先週(11月20日)、遅ればせながら「ぼくが生きてる、ふたつの世界」をやっと観た。
五十嵐大さんの原作「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」は3年ほど前に読んでおり、当然映画も観るつもりだったので映画に関する情報は極力入れないようにしていたが(観ると決めている映画に関しては先入観など持たないように情報を入れないようにしている)、漏れ聞こえる感想からも評判が良いということは伝わってきていた。
「ろう者役をろう者が演じていること」「ろう者スタッフの的確な指示と本人の努力もあって吉沢亮さんの手話もリアリティをもったものになったこと」「様々な家族を描いてきた呉美保監督が等身大の家族の話として昇華していること」等々。
実際観てもそう思ったし、付け加えるとすれば、映画全体のテンポ感が良く、母親役の忍足亜希子さんも予想以上に良かった。また夫役というか父親役の今井彰人さんとは何度か会って話したこともある(もちろん手話で)が、忍足さんとの年齢差を感じさせないよう、かなり工夫演出もされていた。
その翌々日、たまたま「名もなく貧しく美しく(1961年製作)」を再見した。高峰秀子生誕100年プロジェクトの一環として東京都写真美術館で上映されていたものだ。「ぼくが生きてる、ふたつの世界」との共通点は、ともにろう夫婦、コーダ(Children of Deaf Adults/聞こえない聞こえにくい親を持つ聴者の子ども)が描かれている点。
コーダの息子が、ろうの両親を拒絶する時期もあるが、最終的には受け入れていく様子も描かれている。その様が小学生の間に完結するので、現代から観れば少々類型的ではあるが。
「名もなく貧しく美しく」では、ろう夫婦を高峰秀子と小林桂樹が演じているが、この映画に向かって「ろう者役をろう者が演じていない」と批判してもあまり意味をなさないだろう。63年前にメジャーな映画でこの題材を取り扱ったこと自体が画期的であった。
高峰秀子の夫であり、この映画の監督・脚本松山善三は、フランスパリを訪れた際にフランス手話で会話するろう者たちを見たことが映画のきっかけになったという。私の記憶では、世界最古のろう学校であるパリ聾学校も訪れたのだと思う。
とは言え高峰秀子の口話が場面によって都合よく聞き取りやすかったり、そもそも補聴器もほぼない時代に口話があれだけ流暢であることは気になった。
ちなみにろう者を使い自主映画を作り続けた、ろう者の映画監督である深川勝三氏の第1作「楽しき日曜日」が制作されたのが前年の1960年だった。
表題にある「アイ・コンタクト」は私の監督作品。デフサッカー女子日本代表を描いたドキュメンタリー映画だ。
この3本の共通点は、聞こえない聞こえにくい人々を描いていることはもちろんだが、コーダが出ている点だ。
前2作は俳優が演じ、「アイ・コンタクト」はドキュメンタリーなので実際のコーダが出演している。
高校までろう学校に通っていたデフサッカー選手が、大学で初めて聴者の世界に触れ、その2つの世界の橋渡しをしてくれたのが、自身もサッカーをやっていたコーダの同級生だった。
コーダという言葉が、少し知られるようになったのは2009年10月刊行の「コーダの世界(澁谷智子著)」、それを読んで是非作品にも出てほしいと願い、出演してくれた。
彼は子供のときに親の通訳をするのは当たり前だったと語ってくれたが、その後出会ったコーダは親があえて手話を覚えさせず大人になって手話を学び始めたという人もおり、コーダといっても様々だ。