制作に励まなくてはならないでしょう。さすれば、個人主義の大切さも理解可能になり、各々が自主的な自己実現に励むことができます。
>(以下省略)

.