上級韓国語 - ちょんげぐりの世界

韓国語の勉強もそろそろビジネスクラスへ乗り換えましょう。上級韓国語をめざして,古狸案先生の授業は随時更新中です。

다と모두の使い分け(おもしろ語彙の世界)

2023-12-28 | 似たようなことばの使い分け
皿に半分ほど入った水を指しながら“지금 물이 얼마나 있는 것 같습니까?”と尋ねる簡単な心理テストがあります。この質問に水が“반이나 남았다”と答えるほうを肯定的な思考様式,そして“반밖에 안 남았다”と答えるほうを否定的な思考様式であると診断します。 

目の前に置かれた対象は同じなのに,心理状態によって正反対の反応を示す事象は数多くあります。人間が物事を認識する過程自体が主観性から逃れることができないためです。例えば,教室をいっぱいに埋めた子どもたちを見て,子どもたちが一人ずつ抜けていくことを考える人もいれば,からっぽだった教室に子どもたちが一人ずつ入ってきて賑やかになった過程を思い出す人もいます。

다と모두は,どちらも「あるもののすべて」を指す点では同じですが,上記で述べた二つの対立する思考様式を反映しています。다は다하다から派生した言葉であり,모두は모으다から分かれた言葉です。このような語源からわかるように,基本的に다は全体が,消耗してなくなってしまう状態を想定しているのに対し,모두は一つ一つが集まって全体を形作っていく状態を前提としています。

・코로나 19로 마을 사람들이 다 죽었다.
〔コロナで村中の人はみんな死んだ〕
・삼둥이가 태어났다는 소식을 듣고 마을 사람들이 모두가 모여서 축제를 열었다.
〔三つ子が生まれたというので,村のみんなが集まってお祭りをした〕

もう一度考えてみましょう。
A:사과를 다 먹었다.
B:사과를 모두 먹었다.

Aの사과를 다 먹었다は,リンゴ1個を丸ごと食べた場合と,あったリンゴを全部食べきった場合の両方を指すことができます。一方,Bの사과를 모두 먹었다は,リンゴを複数個,1個も残さずに食べたという意味だけを持ちます。

このように,다 먹었다は,リンゴの個数や,食べた人や食べた人の数に関係なく,食べきったという意味を表すことができます。一方,모두 먹었다は,リンゴの個数が複数の場合にのみ使用され,1個も残さずに食べたという意味で,より具体的な情報を提供します。

つまり,다が1つのものの全体を指すのに対し,모두は複数のものを1つずつ欠けることなく指すという点で大きな違いがあります(もちろん例外もありますが)。

다: 一つのものの全部
모두: 多くのものの集まりのすべて

次の例を見てください。다と모두,どちらが使えるでしょうか。
C:하고 싶은 건 [다・모두] 해봤어.
〔やりたいことは全てやった〕
D:목숨이 있는 것은 [다・모두] 죽게 되어 있다. 
〔生きとし生けるものはすべて死ぬ運命にある〕

この2つの例文では,다と모두は,いくらでも入れ替えて使えます。

E:이 방은 창문이 [다・모두]닫혀 있다.
〔この部屋の窓は全て閉まっている〕
F:이 방은 창문이 [다・모두]다섯 개다.
〔この部屋は窓が全部で5つです〕

Eは다と모두の両方が使えますが,Fは모두しか使えません。その理由は,다は数えられるものと数えられないものに幅広く使われるのに対し,모두は一つ一つ数えられるものにのみ使われるからです。

ですから모두は,液体や気体などの物質名詞や,愛,平和,最善などの抽象名詞には使えません。“사랑을 다 주었다.”は自然な表現ですが“사랑을 모두 주었다.”はぎこちなく聞こえます。

ただ抽象名詞の中でも希望,望み,夢などはひとつの場合もありますし,いくつか持っている場合もありますので,これらの場合は다も모두も使えます。

・컵에 든 물을 다 마셨다. (○)
・컵에 든 물을 모두 마셨다. (?)
〔コップに入った水を飲み干した〕

・사랑을 다 주었다. (○)
・사랑을 모두 주었다. (?)
〔愛をすべてささげた〕

また,賭博やギャンブのときに“돈을 다 걸었다.”という表現は自然ですが,“돈을 모두 걸었다.”は不自然です。しかし“만 원짜리 열 장을 모두 걸었다.”のように言えば,紙幣は数えられるので自然な表現になります。

・돈을 다 걸었다. (○)
・돈을 모두 걸었다. (?)
〔金をすべて賭けた〕

・만 원짜리 열 장을 다 걸었다. (○)
・만 원짜리 열 장을 모두 걸었다. (○)
〔1万ウォン札を10枚すべて賭けた〕

・어린 시절의 꿈은 다 이루어졌다. (○)
・어린 시절의 꿈은 모두 이루어졌다. (○)
〔子どものころの夢は全て叶えられた〕

一方,仕事の進行や過程が最後の段階や状態に達したことを示す場合は,다を使います。たとえば,“다 된 죽에 코 빠졌다.”という諺を知っていますか。直訳すると「できたおかゆに鼻水が落ちた」ですが,「ほとんど完成というところで,ちょっとしたことでそれを台無しにしてしまう」ことを比喩的に言ったものです。この場合の다は거의と同じ意味を持ちます。

このように,物事の進行や過程が最後の段階や状態に至ったことを示す時には,거의(ほとんど),대부분(大部分)と言う意味で다を使います。またこの다には완전히(すっかり),끝까지(終わりまで)という意味もありますから,여름이 벌써 다 지나갔어요. というと「夏もすっかり過ぎました」,어학 연수를 다 마쳤어요. というと「語学研修を(最後まで)終えました」という意味になります。「もう着きましたよ」というときも거의 다 왔어요.といいますよね。

・작년에 심은 나무가 벌써 이렇게 다 자랐다.
〔去年植えた木がもうこんなに大きくなった〕
・이대로 전쟁이 계속된다면 그 지역 사람들은 다 죽어간다.
〔このまま戦争が続けばその地域の人はすべて死んでいく〕
・아무것도 하지 못한 채 청춘이 다 지나갔다.
〔何もしないうちに,青春は通り過ぎてしまった〕
・미국에서의 학업을 다 마치고 내년 9월에 귀국한다.
〔アメリカでの学業をほとんど終え,来年9月に帰国する〕
*性質の異なる過程を複数こなしていれば,모두が使える。

다を名詞として使うとこんな言い方も出来ます。
・내가 가진 건 이게 다예요.
〔ぼくが持っている物はこれがすべてです〕
・얼굴만 예쁘면 다냐? 〔顔さえよければいいのか〕
・시험 성적이 다는 아니지요.
〔試験の成績がすべてではないでしょう〕
・돈이면 다라고 생각하는 세상이다.
〔金さえあれば何でもできると考える世の中だ〕
・마음이 떠나고 나면 그걸로 다지.
〔心が離れてしまえばそれで終わりだ〕

모두は,もともと副詞としてしか使われませんでした。しかし,いつの頃からか모두に助詞をつけて名詞のように使う現象が起こりました。このような現象を反映して,今では모두を副詞であると同時に名詞として認める辞書もあります。

・여러분 모두가 건강하시기를 빕니다.
〔皆さんすべてが健康でありますように〕
・담임 선생은 우리 모두를 비난했다.
〔担任の先生は私たちみんなを非難した〕
・환경오염은 우리 모두의 책임이다.
〔環境汚染は私たちみんなの責任だ〕
・회사는 이번 프로젝트에 참여한 모든 직원에게 노력상을 주었다.
〔会社は今回のプロジェクトに参加したすべての社員に努力賞を与えた〕

しかし,韓国語話者の会話では모두は,ほとんど副詞としてしか使われず,上の例文のように名詞として使われるケースはほとんどありません。모두を名詞として使うことは,文法的には正しいですが,口語では自然ではないと判断する人もいます。

다を,過去形を表す語の前に置くと,実現できない未来の出来事を逆説的に強調することができます。次の例を見てください。

・간식을 그렇게 먹어댔으니 밥은 다 먹었다.
〔おやつを食べすぎて,もうご飯を食べる気がしない〕
・비가 이렇게 억수같이 쏟아지니 길은 다 떠났다.
〔雨がこんなにザーザー降るから,道は完全にぬかるんでしまった〕

また,不快な思いをしたり,驚いたり,予期せぬことが起こったときに다を使うと,かなり効果的です。“뭐 이런 놈이 있어?”と言ってもいいですが,“뭐 이런 놈이 다 있어?”と言うと,非常識な人に対する驚き,呆然,怒りなどの感情が一段と際立ちます。

・이렇게 먼 곳엘 다 오시다니…….
〔こんな遠いところまで来てくださるなんて〕
・별 말씀을 다 하십니다.
〔そんなことおっしゃらずに〕

ところで모두よりも다の発音が簡単なため,다は口語で,모두は文語で使用される傾向があり,다よりも모두は格式ばった印象があります。かしこまった場面では모두を,カジュアルな場面では다を使うのが一般的です。

しかし, 2つの単語はまったく同じ感覚で聞こえるわけではありません。 “내가 가진 건 다 너 줄게.”と言うと,所有物だけでなく,愛情のような内面的な部分まで残らず与えるという意味に聞こえますが,“내가 가진 건 모두 너 줄게.” と言うと,目に見える物に重点を置いているような印象があります。

では最後に練習問題をやって,今日の授業は終わりましょう。
正しいのはどれですか。
①하고 싶은 일은 죽기 전에 (다・모두) 해놓아야 한다.
〔やりたいことは,死ぬまでに全部やっておくべきだ〕
②네가 갖고 싶어하는 건 (다・모두) 줄게.
〔きみが欲しいものは全部あげるよ〕
③이것저것 (다・모두) 해서 한 달에 100만원 받는다.
〔いろいろなことをして,月に100万ウォン受け取る〕
④사람이 (다・모두) 죽어가는 마당에 웬 한가한 소리냐.
〔人がみんな死んでいくときに,何をのんびりしているんだ〕
⑤너른 마당이 널어놓은 빨래로 (다・모두) 덮였다.
〔広い庭が,干してある洗濯物で全部いっぱいになった〕

答えは①は(다・모두)の両方,②③④⑤は다です。

MEMO
몽땅,모조리,깡그리は「全部」「すべて」「まるっきり」「すっかり」に相当する言葉です。몽땅と모조리は,다や모두よりも,すべてというニュアンスをより強く表す副詞です。これよりもさらに強い言葉として,最悪の結果を意味する깡그리があります。

・도둑이 가게의 물건을 몽땅 가져갔다.
〔泥棒が店の物を根こそぎ持っていった〕
・정전으로 수조의 열대어가 몽땅 죽어버렸다.
〔停電で水槽の熱帯魚が全部死んでしまった〕

・최근의 화재로 시의 중심부가 모조리 불타버렸다.
〔このあいだの大火で,町の中心部はすっかり燃えてしまった〕
・할머니는 사기꾼에게 재산을 모조리 빼앗겼다.
〔おばあさんは,詐欺師に財産をすっかり奪われた〕

・큰 물이 살림을 깡그리 쓸어가고 말았다
〔洪水で家財道具が何もかも流されてしまった〕
삼촌은 선물 시장에 손을 댔다가 재산을 깡그리 날려버렸다.
〔おじさんは先物相場に手を出してすっかり財産をなくしてしまった〕
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반죽이 좋다と변죽을 울리나(おもしろ語彙の世界)

2023-12-22 | 似たようなことばの使い分け
반죽は,粉に水を加えて練って置いたもの,つまりパンやピザ,うどん,そばなどの生地のことです。そして‘반죽이 좋다’と言うと,「生地がいい」という意味ではなく,「図々しい性格をしている」「大胆で無遠慮だ」という意味になります。

しかし,ネットを見てみると‘변죽이 좋다’ ‘번죽이 좋다’のように間違った表現が散見されますが,これには原因があります。その前に次の話を

最近,「文春砲」が話題になっています。「文春砲」というのは,週刊文春がすっぱ抜いた事件記事の俗語ですが,過去に「ジャニーズ事件」を執拗に取り上げたときには,日本のマスコミは,だれも追従せず,事件の真相を明らかにしないまま,報道が中途半端で終わってしまっていました。

このように,社会的に大きな話題を集めた事件の報道や捜査が,うやむやになって終わってしまう場合,新聞には“○○ 수사, 변죽만 울렸나.”のように‘변죽을 울린다’という表現がしばしば登場します。

변죽を辞書で引いてみると,「器・膳・チャング・太鼓などの縁」という説明が出ています。변죽の변は,漢字語の〈邊〉だということに気がつけば,理解が早いです。

・그 사람은 변죽만 울리고, 아무것도 구체적인 것은 말하지 않았다.
〔その人は適当に言うだけで,何も具体的なことは言わなかった〕
・변죽만 울리고 선거에 당선된 그 의원은 결국 아무런 성과도 거두지 못했다.
〔鳴り物入りで選挙に当選したその議員は,結局何の成果も上げられなかった〕
・국회의원 부인이 살인 사건에 연루된 혐의로 수사본부가 출범했지만 상층부의 압력으로 변죽만 울리고 말았다.
〔国会議員の妻が殺人事件にかかわった疑いで捜査本部が立ち上がったが,上層部の圧力で事件はうやむやになってしまった〕

‘변죽을 울리다’は,このように,はっきりとは言わず,遠回しに言う,物事の始めだけ盛り上げ,たいしたことをしない,物事の真相を隠して表面だけを飾るというような意味合いを持ちます。

最近では,“변죽만 울리는 이준석 신당 창당 언제 하나”という見出しを見つけました。日本語にうまく訳すとしたら「鳴り物入りの李俊錫の新党結成,いつになるのか」といったところでしょうか。

“변죽을 치면 복판이 운다.”という諺もあります。物の縁を叩くと,音が響いて中心まで届くという意味で,機転の利く人は,遠回しに言っても何を意味しているのかをすばやく理解するという意味です。

‘변죽을 울리다’と‘변죽을 치다’は,どちらも「大げさに言い立てるだけ」「空騒ぎをする」という意味の表現です。

冒頭でお話しした‘변죽이 좋다’ ‘번죽이 좋다’は,‘변죽을 울리다’に引きずられて誤記してしまった例です。

・변죽을 울리다
・반죽이 좋다’ 
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떨다と털다 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-16 | 似たようなことばの使い分け
떨다と털다は似たような言葉で,ものに付着している小さなものを揺すったり衝撃を与えたりして分離する行為ですが,その使い方は微妙に異なります。

담뱃재(タバコ)の灰には떨다が,먼지(ほこり)には털다が使われます。よって灰皿は재떨이で,ほこりを払うはたきは먼지떨이です。

떨다には「払い落す」「はたく」という意味がありますが,国立国語院の표준국어대사전には“달려 있거나 붙어 있는 것을 두드리거나 흔들어서 떼어 내다.”という解釈が載っています。つまり「ぶら下がったり付いたりしていた物」を叩いたりゆすったりして落とすと言うことです。

タバコの灰は,もともとタバコの一部でした。タバコを吸うと,タバコの燃焼によって灰になります。そのため,タバコの灰は元々存在していたものであり,タバコ本体から分離させる場合は,떨다を使います。

ほこりは,最初は存在しなかったもので,衣服や物に微細な粒子が付着したものです。ですから털다を使います。衣服などに付いたタバコの灰をはたき落とす場合には떨다ではなく털다を使います。

このように떨다には,全体から一部を減らすという意味があります。例えば,借金が10万1000ウォンあったのに,10万ウォンしか返済しなかった場合,“천 원을 떨고 빚을 갚았다.”と言えます。取引をする際に“수수료는 떨고 주시오.”と言ったら,渡すお金から手数料を取ってくださいということになります。

商人たちがよく使う떨이という言葉からも,この点はよくわかります。떨이は,その日売れ残った残りの商品(またはそれを売ること,つまり「落とす」こと)を指す語です。

ほこりは小さな粒子でできていて,衝撃を与えると空中に散らばって「飛び散り」ますが,タバコの灰は一定の体積と重さがあるので,下に「落ち」ます。よって細かい粒子でできたほこり,フケ,砂のようなものを取り除くときには털다を使いますが。どろや米粒のように,ある程度塊になったり形状をしたりしたものには떨다を使います。「털다は飛ばし,떨다は落とす」と覚えておくといいでしょう。どっちがどっちかわからなくなったら,떨は떨어자다(落ちる)の떨と覚えておけば大丈夫です。

먼지(ほこり),비듬(ふけ), 모래(砂)…털다(小さな粒子を空中に飛ばす)
진홁덩이(どろ),밥알(ご飯粒)…떨다(ある程度の重さや形状があるものを下に落とす)

털다は,おもに「付着している小さな粒子や汚れなどをはたき落とす」という意味で使われます。例えば,服についたほこりを落とすときは“옷을 털다”と言います。
・흙이 묻은 신발을 탈탈 털다
・먼지가 묻은 옷을 탈탈 털다
*탈탈は,何かを払うときに出る軽い音を表現する擬音語です。

・오랫동안 펴 놓은 이불을 털었다.〔長い間敷きっぱなしのふとんをはたいた〕
・털어서 먼지 안 나는 사람 없다.〔はたいてほこりの出ない人はない(まったくやましい所のない人はいない) 〕

털다には「自分が持っているものをすべて出す」という意味もあります。
・가진 돈을 털다〔有り金をはたく〕
・밑천을 털다〔元手を使い切る〕
・사재를 털다〔私財を投じる〕
・재산을 털다〔財産を失う〕
財産・お金などを「はたく」というときに‘호주머니를 털다’‘지갑을 털다’というように털다が使われます。‘비상금을 털어서 보석을 샀다’といえば,「へそくりをはたいて宝石を買った」といいます。また털다には,人の財産を奪うという意味もあります。빈집 털이は「空き巣ねらい」のことです。
・옆집에 도둑이 들어 몽땅 털어 갔다.〔隣の家に泥棒が入ってそっくりかっさらっていった〕

一方,떨다は「ぶら下がったり付いたりしていた物を叩いたり揺り動かしたりして落とす」という意味でも使われます。竿(さお)でクリをたたき落とすは “장대로 밤을 떨다”といいます。
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다と모두(おもしろ語彙の世界)

2023-12-15 | 似たようなことばの使い分け
まずクイズからです。(   )の語うち適当な語を選んでください。
①하고 싶은 일은 죽기 전에 (다・모두) 해봐라.
②네가 갖고 싶어하는 건 (다・모두) 줄게.
③이것저것 (다・모두) 해서 한 달에 100만원 받는다.
④사람이 (다・모두) 죽어가는 마당에 웬 한가한 소리냐.
⑤너른 마당이 널어놓은 빨래로 (다・모두) 덮였다.
答えは最後に

皿に半分ほど入った水を指しながら“지금 물이 얼마나 있는 것 같습니까?”と尋ねる簡単な心理テストがあります。この質問に水が“반이나 남았다”と答えるほうを肯定的な思考様式,そして“반밖에 안 남았다”と答えるほうを否定的な思考様式であると診断します。 

目の前に置かれた対象は同じなのに,心理状態によって正反対の反応を示す事象は数多くあります。人間が物事を認識する過程自体が主観性から逃れることができないためです。例えば,教室をいっぱいに埋めた子どもたちを見て,子どもたちが一人ずつ抜けていくことを考える人もいれば,からっぽだった教室に子どもたちが一人ずつ入ってきて賑やかになった過程を思い出す人もいます。

다と모두は,どちらも「あるもののすべて」を指す点では同じですが,上記で述べた二つの対立する思考様式を反映しています。다は다하다から派生した言葉であり,모두は모으다から分かれた言葉です。このような語源からわかるように,基本的に다は全体が,消耗してなくなってしまう状態を想定しているのに対し,모두は一つ一つが集まって全体を形作っていく状態を前提としています。

・코로나 19로 마을 사람들이 다 죽었다.
〔コロナで村中の人はみんな死んだ〕
・삼둥이가 태어났다는 소식을 듣고 마을 사람들이 모두가 모여서 축제를 열었다.
〔三つ子が生まれたというので,村のみんなが集まってお祭りをした〕

では,사과를 다 먹었다と사과를 모두 먹었다はどのように違うのでしょうか。사과를 다 먹었다は,リンゴ1個を丸ごと食べた場合と,あったリンゴを全部食べきった場合の両方を指すことができます。一方,사과를 모두 먹었다は,リンゴを複数個,1個も残さずに食べたという意味だけを持ちます。

このように,다 먹었다は,リンゴの個数や,食べた人や食べた人の数に関係なく,食べきったという意味を表すことができます。一方,모두 먹었다は,リンゴの個数が複数の場合にのみ使用され,1個も残さずに食べたという意味で,より具体的な情報を提供します。

つまり,다が1つのものの全体を指すのに対し,모두は複数のものを1つずつ欠けることなく指すという点で大きな違いがあります(もちろん例外もありますが)。

修学旅行に出発する日,教師が学生たちを集めて欠席者がいないか確認する場面を考えてみましょう。このとき,教師は“다 왔냐?”と言うこともあれば“모두 왔냐?”と言うこともあります。“다 왔냐?”と言うと,クラスの全員が出ている状況を頭の中に思い浮かべながら,欠席した人がいないか尋ねる印象があります。つまり,全員出席という望ましいかつ完全な状態に,何か欠陥が生じていないか心配する気持ちが先行します。
一方,“모두 왔냐?”と言った場合,何か問題があって欠席した人はいないか,つまり学生一人ひとりの安否を尋ねているという印象を与えます。

다は,全体の量や数を強調するニュアンスがあります。そのため,前述の例のように,欠席者がいないか確認するときには,全体の状態に焦点を当てていると言えます。一方,모두は,個々の存在を強調するニュアンスがあります。そのため,前述の例のように,欠席者がいないか確認するときには,個々の学生の状態に焦点を当てていると言えます。

・하고 싶은 건 다(○)・모두(○) 해봤어.
〔やりたいことは全てやった〕
・목숨이 있는 것은 다(○)・모두(○) 죽게 되어 있다. 
〔生きとし生けるものはすべて死ぬ運命にある〕

この2つの例文では,다と모두は,いくらでも入れ替えて使えます。しかし,다は数えられるものと数えられないものに幅広く使われるのに対し,모두は個別に数えられるものにしか使われないという決定的な違いがあります。

・이 방은 창문이 다(○)・모두(○) 닫혀 있다.
・이 방은 창문이 다(?)・모두(○) 다섯 개다.
〔この部屋の窓は全て閉まっている〕

また,液体や気体などの物質名詞や,愛,平和,最善などの抽象名詞には모두を使うことができません。“사랑을 다 주었다.”は自然な表現ですが“사랑을 모두 주었다.”はぎこちないく聞こえます。ただ抽象名詞の中でも希望,望み,夢などはひとつの場合もありますし,いくつか持っている場合もありますので,これらの場合は다も모두も使えます。

・컵에 든 물을 다 마셨다. (○)
・컵에 든 물을 모두 마셨다. (?)
〔コップに入った水を飲み干した〕

・사랑을 다 주었다. (○)
・사랑을 모두 주었다. (?)
〔愛をすべてささげた〕

また,賭博やギャンブのときに“돈을 다 걸었다.”という表現は自然ですが,“돈을 모두 걸었다.”は不自然です。しかし“만 원짜리 열 장을 모두 걸었다.”のように言えば,紙幣は数えられるので自然な表現になります。

・돈을 다 걸었다. (○)
・돈을 모두 걸었다. (?)
〔金をすべて賭けた〕

・만 원짜리 열 장을 다 걸었다. (○)
・만 원짜리 열 장을 모두 걸었다. (○)
〔1万ウォン札を10枚すべて賭けた〕

・어린 시절의 꿈은 다 이루어졌다. (○)
・어린 시절의 꿈은 모두 이루어졌다. (○)
〔子どものころの夢は全て叶えられた〕

一方,仕事の進行や過程が最後の段階や状態に達したことを示す場合は,다を使います。たとえば,“다 된 죽에 코 빠졌다.”という諺は,完成や完結を目前にしていた仕事が台無しになった状況を比喩したもので,この場合の다は거의と同じ意味を持ちます。

・거의 다 왔다.〔もうすぐ着く〕

・작년에 심은 나무가 벌써 이렇게 다 자랐다.
〔去年植えた木がもうこんなに大きくなった〕

・이대로 전쟁이 계속된다면 그 지역 사람들은 다 죽어간다.
〔このまま戦争が続けばその地域の人はすべて死んでいく〕

・아무것도 하지 못한 채 청춘이 다 지나갔다.
〔何もしないうちに,青春は通り過ぎてしまった〕

・미국에서의 학업을 다 마치고 내년 9월에 귀국한다.
〔アメリカでの学業をほとんど終え,来年9月に帰国する〕
*性質の異なる過程を複数こなしていれば,모두が使える。

것 다를 주었다”나 “밥상에 오른 것 다를 먹었다’처럼 목적어로 써도 사뭇 어색하다. 요컨대 명사 ‘다’는 서술어나 보어로 쓰일 때 가장 자연스럽다.

・내가 가진 건 이게 다다. 
〔ぼくが持っているものはこれが全部だ〕
・얼굴만 예쁘면 다냐?
〔顔がきれいならそれでいいのか〕
・돈이면 다라고 생각하는 세상이다.
〔金さえあれば何でもできると考える世の中だ〕
・마음이 떠나고 나면 그걸로 다지.
〔心が離れてしまえばそれで終わりだ〕

모두は,もともと副詞としてしか使われませんでした。しかし,いつの頃からか모두に助詞をつけて名詞のように使う現象が起こりました。このような現象を反映して,今では모두を副詞であると同時に名詞として認める辞書もあります。

・여러분 모두가 건강하시기를 빕니다.
〔皆さんすべてが健康でありますように〕
・담임 선생은 우리 모두를 비난했다.
〔担任の先生は私たちみんなを非難した〕
・환경오염은 우리 모두의 책임이다.
〔環境汚染は私たちみんなの責任だ〕
・회사는 이번 프로젝트에 참여한 모든 직원에게 노력상을 주었다.
〔会社は今回のプロジェクトに参加したすべての社員に努力賞を与えた〕

しかし,韓国語話者の会話では모두は,ほとんど副詞としてしか使われず,上の例文のように名詞として使われるケースはほとんどありません。모두を名詞として使うことは,文法的には正しいですが,口語では自然ではないと判断する人もいます。

다を過去形を表す語の前に置くと,実現できない未来の出来事を逆説的に強調することができます。次の例を見てください。

・간식을 그렇게 먹어댔으니 밥은 다 먹었다.
〔やつを食べすぎて,もうご飯を食べる気がしない〕
・비가 이렇게 억수같이 쏟아지니 길은 다 떠났다.
〔雨がこんなにザーザー降るから,道はぬかるんでしまった〕

また,不快な思いをしたり,驚いたり,予期せぬことが起こったときに다を使うと,かなり効果的です。“뭐 이런 놈이 있어?”と言ってもいいですが,“뭐 이런 놈이 다 있어?”と言うと,非常識な人に対する驚き,呆然,怒りなどの感情が一段と際立ちます。

・이렇게 먼 곳엘 다 오시다니…….
〔こんな遠いところまで来てくださるなんて〕
・별 말씀을 다 하십니다.
〔そんなことおっしゃらずに〕

ところで모두よりも다の発音が簡単なため,다は口語で,모두は文語で使用される傾向があり,다よりも모두は格式ばった印象があります。かしこまった場面では모두を,カジュアルな場面では다を使うのが一般的です。

しかし, 2つの単語はまったく同じ感覚で聞こえるわけではありません。 “내가 가진 건 다 너 줄게.”と言うと,所有物だけでなく,愛情のような内面的な部分まで残らず与えるという意味に聞こえますが,“내가 가진 건 모두 너 줄게.” と言うと,目に見える物に重点を置いているような印象があります。

こたえ
①하고 싶은 일은 죽기 전에 (다・모두) 해놓아야 한다.
〔やりたいことは,死ぬまでに全部やっておくべきだ〕
②네가 갖고 싶어하는 건 다 줄게.
〔きみが欲しいものは全部あげるよ〕
③이것저것 다 해서 한 달에 100만원 받는다.
〔いろいろなことをして,月に100万ウォン受け取る〕
④사람이 다 죽어가는 마당에 웬 한가한 소리냐.
〔人がみんな死んでいくときに,何をのんびりしているんだ〕
⑤너른 마당이 널어놓은 빨래로 다 덮였다.
〔広い庭が,干してある洗濯物で全部いっぱいになった〕

MEMO
몽땅,모조리,깡그리は「全部」「すべて」「まるっきり」「すっかり」に相当する言葉です。몽땅と모조리は,다や모두よりも,すべてというニュアンスをより強く表す副詞です。これよりもさらに強い言葉として,最悪の結果を意味する깡그리があります。

・도둑이 가게의 물건을 몽땅 가져갔다.
〔泥棒が店の物を根こそぎ持っていった〕
・정전으로 수조의 열대어가 몽땅 죽어버렸다.
〔停電で水槽の熱帯魚が全部死んでしまった〕

・최근의 화재로 시의 중심부가 모조리 불타버렸다.
〔このあいだの大火で,町の中心部はすっかり燃えてしまった〕
・할머니는 사기꾼에게 재산을 모조리 빼앗겼다.
〔おばあさんは,詐欺師に財産をすっかり奪われた〕

・큰 물이 살림을 깡그리 쓸어가고 말았다
〔洪水で家財道具が何もかも流されてしまった〕
삼촌은 선물 시장에 손을 댔다가 재산을 깡그리 날려버렸다.
〔おじさんは先物相場に手を出してすっかり財産をなくしてしまった〕
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돌と돌멩이 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-14 | 似たようなことばの使い分け
まず練習問題からやってみましょう。(  )の中の適当な語を選んでください。
①황금 보기를 (돌・돌멩이)같이 하라.
②구르는 (돌・돌멩이)에는 이끼가 끼지 않는다.
③누군든지 죄가 없는 자는 이 여인에게 (돌을・돌멩이를) 던져라.
④(돌・돌멩이) 갖다 놓고 닭알 되기를 바란다.
7. (돌・돌멩이를) 차면 내 발부리만 아프다.
答えは最後に

人類が石とともに築いてきた関係を振り返ってみると,石こそが人間の文明と歴史を構成してきた基本的な材料であることがわかります。石器時代の遺跡からは돌도끼(石斧),돌괭이(石鍬),돌창(石槍),돌낫(石鎌),돌화살(石矢じり),돌칼(石刀)などが出土しています。

また世界の文化遺産である徳寿宮の돌담(石垣), ローマの도로 포석(道路舗石),エジプトの피라미드 군(ピラミッド群),中国の만리장성(万里の長城),カンボジアの앙코르와트 사원(アンコールワット寺院)などはすべて石でできています。

돌멩이は,바위(岩)より小さく,모래(砂利)より大きいもので,一般的に人が片手で持ち運べる程度の大きさの돌を指します。みなさんは子どものころ,水面に石を投げて水切りをして遊んだことはありませんか。この石が돌멩이で,돌멩이を投げたところにできる波を물수제비といいます。また水切りをすることを물수제비를 뜨다といいます。

石に関する格言や言い伝えも数多く存在します。
“황금 보기를 돌같이 하라.”という教えがあります。これは「黄金の価値や魅力に惑わされず,冷静に判断しろ」と言う意味です。
 “돌멩이 갖다 놓고 닭알 되기를 바란다.”とは,全く見込みのないことを,もしかしたら実現するのではないかと期待することを,皮肉を込めて言う言葉です。「石を蹴れば自分の足先が痛い」となります。
“돌 차면 내 발부리만 아프다.”とは,直訳すると「石を蹴れば自分の足先が痛い」という意味で「自分の利益にならないことをしても,自分だけが損をする」ということです。

世界中の神話や伝説には,石になった人の物語が数多く存在します。韓国では,5世紀初めの朝鮮の新羅の武将・박제상(朴堤上)の妻が,日本に渡った夫を待ち続け,망부석(望夫石)になったという伝説があります。石は,生命活動が停止した状態を表しています。そのため,何かをやり遂げられなかったことに対する罰として,石になってしまったのです。

ヨハンの福音書の8章7節に姦通罪で捕らえられた女性をめぐって,主イエスと律法学者たちが対決する場面がある。姦通罪は石打ちの刑に処されることになっていたが,判断を求められた主イエスが,“누군든지 죄가 없는 자는 이 여인에게 돌을 던져라.(あなたがたの中で罪のない者が,まずこの女に石を投げつけるがよい)”と言うと,年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい,誰も女に石を投げることができなかったという。日々の生活において,相手を憎んだりするときがあったとして,行動に移す前に自分を正当化していないか自問自答せよと言うことの戒めである。何人も人を裁く権利や資格をもつ者はいないと言うことである。

①황금 보기를 돌같이 하라.
②구르는 돌에는 이끼가 끼지 않는다.
③누군든지 죄가 없는 자는 이 여인에게 돌을 던져라.
④돌멩이 갖다 놓고 닭알 되기를 바란다.
⑤돌 차면 내 발부리만 아프다.

*돌が前に付く言葉には돌계단(石段), 돌기둥(石柱), 돌길(石だたみ), 돌다리(石橋), 돌담(石垣),돌문(石門),돌부처(石仏),돌솥(石釜),돌층계(石段), 돌탑(石塔),돌팔매(石投げ), 돌하르방(石像)などがある。

*돌が後ろに付く言葉には,조약돌(丸くて滑らかな小石),부싯돌(火打ち石),맷돌(石臼),고인돌(ドルメン),숫돌(砥石),머릿돌(礎石),다딤돌(踏み石)などがある。
*ちなみに고인돌は,下から支えるという意味の괴다から派生した言葉。

*돌の関連語に차돌(石英)がある。차돌は比喩的に「しっかりしている人」という意味で,“저 사람은 차돌 같은 사람이다.”というように使われる。차돌の차は,찰밥(赤飯,おこわ),찰흙(粘土),찰떡(もち米でつくった餅).찰거머리(吸血蛭).찰벼(モチイネ)などの찰からㄹが落ちた形で,「粘り気がある,硬い」という意味である。

*焼き肉屋のメニューに차돌박이というのがあるが,これは,牛の頬肉に付いた脂っこい部分で,白い光沢のある見た目が,まるで石英が埋め込まれているように見えることから,その名前が付けられた。しかしメニューには,차돌배기, 차돌백이のように間違って書かれていることがよくある。

*돌멩이の멩이の語源は,まだ明らかではない。しかし,音が似ている알맹이(実)の맹이と比べてみると,どちらも「小さくて固いもの」という意味を持っている。

*돌は接頭辞として,他の単語の頭に付いて,さまざまな意味を表す。
・돌머리, 돌대가리:頭が悪い人
・돌배, 돌미나리, 돌삼:野生の植物

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누다と싸다の違い (おもしろ語彙の世界)

2023-12-14 | 似たようなことばの使い分け
누다と싸다は,どちらも人間や動物が体内の排泄物を外に出すことを指す点で,全く同じ意味ですが,細かい点で違いがあります。

누다には,3つの条件が必要です。それは,①意識的な意志,②一定の姿勢,③決まった場所です。つまり,排泄をするという明確な意志のもと,排泄のために用意された場所に行き,排泄に適した体の姿勢を維持することで,排便,排尿をすることになります。つまり,その主体はほとんど人間に限られます。

“휴게소 화장실에서 오줌을 누었다.”のように,누다の用例は,ほとんどの場合,上に挙げた3つの条件をすべて満たしています。しかし,最後の条件である「決まった場所」には,時々例外が混ざり込むこともあります。例えば“풀숲으로 들어가 오줌을 누며 밤하늘을 올려다보았다.”という言い方もできますが,この場合,풀숲は一定の場所ではありません。

누다は,一部の動物に対しても使われますが,その場合,先の3つの条件のうち「一定の姿勢」と「決まった場所」が必須条件となります。そのため,家で飼っている犬などのペットが,排泄訓練によって常に決まった場所で排泄するのであれば,누다が適切です。特に猫のような動物は,特別な訓練をさせなくても,自分で決めた場所に排泄し,土で隠すなど,後処理まできちんとするのに,たとえそれが自己保存や縄張り表示のための本能的な行動であっても,見た目上は人間の排泄行動と似た面を見せるという点で,누다が適当です。

一方,싸다は明確な自覚なしにどこにでも糞尿を撒き散らし,一定の姿勢をとる必要もありません。そのため,싸다は動物に使われることが多く,人の場合はオシッコやウンチを我慢できずに勝手に排泄する,つまり布団や服のように便器以外の場所で排泄することを指します。“자다가 이불에 오줌을 쌌다.”といえば,寝小便をしたと言うことになります。

このように싸다は意図に関係なく,大抵はまったく予期せずに行われるような排泄を指します。싸다は누다の俗語であり,大人の会話や丁寧な場では絶対に使ってはいけない禁句語です。

禁句語という点では오줌や똥も同様で,丁寧な場では,2語の婉曲語である소변と대변を使い,それに伴う述語としては누다よりは,보다をよく使います。

ちなみに,オシッコやウンチをコントロールできずにもらしてしまうことを지리다といいます。
・오줌을 찔끔 지렸다.〔おしっこをちょっとちびった〕
・설사가 나서 똥을 지렸다.〔下痢をしてうんちをもらした〕
 
지리다には小便臭いという意味の形容詞もあります。
・처음으로 홍어 회를 먹은 지수는 음식의 맛이 지려 두 입도 못 먹었다.
〔初めてエイの刺身を食べたジスは,強烈な味に耐えられず,2口でギブアップした〕
・화장실에서 지린 냄새를 맡은 용수는 코를 막고 급하게 문을 닫았다.
〔トイレでくさい臭いを嗅いだヨンスは,鼻を押さえ急いでドアを閉めた〕
・취한 사람이 소변을 봤는지 우리 골목 전봇대 아래에서 지린 냄새가 났다.
〔酔っ払いが小便をしたのか,路地の電柱の下で,小便の臭いがした〕
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버릇と습관 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-13 | 似たようなことばの使い分け
日本語話者にとっては버릇と습관の違いはそんなに難しくないと思います。
両者の違いを比較してみましょう。

버릇:何度も繰り返したりするうちに,身についてしまって直しにくい性質や行動
습관:長い間繰り返すうちに自然に固まった行動様式

つまり,버릇は,その人固有の性質や行動を指す傾向があり,습관は,誰にでも当てはまる一般的な行動様式を指す傾向があると考えられます。

버릇は,말버릇(口の利き方,話し癖)잠버릇(寝癖),입버릇(口癖),손버릇(手癖),「술버릇(酒癖)など,一般的には悪い習慣を指す言葉として使われることが多いです。

습관は,基本的にはポジティブな意味合いで使われます。독서 습관(読書の習慣)や일찍 자고 일찍 일어나는 습관(早寝早起きの習慣)など,身につけたい良い行動を表現するのに使われることが多いです

메모하다(メモする)という行為は,一般的にはポジティブな行動と捉えられるため,메모하는 버릇という表現は違和感があります。一方,늦잠 자다という行為は,一般的にはネガティブな行動と捉えられるため,늦잠 자는 버릇という表現は自然に聞こえます。엄지손가락 빨기(指しゃぶり)は버릇ですが,양치질(歯磨き)は습관です。

버릇
습관
好ましくない
好ましい
いつの間にか身につく
努力して身につける
無意識的に出る
意識的に行う
身体に関連する
人格や生活に関連する

MEMO 버릇と似たような言葉に버르장머리という語がある。
버르장머리가 없다:礼儀が悪い,態度が悪い
버르장머리를 고치다:礼儀を正す,態度を改める

QUIZ 
① 그는 눈을 깜빡거리는 (버릇・습관・습성)이 있다. 
② 고양이는 발톱을 가는 (버릇・습관・습성)이 있다. 
③ 그는 어려서부터 절약하는 (버릇・습관・습성)이 몸에 배었다
④ 그는 식사 후에 으레 담배를 피워 무는 (버릇・습관・습성)이 있다.
⑤ 운전 (버릇・습관・습성)을 바꾸면 한 달에 기름값을 5만원이나 아낄 수 있다.
⑥ 딱따구리는 부리로 나무를 쪼는 (버릇・습관・습성)이 있다.
⑦ 동생늠 틈만 나면 손톱을 깨무는 (버릇・습관・습성)이 있다.
⑧ 제 (버릇・습관・습성) 개 못 준다.
⑨ 너 같은 놈은 (버릇・습관・습성)부터 고쳐줘야겠어. 
⑩ 평소에 일기 쓰는 (버릇・습관・습성)을 들이면 문장 실력이 늘게 되어 있다. 

答え
① 그는 눈을 깜빡거리는 버릇이 있다. 〔彼は目を瞬きする癖がある〕
② 고양이는 발톱을 가는 습성이 있다.〔猫は爪を研ぐ習性がある〕
③ 그는 어려서부터 절약하는습관이 몸에 배었다.〔彼は幼い頃から節約する習慣が身に付いている〕
④ 그는 식사 후에 으레 담배를 피워 무는 버릇이 있다.〔彼は食事の後にたいていタバコを吸う癖がある〕
⑤ 운전 버릇을 바꾸면 한 달에 기름값을 5만원이나 아낄 수 있다.〔運転の癖を変えれば、1か月でガソリン代を5万円節約できる〕
⑥ 딱따구리는 부리로 나무를 쪼는 습성이 있다.〔キツツキはくちばしで木をつつく習性がある〕
⑦ 동생늠 틈만 나면 손톱을 깨무는 버릇이 있다.〔弟は,暇があれば爪を噛む癖がある〕
⑧ 제 버릇 개 못 준다. 〔自分の悪い習慣は,犬に与えることができないほど,なかなか直らない〕
⑨ 너 같은 놈은 버릇부터 고쳐줘야겠어.〔おなえみたいなやつは,まず癖から直さなくちゃね〕
⑩ 평소에 일기 쓰는 습관을 들이면 문장 실력이 늘게 되어 있다.〔ふだんから日記を書く習慣をつければ,文章力が上がるものだ〕



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또と다시はニュアンスが違う (おもしろ語彙の世界)

2023-12-12 | 似たようなことばの使い分け
‘다시’と‘또’は,どちらも「また」という副詞ですが,意味やニュアンスに違いがあります。‘다시’は,過去にしたことに対して,不足や不十分な点があったことを認識し,それを補うために一からやり直すことを意味します。例えば,“이해가 안 가는 부분을 몇 번이나 다시 읽었다.”と言うと,よりよく理解するために改めてもう一度読んだという意味です。一方,‘또’は,単純な反復の意味で用いられます。

したがって,“다른 방법으로 다시 한번 해봐라.”と言えますが,“다른 방법으로 또 한번 해봐라.”とは言えません。 “또 한번”というのは,以前の方法や姿勢を変えずに,同じやり方で繰り返すことであり,“다른 방법”という言葉と矛盾するからです。しかし,口語では ‘또’が‘다시’を押しのけて,区別なく使われることがよくあります。

“다시 의논합시다.”と言うと,(まだ決着がついていないので)また改めて相談しましょうと言う意味です。このようには‘다시’には「改めて」「仕切り直し」の意味があります。“이 보고서, 다시 써 오게!”と言ったら提出したレポートを「改めて」書き直してきなさいという意味になります。提出したレポートの不備を指摘し,それを改善した上で,再度提出するように指示しています。もし“이 보고서, 또 써 오게!”と言ったら,提出したレポートはどうでもいいので,単に別のレポートをもう一つ書いてきなさいと意味になります。 ‘또’には,単に「また」という意味で,やり直すなど,過去の行為や結果に言及する意味がまったくないのです。

“다시 태어나다”は,今の自分を否定し,新しい人生をやり直したいという意志を表明しています。“다시 시작하다” は,これまでの失敗を反省し,新しい気持ちでやり直したいという意志を表明しています。このように‘다시’には,より良い未来への希望や楽観が込められています。“다시 건강이 좋아지기를 기원한다.”は,病気やけがからの回復を願う言葉ですが,今より良い健康を望んでいるという意味なので,これを“또 건강이 좋아지기를 기원한다”と置き換えることはできません。

‘다시’と‘또’は,どちらも「繰り返し」という意味の副詞ですが,お腹が空くように自然に繰り返される事には‘또’が使われます。“또 배가 고프다”とは言えますが“다시 배가 고프다”とは言えません。

古典映画に“바람과 함께 사라지다(風と共に去りぬ)”と言うのがありますが,主人公のスカーレット・オハラは“내일이면 내일의 태양이 떠오를 거야(あしたはあしたの日が昇るわ)”」という有名なセリフを残しました。このとき,“내일이면 내일의 태양이 ‘또’떠오를 거야“と言うこともできますし,“내일이면 내일의 태양이 ‘다시’떠오를 거야“とも言えます。ただ前者は単なる日の出という自然現象の繰り返しのみを意味するのに対して,後者には昨日を否定し,新たに始まる明日,つまり希望を暗示する象徴的な意味合いがあります。‘또’ 떠오르는 태양と‘다시’ 떠오르는 태양とではこのようなニュアンスの違いがあるのです。

冬になると “꺼진 불도 다시 보자”という「火災予防」の標語の書かれた看板を町のあちこちでよく目にします。ここで“꺼진 불도 ‘또’ 보자”と言ってしまっては,火災予防という目的を十分に達成できません。“꺼진 불도 다시 보자”という標語は,消えた火でも再発火の危険があることを意味しています。火を使うときは,たとえ消えたと思っても,もう一度確認して火が完全に消えていることを確認することが大切です。火を使った場所をもう一度丹念に確認することが不可欠です。消えた火を‘또’見たところでは,火災予防の目的を十分に達成できません。消えた火は必ず‘다시’見るべきです。

火に関することわざに“꺼진 불을 또 봐야 소용없다”というのがあります。直訳すると「消えた火をまた見る必要はない」という意味です。この諺は,過去に失敗したことをいつまでも引きずって,前向きに行動できないことを戒める意味があります。また,過去に起こったことは変えられないので,それをいつまでも悔やんでも仕方がないという意味もあります。この場合は‘또’が使われます。

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두껍다と두텁다 (おもしろ語彙の世界)

2023-12-11 | 似たようなことばの使い分け
두껍다と두텁다は,どちらも「厚い」という意味ですが,微妙なニュアンスの違いがあります。

두껍다は,主に固体に使われ,その中でも,特に,手で触れることができるものに対して使われます。例えば,두꺼운 책や두꺼운 얼음などは自然な表現ですが,두꺼운 물や「두꺼운 공기はどこかぎこちない表現です。
(○)두꺼운 책                        (×)두터운 책
(○)두꺼운 얼음                     (×)두터운 얼음

一方,두텁다は,固体だけでなく,두터운 안개や두터운 구름,두터운 대기층のように液体や気体にも使われ,手で触れることができない抽象的なものに対しても使われます。また,大きく,範囲が広いものや。漠然としたものにも使われます。
(×)두꺼운 성벽                     (○)두터운 성벽
(×)두꺼운 방어진                  (○)두터운 방어진
(×)두꺼운 선수층                  (○)두터운 선수층
(×)권력층이 두껍다               (○)권력층이 두껍다

さらに두텁다には,信頼・人間関係・人情などが固くて深いという意味があります。確固たる物理的な実体感を必要とする두껍다に比べて,두텁다は相対的に曖昧で抽象的であり,主観的な感情を表現するのにより適しているといえるでしょう。
(×)신앙이 두껍다                  (○)신앙이 두텁다
(×)우의가 두껍다                  (○)우의가 두텁다
(×)친분이 두껍다                  (○)친분이 두텁다

*두텁다の派生語に도탑다〔形〕と言う語があります。두텁다と同じように信頼・人間関係・人情などが固くて深いという意味です。두텁다>도탑다の関係で,軽くて明るい感じのニュアンスがあります。
(○)사제간의 신의가 두텁다      (○)사제간의 신의가 도탑다
(○)인정이 도타운 사람           (○)인정이 도타운 사람

**두텁다の派生語をもう一つ勉強しましょう。分厚い,経済的に豊かだという意味の두툼하다〔形〕です。입술이 두툼하다といったら唇が厚い,주머니가 두툼하다といったら懐が温かいという意味になります。
・두툼한 솜옷
・지갑이 두툼하다
・통장가 두툼하다
・봉투가 두툼하다

まとめ

두껍다
두텁다
使用対象
おもに固体
固体,液体,気体
触わることが
できる
できない
サイズ
小さい
大きい,範囲が広い
客観性
高い
低い
主観性
低い
高い

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「堪える」と「耐える」-怒りは참고,苦しみは견디고

2021-10-04 | 似たようなことばの使い分け

「堪える」と「耐える」-怒りは참고,苦しみは견디고

 みなさんは子どものころお母さんにしかられて,何も知らないで横で寝ているイヌに八つ当たりしたことはないですか。しかられるは꾸중을 듣다ですね。八つ当たりは,この場合は화풀이를 하다と訳すといいでしょう。

お母さんからしかられたら,ぐっと「堪え」なければなりません。子どもに八つ当たりされて蹴飛ばされた子犬は,痛さに「耐え」なければなりません。

 みなさんは“참는 게 이기는 것이다”という言葉を聞いたことがありますか。日本語で言うならば「負けるが勝ち」です。ここで참다は,腹の中で煮えくりかえっている「怒り」をぐっと抑えることです。つまり八つ当たりするような行動をしないように心を押えつけるという意味です。

似ている単語に견디다があります。2つを比べてみましょう。

참다:人にだけ使うことができる。笑いや怒りなど,心の中で起きる感情や,生理的な欲求など,短時間の出来事に対して使われ,我慢ができなくてもさほど深刻な事態は生じない。

견디다:動植物や無生物にも使える。外部から与えられた条件や状況に対して使われ,比較的長時間にわたって続く。我慢できなければ深刻な事態が起きる。

‘참는’시간は長くてもせいぜい数十分です。터져 나오는 웃음(吹き出す笑い),흘러나오려 하는 눈물(あふれ出る涙),마려운 오줌(出そうになるおしっこ),하품(あくび),방귀(おなら),화(怒り)などはすべて短い時間の間に起きます。방귀などは数十分はおろか数秒も我慢できないでしょう〔参考までに「ブーっとおならをする」は방귀를 뽕뽕 뀌다と言います〕。

これに対して견디다は,고통을 견디다(苦痛に耐える),굶주림을 견디다(ひもじさに耐える),시련을 견디다(試練に耐える)のように長時間にわたって耐える場合に使われます。何日も,あるいは数か月,数年,甚だしくは一生続く場合もあります。

毎年襲ってくる台風(태풍)や,雨が降らない日照り(가뭄)の状態にたいしても견디다を使います。数年前に,鎌倉の大きなイチョウの木が,強風に耐えられずに倒れましたね。こんなときも“큰 은행나무가 강풍에 견디지 못하고 쓰러졌어요.”と言います。

 

☞前回の解答

[1]데워[2]덥혀[3]데웠어요[4]덥혔다[5]덥혀졌어요

 

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「温める」と「暖める」-데우다と덥히다

2021-10-03 | 似たようなことばの使い分け

みなさん,コンビニで弁当やハンバーガーを買うとレジ(계산대)で「温めますか?」と聞かれませんか。“데워드릴까요?”,“덥혀드릴까요?”どちらでしょう。

韓国語でも「温める」と「暖める」を使い分けます。結論から言いますと,食べ物を「温める」ときには데우다を,部屋などを「暖める」ときには덥히다を使います。

温度が低い順から차다(冷たい),미지근하다(ぬるい),따뜻하다(温かい),뜨겁다(熱い)と形容しますが,데우다は冷えた食べ物を温めることです。데우다は데다から来た言葉で,火を直接あてて温かくすることを意味します。

・찌개를 데워서 먹었다.(チゲを温めて食べた)

・찬밥을 데워서 먹었다.(冷たいご飯を温めて食べた)

・따끈하게 데운 우유를 한 잔 마시고 잤다.(温かくした牛乳を一杯飲んでから寝た)

このように찌개や국を最初に料理をするときには끓이다(煮る)を使います。しかし,作っておいたものが冷えてしまって再度温める時は데우다を使います。

お母さんが子どもを風呂に入れるとき,あまり熱くないお湯が適当です。冷たいお湯をちょうどいい温度に上げるときには덥히다を使います。덥히다は室内温度や風呂の温度を上げて暖かくすることです。덥히다は덥다の使役形で[더피다] と発音します。

・군불을 때서 안방을 덥혔다.(オンドルの火を焚いて奥座敷を暖めた)

・난로를 피워 거실 공기를 덥혔다.(暖炉を燃やして居間の空気を暖めた)

・목욕탕 물을 39도에서 41도로 덥혔다.(風呂の温度を39度から41度に上げた)

덥히다はまた,心や体を暖める時にも使います。

・수영을 하기 전에 준비운동으로 몸을 덥히세요.(水泳をする前に準備運動をして体を暖めてください)

・모닥불을 쬐어 시린 손을 덥혔다.(たき火を焚いてかじかんだ手を暖めた)

・마음을 덥혀 주는 훈훈한 이야기를 들었어요,(心暖まる話を聞きました,)

 では,今日のまとめにクイズを出しましょう。

[1]엄마! 국이 다 식었어요. 다시 (데워ㅣ덥혀) 주세요.

[2]아줌마, 욕탕 물이 좀 미지근한 거 같아요. 좀 더 (데워ㅣ덥혀) 주세요.

[3]호호 입김을 불어 찬 우유를 (데웠어요ㅣ덥혔어요),

[4]나는 재빨리 보일러를 틀어 집 안을 (데웠다ㅣ덥혔다).

[5]한참을 뛰다 보니 몸이 따듯하게 (데워졌어요ㅣ덥혀졌어요).

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