上級韓国語 - ちょんげぐりの世界

韓国語の勉強もそろそろビジネスクラスへ乗り換えましょう。上級韓国語をめざして,古狸案先生の授業は随時更新中です。

きょうの上級単語 세속오계

2024-02-02 | 言葉の使い方
세속오계:〔名〕花郎が守るべき五つの戒律〈世俗五戒〉
・나라에 충성하다:国家に忠誠を尽くす
・부모에게 효도하다:両親に孝行する
・벗을 믿음으로 사귀다:友愛を重んじる
・살생을 삼가다:殺生を慎む
・싸움에 물러서지 않다:戦いに退かない

나라에 충성하다の「-에」と부모에게 효도하다の「-에게」の違いは,対象が人(有情物)か物(無情物)かということです。対象が人の場合は「에게」を使います。

・화분에 물을 자주 준다.(○)           ・화분에게 물을 자주 준다.(×)
・자기 일에 열정이 많다.(○)           ・자기 일에게 열정이 많다. (×)

・강아지에게 물을 준다. (○)           ・강아지에 물을 준다. (×)
・길고양이에게 밥을 준다.(○)          ・길고양이에 밥을 준다. (×)
・맨드라미에게 물을 준다. (○)        ・맨드라미에 물을 준다. (×)

動物を対象にするときは「에게」を使うのが正しいですが,植物はどうでしょうか?
화분(植木鉢)には「에」を使うのが正しい表現でしたが,맨드라미(ケイトウ・鶏頭)は少し曖昧です。
맨드라미には,むしろ「에게」の方が似合うと感じる人もいるでしょう。
これは,有情物と無情物という単語の中に含まれる「感情」という言葉がやや曖昧なため,当然出てくる疑問です。
文の主体に感情を呼び起こすことができる存在であれば,「에게」を使っても問題ありません。

重要なことは,言語の中に込められた観念は,非常に長い年月を経てきたということです。私たちの先祖たちが長い間「人や動物」をまとめて考えてきたことを,「-에/-에게」の使い方から知ることができます。
人や動物を対象に何か行動をするときには「-에게」を使い,それ以外の対象には「-에」を使うのです。

また,擬人法や擬人化などの修辞法を用いる場合,本来は「-에」を使うべき対象でも「-에게」を使うことがあります。
例えば,꽃이 바람에게 흔들린다.(花が風に揺れる),나무가 바람에 속삭인다.(木が風にささやく)のように使います。これは,花や木を人間と同じように考え,感情や行動を擬人化しているためです。

・그는 항상 아침에 일어나 냉장고에게 말을 건다.(彼はいつも朝起きて冷蔵庫に話しかける)
・미영이는 집을 나설 때마다 곰인형에게 인사를 한다.(ミヨンは家を出るとき,いつもぬいぐるみのクマに挨拶する)

また,現代の韓国語では,「-에」と「-에게」の使い分けが少しずつ変化してきているとも言われています。例えば,개에게 밥을 준다.(犬に餌をやる)という表現は,以前は「-에」を使うのが一般的でしたが,最近では「-에게」を使うことも増えてきているようです。これは,動物を単なる対象ではなく,人間と同様,感情や行動を持つ存在として考える人が増えていることが背景にあると考えられます。
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척지다とは? 辞書に載っていない言葉(おもしろ語彙の世界)

2023-12-21 | 言葉の使い方
人生には,悲しみや不幸が溢れています。そんな中で,他人と仲たがいすることもあるでしょう。お互いに恨みや憎しみを抱いて反目し合うことを척지다と言います。国立国語院の우리말샘には,“서로 원한을 품어 반목하게 되다.”という意味が載っています。

척지다が元々「互いに怨みを抱いて反目するようになる」という意味で使われていたわけではありません。まず척の意味から考えてみましょう。척は漢字で書くと「隻」です。

この「隻」は「一対の片方」つまり「片割れ」を指します。鳥は常に2羽で1雙と数えます。この雙は双の旧字体で「つがい」を表します。ですから隻は,雙の半分,つまり「鳥1羽」を表します。よって,男女・雌雄・左右など2つがペアになっているものの,片方だけを数える数え方に用いられるようになりました。

しかし,척지다の척はこのような意味ではありません。この척は非常に特殊な意味を持っているのです。それは「朝鮮時代の訴訟事件の被告」です。척지다の척が「被告」という意味を持つというのは,驚くべきことです。

昔も今も民事訴訟は,訴訟を起こした원고(原告)と,訴訟を起こされた피고(被告)の間で争われます。つまり,訴訟において原告と被告は,一対となります原告から見れば,一対の片割れは被告になります。そのことから척〈隻〉が「被告」の意味になったのです。

척という単語は,おもに지다と組み合わさって使われます。“친구와 나는 사소한 문제로 척이 지고 말았다.”といえば,「友達と私はささいな問題で仲たがいした」,“우리는 이성 문제로 척을 지게 되었다.” といえば,「私たちは異性の問題でけんかした」という意味になります。

‘척이 지다’は「訴訟に巻き込まれて誰かと被告関係になる」という意味であり,‘척을 지다’は「訴訟に巻き込まれて誰と被告関係を結ぶ」という意味になります。척지다は,‘척이 지다’,‘척을 지다’から主格の-이と目的格の-을が脱落して短くなった形です。

このように,誰かと「被告」関係になると,人間関係が断絶するだけでなく,お互いに憎み,恨む間柄になります。このような点が強調されて,척지다に「互いに怨みを抱いて反目する」という意味が生まれたのです。簡単にいうと「仲違いする」「反目する」という意味になります。

具体的な例としては,次のような使い方があります。
このように,척지다は日常会話でよく使われる表現です。
・친구와 척졌다. (友達と仲たがいした)
・남편과 척졌다. (夫と反目した)
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나다と태어나다 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-12 | 言葉の使い方
まずは恒例の練習問題からです。
次の文でよりふさわしい語は(  )内のどれでしょうか。

①우리 첫아이는 1991년 1월 8일에(났다・태어났다).
②이 마을이 내가 (나서・태어나서) 자란 곳이다.
③올해는 모차르트가 (난 ・태어난) 지 250년 되는 해다.

①우리 첫아이는 1991년 1월 8일에 태어났다.
〔私たちの第一子は1991年1月8日に生まれた〕
*第一子が生物としての存在として「生まれた」ことを表すので‘태어나다’が正解です。
②이 마을이 내가 나서 자란 곳이다.
〔この村は私が生まれてから育った場所だ〕
*生物としての存在ではなく,ある場所で育ったという過去の状態を表すので‘나다’が正解です。
③올해는 모차르트가 태어난 지 250년 되는 해다.
〔今年はモーツァルトが生まれてから250年になる年だ〕
*モーツァルトが生まれたことを表すので태어나다が正解です。

このように‘태어나다’は,生物が母親の胎内から出産されることを指します。一方,‘나다’は,ある状態に至ること,またはある存在になることを指します。

韓国語の‘나다’ほど,さまざまな場面で使われる語はありません。
①物理的な意味で「出る」
・모가 나다:角が立つ 
・수염이 나다:ひげが生える
・여드름이 나다:にきびができる
・풀이 나다:草が生える

②事象が起こる
・고장이 나다:故障する
・구멍이 나다:穴ができる[あく]
・길이 나다:道ができる 
 ・불이 나다:火事が起こる
・소리가 나다:音が出る  
・소문이 나다:噂が広まる
・자리가 나다:席が空く  
 ・탈이 나다:災難が起こる
・홍수가 나다:洪水が起こる

③感情が起こる
・화가 나다:怒る  
・욕심이 나다:欲望が起こる
・성(이) 나다:腹が立つ,憤る

④内にある物が外へ出る,湧き出る
・눈물이 나다:涙が出る
・샘물이 나다:泉が湧き出る 
・석유가 나다:石油が湧く
・피가 나다:血が出る 
・혼이 나다:ひどい目にあう
・기운이 나다:元気が出る 
・기억이 나다:思い出す

⑤音や匂いなどが出る
・냄새가 나다:匂いがする
・붉은빛이 나다:赤い光が出る
・소리가 나다:音が出る
・연기가 나다:煙が出る

⑥露出する
・바닥이 나다:底がつく
・티가 나다:目立つ
・신문에 기사가 나다:新聞に記事が出る

⑦出現する,(世に)出る
・신동이 나다:神童が出現する
・큰 인물이 나다:偉人が生まれる
・영웅이 나다:英雄が現われる
・인재가 나다:人材が現われる
・마땅한 혼처가 나다:ふさわしい結婚相手が現われる
・유명한 장군이 난 곳이다.:有名な将軍が出た所だ

⑥(物を)産する,産出する
・사과가 많이 나는 고장:リンゴの産地 
・바다에서 나는 생선:海で獲れる魚
・이 지방에서는 석탄이 많이 난다.:この地方では石炭が多く産出される
・석유 한 방울도 나지 않는다.:石油1滴も出ない

⑦そのほか
・해가 나다:太陽が出る  
・돈이 나다:お金が手に入る

「나다」は,日本語の「なる」や「生じる」に相当する動詞で,その基本的な意味は「発生する」です。‘나다’は‘생기다’に最も近い言葉です。例えば“자리가 났다”は“자기가 생겼다”に,“도로가 났다”は“도로가 생겼다”に置き換えても意味にほとんど差はありません。

●‘나다’と‘태어나다’の違い
・나는 부산에서 났다 (私は釜山で生まれた)
・나는 부산에서 태어났다 (私は釜山で生まれた)

‘나다’と‘태어나다’は,どちらも「出産によって世に出る」という意味ですが,ニュアンスに若干の違いがあります。
‘나다’は,出産という事件を事実的・客観的・価値中立的に指す言葉で,特定の人物や出来事に特別な意味づけをすることはありません。
次に‘태어나다’の深い意味について見てみましょう。‘-나다’の前に付いた‘태어-’は‘타다’から来た言葉です。‘타다’には①燃える,②乗る,③液体に別の液体または粉末を加える,④給与・賞などをもらう,などという意味がありますが,ここでは④の意味の‘타다’です。

“용돈을 타다”,“개근상을 타다”,“경품을 타다” というように,‘타다’は,誰かから何かをもらうときに使う言葉です。‘받다’という言葉があるのに,わざわざ‘타다’と言うのは,‘타다’は,とても良いものをもらう時に使われるのです。“타고난 재주”「才能・体力・運命などを授かる」ということばもあります。

よって,‘태어나다’は
・아이가 태어나다 (赤ちゃんが生まれる)
・나라가 태어나다 (国家が誕生する)
・새로운 시대가 태어나다 (新しい時代が始まる)
のように,単に「生まれる」という意味だけでなく,その誕生に「神聖な意味」が込められている言葉です。

さて,前に挙げた“나는 부산에서 났다”と“나는 부산에서 태어났다”の間にはどのような違いがあるのでしょうか。 しいて翻訳すれば“나는 부산에서 났다”は「私は釜山で獲れた」というニュアンスで,“나는 부산에서 태어났다”は「私は釜山で母親の胎内から生まれた」という意味になりまが,日常会話では,どちらの単語を使っても問題ありません。

●まとめ
나다:出産という事件を事実的・客観的・価値中立的に指す
태어나다:出産を神聖な出来事として見る意識が込められている

●おまけ 뽀록나다とは?
‘나다’つながりで,おまけの一語をご紹介します。
よく会話で耳にする言葉で,辞書には載っていない言葉に‘뽀록나다’があります。この言葉は,一見すると‘뽀록’という名詞と‘나다’という動詞が結合した固有語のように見えます。しかし,‘뽀록’は日本語の「ボロ(襤褸)」から来ています。「ボロ」は,基本的には‘넝마, 누더기’を意味しますが,派生的に「粗雑な所,欠点」の意味としても使われます。そのため,‘뽀록나다’というと「欠点を露呈させる,失敗する」の意味になります。ただしこれは俗語なので,国立国語院では‘드러나다’,‘들통나다’と言い換えています。


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「堪える」「我慢する」は참다? 견디다?(おもしろ語彙の世界)

2023-12-10 | 言葉の使い方
まず,참다の使い方から見てみましょう。
참다の対象は,内側から生まれてくる湧き起こる感情や欲求です。

次の例文を見てください。
・웃음을 참느라 혼났다.
〔笑いを我慢しようと大変だった〕
・아픔을 참지 못하고 소리를 질렀다.
〔痛みを我慢できずに叫んだ〕
・터져나오는 울음을 참지 못했다.
〔こみ上げてくる涙を我慢できなかった〕
・부끄러움을 참지 못하고 뛰쳐나가갔다.
〔恥ずかしさを我慢できずに飛び出していった〕
・살인 현장을 볼 때마다 역겨움을 참을 수 없었다.
〔殺人現場を見るたびに気持ち悪さを我慢できなかった〕

・분통이 터지는 것을 참고 선생을 흘겨보았다.
〔怒りが爆発しそうになるのを抑えて先生をにらみつけた〕
・밀려오는 설움을 참느라고 입을 비죽거렸다.
〔押し寄せる悲しみを抑えようとして唇を震わせた〕
・이번에 참지만 다음엔 가만있지 않겠다.
〔今回は我慢するけど,次は黙っていないぞ〕

졸음을 참아가며 영화를 보았다. 
〔眠気を抑えながら映画を見た〕
기침을 참느라 얼굴이 벌개졌다. 
〔咳を我慢しようとして顔が赤くなった〕
오줌을 참고 화장실까지 달려갔다. 
〔おしっこを我慢してトイレに走っていった〕

上の例でわかるように,참다の対象となるものは,無意識の衝動や本能,生理的現象など,我慢するのが難しい場合がほとんどです。また,我慢できなかったからといって,特に害を被ったり,特別な危険にさらされたりすることはありません。

これに対して,견디다の対象となるものは,外部の要因によるもので,「耐えられないと」重大な結果を招くものです。寒さや暑さを我慢できなかったら,他の場所に避難しない限り,その場で倒れたりして大変なことになります。飢餓に耐えられない場合,拷問に耐えられない場合もそうです。屈辱や侮辱に耐えられない場合,自殺などの極端な選択をする可能性も否定できません。
・학정을 견디는 농민들〔圧政に耐える農民たち〕
・강추위를 견디다. 〔厳寒に耐える〕
・아내의 광신적 종교 활동을 견디다 못한 남편이 이혼 소송을 냈다.
〔妻の狂信的な宗教活動に耐えかねた夫が離婚訴訟を起こした〕
・그녀는 남편의 폭력을 견디다 못해 아이들을 데리고 친정으로 도망치고 말았다.
〔彼女は夫の暴力に耐えきれず,子供たちを連れて実家に逃げ帰ってしまった〕
・지도자의 독재를 견디다 못한 이웃 나라 시민들이 반란을 일으켰다.
〔隣国の市民たちは,指導者の独裁に耐えきれず,反乱を起こした〕

견디다の主体が人ではない場合はどうなのでしょうか。
・밧줄이 무게를 견디지 못하고 끊어졌다.〔ロープが重さに耐えられず,切れた〕
・가죽 제품이라 오래 견딘다.〔皮製品なので,長持ちする〕
・가뭄에 잘 견디는 벼 품종〔干ばつに強い米の品種〕
・추위에 잘 견디는 과실수〔寒さに強い果樹〕
비바람에 잘 견디는 덧문〔風雨によく耐える雨戸〕
・모진 고문을 견뎌낸 민주인사〔厳しい拷問に耐えた民主主義者〕

重さに堪えられない紐は切れてしまいます。高熱に耐えられない素材は溶けたり燃え尽きたり,荷重に耐えられない橋は崩れてしまいます。乾期に耐えられない農作物は枯れ,台風に耐えられない木は倒れたり,根こそぎ抜き取られたりしてしまいます。湿気に耐える力が弱い機械は錆びついて故障してしまいます。

この点から見ると,참지 못했을 경우は,大したことがない場合や,被害があったとしても短期間で終わることが多く,その結果もそれほど心配するようなものではありません。しかし,견디지 못했을 경우,は非常に深刻であり,余波も軽視できないものであり,場合によっては生存自体に深刻な脅威をもたらす可能性があります。

참다と견디다のもう一つの重要な違いは,時間の長さです。참다は一瞬で済みますが,견디다はそれなりの時間がかかります。言い換えると,참다の対象は,通常,個人の日常生活に関連するものですが,견디다の対象は,社会的に重要な意味を持つものであることが多いのです。つまり,참다は一時的で具体的な対象に,견디다は持続的で抽象的な対象によく合います。したがって“웃음을 견딘다”や“먹고 싶은 것을 견딘다”といったら,ぎこちなく聞こえます。また,「試練」,「時」,「暗黒時代」などの高度に抽象化されたものや比喩的な対象には,ほぼ例外なく견디다を使います。

対象によっては참다も견디다も使えるケースがあります。例えば,아픔や고통,더위,추위,수모,굴욕などです。참다は口語形で,견딘다は格式のある言い方です。よってこれらの言葉には,会話では참다が使われる傾向にあり,書き言葉では견딘다が使われる傾向にあります。
*수모〈受侮〉:侮辱

また,同じ対象に참다を使ったときと견딘다を使ったときでは,微妙な意味の違いがあります。よって“식민지 백성의 고통”や“실연의 아픔”のように,比較的長時間にわたって続く社会的,文化的な苦しみには,참다よりも견딘다がぴったりです。

참다と견딘다が引き起こす結果に応じて,両単語の使い分けをすることがあります。例えば,“아픔을 참지 못하고”の次には“소리를 질렀다”のような表現が,“아픔을 견디지 못하고”の次には“혼절을 하고 말았다(気絶してしまった)”のような表現がぴったりです。
*혼절〈昏絕〉:気絶

●まとめ
・참다
①主語は人に限られる。
②内部から生じた心理的衝動や生理的本能について使う。
③短い時間で行う。
④失敗しても特に害はない。

・견디다
①主語は人,生物,無生物など。
②外部から与えられた条件や状況について使う。
③比較的長い時間が必要。
④失敗すると深刻な被害を受ける

これはあくまでも一般的な傾向であり,すべての場合に当てはまるとは限りません。
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마음먹다と결심하다 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-09 | 言葉の使い方
今回もまたクイズからです。次のカッコの中の言葉のうち適当なのはどれでしょうか。
・오랜만에 마시는 술이니 한껏 마셔보리라 (결심했다・마음먹었다)
〔久しぶりに飲むお酒だから,思いっきり飲もうと決めた〕
・적적해하시는 할머니께나 가보기로 (결심하고・마음먹고) 길을 나섰다.
〔寂しがっているおばあちゃんに会いに行くことに決めて,出発した〕
・그는 한때 분쟁지역에 들어가 난민을 위해 평생 봉사할 것을 (결심하기도・마음먹기도) 했다.
〔彼はかつて紛争地域に入って難民のために一生奉仕することを決意したりもした〕
・저 두 사람은 서로 결혼하기로 (결심한・마음먹은) 사이다.
〔あの二人は結婚することを決めた者同士だ〕
・윤재는 이번 주말에 연준이나 한번 찾아가보기로 (결심했다・마음먹었다)
〔ユンジェは今週末にヨンジュンのところにでも行ってみようと思った〕

・오랜만에 마시는 술이니 한껏 마셔보리라 마음먹었다.
・적적해하시는 할머니께나 가보기로 결심하고 길을 나섰다.
・그는 한때 분쟁지역에 들어가 난민을 위해 평생 봉사할 것을 결심하기도 했다.
・저 두 사람은 서로 결혼하기로 결심한 사이다.
・윤재는 이번 주말에 연준이나 한번 찾아가보기로 마음먹었다)

①その場で思いついた軽い決意なので마음먹다が適しています。
②決意した上で行動に移すので결심먹다が適しています。
③「決意する」「意志を固める」の意味合いが強い결심먹다が適しています。
④「決意する」「意志を固める」の意味合いが強い결심먹다が適しています。
① ‘-해보다’には마음먹다が適しています。

何かと関連して意思や態度を決めるときに使う言葉として,‘마음먹다’ ‘결심하다’ ‘결정하다’ ‘작정하다’ ‘작심하다’などがありますが,その中で‘마음먹다’ ‘결심하다’が最もよく使われます。

“동생은 모처럼 푹 쉬기로 마음먹고 여행을 떠났다.”〔弟は久しぶりにゆっくり休むことに決めて旅行に出かけた〕

このように‘마음먹다’ は,気分によって軽く考えてすぐに行動に移せる仕事に適しています。日常生活で,ちょっとした行動をしたり,気まぐれで何かをしようとしたりする程度であれば,‘마음먹다’を使うのが自然です。例えば,“날씨도 풀리고 해서 소풍을 가려고 마음먹었다.”〔天気も暖かくなってきたので,ピクニックに行こうと決めた〕とか“더 나이 들기 전에 금발로 염색이나 한번 해보자고 마음먹었어요.”〔年をとる前に,金髪に染めてみようと決めました〕のような場合に‘결심하다’を使うと,まわりの人から笑われるでしょう。‘즉석에서’ ‘한번’ ‘대충’など,計画なしに実行したり,試してみたりする,軽い心理状態を表す表現と‘결심하다’を使うと,ちょっとアンバランスです。

‘결심하다’と‘마음먹다’は,多くの場合交換可能ですが,‘결심하다’には‘마음먹다’よりも強い意志が加わっています。意志の強さで比較すると,‘결심하다’は‘단단히 마음먹다’ ‘굳게 마음먹다’ ‘무슨 일이 있어도 해내기로 마음먹다’ということになるでしょう。

“야근을 하기로 마음먹었다” “담배를 끊기로 마음먹었다”などの表現も可能ですが,‘마음먹다’を‘결심하다’に変えると,より強く,断固とした印象を与えることができます。ですから何か大きな目標や夢を達成するために,強い決意や覚悟を固める場合は,‘결심하다’を使うとよいでしょう。‘결심하다’には,また断固とした態度,はっきりとした目標意識,どんなことがあってもやり遂げる気持ちが含まれています。

‘결심하다’は,また“그는 마라톤에 인생의 승부를 걸겠다고 결심했다.”“납치된 사람이 귀국할 때까지 기다리기로 결심했다.”“그들은 분쟁지역의 의료지원 사업에 일생을 바치기로 결심했다.”といったように実現が困難であったり,実践が難しく,長い時間を要する傾向があるような事柄に対しても使われます。

さらに,‘마음먹다’と‘결심하다’は,文を作る方法にも少し違いがあります。‘마음먹다’は名詞を目的語として取るよりも,굳게,단단히,모질게」などの副詞と組み合わせる方が多いです。ですから,취직을 결심하다とは言えますが,취직을 마음먹다とは言えません。
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‘옷을 입다’と‘옷을 걸치다’ (おもしろ語彙の世界)

2023-12-09 | 言葉の使い方
まず簡単なクイズからやってみましょう。次のカッコの中の適当な語を選んでください。
・조금 추워서 코트를 어깨에 (입어서・걸쳐서) 나갔다. 
〔ちょっと寒かったのでコートを肩にひっかけて外出した〕
・임금님은 실오리 하나 (입지・걸치지)않은 부끄러운 모습으로 민중 앞에 나타났다.
〔王様は一糸まとわぬ,あられもない姿で民衆の前に現れた〕
・동생이 교복 상의를 아무렇게나 (입은・걸친) 모습으로 학교에 갔다.
〔弟は制服の上着をだらしなく引っかけて学校に行った〕
・왕자 역할을 맡은 남자아이가 중동 지방의 긴 전통 의상을 (입고・걸치고) 등장했다.
〔王子の役を演じる男の子が中東の長い伝統衣装を着て登場した〕

‘옷을 입다’と‘옷을 걸치다’は,どちらも「服を着る」という意味ですが,ニュアンスが異なります。
‘입다’は,シャツやズボンなど,腕や足を入れる,ボタンやファスナーをかけるなどある程度の注意と時間が必要で,手間がかかる衣服に使われます。
‘걸치다’は,前開きのベストやジャケット,カーディガンなど,腕や足を入れる手間がそれほどかからない服などに使われます。長い服などにも‘걸치다’が使われます。
つまり,‘옷을 입다’は,服を着る動作そのものに対する表現であり,‘옷을 걸치다’は,服を着る動作の難易度に対する表現であると言えます。

服装がきちんとしているかどうかも重要な基準になります。ボタンをきちんと留めてファスナーを上げたら‘입다’と言えますが,そうでない場合は‘걸치다’と言う方が自然です。
同様の理由で,古代ローマ人が着ていた「ローブ」や中東の人が着ていた「クフタン」のように,ボタンやファスナーがなく長く伸びる服は‘입다’よりも‘걸치다’がより自然です。長い冬のコートも同様です。

具体的には,次の3つの基準が挙げられます。
長さ:長い服には‘걸치다’
着脱のしやすさ:着脱しやすい服は‘‘걸치다’
服装のきちんとさ:きちんとした服装は‘입다’

“한잔 걸치다”という表現があります。「軽く一杯ひっかける」という意味です。
このことからもわかるように‘걸치다’は「ひっかける」「羽織る」という意味です。
“의자에 엉덩이를 걸치다” という表現もあります。「椅子に腰かける」という意味です。
背もたれに背中を預けて尻を深く突き出して体全体を支えるのではなく椅子の端に軽く座った姿です。
‘걸치다’は“옷을 옷걸이에 걸다.(服をハンガーにかける)というときの‘걸다’から派生した言葉です。

クイズの答え
・조금 추워서 코트를 어깨에 걸쳐서 나갔다. 
・임금님은 실오리 하나 걸치지 않은 부끄러운 모습으로 민중 앞에 나타났다.
・동생이 교복 상의를 아무렇게나 걸친 모습으로 학교에 갔다.
・왕자 역할을 맡은 남자아이가 중동 지방의 긴 전통 의상을 걸치고 등장했다.
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끝내다と마치다 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-09 | 言葉の使い方
끝내다と마치다は,両方とも「終える」と訳せますが,どう違うのでしょうか。次のクイズをやってみましょう。適当な語はどちらでしょうか。答えは文末に

・초대면의 인사를(마쳤다・끝냈다).
〔初対面のあいさつをすませた〕

・일을 내일 안으로(마치세요・끝내세요).
〔仕事を明日のうちにすませてください〕

・임무를(마치고・끝내고)귀국하였다.
〔任務を終えて帰国した〕

・이것으로 오늘 강의를(마치겠습니다・끝내겠습니다.)
〔これで今日の講義を終わります〕

・선생님은 어머니가 위독하다는 소식을 듣고 수업을 중도에(끝내고・마치고) 병원으로 달려갔다.
〔先生は,母親が危篤だという知らせを受け,授業を途中で終えて病院に向かった〕

끝내다:意志を持って終わりにする。予定通りに終わりにする。
마치다:自然に,または必然的に終わる。予定通りに終わりになる。

‘끝내다’は「終わらせる」という意味で,‘마치다’は「仕上げる」という意味です。意志が及ぶものには‘끝내다’が,そうでないものには‘마치다’が適切です。‘마치다’は,本質的に自分の意志通りにならないこと,どんなに頑張っても力が及ばないことに使われます。

●일생을 ‘끝낼’ 수는 없다
世界で自分の意のままに生まれて死ぬ人はほとんどいません。このように人間として避けられない生老病死に関することには‘마치다’が使われます。
・일생을 마치다
・여생을 마치다
・생애를 마치다
・세상을 마치다
*これはあくまでも一般論です。例えば,自殺によって自らの命を絶つことも,ある意味では안생을 끝내다と言えます。

自然だけでなく,社会生活の領域でも,外部から与えられたために自分の意志が通じない仕事には‘마치다’を使います。期間や過程が定められた制度としての学業,学部(学士,修士,博士など)の過程,学期,任期,軍務,研修,任務などがその例です。

●사업이나 장사를‘마칠’수는 없다
一日間の商売や三年間の事業のように,一定の期間を定めた場合は,時間の経過に伴って自然に終了する仕事なので,‘마치다’という言葉を使うことはあるでしょうが,ふつう最初から自分で意図と目的を持って始めた事業や商売には‘마치다’は使えません。

●끝내다は,無理やり終わらせること
고행(苦行),단식(断食),고문(拷問),점령(占領),통치(統治)など,明確な政治的,社会的意図から始まった仕事は,より強い意志や強制力で終わらざるを得ません。끝내다は,ある仕事やプロセスが完了したり終了したりしなくても,その仕事をやめることを指します。学業,修練,余生のように,途中で辞めること自体が不自然なものには‘끝내다’は使われません。
‘끝내다’は自分の意志で何かを終わらせることを意味します。そのため,‘마치다’と異なり,‘끝내다’ はある仕事やプロセスが途中で中断してが使えます。
‘마치다’が従順で消極的ならば,‘끝내다’には能動的で積極的なニュアンスが込められています。
一方,‘마치다’は,ある仕事やプロセスを最後まで完了したり,通過したりして,これ以上やらなければならないことがなくなったことを意味します。そのため,学業,修行,余生など,途中で中断することが不自然だったり,仕事の性質上,最高の段階や完了を前提とすることが難しいようなことには,‘끝내다’はあまり使われません。

마치다:自然に,または必然的に終わること。
끝내다:自分で,または誰かに強制的に終わらせること。

이야기(話),협상(交渉),경기(試合),공사(工事),회의(会議),용무(用事),결혼식(結婚式),화장(化粧),인터뷰(面接),여행(旅行) などは,すべて‘끝내다’も‘마치다’も使えます。

ただし,最後までやり遂げずに途中で意志を発動して止めた場合,‘끝내다’であり,最初から最後まで予定通りすべて実行した場合は‘마치다’です。

このように見ると,‘마치다’は予定通りに正常な結末を迎えることであり,‘끝내다’は予定になく突然意志を出して急激に終了を強要することです。したがって,‘적당히 끝내다’は可能でも‘적당히 마치다’とはいえません。

“하던 일 끝내고 나 좀 거들어요.” は,今すぐ仕事を途中で中断しても,私のほうを先に手伝ってほしいという言い方です。これに対して“하던 일 마치고 나 좀 거들어요.”は,やっていたことを終えてから私のほうを手伝ってほしいという意味になります。

しかし,日常会話では‘끝내다’と‘마치다’が,ごちゃ混ぜに使われます。それは,‘끝내다’が口語として威勢を振るっている一方で,‘마치다’は文語や格式ばった口語として後退しているためです。そのため,‘마치다’の方がふさわしい場所でも,‘끝내다’が入り込んできます。例えば,수속(手続き), 채비(準備), 숙제(宿題), 일(仕事)などの場合,よく考えてみれば‘마치다’と相性が良いのですが,日常的な会話では‘끝내다’を使うことが多くなっています。

‘마치다’は,自然に終わりを迎えることです。一方,‘끝내다’は,力を入れて無理やりに終わりをつけることです。そのため,仕事の性質が否定的である場合に‘끝내다’が使われる傾向があります。

例えば,대장정〈大長程〉(長い道のり),편찬(編纂), 모임(会合), 선거(選出), 대학(大学), 설명회(説明会), 비행(飛行), 예배(礼拝), 여정(旅)など,‘마치다’と相性の良い言葉は,一般的に肯定的な意味合いを含んでいます。
一方,집착(執着), 복수(復讐), 싸움(争い), 분열(分裂), 방황(放浪)などは,終わらせなければいけないものであり,否定的な意味合いを含んでいますので‘끝내다’の方がふさわしいでしょう。

また,本来は終わらせるのが自然ではないか,難しいことを無理やり終わらせる場合も,‘끝내다’を使います。例えば,‘관계를 끝내다’という表現は,本来は終わらせたくない関係を,無理やり終わらせることを意味します。

使われる副詞をみるとこの違いが明確にわかります。例えば,대충, 곧, 빨리, 갑자기, 한번에, 강제로, 단칼에, 서둘러, 도중에などは‘끝내다’と相性が良い一方,순조롭게, 성황리에, 무사히, 성공적으로などは‘마치다’と相性が良いです。

*とても良いものや,すごいものに感嘆するときに,俗語で“끝내준다!”と言いますが,これはこれ以上ないほど良い状態,行き着くところまでいった果てという意味です。

‘끝내다’も‘마치다’も一定の過程を前提としています。例えば,일생(一生)には‘마치다’が使えますが,인생(人生)には‘마치다’も‘끝내다’も使えません。なぜなら,一生は最初から最後までの過程を意味しますが,人生は過程の概念というよりも,人生そのものを指しているからです。このように,私たちのまわりには ‘끝내다’も‘마치다’も使えないものがあります。例えば,人間の意志がまったく介入する余地がない,自然に起こって自然に終わる自然の領域などです。

まとめ
끝내다:積極的な意志や意図が働く・途中で止められる・否定的なことに使われることもある・時間の重要性がある
마치다:積極的な意志や意図が働かない・途中で止められない・肯定的なことに使われる・努力の重要性の重要性がある

クイズの答え
・초대면의 인사를(마쳤다).
・일을 내일 안으로(마치세요).  
・임무를(마치고)귀국하였다.
・이것으로 오늘 강의를(마치겠습니다).
・선생님은 어머니가 위독하다는 소식을 듣고 수업을 중도에(끝내고) 병원으로 달려갔다.

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기쁘다と 즐겁다 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-08 | 言葉の使い方
まず次の問題を解いてみましょう。
1. 청운의 꿈을 펼치고자 멀리 대도시로 떠났던 아들이 마침내 변변한 직장에 자리를 잡고 나서 시골에 있는 아버지에게 편지를 썼다. 괄호 안의 두 낱말 중 문맥에 더 어울리는 것을 고르면?
“마음 맞는 사람들과 함께 제가 좋아하는 일을 하게 되어서 하루하루가(기쁩니다・ 즐겁습니다).”

‘기쁘다’は,喜びや満足などの感情を表す単語です。しかし,この文脈では,息子は単に自分の仕事に満足しているだけでなく,自分の夢を叶えることができて,心から喜んでいるというニュアンスがあります。そのため,‘즐겁다’(즐겁습니다)という,より強い喜びや満足を表す単語がより適切です。

2. 이번엔 아버지가 답장을 썼다. 괄호 안에서 더 자연스러운 말을 고르면?
“네가 새 직장에 만족한다니 애비도 (기쁘기・즐겁기) 한량없구나.”

この文脈では,父親は息子の幸せを心から喜んでいるというニュアンスがあります。そのため,より強い喜びを表す‘기쁘다’(기쁘기)がより自然です。

3. 초등학교 선생님이 자기 반 아이들에게 전입생을 소개하는 장면이다. 두 낱말 중에서 문맥에 더 어울리는 것은?
“여러분, 이번에 새로 전학 온 친구를 (기쁜・즐거운) 마음으로 맞아주세요.

この文脈では,先生は,新しく転校してきた友達を歓迎し,仲良くしてあげたいという気持ちを伝えています。そのため,より強い喜びや期待を表す‘기쁘다’(기쁜)がより適切です。

기쁘다は,心の奥底から湧き上がる喜びや満足を表す言葉です。そのため,突然の幸運や,思いがけない出来事に遭遇したときに使われることが多く,その喜びや満足が強いときに使われます。
・시험에 합격해서 기쁘다.
・결혼해서 기쁘다.
・아이를 낳아서 기쁘다.
・오랜만에 친구를 만나서 기쁘다.

즐거움は,心身が充実した状態を表す言葉です。そのため,日常生活の中で,何か楽しいことや,心地よいことを経験したときに使われることが多く,その喜びや満足が持続的なときに使われます。
・맛있는 음식을 먹어서 즐겁다.
・친구들과 함께 시간을 보내서 즐겁다.
・여행을 가서 즐겁다.
・취미 생활을 해서 즐겁다.

기쁘다と즐거움の違いを理解するためには,즐거움のキーワードである「持続性」に注目することが大切です。
즐거움とよく組み合わせる言葉には,여행,소풍,하루,생활,한때などがあります。これらの言葉は,どれも短時間で終わるのではなく,ある程度の時間にわたって続く性質を持っています。
また,노는や지내는などの動詞も,ある程度の時間(あるいは期間)にわたって行われるものです。
さらに,여름휴가や하루 종일も,短時間で終わるのではなく,ある程度の時間にわたる出来事を表しています。
このように,즐거움は,心身が充実した状態を表す言葉であると同時に,その状態が持続する性質を持っていると言えます。

まとめ
기쁘다と즐거움は,どちらも喜びや満足を表す言葉ですが,その使い方には大きな違いがあります。
기쁘다は,心の奥底から湧き上がる喜びや満足を表す言葉で,その喜びや満足が強いときに使われます。一方,즐거움は,心身が充実した状態を表す言葉で,その状態が持続する性質を持っています。
기쁘다とよく組み合わせる言葉には,마음,얼굴(표정) ,일,소식,선물」새 친구,새식구などがあります。これらの言葉は,どれも短時間で終わる出来事や状態を表しています。

마음は,一日にも何度も変化するものです。そのため,기쁘다と組み合わせて使われるときは,その喜びや満足が強いときに使われます。
얼굴(표정)も,瞬時に変化するものです。そのため,기쁘다と組み合わせて使われるときは,その喜びや満足が強いときに使われます。
일や소식も,短時間で終わる出来事や状態を表しています。そのため,기쁘다と組み合わせて使われるときは,その喜びや満足が強いときに使われます。
선물も,一瞬で喜びや満足をもたらすものです。そのため기쁘다と組み合わせて使われるときは,その喜びや満足が強いときに使われます。

“기뻐서 날띈다” “너무 기뻐서 눈물이 난다”などの表現は,喜びの感情が瞬間的であることを実感させてくれる一方で,喜びは非常に激しい感情であることをよく示しています。

一方 ‘즐거움’は,30分から一日,一ヶ月,一年から長い場合では一生に至るまで,その時間の平均値は「喜び」と比べて比較にならないほど長く,そのため感情の濃度は薄くなります。

また‘기쁨’と‘즐거움’の違いは,その源泉が異なることにあります。‘기쁨’は,外部からやってくる刺激に反応して生まれる感情です。そのため,その刺激がなくなることで,‘기쁨’も消えてしまいます。一方,‘즐거움’は,内面から自ら作り出す感情です。そのため,外部からの刺激に左右されず,自らの意志によっていつまでも続けることができるのです。

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剝くのは「껍질」か「껍데기」か? (おもしろ語彙の世界)

2023-12-05 | 言葉の使い方
‘껍질’は,主に柔らかい殻や皮を指す場合に使われる。例えば,リンゴ.ミカンなどの果物の皮,ジャガイモ,玉ねぎなどの野菜の皮,人の肌などである。中身と密着しているため取り外しが容易ではなく,そのため剥がれた‘껍질’には中身と一部が付着していることが多い。

‘껍데기’は,主に固くて硬い殻や皮を指す場合に使われる。例えば,卵の殻,貝殻,カボチャの皮,栗の皮など中身のないものである。また‘껍데기’は,ふとんカバーとか,本のカバーなどの無生物にも使われる。
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「果物」はなぜ‘과실’ではなく‘과일’というのか? (おもしろ語彙の世界)

2023-12-04 | 言葉の使い方
‘과일’, ‘과실’, ‘열매’を区別する基準は,食べることができるかどうかである。‘과일’に含まれるものはすべて食べることができる。

‘과실’は,本来は과일と同義だったが,現在では‘과일’に一部‘실과’(木の実)を加えたものである。たとえば,栗(밤), クルミ (호두), 松の実(잣), 銀杏(은행)などは‘과실’といい‘과일’とは言わない。果肉を食べないからである。‘과실’は,薬やお茶などの材料にもなる。

一方,‘열매’は植物が結ぶすべての種類の結実を指す。したがって,食べられないものや食べないものも多い。‘열매’は“이 책은 저자들의 인내와 노력의 열매다(この本は著者の忍耐と努力のたまものだ)”,“그 실험은 숱한 시행착오 끝에 열매를 맺었다(その実験は数々の試行錯誤の末に結実した)”のように比喩としてもよく使われる。

味も区別の基準になる。一般的に ‘과일’は水分が多く,甘味や酸味があり,香りが良い。そのため,スイカ(참외)やトマト(토마토)なども‘과일’の仲間に入る。
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中は「속」か「안」か (おもしろ語彙の世界)

2023-12-04 | 言葉の使い方
例えば,「括弧の中に適切な言葉を入れなさい」という文章を韓国語に直したときに次の(A)(B)どちらがいいだろうか。
(A)괄호 속에 알맞은 말을 넣으시오.
(B)괄호 안에 알맞은 말을 넣으시오.

また「車がトンネルの中に閉じ込められた」は(A)(B)どちらがいいだろうか。
(A)차가 터널 속에 갇혔다.
(B)차가 터널 안에 갇혔다.

「괄호 안(B)」「터널 안(B)」の方が自然に感じられる。これは1次元と2次元での内部は「안」, 3次元空間の内部は「속」が一般的だからである。

まず,1次元の場合について見てみよう。上記で例示した「括弧」は,文という1次元の線として抽象化できる物体の一部であるため,「속」よりも「안」が自然である。また,「トンネル」のケースも,1次元で象徴できる道路の一部であるため,「안」がより適している。

「100미터 안(100メートル以内)」や「50킬로미터 안(50キロメートル以内)」などの表現も,距離という一次元の対象に用いられたものであるし,「사흘 안(3日以内)」「10년 안(10年以内)」などの表現も,時間を一次元の線上で流れるものと考える一般的な認識から生まれたものである。

また二次元の場合についても「네모 안(四角の中)」「동그라미 안(丸の中)」「테두리 안(境界の中)」「울타리 안(柵内の中)」などの表現が最も自然である。「窓枠」も,境界がある2次元の平面であるため「창틀 안」と言うのが自然である。

一方,「사과 속(りんごの中)」「호박 속(カボチャの中)」「바다 속(海中)」「뱃속(腹の中)」「땅속(地中)」「물속(水中)」など3次元の物体には「속」が違和感なく使われる。ほじくって中を見るものは「속」と覚えておけばいい。

(A)下水道の中に大きなネズミが住んでいた。
하수구(안・속)에 큰 쥐가 살고 있었다.

(B)ネズミが人の気配に驚いて鞄の中に隠れた。
쥐가 사람의 기척에 놀라서 가방(안・속)에 숨었다.

*答えはコメント欄に書いてください。回答があった場合には正解をお知らせします
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