サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

フットボールアンダーカバー

2013年02月20日 | 映画

先日の日曜日、ヨコハマフットボール映画祭に行ってきた。
ゲストとして招かれたのだが、「フットボールアンダーカバー」は呼ばれなくても観に行きたかった作品。
映画の内容は、ドイツのアマチュアサッカーチームがイラン女子代表とテヘランでの親善試合を行うにいたるドキュメンタリー。
女子サッカー映画は必ず観たいし、2005年にイランに行って以来イスラム教に関心があったし、「これは観るっきゃない」と思っていたらゲストに呼んでもらった。
トークショーでは、電動車椅子サッカー日本代表選手の永岡真理さんとともに電動車椅子サッカーとはどういったものかを伝えたわけだが、なかなか聞いているだけではわかりにくかったかもしれない。まあしかしそのことをきっかけに関心を持ってもらえれば。

映画を観ていろいろと思うところがあった。
ワールドカップ予選で訪れたアザディスタジアムは懐かしかった。
日本代表が1対2で敗れ、同点にされた後の意思統一が問題になった試合だった。
イランイスラムヒジュラ歴(だったと思う)の新年にあたっていたということもあり、試合開始前の8時間ほど前からサポーターが続々とつめかけ雄叫びをあげていた光景を思い出す。それがずっと試合終了後まで続く。イラン人の体力はどうなってるんだろうと驚嘆!
映画でも女性観客のエネルギーが爆発するが、抑圧されているからというだけでなく、イラン人ってもともとそういう人たちなんじゃないのという印象も持った。
もちろんいい意味で。
日本vsイラン戦の翌日時間があったので水タバコを吸って映画を観に行ったのだが、ヘジャブ(スカーフ)が「(頭に)のってるだけやん」という女性が結構多いのが印象的だった。
映画の中でも大学のシーンがあり「前髪出まくってるやん」という人もかなりいたが、そういった感じ。もちろんそうでない人も多いが。
そういえばイランからトランジットでドバイに着き、むき出しの女性の髪の毛を見て、なんだか見てはいけないものを見てしまったような不思議な感覚にとらわれたことを思い出す。

映画の中では、ドイツ在住トルコ人選手とイラン人選手の対比も描かれていたが、そのあたりも面白かった。
イスラム革命以前にサッカーをやっていた母と革命後に生まれた娘のエピソードも興味深いが、ともかくしたたかに生きているイラン人女性たちの姿が印象的。
単純に抑圧の象徴としてヘジャブをとらえるという側面だけで見てしまうことは、一面的な見方だろう。

映画の作り方としては、映画を作ることを大前提として物事が進んでいるようだ。
極端に言えば、映画の撮影としてすべてが進んでいるというか。
映画にも登場するイラン人男性が共同監督のようであるし。
とにかく生のイランを一側面を映像として残したかったのだろうが、トラブルがないように事前に行動するというよりは、トラブルそのものを映像化したかったようでもある。
そういった意味での不自然さを感じる場面は多々あったが、まあそれも映画であろう。

とっても多面的で、チャーミングな映画であることは間違いないわけだし。 


韓国映画「トガニ」 

2012年08月21日 | 映画

トガニを観ました。
以前、韓国のろう学校で実際起きた性的虐待事件を元にした韓国映画です。
事件は2005年に明るみに出たそうです。

事件に興味を持った作家のコン・ジヨンさんが取材し小説にし、小説を読んだ主演男優のコン・ユが映画化したいと切望したそうです。
コン・ジヨンさんによると実際の事件は原作よりももっとひどかったようです。

詳しくはわかりませんが日本でも同様の事件が過去あったようですし、世界の各地でも、過去には似たような事件があったのではないかと思われます。

聴覚障害のみならず他の障害まで範囲を広げれば、世界各地で相当な数の痛ましい事件が起きたのではないでしょうか。
小説、映画の中では被害者の一人は、聴覚障害・知的障害を併せ持つ重複障害児でもあります。

小説化、映画化されたことで関連する法律が改正されるまでに至ったそうで、重いテーマながら、映画はかなり見やすい作りになっています。
劇的な構成というか感情移入しやすい作りというか。
お金を払って充分見る価値のある映画に仕上がっていますが、一方かなりの単純化も図られています。
悪人は悪人らしく描かれていて、一歩間違うと自らもそうなってしまうこともあるかもしれないといった心理的な恐怖としてはあまり描かれていません。
むしろそうなることは避けた方が良いと判断したことで、見やすい映画になっています。
描写は内面よりも社会の矛盾を描き出します。ですからある意味社会派エンターテインメント映画にもなっていますし、そこがヒットした理由でもあるのでしょう(主演俳優とともに)。

とてもいいシーンもありました。
法廷で被害者の子供の“聞こえ”のテストをやる場面。
聴覚障害者もいろいろであることを雄弁に語ったシーンです。
そして被告人をとある理由で指差す場面です。

また手話の撮り方もなかなかうまくやっている印象でした。
例えば顔も手も入るサイズではなくフレームの中に手が入ってくる、それでも意味はわかるように時には手にパンダウン(カメラを振り下ろすこと)したりするなど工夫していました。
子供達の手話は、手話を完璧にマスターして切り取るという方式ではなく、
必要な時のみ手話単語を出すというか、写っているところだけやらせている感じもありました。
ある意味、うまく撮っているということですね。

最初の方では無感動無表情という演出で、わざと表情をなくした手話として描いていたようです。
おそらく何も考えないで手だけで手話をやってくれというふうな演出だったのだと思います。聴者の子供がショッキングなことを体験すると無表情なしゃべり方になりますが、その応用でしょう。
実際のろう者の子供がこういった局面でどういう手話になるのかはわかりませんが。
ネイティブサイナーであれば、文法的な要素としての顔の動きはあるのではないかと思われますが??

後半では、ほぼ表情だけを見せるといった場面もありました。
手話表現の顔の部分だけを覚えさせて演出したのではないかと思われます。そのシーンは手は適当に動かしていればいいという演出だったのでしょう。

ところで韓国手話は、日本の手話との共通の手話単語がかなりありました。
ですから字幕を読まなくてもかなりわかる箇所もありました。

しかし何故、主人公は手話が出来るのでしょう?
理由は想像するに、手話ができる設定の方が撮るのも楽だし、主演俳優も格好良く見えるからでしょう。
手話学習者でもある私としてはとても気になる点でもありました。


その他にも映画を観て疑問点もあったので、原作を買って読んでみました。 
何が疑問かいくつか列挙すると、
A どこまで事実なのか?
  この点は脚色だろうという点が多々あった
B ろう学校の描写があまりにも単純化されている。
  生徒一人一人の聴覚障害の側面がよくわからないし、他の教師もあまり描かれていない。   
C 主演女優の設定
   あまりにも単純化した設定なのでおそらく、映画化するにあたっての改変?
D 主人公の設定
  小説で創作された人物を、映画化するにあたってさらに改変?

小説からの改変は、乱暴に言えば、説明がむずかしいものは極力単純化するかカット、主役が格好悪くみえる点はカットされている印象でした。
一つずつ見ていくと、
A 詳しくは書きませんが、映画を観た印象のままでした。
B 小説には、ろう者の教師も出てきて、解雇され抗議するという描写もあります。
  おそらく実際にも、ろう者の教師が何名かいたのだと思います。
  牧師としての校長など、キリスト教的な側面もかなり映画化されるにあたり簡略化されていました。
  また、生徒達の一人は中途失聴者でした。なるほど。
C 小説では、主人公の大学の先輩で運動(スポーツじゃありません)をやっていた女性でした。
  その後、結婚離婚し、子供を育てつつ人権活動をやっているといった設定です。
D 映画と違い妻は健在。映画より、かなり負の側面を持った人物として描かれています。
  大学卒業後、高校の臨時教師を1年だけ経験。その後卒業した教え子と性的関係を持ち、 
   彼女はその後自殺。
 彼はその後、他の仕事につくも失業し、妻の知人の斡旋で聾学校へくる。

C・Dは、労働運動をやっていたという作家コン・ジヨンさんの側面が、かなり反映している部分なのだと思われます。
そういった意味では、大幅に簡略化して映画としては正解だったのでしょう。

原作では手話が出来ない設定になっていました。
ですから当然、手話通訳者も登場します。
何も知らずに来た通釈者が、驚愕の事実に読み取り通訳不能になる場面などもあります。
しかし彼は、その後、能動的にその事件に関わっていく事になります。

確かに手話通訳を排除した方が映画としては楽ですが…。

「それでええんかい?」

なんだか、だらだらと書き連ねてしまいました。

こういった実際に起きた事件を元にした映画の場合、事件と映画がごちゃ混ぜに語られることが多いですが、(もちろんそれはそれでいいんですが)、切り離して語ることも必要かと思います。

また映画の感想をいつくか読んだのですが、こういった題材の映画が撮れる韓国の映画人に比べ日本の映画人は情けないといったような感想も複数見受けられました。
おそらく日本の映画人のなかでもやりたい人は多くいると思います。しかし資金がない、資金を出す人がいないという現状はあります。
要するに「暗い映画に客は入らない」という理屈ですね。
観る側の方も“感動”だけを追い求め過ぎなのではないかと思うこともあります。
ただ、そういった中でも知恵を絞って撮っている人たちもいるでしょう。
私も見習わなければなりません。
ちなみに「トガニ」は、主演俳優のコン・ユがやりたいということで成立した企画なのだと思います。

映画を観に行ったのは平日の昼間ですが、「立ち見です」と言われて驚きました。
さすがに立ち見はいやだったので、次の回にしましたが。
時間には余裕を持って映画館に行きましょう。 


メイシネマ祭

2012年05月03日 | 映画

昨年「アイ・コンタクト」を上映していただいた「メイシネマ」祭が今年も開催されます。
今日5月3日から5日まで。

良質なドキュメンタリー映画が上映される手作りな映画祭です。
本当は今年も観にいきたかったのだけど、まったく暇がありません。

総武線平井駅そばの、小松川区民館ホールというところで上映されますので、
興味のある方は是非!


やるべき事をやってたら、朝になってしまった。
今から風呂入って寝ます。


池田敏春監督

2011年12月25日 | 映画

池田敏春監督が志摩の海に身を投げてちょうど1年になる。
遺体が発見されたのが12月26日午前9時40分頃。
24日頃に死亡したと推定されている。

死亡の一報を聞いたのは今年の1月25日、知人のプロデューサーが教えてくれた。

ショックだった。
亡くなった事、自殺だったこともショックだったが、
「池田さんなら自殺もあり得るよな」と思ってしまったこともまたショックだった。

「帰りなん、いざ。何ぞ帰らざる。 あ…伊勢志摩の夕日の中で死にたい。」

実はツィッターでその文面も読んでいた。
でも、まさかと思った。


知らせを聞いて、何も手につかなくなった。
映画の仕事を始めるきっかけとなった人だし、4本(「魔性の香り」「さそり」「ちぎれた愛の殺人」「マトリの女」)の作品についているし、せめて追悼文でも書いた方がいいと思ったが、書けなかった。
頭のなかがぐちゃぐちゃだった。
助監督を始めた頃のことや、池田さんとの仕事が頭の中に渦巻いた。
最初についた作品「魔性の香り」での俺の最初の重要な任務は、主演の天地真理さんが芝浦の橋から飛び降りる許可を得るというものだった。
橋の上、引き込み線、飛び降りた川、全て管轄が違い、各々の許可を得る必要があった。
池田さんが志摩の海に飛び降りたことと、最初の仕事が交錯した。

俺が映画界入りした直接のきっかけは池田監督だ。
吉祥寺の映画館(上映されていたのは、ズラウスキーの「私生活のない女」)で見かけた池田監督に思いきって声をかけ、「何でもやります」と言って、連絡先を無理矢理渡した。
池田監督の作品である「「天使のはらわた 赤い陰画」と「人魚伝説」の2作品が大好きで、監督のファンだったからだ。
その当時俺はまだ学生で、シナリオの学校に通いピンク映画の助監督経験を多少積んだというような存在だった。ちなみに大学の専攻は歴史(東洋史・朝鮮近代史)で映画とは直接の関係性はない。

その後、おそらく2ヵ月後くらいだったと思う。
本当に電話がかかってきた。監督からではなく、チーフ助監督の人からだった。志望する演出部ではなく制作部の人手が足りないとのことだった。喜んで日活撮影所へ向かった。
そう、「魔性の香り」は、日活ロマンポルノの正月作品だった。
その後、現場から中退届けを大学に郵送し、映画の世界に入って行くことになった。

はっきり言って、池田監督を嫌っているスタッフは多い。だが主演女優は池田監督を信頼していた。
俳優の好き放題な意見に左右されて、スタッフへの言動に一貫性がない監督も少なくないが、
池田監督はまったく違う。
一貫性はあったが、スタッフのミスに対しては容赦なかった。狙ったカットが何らかのトラブルで撮れなかったときには、身の毛のよだつような言葉でスタッフを罵倒した。
例えば、巨大な夕日をバックにオイルライターでタバコに火をつける、カメラは望遠でそれを狙うというカットの撮影があったが、本番でたまたま火がつかず、太陽が思ったより落ちてしまったことがあった。監督はトランシーバーで助監督を罵倒した。
プロデューサーだろうとなんだろうと関係なかった。
強きにへつらい、弱きをくじくといったことはなかった。

池田監督のいうことは、ある意味常に正論だった。
ただ、正論を言うことが状況にまったくそぐわないことも現実には多い。
そういった状況で正論を言うことが正しいのか?
言い方の問題もあったかもしれない。
多くのスタッフが、心の中で「ぶち殺したろか」と何度も思ったことだろう。

俺も何度となく罵倒された。
だが現場以外ではこころ優しい一面もあった。
2度目の奥さんとのお宅や、離婚後の1人暮らしの部屋に泊まりに行ったこともあった。
映画の話もよくした。前田米造さんのカメラ、神代さんの脚本と演出などなど…。
日活のアクションを受け継いでいきたいと、言われたこともあった。不肖の弟子でもあった私はまったく受け継ぐことはできなかった。

主演女優に対しては、
大雨を降らせ、橋の上から本当に飛び込ませたり、
寒空の中、十字架に貼り付けにして、大雨を浴びせたり、
渋谷の街をひたすら走らせたり、
早朝の歌舞伎町で血まみれの下着姿で拳銃を持って歩かせたり、
大変なことは強いたが、演出する言葉自体は優しかった。
皆、最終的には納得し、満足していたように思う。

自分は関わっていないが、「人魚伝説」の殺戮シーンは強烈だった。
夫を殺された海女であるみぎわが、復讐のため殺戮を繰り返す。
通常の映画であれば、直接手を下した犯人、その黒幕まで殺せば復讐は終わりだ。
だが殺戮は果てなく続く。
その場に居合わせた人々、パーティコンパニオンであろうとなんだろうとお構いなしだった。
「長すぎるのではないか?少しカットした方良いのではと」いう意見もあったと聞くが、灰皿を投げつけ、「絶対に切らない」と言ったという話も聞いた。
でも決して長くないよ、池田さん。
後年、「いくらなんでも長過ぎたかな」と思ったという話も聞いたが、そんなことないよ。
復讐の相手は原発だったし。いや映画的にも長くはないと思うよ。
そんなこと言ってるから、俺も劇映画が撮れないのかな。


いろんなことを書こうと思っていたが、全くまとまらない。うまく書けない…。
池田さんが飛び込んだ海に行って手を合わせてきたことを書いて終わりにしたい。


何故、池田さんが身を投げたのかはわからない。
うつ病で尚且つ心臓に疾患があったからなのか、50代のうちに死にたかったのか、
考えても想像でしかない。
ただ、手を合わせに行こうと思った。
自分の中でも節目をつけたかった。

だが、なかなか実現できなかった。
たまたま大阪府の小学校から講演に呼ばれた際に、志摩へ寄って来ることにした。
その日のうちに志摩まで移動。ホテルに泊まり、翌朝レンタカーで大王崎の灯台へ向かった。11月14日だった
自殺した理由はともかく、何故身を投げたのがクリスマスイブだったのか?
運転しながら気になってきた。
世間が浮かれている時だからこそ、背を向けたかったのだろうか?

灯台は入場料を支払い、上部まで行けるようになっている。
狭い階段を上りながら、「ちぎれた愛の殺人」で撮影した島根の灯台を思い出した。
「あの時もボロボロになったよな」
上部に上がり外に出ると、高所恐怖症の俺には足がすくむ高さ。
身を投げた場所はわからないが、発見した場所は見当がついたので、
その場所に向かい合掌。

当初は手を合わせたら、その場を立ち去り、帰りに伊勢神宮でも観光して早めに帰京するつもりだった。
しかし、池田さんのツィッターでのつぶやきを思い出した。

「帰りなん、いざ。何ぞ帰らざる。 あ…伊勢志摩の夕日の中で死にたい。」

池田さんが死ぬ前に見た夕日を見なくてはならないのではないか。

「お前、もう帰んのかよ!ちゃんとロケハンしろよな」

池田さんの声が聞こえてきたような気がした。
どうしようかと思ったが、このまま帰ったら後悔するような気がして、夕刻にまたくることにした。

灯台付近から見ると朝日は海から上ってくる。
志摩の海はどちらかというと東に向いていて朝日は昇るものの、夕日が海に沈むことはないと思っていた。
例えば日本海なら夕日は海に沈む。
ではこの場所で夕日が海に沈むことがあるのだろうか。

方角的には微妙だった。
近くの民宿の人に聞くと、海に沈むことはないという。
「なるほどな」と思いつつ、漁港につながる遊歩道を歩いた。

「あー」と思わず叫んでしまった。
池田さんは、太陽が海にもっとも近い地点に沈む日、即ち冬至の日の夕日を見て、その後に身を投げたのではないか。

灯台は4時には閉まってしまったので、その近くの見晴らしの良い場所から夕日を見つめ続けた。
完全に夕日が見えなくなるまで、見続けた。
さらに暗くなれば、灯台に灯がともる。
そこまでいようと思ったが、
池田さんが海の底から誘ってくるような気がして、逃げるようにその場を立ち去った。

後日、昨年の冬至の日付を調べた。
だが、21日だった。
もっと詳しく調べると、21日、22日は曇りで夕日が見えなかったようだ。
「池田監督、撮影現場でも妥協しなかったように、死ぬ前に見る夕日を待ち続けたんですか?」

23日は晴れていたようだ。
「23日の夕日を見て、何を思ったの?」
「やっぱり海には沈まなかったか…」と思ったの?

最後まで、ロケハンしてたの…?




(24日中にアップしようと思っていたのだが、間に合わなかった。また怒られるかな)

 


ホームランが聞こえた夏

2011年08月30日 | 映画

ろう学校の野球部員の奮闘を描いた韓国映画「ホームランが聞こえた夏」を観にいった。
ろうの世界に関心があり、中高と元野球部で、韓国語も以前(20年以上前だけど)勉強していた自分としては、必見映画だったわけで。

で、感想はというと、うーん…。
キャストが撮影前に手話や野球の練習を積んだのだろうということはスクリーンからも伝わってはきたし、ベタだけどグッときそうなセリフもああったし、興味深い点もあったのだが。
興味深い点といえば韓国手話。
植民地時代に日本の手話が教えられた影響があるらしく共通の手話単語も多いらしいのだが、実際見ていてかなり似ているのもあった。
野望としては将来韓国手話を勉強したいとは思っているのだが。

それはさておき、映画に話を戻すと、健聴者側で話を進め過ぎる物足りなさはあったなあ。
野球部員側内部の描写が足りないというか、まあ手話への演出が大変だからだろうが。
ストーリーは、スポーツものの王道的な展開でそれはそれでいいのだけど、ろう的な観点や野球的な観点から見て、「どうなってんだー」という箇所が多すぎて…。

野球的な観点は、下手なポンコツチームが上手くなる設定なのだが、その野球のディテールの差異の描き方がずさんと言うか、丁寧に描かれてない。
当初は下手な設定なのに結構上手かったり、例えばスライディングもうまかったり。
うまくなった後の試合では、そこはスライディングだろうという部分でスライディングしなかったり、ボールの追い方が下手だったり。
劇画タッチの特訓とかは、まあそれはそれでいいと思うんだが、ストーリー展開や試合展開で説明するだけではなく、プレーの向上をもっときちんと且つさりげなく見せてくれないとなあと思った次第。
もちろんそういう箇所もあるのだが、荒い部分があることで台無しにしている印象だった。
その他にもバッテリーの食い違いなど、もう少しきちんと描くことで面白くなる部分はあったと思うのだが。
アメリカ映画とかだと、映画はつまんなくても野球に関する描写はしっかりしたりするんだけど。

次に聴覚障害的な観点。
ろう学校高等部の野球部の投手は、中学の時、試合中に突発性難聴になり耳が聞こえなくなってしまう。
つまり中途失聴者である。
中途失聴者の一番の苦悩は、「しゃべれるけど聞こえない」ことだ。
なかには健聴者の時ほどはうまくしゃべれなくなる方もおられるようではあるが、多くはほとんど健聴者と変わらないしゃべり方の人が多い。
だがその投手のしゃべり方はとんでもなく変だ。
なんというか、口話があまりうまくないろう者を真似て健聴者がしゃべるしゃべり方というか、
懸命にうまくしゃべれない風にしゃべっている。
むしろ普通にしゃべれるのに聞こえないことこそが大変だという風にした方が自然だし、よかったと思うのだが。

さらに驚いたのは、中途失聴者である彼がもっとも口形を読むのがうまい、読唇がうまい設定になっていたこと。
むしろ先天性のろう者のほうが、口形を読むことを長年強いられてきているはずだから、逆じゃないのかと思ったのだが。
突発性難聴になって2年たった設定であるし、両親は先天性のろう児と差別化を図りたかったようであるから、その間に特訓したのだらうか。
というか冒頭、試合中マウンド上で彼が突発性難聴で聞こえなくなった直後、キャッチャーが歩み寄ってきて、会話をするシーンがある。
彼としては、キャッチャーが何を言っているのかわからなくて、ごまかすのか、頓珍漢な応答をするのかと思ったら、普通の会話になっていて驚いた。健聴者の時から口形が読める設定だったのか。そんな馬鹿な。

まあそんなこんな(その他諸々)の違和感があったということですが。

なんだか批判ばかりしているようだけど、いいシーン(?)もあったといえばあったのだが。
強豪校がわざと三振したりする場面で元プロ野球選手の監督が
「同情はやめろ。こてんぱんに叩きのめされて、立ち上がる権利さえも奪うな」的なことを敵チームの選手たちに言うシーンがあり、障害者に対して安易な同情はやめろという重要なシーンになっているのだが、本来は当事者自身が怒るべきシーンだと思う。
少なくとも投手役は手を抜かれていることもわからない程経験がない設定ではないわけだから、投手の方から怒って行くべきシーンだったのでは、それを監督が代弁するというような。

まあ、きりがないのでこのへんで。