サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

冬季デフリンピック 28日に開幕

2015年03月25日 | デフリンピック

冬季デフリンピックがロシアで3月28日~4月5日まで開催される。
大会に向け日本選手団は24日にロシアに向け出発した。

デフリンピックは4年に一度開催される、ろう者のオリンピックである。
しかし前回のスロバキア大会では直前の中止。既に現地入りしていた日本人選手スタッフもいたという。であるから今大会は8年ぶりの開催となる。
今回の選手団のなかには、前回参加選手には選ばれていたものの参加することができず悔しい思いをされたかたもいるようだ。是非悔いのないようにプレーしてきてほしい。

デフリンピックの参加資格は裸耳状態で55dB以上で、プレー中は補聴器を装用できない。人工内耳の選手も出場できる。もちろんその際、体外装置は外さなくてはならない。
デフリンピックの夏季大会は前身である「国際ろう者競技大会」は1924年パリ大会より開催されている。冬季大会は1949年より開催されている。夏季大会は2001年ローマ大会よりIOCの承認を得てデフリンピックという名称となった(1967年からは「世界ろう者競技大会」という名称)。冬季大会は2003年のスウェーデンでの大会からデフリンピックという名称になったのだと思う。

私自身は夏季大会に関しては2大会連続現地に最初から最後までいてそれなりには詳しいが、冬季デフリンピックに関しては正直疎い。
2009年の台北デフリンピックは女子サッカーのドキュメンタリー映画の撮影で、2013年ブルガリアのソフィアデフリンピックでは、男女サッカー、女子バレー、ハンマー投げ、水泳の取材で現地を訪れた。

興味のあるかたは以下を参照してください。
台北デフリンピックに関しては、DVD「アイ・コンタクト」http://www.eyecontact-movie.info/
あるいは単行本「アイ・コンタクト」(岩波書店刊)を。
ソフィアデフリンピックに関しては、以下が書いた記事の一覧。
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/27737fcbd0f29c9fb563feb82b2e7b2b
またこのブログのデフリンピックのカテゴリーにもいろいろ書き込んでいます。

現地取材に訪れるメディアは極端に少ない。例えばソフィアの場合は、ろうあ連盟から派遣された方々、またとある選手が所属する会社内部の映像制作クルーを除けば、私の知る限りでは、卓球の上田選手を追っていた関西のテレビクルーだけだ。
開会式から閉会式まで現地にいた日本人メディアはおそらく私一人だけだったのではないかと思う。(もしそうでなければ是非お知らせください)。
もちろん冬季デフリンピックにも興味はあるが資金もないため渡航は無理である。しかし2017年トルコで開催される夏季デフリンピックには是非行きたいと思っている。

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催も決まり、パラリンピックのことを知らない人は誰もいないだろうが、デフリンピックに関しては知っている人の方がはるかに珍しいのが現状である。

 


ノーマライゼーションカップ ブラサカ日本代表vsコロンビア代表

2015年03月25日 | ブラインドサッカー

1つ前の記事で書いた電動車椅子サッカーの大会の翌日、ブラインドサッカー日本代表vsコロンビア代表の親善試合を埼玉県大宮まで観に行った。
ブラインドサッカー協会とさいたま市がタッグを組んでここ数年行われているノーマライゼーションカップである。
初開催以来毎年観に行っているが、今回は最寄駅を降りたところから観戦客らしき人々が見受けられた。どうやら600人の人々が集まったようだ。

試合は前半6分くらいだろうか、黒田選手が自陣の深い位置からドリブルで持ち上がり最後はフェイントで相手をかわしてシュート!ポストに当たったボールはそのままゴールマウスに吸い込まれた。
その1点が決勝点となり日本代表が1対0とコロンビア代表に勝利した。

この試合の注目点は、昨年東京で開催された世界大会以後課題となっている攻撃力のアップがどこまで進んでいるのかという点。
以前よりラインは高く設定されている時間帯も多かった。しかし引く時は引くというメリハリもあった。また黒田選手が出場している時はある程度攻撃的に、ロベルト選手が出場している時はある程度守備的にいくという点は変わらないようであった。
攻守の切り替えを速くという点は意思統一が出来ているようであったし、田中章仁選手のサイドチェンジのパスの精度はかなり上がってきている点などはとても印象的だった。
PK、第2PK合わせて5回以上はあったと思うがなかなか枠にいかなかったり、枠にいっても得点の匂いがしなかったり、そのあたりは今後も課題であろう。

ノーマライゼーションカップであるから当然手話通訳などもつく。
開会式と閉会式の立ち位置が違っていて開会式の立ち位置は少々見えにくいのではないかと思い、通訳者に質問したところ丁寧に答えていただいた。導線の関係で主催者からの指示があり、手話通訳の必要なかたは見えやすい位置に誘導することになっていたそうだ。
またサポーターが“ニッポン”コールしている状況などの通訳もあり、勉強になりました。
しかし一つ残念なことも。開会式や閉会式は当然手話通訳がついているが、試合後の選手がサポーターの前に整列し落合キャプテンが挨拶した時には手話通訳はついていなかった。公式な進行にはなかったからかもしれないが、むしろそういった場面こそ通訳してほしかった。
ちなみに、その場に通訳が必要な人がいたかどうかはわかりません。


電動車椅子サッカー 第18回ドリーム・カップ

2015年03月25日 | 電動車椅子サッカー

先週土曜日3月21日、前述した電動車椅子サッカーのドリーム・カップに神奈川県平塚市まで行ってきた。
プレー時の制限速度10km(二足歩行の小走りくらい)の国際ルールで行われるクラブチームの大会である。全国から集まった6チームが2つのグループに分かれリーグ戦をおこない、その後決勝を含めた順位決定戦をおこなった。

優勝したのはナンチェスターユナイテッド鹿児島(以下ナンチェと表記)。初優勝である。
大会前の客観的な優勝予想は、3連覇を目指すレインボー・ソルジャー(以下レインボーと表記)と阻止しようとするYokohama Crackers(以下Crackersと表記)、その2チームにナンチェがどうからんでくるかというようなところだと思うが、ナンチェが優勝する可能性はかなり高いのではないかと思っていた。
ナンチェはこのところ準優勝ばかりが続いていて優勝したいと気持ちが一番強いのではないかと思われたからだ。塩入選手が怪我をしたらしいという事前情報もあり怪我からの復調が絶対条件ではあったが、東選手が昨年11月にストライクフォース(電動車椅子サッカー用に開発されたマシーン)に乗り換えたことによりチーム力が大きく上がっていることも予想された。

しかしどう転ぶかわからないのが勝負というもの。
グループリーグ初戦はナンチェ vs レインボー、Crackers vs FCクラッシャーズ(長野)の対戦。
Crackersの対戦相手クラッシャーズは、類稀なる戦術眼の持ち主飯島選手を中心とした好チーム。Crackers も早い時間に先制点を奪えないと悪い流れになることも予想されたが、前半のうちに1点先制。コーナーキックからのこぼれ球を三上選手がダイレクトで逆サイドの永岡選手へパス、永岡選手が正確な回転キックで蹴り込んだ。その後2点を追加したCrackersが3対1で試合を終えた。
ナンチェ vs レインボーの1戦は、後半ナンチェがゴール前の間接フリーキックのチャンスに野下選手からのリターンパスを受けた東選手が豪快に蹴り込んで先制。“負けない”レインボーはその後、北澤選手の間接フリーキックをファーサイドの内橋選手が蹴り込んだと思われたもの判定はノーゴール。その後レインボーは追いつくことができず、ナンチェが1対0で勝利した。
両試合とも好カードであるが“同時”キックオフ。本当はどちらも観たいのだが、中心に撮影しているのはCrackers。しかしこの日はカメラマンにもきてもらっていたため、私は別のポジションで小さなカメラで撮影しながらナンチェ vs レインボーを横目で見たり、時折カメラも向けたりという“きょろきょろ”観戦状態だった。

ナンチェとレインボーのグループのもう1チームは廣島マインツ。チーム事情もあり参加はなんと2名のみ。本来電動車椅子サッカーは4名でおこなうものだが、ルール的には最低2名で試合が成立する。10点差以上の試合になるのではと心配したものの、2名の選手の頑張りで、スコアは0-6、0-2と善戦(といってもいいのかな)。

一方Crackersは金沢ベストブラザースの挑戦を退け勝ち点6で決勝へ、決勝の対戦はナンチェ vs Crackersとなった。
先制したのはナンチェ、後半3分東選手がドリブルで押し込み先制。東選手本来のうまさとストライクフォースの威力がミックスした得点。しかし10分後、Crackersは三上選手からのパスを受けた竹田選手のゴールで同点に追いつく。
そして試合は前後半では決着がつかずPK戦へともつれ込んだ。(大会規定により延長はなかった)。
PK戦では進境著しい紺野選手が東選手に止められて、勝利の女神はナンチェに微笑んだ。紺野選手にとっては飛躍のための良薬となったことだろう。

試合が終わると会場を移し、夜の部の交流会がある。多くの電動車椅子が集まり交流できる場所や時間を確保することは難しく貴重な場ともなっている。
もちろん電動車椅子サッカーをめぐっての熱い議論もあるが、選手たちの別の素顔も見ることができる。
各チーム何かしら余興をやらなくてはならない大会規定(??)となっていて、優勝(?)したのはCrackers。
某日本代表コーチの“雪の女王”への女装!女子選手などのメーク協力!ママたちの小道具作り!そして選手やスタッフのお子さんたちの奮闘!
金沢ベストブラザースも 抜群のチームワークと事前練習で素晴らしいパフォーマンスを披露した。
それにしてもクラッシャーズの加藤選手は人気者。主催者からの無茶ぶりに困った各チームから何度もご指名で呼ばれていた。

交流会も終わり帰ろうかとホテルを出ると、2次会へ向かうクラッシャーズの方々と遭遇。誘われるがままに飲み会に合流しガンガン飲んでしまい、終電で何とか帰宅。いやあクラッシャーズの関係者はほんとよく飲みます。

様々な意味で来年が楽しみなドリームカップでした。

現在日本電動車椅子サッカー協会が主催する、制限速度10kmのクラブチームの全国大会はない。ひょっとしたら将来的には予選を含めた10kmの大会が開催されることもあるかもしれないが、ここまで18年の歴史を積み重ねてきたドリームカップの功績はとても大きい。