日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

なかば、軽蔑

2007年12月27日 | Weblog
働きまくって死んでいく。そんな人生が果たして良い人生か。

我々は働く為に生まれてきたのではない。生きるために生まれてきたのである。
もちろん、働くことも生きることの一部には違いないが、さりとて、諸外国と労働時間に、大差がつくほど働いて、[仕事中毒の働きバチ]と半ば軽蔑されている現状には、首をかしげざるを得ない。

そんなふうに働く事一色の世の中のおかげで、GNPは、世界有数のものになった。今日テレビも、車も、海外旅行も、珍しくなくなったが、その裏付けが働き中毒のおかげだとすれば、働きすぎるのもまた良いことかもしれない。
しかしだ。車を買うために、地道をあげて働いている間に、我々は、もっともっと大切なもの失ってはいないだろうか。

金を稼ぐ方と使う方

2007年12月27日 | Weblog
男は金を稼ぐ。せっせと働き頭を垂れて、金を稼ぐが、どんなに大変なことが実感しながら金を稼ぐ。
女は概して金を使う側に回る。金を使えば、相手は大抵の場合頭を下げてお愛想のひとつも言ってくれる。間違っても頭を下げて、金を支払うようなことはしない。

男が知的で、女が情的だと言われるが、大勢の男たちの中に立ちまじって、われを抑えることを強いられる男と、そういう訓練や強制の場がない女とでは、おのずと考え方が違ってくるのは当然だ。
女が社会的に力を持ちえない最大の要因は、社会的に訓練を受けるということが少ないという事だ



高千穂夜神楽

2007年12月27日 | Weblog
前回素通りしてしまったので、今回こそはと、高千穂神社で行われる夜神楽を見に行った。

夏休みで観光客が多かったのだろう。会場内は満員で、立ち見が出た。

神楽は33番まであり、そのうちの4番が、観光客向けに演じられるものだが、そのどれもが実に分かりやすくて面白かった。
私の隣にいた。アメリカ人も、言葉が通じなくても、舞の意味が分かったらしく、大声をあげて笑っていた。
とりわけ、感じ入ったのは、ご神体の舞というものである。男の神様と、女の神様とが酒を作り、浮気心心をのぞかせ、それで家庭円満におさまっているの、身振り手振りで、おかしく舞ってみせる。

これは、神楽のイメージとはずれていて、パントマイムと言った方がふさわしいような気がした。楽器は、太鼓と、太鼓につるした鉦の3種である。単調なメロディーで、この神楽では、リズムの緩急が、舞の仕草と結びついて重要な意味を持つ。

心の荒廃がひどい現代の都会人に一服の清涼剤として、現地に立って、この神楽を見てもらいたいなと思った。

夜神楽を見て、その新しさに驚いた。古代神話の時代のイメージで、神楽もまたそうだろうと一人合点していたので勘が狂った。
神楽にはユーモアがあり、命を躍動があり、現代に通じる生活感があった。

昭和の神楽歌など、と自作を自認していたが、こちらの神楽の方が、私のそれよりはよほどナウい
私のは新鮮さがあると言えば、それまでだが、真面目で固い。音楽としては新しいのかもしれないが、中身はそれほどまで新しいとは思えなかった。

神と野獣の共存

2007年12月27日 | Weblog
人いろいろというが万人に共通していることは人間はその肉体の中に神と野獣を同時に持ち合わせているということです。だからときには神のように神々しいときもあるし、またあるときは野獣のように醜い面をだします。これが人間の本質的な部分です。宗教人は信仰の力をだして野獣性を抑圧し、一般人は常識力で醜い面を抑えているが押さえきれなくなって動物丸出しの状態になります。これは避けようがないから、私を含めて人生何事もなくということも至難の難しさを伴います。つまり人生に間違いはつき物です。常識という最大公約数で眺めなくてはならないと同時に心のうちに潜むアニマリテイにも十分目を向けて生きたいものです。間違いを犯すことを恐れては何も出来ません。これが正常な人間だと思って自己肯定をし、明るく積極的に生きて人生を楽しみたいものですね。