京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

世界遺産 元離宮二条城。

2009-01-08 21:58:38 | 京の石垣。
昨年からの持越しです。

昨年の12月23日のこと
子達と二条城に行きました。

12月24日付けのブログ投稿
「聖護院界隈」の続きです。

聖護院で昼食のお蕎麦を食べた後
押小路釜座近くの安いコインパークに駐車して
二条城に向かいました。
(門前の市営駐車場に入れないところが、ケチの私らしい・・・)



ところで
皆さん
私はずっと引っかかっていたことがあります。

今回の訪問にあたって
一応、二条城のホームページなどを
チェックしてみたのですが
隅々まで見ても
「徳川家康が造営した」としか書かれておりませんでした。


二条城は
織田信長が、室町幕府最後の将軍・足利義昭に献上した城
でなかったっけ?
記憶違い?
と狐につままれたような思いを抱いておりましたが。

実際訪れてみて
パンフレットや史跡の一つ一つを見ても
どこにもその形跡がない

あれ~?
と思っておりましたが

今回、ブログ投稿にあたって
下調べをしましたところ
たまたま、おととい図書館で借りてきた
「京都時代MAP安土桃山編(光村推古書院)」に
答えが載っておりました。

かなりモヤモヤがすっきりしたので
お聞きください。



上述の本によると・・・
なんと!
歴史上、戦国武将が作った二条城は4つあったんです。

「信長の上洛によって
 京は落ち着きを取り戻し、
 政治の舞台として整備されてゆく。
 その象徴が洛中に築かれた城、二条城だ。
 現存する二条城は徳川家康の建てたもの。
 信長はそれとは別に二つの二条城を築き、
 豊臣秀吉も都の拠点として
 二条に城を築いていた。」

(その1)「二条御所」
1569年、将軍・足利義昭のために建てられた二条城
・・・
現在の烏丸丸太町を北上したあたり
平安女学院の校舎らへんです。
天下統一への後ろ盾として
織田信長に重宝されていた義昭公
仮幕府の置かれた本國寺が襲撃にあったことから
信長は、義昭のために
より強固な城を築きました。
しかし、義昭追放ののちは解体された

(その2)「二条御新造」
1576年、信長の在京中の宿所として建てられた二条城
・・・
二条御所より、もっと南に位置する
烏丸御池付近
ハローワークやマンガミュージアムのへんか
二条関白邸の跡地に建てられた城で
名園として知られた二条関白邸の庭園を残し、造営した。
この庭園のなかの「御池」が
御池通りの名前の起源となっているそうです。
(神泉苑起源説と二分しており、定かではないが)
この二条城は
本能寺の変の際、嫡男の信忠がろう城し、自刃した場所であります。

(その3)「妙顕寺城」
1586年に聚楽第が出来るまで
豊臣秀吉が、京都支配のための政庁として使用していた
・・・
今の二条城の南東に位置する
堀や構えをめぐらせた法華宗の妙顕寺の構造に
目をつけた豊臣秀吉が
1583年(本能寺の変の翌年)に築城。
京都経営の拠点としたが、聚楽第の造営により
その役割を終えた。

(その4)現存の二条城
1601年、天下人となった徳川家康の京都の宿所として建てられる。



というわけで
二条城とひとくちで言っても
イロイロ

時代背景も場所も違った
それぞれの二条城だったわけですね。

まあ
現存の二条城のパンフレットにも
少しくらい
この辺の歴史に触れてもいいような気もしましたが

それはともかく
家族の楽しいお出かけ
二条城に出発です。




先ほど
押小路釜座あたりのパーキングに駐車したと書きましたが
二条城までの道中で
なんと!
偶然
秀吉の二条城を激写!しておりました。
(当時の私は、当然気付いていない・・・)


(妙顕寺城跡・現在は西福寺)



道中、何かの足しになるかも
と何となく写真を撮ったのですが
(ボツ写真になりかけてました
まさか、こんなことで役に立つとは思いませんでした。
感無量?です。

というわけで
わざわざ、遠くのコインパークに停めた甲斐もあった
二条城行き。

入場券を買って、堀川通り側の門から入場です。


(東大手門)


(外堀)



このへんの調度が
いかにも徳川、ザ!天下人という感じです。
ひなびた城跡も良いが
たまには、こういうのも楽しいです。


(二の丸入り口の唐門)

この奥の二の丸御殿が
うぐいす張りで有名な建物です。
本当は、コースの最初に行くべきところだろうが
子達の先導で
本丸から行くことに・・・


(内堀と本丸の石垣)

 奥・画像左端が天守閣跡です。

そうそう
言い忘れていましたが
結構、大事なこと・・・(?)

実は、二条城に行くの
初めてなんです。
今更ですが・・・
こんなに近くなのに
何度も何度も前を通り過ぎながら
一度も行ったことがありませんでした。
たぶん
周りの人も、行ったことがあるだろう位に思って
声をかけなかったんでしょうね。
それに
どうせ天守閣がないから、と
過小評価
してました。

けど
とんでもない
天守閣こそ焼失してしまったものの
本丸も内堀も存在した
立派な城だったんですね!
知らなかった~
ビックリしました。
とても立派な石垣だったので



通常のコースとは
おそらく真逆をたどりながら
ひたすら石垣写真を撮り続ける私



入場門からは正反対側の(つまり西側)
内堀にかかる橋から
本丸に入りました。



逆行で見えにくいですけど
本丸・西南角の天守台です。


(こちらは、本丸・北西角)


(同じ方向、少しズームを下げた)

立派な石垣なので
いくら撮っても
興奮が治まりません。


(西方向から見る本丸御殿の屋根)

こちらの大きな石垣も個性的で素敵です。

ところで
これらの石垣に象徴されるように
徳川家の二条城が建造される頃には
丁寧に成型された石が使用されるようになっていました。

(正反対なのが
 野面積みや穴太積みです。
 自然の石をそのまま積み上げた
 粗野なもので
 即席・短時間での普請が可能
 戦国混乱期に多用されました。)

石垣だけを見ても
いかに時代が安定期を迎えていたかが分かります。



私たちの目的地
天守台に到着しました。



やっぱり城といえばコレでしょう。
二の丸御殿ばかりが目立っているので
ここまで来るのは
時間に余裕がある方だけなのかな。
あまり人は居ませんでしたが
上からは
本丸御殿
遠くは比叡山まで一望できて
なかなかの景色でした。



もとは
ここに、五層の天守閣がありましたが
1750年に雷火により焼失しました。
残念なことです。

本丸御殿も
大火の類焼で1788年に焼失しました。
現在の建物は、旧桂御殿を1893年に移し建てられたものです。



さて
この先
二の丸のことを投稿するつもりでしたが
ななんと!
カメラの電源が切れてしまった!のです。

残念!

近頃、充電式の電池が古くなった?ので
普通のアルカリ電池を使っていますが
これは、すごい速さで無くなりますね。
早く、新しい充電電池を買わなければいけません。

二の丸御殿
二の丸庭園
それはそれは素晴らしかったです。
(みなさんもご存知ですよね)

世界遺産指定にはそれなりの理由がある!

実感しました。