少々、能天気なタイトルをつけてしまいました。
「サムライブルー」から「町人ブルー」「商人(あきんど)ブルー」へ
というタイトルをつけていたのですが、なんだかよくわからないかと思い、変えました。
ワールドカップはドイツの優勝で幕を閉じました。
決勝はもう少しドイツよりの試合になるかと思いましたが、どちらが勝ってもおかしくない試合でした。
延長後半は、ドイツのセンターバックであるフンメルスやボアテングがかなり足にもきている印象だったので、むしろアルゼンチンに点が入るかもしれないと思いながら見ていました。そういったなかドイツのシュバインシュタイガーが止血のためにピッチを離れます。その間数的有利になったアルゼンチンのセンターバックのガライやデミチェリスにわずかながらの余裕ができる。シュバインシュタイガーがピッチに戻った後、その余裕が、集中力のわずかな欠如を招いたようにも見えました。
何といったらいいか、例えば徹夜明けで仕事をしていて一瞬でも休憩してしまったら眠ってしまうみたいな、そんなぎりぎりの勝負を感じました。
ちろんゲッツェのトラップからのシュートは素晴らしかったですけどね。
本当に目の離せない試合でした。
さあそしてサムライブルーです。
この先は好き勝手というか、かなりざっくりとした感じで書いておりますので寛大な気持ちでお読みください。
サムライブルーのグループリーグ敗退後、「“自分たちのサッカー”って何なんだよ」「そんなもんがそもそもあるのか!」「100年早いわ!」などと、批判的な言質も飛び交っていたようです。
“自分たちのサッカー”とは、広義の意味では、“日本のサッカー”、“日本らしいサッカー”とも言い換えられると思います。狭義の意味では、4年間積み上げてきたサッカーということになりますが。
では日本らしいサッカーとは何かといえば、「攻守に渡ってコンパクトさを保ち、ショートパスを主体に攻撃を組み立てる」。そういった感じのサッカーだと思います。
もちろん応用編としていろんなバリエーションがあるかと思いますが、誰が監督やってもベースはそのあたりにあると思います。まあ要するに体が大きいわけではないので、前提条件として選手間の距離を近くしなくてはならないわけですね。
もちろんディフェンスラインを高く保つだけではなく、ラインは下げながらも全体はコンパクトにするということはあるわけです。それが南アフリカの岡田ジャパンだったわけです。それでざっくり言うと「ブラジルW杯ではディフェンスラインを上げよう」ということになったわけですが、上げられなかった。相手チームに下げさせられたというより、下がってしまった。しかし前線は下がらなかったのでコンパクトさに欠けてしまった。
とまあそんなこんなでグループリーグを敗退してしまいました。
逆に言うと、日本らしくないサッカーというかやってはいけないサッカーは、間延びしたサッカーということになります。
前線のFW(フォワード)からディフェンスラインまでの距離が遠いということですね。
もちろんサッカー的に絶対ダメということではなく、長身の選手が多数いてロングボールを多用するチームはそちらの方がやりやすかったりすることもあるわけです。
もう一点、W杯を通じて言われていることは、一つの形では勝ち進めないということ。
例えばオランダが伝統の4・3・3を封印して、5バックで臨む。しかし時には4・3・3も使う。
あるいは優勝したドイツも複数の戦い方が出来ていた。
日本はそういう戦い方ができていなかった、というわけです。
しかしそれは4年前からわかっていたこと、ザッケローニ監督は3・4・3も根付かせようとしたが根付かなかった。
ここから話は飛躍していきます。さらに寛大な気持ちで読み進めてください。
日本サッカー、日本人らしいサッカーを改めて考えてみます。
遠い将来の未来像です。
実は私は「変幻自在に戦い方を使い分けられるサッカー」こそが日本のサッカーなのではないかと思っています。昔からそう思っているんですが、時々話しても誰も相手にしてくれません。笑われて終わりです、ハイ。
日本人って、愚直なまでに同じことを追及するというよりは、相手に合わせてカメレオンのように形を変えることのほうが実は得意なのではないかと思っています。
「言われたことしかできない」ということが日本人の特性だと語られることがありますが、それは明治時代以降富国強兵の政策のもと、そう慣らされてしまったのではないかと思っています。
日本に昔からある伝統と思われていることでも実は明治から始まったものはとても多い。
ほとんど明治から始まったくらいに思っていたほうがいいくらいかもしれません。
明治以前の日本人は、よくも悪くも「いい加減」というか「ほど良い加減」で、実は相手に合わせるのが上手かったのではないか。自然ともうまく折り合いをつけて生きてきたでしょうし。
ここでいう明治以前の日本人はサムライではなく、町人や商人(あきんど)などの庶民です。江戸時代に限定しているわけではなく、日本人の庶民に脈々と受け継がれてきたものを漠然とイメージしています。
建前と本音で言えば、建前がサムライ、本音が庶民ですね。
そこで「サムライブルー」から「町人ブルー」「商人(あきんど)ブルー」へという冒頭の言葉につながってくるわけです。
建前のサムライはもろいわけです。
ところで明治時代の「武士道」は新渡戸稲造が欧米向けに創作したもの。武士道は明治時代に生まれたわけです。本来、武士は死んではいけなかったわけですが、死ぬことが美徳のように書かれている。死ぬのは負けですから、主君のためには相手を殺さなければならない。死なずにに勝つためにはいろいろと知恵もしぼらなくてはならない。宮本武蔵も勝つために、手段を選ばずというより、工夫を凝らした。その後、武士はどんどん官僚化(官僚化という言葉が適切かどうかよくわかりませんが)していくわけですが、侍が存在している時には、現在認識されているような「武士道」は存在しなかった。
いわゆる「武士道」の“サムライ”が集まった“サムライブルー”では、融通も利かず、一つの戦い方しかできず、工夫も足りず負けてしまうわけですね。
また「美しく散るサッカー」が日本のサッカーだとも思っていません。
「変幻自在に戦い方を使い分けられるサッカー」に話を戻します。
現在の日本にはそういった戦い方はまだまだ無理だと思いますが、サッカーがより深く日本人の心の中に浸透した20~30年後あたり、平成生まれの日本人監督が代表監督を務める時代になれば、そんなサッカーが見られるのではないかと思っています。
全くのオリジナルを生み出すことは苦手でも、取り入れたものをうまく活用し発展させることは、日本人は得意なのではないか、そんな気がします。
セットプレーのアイディアなんか考えるのも本来得意なのではないかと思います。
(電動車椅子サッカーのセットプレーなんか見ていてもそう思います)
そのあたりは早くに手をつけられるかもしれません。
かつて日本の輸出品が世界の信用を勝ち得たように、
世界中の人々から「日本のサッカーだったら見て損はないよね」「高い金払ってでも観たいよね」
そう思われるサッカー。
そんなサッカーを観てから、私は死にたい。
なんだか収拾がつかなくなってきてしまいました。
近視眼的に見るだけではなく何十年、何百年単位で見ることも大切というか、楽しいし、などと思い書き込みました。