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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

アメリカ隷属  

2022-11-30 23:18:44 | 文化

 

>アメリカ隷属のリアル  [島田雅彦]

>アメリカが親中路線に大きく舵を切ったとしても、それによって日本が滅亡するわけではない。    

>日本がアメリカに隷属し、反日組織に奉仕している人たちが権力の中枢に座っており、売国奴が一番威張っていることへの義憤は誰にも多かれ少なかれあるが、同時にこの期に及んで反米を唱えても始まらないとも思っている。   

>そういう諦めの効能を説く人たちは極右、保守、リベラルを問わず、多数派を占めている。   

 

日本人の無力感 (sense of impotence) ですね。   

 

>この状況に一矢報いる方法はないかと考えた結果、主人公をCIAに就職させるという設定を思いついた。   

>まずはCIAのパートナーという立場、すなわち内部の人間の視点に立つことで、現在の政治や外交、安全保障の問題が俯瞰的に見られるようになった。   

>実際CIAに就職するにはどうしたらいいのか具体的に調べたら、サイトで公募をしていた。   

>応募用紙には学歴、資格や技術、使える言語、宗教、借金の有無、趣味、病歴、家族構成などを事細かに書く。   

>CIAは各国で情報提供者や協力者を養成し、アメリカの国益に奉仕させている。    

 

我が国もCIAを作ったらどうでしょうかね。   

 

>本作では主人公御影寵児がコロンビア大学に留学中に、CIAとつながりの深い教授の推薦を得て、資格審査を受ける設定にした。   

>かつて、CIAの情報提供者になるよう求められたある新聞社のワシントン支局長や留学生の話を本人から聞いたことがある。   

>アメリカの反共政策に協力することで公職に復帰した元戦犯岸信介は笹川良一、児玉誉士夫らと共にCIAと連携し、かつ韓国利権を貪る一環で統一教会と太いパイプを作った。   

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

>CIAにはCSIS(戦略国際問題研究所)という下部組織があり、その日本支部には防衛省や内閣官房職員、新聞、通信会社、ジェトロの職員なども出向している。   

>作中では「アジア政策研究センター」となっているが、そこに日米合同委員会の会議録なども保存され、実質ジャパンハンドラーたちのオフィスになっている。   

>主人公はその組織に配属されるが、やがて内閣情報調査室に出向することになり、首相とも直属の官僚ともダイレクトに話ができるようになる。   

>主人公は最初のうちはCIAの忠実な犬として、日本政府との間を取り持ち、ジャパンハンドラーの一人として振舞うが、やがて組織を裏切る。   

>最も効果的に組織を裏切ることのできるのは内部の人間である。   

 

それは獅子身中の虫ですね。   

 

>戦略的対米追従を進めるには、独自の外交、防衛戦略を考え、対等なパートナーたりえなければならないが、『パンとサーカス』の主人公はその高いハードルを飛ぼうとする。   

>CIAの協力者の立場を利用し、官房に入り込み、アメリカのジャパンハンドラーの中核との攻防戦を通じ、彼らにも利益を供与しつつ、国民に最も利するという形で国益を追求し、かつ戦争を回避し、主権回復を達成する、そのようなサーカスは果たして、現実には可能なのか?    

 

夢のまた夢ですね。   

 

>権力は被支配者の自発的な服従に根ざしているが、もし、主人公の御影寵児のような人物が現れれば、従来の対米隷属のエリート奴隷ではなく、主権国家のリーダーになり得る。   

 

そうでしょうね。それには政治哲学が必要ですね。未来の先取りをする内容が必要ですね。そうでなければその日暮らしの人になる。       

 

>留学経験もあり、アメリカの高官との接点も持つ人材は実際に少なからずいるが、大抵はジャパンハンドラーとなり、アメリカの国益に奉仕する結果になり、なかなかリアル寵児は現れてくれない。   

 

そうですね。なにしろ国中が無哲学・能天気の人達ですからね。ノンポリ・政治音痴では民主主義も難しい。   

 

>日本は「中国の属国」になるのか?   

>――自由と平等は要求し、戦わなければ、永遠に手に入れられない。 >アメリカでは黒人も、女性も、ゲイも、マイノリティも熾烈な権利闘争を経て、自由と平等を獲得したのだ。     

 

求めよ。さらば与えられんですね。意思の無いところには方法がない。      

 

>だが、日本人はどうだ? >現状をただ大人しく甘受しているだけではないか。   

 

それは日本人には意思がないからです。過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。それには未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。しかし、それには無為無策でその日暮らしをしている人には望み無しである。

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら 我々は '指示待ち人間' として育成されたようです。このやりかたで成功すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。我が道を行く人にはなりませんね。しかし、未来を先取りしない人は他人を唱道する人にはなれませんね。  

 

>なぜこうまで無抵抗なのか、全く理解できない。 >もっと抵抗すべきだ。    

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には未来の内容である意思もない。意思がなくては抵抗できない。     

 

>首相も大臣も官僚もアメリカの統治に協力する地方行政官に過ぎない。   

 

そうですね。日本人には意思がない。だから指示待ち人間になっている。統治に協力はわが国の常道ですね。       

 

>独自の憲法を掲げているが、それも植民地でしかないという現実から目を背けさせるためのファンタジーに過ぎない。 >だから、この国の施政者たちは率先して、憲法を軽視するのだ。   

 

そうでしょうね。日本語は写生画の言葉である。意思を反映させるには不向きな言語ですね。      

 

>これは『パンとサーカス』に登場するCIAの東アジア地域の責任者グレイスカイが部下の寵児を挑発する台詞である。   

>リベラル派はまだ憲法や民主主義の理想を捨てていない。   

>憲法や民主主義は極右の独裁的悪政、新帝国主義の力による支配に対する最後の砦ではあるが、その原則を遵守するには政治的教養が必要とされる。   

 

そうですね。我々日本人には教養 (哲学) が必要ですね。国の大本が無哲学・能天気では話にならない。       

 

>反知性主義や事なかれ主義の蔓延が憲法や民主主義の軽視という事態を招いている。   

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え) がない。憲法や民主主義は考えの内容である。事実として手に取って示すことができない。     

 

>グレイスカイはさらにこんな未来を予言する。   

>長い占領時代に終止符を打ち、米軍基地を撤退させてみるがいい。   

>アメリカは中国と戦争をする気はないし、日中戦争が起きても、日本を守る気もない。   

>アメリカは世界の産業の主軸である中国を金蔓にするために、巧みに中国共産党をハンドリングするだろう。   

>日中、中台の戦争には第三者として介入し、日露戦争の時のように漁夫の利を得る。   

>それがアメリカだ。   

 

そうですね。アメリカ人は利口ですね。低能を相手にしてはいられない。       

 

>日中戦争になれば、日本の敗戦は確実だ。   

>80年前の日中戦争とは侵略の構図が逆転し、日本は沖縄から中国に占領されてゆくことになるのだ。   

>中国との対決姿勢を強める極右政権に任せていたら、20年後にはそうなっている。   

>リベラルの平和主義者が政権を取ったら、戦争は回避するだろうが、中華帝国の植民地になってゆくことに変わりはない。   

>善良な人間には国家の舵取りなど無理だ。   

>その資格があるのは帝国の悪魔の狡知に対抗できる者だけだ。   

>国民国家は戦争機械である。   

>独裁的権力を保持するのに最も有効な手段、それが戦争だともいえる。   

>数千万、億単位の国民を危機意識で統合できる。   

>集団ヒステリー状態を演出することで世論を統一する。   

>その定石通りに事が進めば、一番損害を被るのは国民であることは歴史が証明している。   

>世界史は、根本的に過去への回帰、反復によって作られるが、日本が戦前の大日本帝国を志向したところで、そのポテンシャルは失われているので、前近代に回帰するほかない。   

>つまり、中華帝国の友好国として対等な地位を保ち、文化的自立を維持できればいいが、最悪、属国化することになりかねない。   

>今後、外交の大きな節目になるのは、やはり対中関係だろう。   

>日本は米中対立では完全に米側に立っており、中立という選択肢を持っていない。   

>アメリカがウクライナ戦争に軍を派遣していないのを見る限り、台湾有事の際も中国と全面戦争をする気はなく、代理戦争を日本にやらせることになりそうだ。   

>この事態を避けるアイデアがない者は、今後の外交を語る資格がないといっても過言ではない。   

>従来の無条件の対米追従という原則の外に出て、帝国主義と一線を画す名誉ある中立を目指すことができる者こそが次世代のリーダーたりうるのだ。   

 

そうですね。  

 

>もっとも、現状、そのような理想を唱える者は現状維持派からは「ドン・キホーテ」や「お花畑」と謗られる。   

 

そうですね。   

 

>日本が「主権国家」を目指すために   

>ではこのまま政治の劣化、民主主義の崩壊を加速させるべきか?    

>最低な指導者による悪政、暴政が続けば、第二の敗戦は必至ゆえ、焼跡からの再出発を繰り返すことになるが、それしか再生の道はないのか?   

> すでにアメリカはトランプ主義者により、崩壊が加速している。   

>かつてナチスと心中した大日本帝国は、「ナチスの手法を模倣する」(麻生太郎氏は過去こうした発言をした)ことで、アメリカと心中したり、統一教会に滅ぼされるべきなのか?    

>あるいは相対的に中国や習近平の方がマシとして、親中に逆張りする人が増えてくる可能性もある。   

 

そうですね。   

 

>プーチンは、他国に安全保障を依存する国は主権国家ではない、といっているが、その定義に従えば、日本は最初から主権国家ではなく、属国に過ぎなかった。   

 

日本人は序列のトップにはなれませんね。日本人には指導力がないからです。   

 

>だが、アメリカの凋落に合わせ、主権国家を目指すなら、日米安保を大胆に見直し、米軍に依存せず、自前の軍隊で自国の安全保障を実現することになるが、引き換えに中国、ロシアの軍事的脅威と直接向き合わなければならなくなる。   

 

そうですね。自主・独立の代価ですね。   

 

>結局のところアメリカの属国から中国の属国に変わるだけの話かもしれない。   

>どっちに転んでも属国になるのなら、いっそ憲法9条に忠実に自衛以外の戦争の放棄を再宣言し、中立を目指す手もある。   

 

そうですね。   

 

>それこそが主権国家の体裁を保つ確実にして唯一の道かもしれない。  

 

日本にも可能な方法ですね。    

 

>古代ギリシャ、古代ローマ以来、民主制も共和制も堕落し、独裁者の登場、政治的無関心の拡大する危険は指摘されてきたので、そのセーフティネットとして陶片追放のような制度が必要だった。   

>そのセーフティネットに当たるのが日本では憲法に他ならない。   

>憲法は敗戦の産物であり、軍事独裁や人権侵害からの解放宣言だった。   

>人は徳を求めるより欲に走るので、社会は時とともに腐敗するし、権力は揺らぎ、紛争も避けられない。   

>武器産業を潤わすために、また自らの権力維持のために戦争に前のめりになるような権力者よりも、法を遵守し、戦争を回避しようとする民衆の方がよほど賢く、分別がある。   

>ちなみに日本の君主もまた、一貫して法の遵守と戦争の回避を宣言してきた。   

 

 

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島田雅彦氏  

2022-11-30 22:53:54 | 文化

>現代ビジネス   >【島田雅彦 特別寄稿】「安倍銃撃」を通して明るみに出た「日本を売るエリートたち」という大問題   >島田 雅彦 - 14 時間前   

>今年3月に刊行された島田雅彦『パンとサーカス』(講談社)が、7月の安倍晋三元首相の銃撃事件後、大きな注目を集めた。   

>日本社会の現実をフィクションの力で鋭く描き出した本書には、「要人暗殺」という出来事が描かれているからだ。   

>著者の島田氏は、事件後の日本社会をどうみているのか。   

()   

>暗殺事件の余波   

>虐げられた者の怒りを解き放てば、そこから「世直し」の連鎖が起き、支配層の人間を怯えさせることくらいはできる。   

()   

>2年前の7月末から東京新聞で一年間連載していた『パンとサーカス』では悪政に対し「世直し」を希求する声を掬い上げ、政治テロが実行される様態を具体的に描いた。   

>もし政府関係者がこれを連載中に読んでいれば、有効な治安対策も講じることができたかもしれないが、人文科学 [cultural science] を抑圧してきた政府が小説家の妄想にまともに取り合うはずもなかった。   

>暗殺が「奇跡的に」成功したことにより、今まで隠蔽されていた不都合な真実が露呈し、バタフライエフェクト [butterfly effect: chaos theory] のように、自民党自体の屋台骨が揺らいだ。   

>おそらくは山上徹也容疑者さえ意図しなかった形で政治テロとなった。   

>戦争やテロはさまざまな偶然が連鎖した結果、因果律を超えた想定外の現実を切り開いてしまうものだ。   

>山上容疑者の取調べが異様に長引いているのは、これ以上、政権に不都合な真実が露呈するのを避けたいからだろうし、自民党による内部調査も大甘になると予想される。   

>北朝鮮のミサイルなど、ほかの事件で統一教会問題を覆い隠し、世論がこの件に飽きるのを待ち、いつものように説明責任放棄で一件落着を図りたいところだろうが、まだしばらくは事件の真相を暴く側にアドバンテージがある。   

>統一教会問題のさらなる追求は紀藤正樹弁護士や鈴木エイト氏、有田芳生氏の粘り強い戦いに期待する。   

 

そうですね。   

 

>自民党の「組織防衛」   

>故人の業績を最大限に称え、弔意によって不都合な真実をうやむやにしようと断行した国葬儀だったが、逆に世論の返り討ちに遭った。   

>なまじ国葬という大袈裟なサーカスを演出しようとしたがため、その法的根拠を問題視され、国葬に全く相応しくない故人の過去の悪行に関心が向いてしまった。   

>結果的に岸田政権の支持率の急激な低下を招いたが、自民党議員たちが自分達の党内事情しか見ず、組織防衛に徹するという常套手段を取ったがために、自民党との癒着により中抜きし放題だった電通、パソナの黄昏も近づいた。   

>逆説的な意味で、安倍氏の死は政治の暗部を明るみに出し、結果的に国政に貢献することとなった。   

>もし安倍氏が死ななかったら、神格化はもっと進んでいたに違いない。   

>生きていれば、オリンピックや統一教会をめぐる疑惑には蓋がされたままで、テロからの生還を英雄視され、世論に支持されて清和会の独裁体制が強化され、一気に改憲と軍備増強に突き進んでいただろう。    

>統一教会に関与していると見られる自民党議員が三分の二を占めるといわれる中、山際大志郎氏の大臣辞任に続くドミノ倒しは萩生田、下村、菅、細田の各氏をも巻き込むのか、暗にそれを願っている向きもあろうが、自民党議員の思いを邪推すれば、教団とは一蓮托生なのだから、調査したり、行政指導を行うのはポーズだけにとどめ、互いの生き残りのため、妥協するほかないという一点に落ち着くだろう。   

 

そうですね。世の中は持ちつ持たれつですね。    

 

>教団は自民党を脅迫し、不都合な真実を暴露すると脅しつつ、組織の存続のために血道を上げる。   

>自民党は不都合な真実の隠蔽のためには統一教会と協力関係を続けなければならない。   

 

蛇の道は蛇ですね。   

 

>この悪循環が続く限り、信者の詐欺被害は拡大するばかりか、政治中枢への影響力を保ち、防衛、経済、文化教育政策に関与し続けることになる。   

>それが安全保障上、治安維持上、どれだけ大きな不安要素となるか、今一度、有権者は考える必要がある。   

>今後、同様のテロや犯罪が起きるとすれば、利権に与れなかったか、ボスや仲間に「裏切られた」との思いを募らせた極右サイドの内ゲバという形で起きる可能性の方が高い。   

>歴史反復の法則が今回も適用されるなら、そうなるはずなので、政府は共産党ではなく、極右サイドに監視の目を向けた方がいいだろう。   

>さんざん、反韓、反朝鮮のヘイトにかまけてきた極右が、正真正銘の反日組織と癒着した自民党をなぜ黙認しているのか理解に苦しむが、彼らの愛国も所詮、利権と同じ意味しか持たず、利権さえ得られれば、反日カルトにも与するのだろう。   

>テロで利権が危うくなり、また結束が乱れたので、新たな利権を貪ろうと企んでいるなら、これこそ正真正銘の売国奴である。   

 

ノンポリ・政治音痴ですから、利権・利権・利権と行くしかないですね。    

 

 

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和田秀樹氏  

2022-11-29 14:06:33 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由   >和田秀樹 の意見 - 5 時間前   

>大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。   

>一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。   

>研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。   

>※本稿は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)の一部を抜粋・編集したものです

>偉くなってしまえば論文を書かなくてよくなるという問題   

> 大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。   

> 一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。   

>どのような職種であれ、ビジネスパーソンは成果を求められます。   

>しかし大学教授は、偉くなりさえすれば成果など必要なくなります。   

> 論文の本数も、自分の研究室のメンバーが書いたものに名を連ねるだけでなんとかなります。   

>まったく書かない教授も珍しくありません。   

>論文の本数が少なかろうとクビの心配はないのですから、定年まで楽に過ごせます。   

> ちなみに、理化学研究所などの研究者は、発表した論文の本数が評価の対象になります。   

>評価が低ければ、職を失うことにもなります。   

>研究者にとってはハードですが、大学のようなぬるま湯とは大違いです。   

> なぜ大学では、こうした決まりが設けられていないのでしょうか。   

>それは、ぬるま湯でいてほしい人たちがいるからです。   

>ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも   

> 教授たちだけではありません。   

>ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも存在します。   

>文科省や厚労省などの官僚たちです。   

> 彼らは在任中や退官後に大学教授として再就職することをあてにしています。   

>つまり、天下りです。   

 

我が国では博士号を持たない人も学者仲間に紛れ込んでいるのではないでしょうかね。学者でなければ学術界には入れませんね。      

 

>官僚の天下りは国家公務員法で禁止されていますが、今も数々の抜け道があり、とりわけ大学は大きな受け皿となっています。   

>「公募に応じて」という体裁をとりながら、実は前職の力にものを言わせて、論文を一本も書かずに教授に収まるわけです。   

> そんな彼らにとって、天下り先がハードな環境になるのはもっとも避けたいところ。   

>将来の自分の首を絞めるような決まり事をつくるはずがないのです。   

> この思惑がある限り、大学のぬるま湯環境は変わらないでしょう。   

>逆に言えば、大学への天下り規制が強化されれば、日本の研究環境も少しは向上するかもしれません。   

>研究者のやる気をなくす大学のシステム   

> もう一つ、研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。   

> 日本の大学教授は、成果を出そうと出すまいと、大学から一定額の給与が支払われます。   

> 他方、アメリカの大学教授の場合は、自力で稼いでくるシステムです。   

>大学からもらう給与もありますが、日本に比べるときわめて低額です。   

>ですから彼らは行政や企業に掛け合って、「グラント(研究費)」を集めます。   

> 受け取ったグラントをどう使うかは教授の自由です。   

 

自分のグラントは教授であろうとなかろうと自由に使ったらよいですね。  

 

>10のうち8を研究資金にして2割を報酬にしてもいいし、73でも64でも、好きに決められます。   

> グラントが集められるかどうかは、教授およびその研究室が結果を出しているか、もしくは有望であるかによって決まります。   

>成果や実績、研究内容の持つ意義やポテンシャルなどを認めてもらえない限り資金は得られず、研究も続けられないし、生活も成り立ちません。   

>研究者は自分の業績をもとに営業活動をし、研究室を運営していく「経営者」とも言えます。   

>研究室にいい人材を集めるための努力も欠かせません。   

> 対して、給与をもらっている日本の大学教授は「従業員」の立場ですが、業績にかかわらず給与が出るので、一般のビジネスパーソンよりも楽です。   

>やる気のない人ほど嬉しい環境とも言えます。   

> 逆に言えば、やる気のある人にとっては、恵まれた環境ではありません。   

>と言うのも、研究の成果が報酬に直結しづらいシステムだからです。   

>アメリカと違い、研究費は研究以外のことには使えません。   

>研究の成果が出ても、それが商品化されてお金になるまで、報酬にはなりません。   

>研究のほとんどは、お金を生み出すに至らなかったり、至ったとしても途方もない時間がかかりますから、やりがいにはいま一つ結びつきません。   

> もちろん、モチベーションの源はお金だけではありません。   

>報酬など気にせず、意義ある研究や発見のために邁進(まいしん)するのも一つの姿勢です。   

>ところが日本の学界は、研究の価値を正当に評価する意識も希薄なのです。   

 

日本人には現実 (事実) の価値判断はできるが、非現実 (考え) の価値判断は難しい。   

論文は非現実 (考え) の内容を示すためのものである。だから、日本人にはその評価の意義は薄いです。      

 

>iPS細胞のような「特大ホームラン」でもない限り、さほど注目されることもありません。   

>そうしたなかで、もともとやる気のある研究者でも、徐々にやる気を失っていくのです。   

 

日本人は序列人間で、序列社会を作り上げている。その人間序列は没個性の比較で成り立ち、個性的な学術の成果とは無縁ですね。      

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。     

 

 

 

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広島叡智学園  

2022-11-29 11:43:26 | 文化

>これが公立!? 広島叡智学園が実現する「最先端の教育環境」とはー   >202215 1602 (317 1830分更新)  

><連載・未来をつくる学校 #1>   

> 激しさを増す社会の変化に対応できる人を育てるため、教育現場は変革を迫られている。   

>画一的なイメージのある公立校も、従来の手法にとらわれず、大胆かつ魅力的な人づくりを掲げる学校が全国にある。   

>そうした先導的な学校を4回にわたり紹介する。   

>初回は、全寮制の中高一貫校、広島県立広島叡智学園。   

>グローバルリーダーを育てる最先端の教育環境とは-。   

> (宮崎厚志)   

>【広島叡智学園】広島県大崎上島町に、2019年4月開校。   

>21年度の生徒数は116人で、広島県外の小学校からは42人。   

>定員は中学は各学年男女20人ずつで、高校からは外国人留学生など20人が加わる。   

>授業料、教材など諸費用、寮費(食費を含む)を合わせ、学費の年間総額は中学校で約60万円、高校で約74万円。   

>全国から集まる子どもたち「すごく楽しい」   

> 瀬戸内海に浮かぶ人口約7800人の大崎上島。   

>かつては造船業で栄えたこの島に、全国から子どもたちが集まってくる。   

>北海道から沖縄まで、約3分の1が県外からの入学者だ。   

> その1人、愛知県内に実家がある中学1年の赤穂真菜さん。   

>小学校では仲間と協力する授業が好きだった。   

>ただ、発言の機会が限られ、議論が深まらない不満も。   

>対照的にここでは、ほとんどの授業がグループワークで進む。   

>「すごく楽しい。   

>もっと自分から行動を起こして、成長したい」   

 

そうですね。議論の仕方を覚えましょう。   

 

>開放的でゆるやかにつながる校舎   

> 平屋の建築群が並ぶ校舎は、図書館棟を中心に、国語・英語を学ぶ言語棟など教科の系統ごとに分かれた教室が、開放的な学習スペースを介してゆるやかにつながる。   

>そのスペースで放課後、多くの生徒がオンラインでの1対1の英会話に励んでいた。   

>国際バカロレア教育で海外進学へ   

> 同校は、文部科学省も推進する国際的な教育プログラム「国際バカロレア(IB)」の認定校。   

>高校3年時に外国語で受ける最終試験を通れば、海外大学の入学資格を取得できる。   

>教員は3分の1が外国人。   

>英語の学習時間は高校1年冬までに計約5000時間を計画。   

>2022年度に開校する高校は、外国人留学生らが1学年に20人加わり、さらに国際色豊かになる。   

> 英語は他の教科でも積極的に使う。   

>例えば理科。   

>細胞分裂の単元で、中学3年生らがグループに分かれ、「metaphase(分裂中期)」といった学術的な英単語も同時に覚えながら話し合った。   

>【国際バカロレア教育 中部9県の中学・高校では5校を認定】 国際バカロレア教育は、幼児教育の年齢から3種類あり、国内ではインターナショナルスクールを中心に広がっている。   

>国は2022年度までに認定校・候補校を200校以上にすることを目標に掲げている。   

>文科省が定める狭義の中学・高校では、21年12月現在、認定校は全国に41校。

>そのうち中部9県には5校(愛知2校、長野1校、静岡1校、滋賀1校)あり、公立は20年度に開始した滋賀県長浜市の虎姫高校のみ。   

>同校では入学後に校内での選考を経て各学年最大20人が履修する。   

>人間力を育む授業と寮生活    

> 一方で、単純な知識量を測る定期テストはない。   

 

それは良いことですね。日本人は、知識は大切にするが知恵は大切にしませんからね。知識は没個性的ですが、知恵は個性的ですからね。日本人には個人主義が未だに浸透していませんね。     

 

>「失敗こそ最高の学び」と考えるIBでは、プロジェクト型の学習が軸。   

 

失敗すると悔しいから、事実の内容をいつまでも忘れない。記憶力が促進し知識量が増す。経験豊富な人になる。成功体験は、更なる学習を阻害する。油断大敵ですね。     

 

>同校の特徴的な教科「未来創造科」は、「幸せとは何か」をテーマに地域のお年寄りへのインタビューで幕を開ける。  

 

お年寄りは経験豊富ですからね。勉強になりますね。   

 

>国内の外国籍の中学生を招いたサマースクールでは、「海外への平和の発信」という広島ならではのテーマで学びを深めた。   

 

紛争当事国への平和発信ですね。   

 

>寮での共同生活と自治も、生徒らの自立心を育てる。  

 

人間には自主・独立の精神が必要ですね。   

 

>多様性のなかでリーダーは育つ   

> 県立校が県外や国外から積極的に生徒を受け入れることには異論もある。   

 

金の問題がありますね。   

 

>しかし福嶋一彦校長は、多様性あふれる環境こそが重要だと強調する。  

 

我が国が教育立国であることを示したいものですね。   

 

>「新しい時代のリーダーは背景の異なる集団の中で育つ。   

>世界に目を向けた子どもたちはいずれ、自らが学んだ広島にも目を向けるようになる」    

>【福嶋一彦校長からのメッセージ】   

> 卒業時に、いわゆる難関大へ行ってほしいとは思いません。   

 

そうですね。現在の日本は難関出身者が幅を利かせる社会ですね。このような差別は国際社会で通じませんね。改める努力が必要ですね。      

 

>今の中3には家庭の事情で海外への進学が難しい子もいますが、どう道を切り開いていくかを早くも考え始めている。   

>ずぶとく、たくましく、創造的に。   

>起業したいという子が出てくればうれしいですね。   

 

そうですね。わが国には何でも揃っている。だが、ただ夢と希望だけがない。この構造を改めるべきですね。    

わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。

我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。

わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気を伝えることにより満足している。 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。だからその内容は理解できる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

体系のない日本人の発想は哲学には成らずして、空想・妄想になる。これを白昼夢というのかな。おかげさまでわが国は、漫画アニメの大国になりました。  

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。     

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

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バリー・オライリー氏  

2022-11-28 20:43:33 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >現代のリーダーに足りない、一番大切なもの   >バリー・オライリー,中竹竜二,山内あゆ子 - 7 時間前   

(

>個人も組織も、学ぶことは大切ですが、もはや、それだけで十分ではありません。   >ビジネスでも、スポーツでも、同じスキルや戦略が、そういつまでも通用はしません。   

 

そうですね。同じ柳の下に泥鰌はいない。     

 

>常に何かを学びなおさなければいけない時代になっています。  >その時代のキーワードこそ、アンラーンです。 [unlearn: ある知識を偽りだとして捨てる

>学びなおす力であるアンラーンを妨げるのは、過去に達成するのに役立ったが今では限界に達している行動や方法、つまり「成功体験」だったりします。   

 

そうですね。教養が邪魔をしているのですね。       

 

>セリーナ・ウィリアムズからディズニー、アマゾン、テスラ、グーグル、NASA…事例満載でアンラーンの全貌がはじめてつかめる本、『アンラーン戦略 「過去の成功」を手放すことでありえないほどの力を引き出す』(バリー・オライリー著、ダイヤモンド社刊)から、アンラーン戦略の重要ポイントを紹介していきます。(監訳:中竹竜二、訳:山内あゆ子)   

>リーダーには「考える時間」すらない   

> 今日、ほとんどのリーダーは、より迅速に意思決定を行い、急速に変化する市場に俊敏に対応し、顧客のニーズを的確に捉えるなどして、ビジネスの方法を常に変えていかなくてはならないことを認識している。   

 

そうですね。   

 

>古いビジネスの方法から新しい方法へと移行する際の大きな問題の一つは、組織を率いる人たちの神経回路が時間の経過とともに凝り固まり、硬直化してしまうことだ。   

 

伝統と格式にとらわれていますね。   

 

>日常業務の現場からもたらされる情報や偏った見方によって、リーダーは近視眼的なものの見方にとらわれてしまう。   

 

そうですね。リーダーは目先・手先の事柄にとらわれがちですね。    

 

> 即座に結果を出さなければならないという強迫観念は、過密なスケジュールと、意思決定したことを迅速に遂行することのプレッシャーとも相まって、リーダーに結果を振り返る機会をほとんど与えない。   

 

結果の評価は常に必要ですね。    

 

>計画は問題に邪魔され、それにより状況は変化してしまい、結果、コントロールできない隠れたコストが生じる。   

> リーダーの多くは、問題を深く検討し、ほかの選択肢がないかどうかを「考える」時間すら取れない。   

 

そうですね。思考を停止している人は、自分の望む内容にしか耳を傾けなくなりがちですね。   

 

>その結果、短期的な業務効率の改善や、短期的な収益の確保に最適化した解決策を講じることになるが、最終的に、彼らの顧客に資するビジョンは何なのか、顧客が抱えている課題は何か、顧客のためになる体験とはどんなものか、といった観点から物事を考えられなくなってしまう。   

 

そうですね。知識は大切にするが、知恵には興味が湧きませんね。   

 

> こうなると学習することが不可能になるが、それ以上に問題なのは、自分や、自分が携わるビジネスの効力を制限し、何も得るもののない日々の繰り返しに封じ込めている行動様式や考え方を、アンラーンできなくなってしまうことだ。

>多くの場合、こうした現象は進歩と勘違いされてしまう。   

> だが、信じてほしい。   

>そうではないんだ。   

> リーダーたちは忙しい合間をぬって、社外でイノベーションについて学んだり、週末のリトリート〔仕事や家庭から離れて自分と向き合う時間をつくること〕に出かけたり、国際的に名高い大学やビジネススクール、団体での1週間のプログラムに参加したりして、新しいアイデアや戦略をたくさん抱えて職場に戻ってくる。   

>だがほとんどの場合、すぐまた快適な行動様式と思考パターンに戻ってしまう。   

>さらに、戻ってきたとたんに直面する現実に打ちのめされる。   

> だから、今日の企業におけるトレーニングや自己啓発の努力のほとんどが、失敗しているのも無理はない。   

>最近のハーバード・ビジネス・レビュー誌の記事は、アメリカの企業は従業員のトレーニングや教育に、とてつもない金額をかけていると指摘している。   

>2015年には、アメリカでの総額は1600億ドル〔約17640億円〕、全世界では3560億ドル〔約39250億円〕だった。   

>それなのに、仕事で成果を上げるためにトレーニングが役立ったと言う人は4人に1人しかいない。   

>「たいていの場合、学習によって組織の業績が向上するわけではない。   

>誰もがすぐに、元のやり方に戻ってしまうからだ」   

> アンラーンはそれとは違う。   

>1回こっきりで終わりではなく、〈アンラーンのサイクル〉を繰り返すシステムなのだ。   

>未来を見据えながら、今あるものを手放して、現実に適応するためのシステムだ。   

 

新規まき直しのことですね。    

 

>これまでに行ったことが何であれ、それが現時点ではもう役に立たない可能性があると認識することだ。   

>時代遅れの情報から離れるタイミングを知り、新しい情報を自分の考えに取り入れ、自分の行動を現実に適応させる力を伸ばさなければならない。   

> 勇気とは、自分がやっていることがもう役に立たないことを認識し、手放して、進歩に必要なことを実践するための行動を起こすことだ。   

>最初の突破口は、とにかくアンラーンすべきだと気づくことだ。   

 

そうですね。ご破算で願いましては、、、、、ということですね。          

 

>達成したい願望や結果を明らかにし、そのための意図的な習慣と組み合わせることによって、望む状態に向かって動き出し、並外れた成果を出すことが可能になる。   

> アンラーンのシステムは、私が〈アンラーンのサイクル〉と名づけた、個人や集団が成長するための3ステップのアプローチに基づいて形作られるものだ。   

>私は何年にもわたって、優れた経営幹部や従業員、チームと協力し、アドバイスを与え、指導することで、このシステムを開発した。   

 

それはあなたの成功物語ですね。   

 

>高い業績を上げている人々がいかにこのシステムを、ごく自然に、意識することさえなく使っているか、また、あなたが成長して影響力を持つために、自分の性格や能力を育てるための意識的な行動に、どのようにそれを利用できるかを示していこう。   

>〈アンラーンのサイクル〉を身につけるために必要なのは、頭がよいことでも運がよいことでもないし、やけくそになる必要もない。  >それはひとえに、仕事や人生でアンラーンを意図的に使ってブレークスルーを達成しようという、あなたの勇気と意欲にかかっている。   

 

その通りですね。   

 

 

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