> 358101 勉強って本来どういう意味?学習との違い① >前野将克 ( 22 会社員 ) 20/07/02 AM10
>勉強することが当たり前の現代。> 勉強が嫌いな人は多いと思います。> 僕自身もそうでした。
それは学習教育の方法が適当でないからでしょうね。普通、子供は学習意欲が旺盛なものですからね。子供の知識は遊びにより増大しますね。遊びは創意工夫の時間でしょうね。
>では、そもそも勉強の語源は何なのでしょうか。
> 以下リンクより引用
>■勉強
> 【意味】勉強とは、学問や技芸を学ぶこと。経験を積んで学ぶこと。商品を値引きして安く売ること。物事に精を出すこと。努力すること。 > 【語源・由来】勉強は「勉(つとめ)強(しいる)」で、本来は気が進まないことを仕方なくする意味である。> 商人が頑張って値引きをする意味の「勉強」は、学問や技芸を学ぶ意味の「勉強」よりも古く、江戸時代から使用されている。 > 明治時代以降、知識を得るために努力することが美徳とされるようになったことから「勉強」は「学習」とほぼ同じ意味で使用されるようになり、一般的に「学習」を意味するようになった。
‘べんちゃん’ (勉強) の意味は中国人も理解しているらしく、私が学習のことを ‘べんちゃん’ と言うと彼らはニヤニヤしている。きっと面白い発想だと思っているに違いない。漢字文化圏はまだ生きていますね。
>358102 勉強って本来どういう意味?学習との違い② >前野将克 ( 22 会社員 ) 20/07/02 PM00
>勉強の語源は「勉(つとめ)強(しいる)」つまり、本来は気が進まないことを仕方なくする事でした。 > 多くの人が嫌いになるのも当たり前ですね。
古い考えでは、‘艱難汝を玉にす’ ということになりますね。
>そしてこの「勉強」が、いつの間にか「学習」と混同してしまいました。
そうですね。両者は、似ていて非なるものですね。
>では、「学習」とは本来どのような意味なのでしょうか。>また、勉強との違いはどこなのでしょうか。
> 以下リンクより引用
> 「学習」 とは,漢字を分解すれば,「学び」 「習う」 ことです。
共産中国でも ‘学習’ (しえしゅう) は流行りましたね。
> では,「学ぶ」 とはどういう行為,「習う」 とはどういう行為なのだろうか? > 簡潔に言えば,「人のまねをして,慣れる」 行為なのです。 > 「学ぶ」 は,もともとは 「まねぶ」 であり,「真似ぶ」 こと,つまりほかの人がすることを真似することを言ったことばでした。
そうですね。
> 古語辞典にも,「まなぶ」 「まねぶ」 の両方の見出し語があり,どちらも 「学ぶ」 の漢字が載っています。 > 一方,「ならう」 も,『広辞苑』 には,「ならう (習う) 」 と 「ならう (慣らう ・ 倣う) 」 が見出し語として並記されていますが,どちらも同源の語と注釈されています。つまり,「ならう」 とは,同じことを繰り返して慣れるということ,また何かを模倣することを言うことばだったのです。
‘習う’ も ‘学ぶ’ も共に自発的な発想がない ‘後追いの作業’ ですね。模倣は特亜三国 (日本・韓国・中国) の民が得意とするところですからね。創造力に欠けるところが玉に瑕ですね。
> 今の時代では,「学ぶ」 も 「習う」 も,教師による体系的な指導方法 ・ 指導技術によって教えられたことを身につけることと一般的に理解されていますが,昔は,そんな体系的な指導法があったわけではないので,ひたすら 「真似をして」 ,ひたすら反復して 「慣れる」 ことが 「学習」 だったのでしょう。
そうでしょうね。情報の一方向の流れでしたね。
> では,「習うより慣れよ」 ということわざは,ちょっとおかしくならないか?
‘Practice makes perfect’. ですね。 英訳ではおかしなところはありませんね。
>「習う」 が 「慣れる」 ことだから,「慣れるより慣れよ」 ということになってしまう ・・・。
そうですね。’習う’ は、他の ‘真似をする’ ことでしょうね。’右に倣え’ と号令を掛けるではありませんか。これを何回も繰り返せば慣れてきますね。慣れは訓練の賜物ですね。’習う’ は原因で、’慣れる’ 結果ということになるのではないでしょうか。
> 多分,このことわざは,「ならう」 の意味が,人に教えてもらうという意味の方が強くなって以降にできたのではないだろうか。 (この部分は,私の勝手な解釈)
たぶんそうでしょうね。受動的な生活ばかりでは、子供の自主独立の精神は養われませんね。能動的な作業を教育の中心に据えて、’生きる力’ (vitality) を養いましょう。
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