日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ふふふのふーだ

2008年08月16日 | Weblog
ふふふ。全部あるよ。ついでにいい人もね?
女はね、人を愛してその人の子を産んで、育てて始めて人になれると思ってんのです。
ウサギの言うことは、まっとうやな。これじゃウサギに弟子入りして根性をたたきなおしたほうがバンコクへいくより有意義かもしれん


なんとなんと。ウサギは多産系だと聞くが、ととに子持ち、仕事もち ついでに一匹ねずみを飼ってるとは
どうも俺のほうが分が悪いな 世の中すごいウサギがいるもんだ。
女はね、人を愛してその人の子を産んで、育てて始めて人になれると思ってんのです。かわいいことをいう女。男から見るとこういう女がたまらないんだよなー。問答無用で愛したくなるし、支えてほしくなるんだよ
おっととっと。やばいことをいってしまった。今晩おとうに聞いてみるんだな。私ってすごい女でしょって。まだあったことも無いどこかの馬の骨でも私の魅力に負けるっていってるぜ。あなた今晩元気出して私の色香にまよいなさい。というウサギ。これこそ  ふふふのふーだ。

お盆

2008年08月16日 | Weblog
お盆

関西では、お盆は8月13日から15日である。関東では、これより一ヶ月早く7月だ。
恒例のことながら、芦の茎を薪にして、迎え火をした。

35度の暑さもすっかり陰を潜め、空に月が輝く頃、家の前で独りで迎え火を焚いて精霊を迎えた。今年は有縁無縁何人の仏様が、この迎え火を頼りにして、帰ってきてくれるのだろうか。10億万土離れたところから帰ってくるのだから、旅疲れが出るのではないかと、この世の常識が働く。
ところがスエーデンボルグによると、精霊から霊に進化した仏たちは瞬時にして、我が手元にやってくるらしい。

地方では灯籠流しとか、精霊流しという行事があるのをみると、盆に実家に里帰りする精霊は、精霊界の住人で、まだ霊界に行く準備が完了した人達ではない。
精霊達と何のコンタクトもとれないから、自分の好きなように、勝手に想像して、全て好きなように考えて、迎え火をしているのだ。

迎え火は夏の夜の線香花火よりは趣があってよい。というのはいつかは私もこのように誰かに迎えられて、この世にある住まいに帰ってくることがあるのだろうかと想像できるからである。

心地よい夜風が髪の毛をゆらして通り過ぎていく。こんな行事が何年続けられるのだろうかと、ふと心細くなった。
今日は16日。お盆は昨日で終わりだ。お供え物を川に流し、川の生き物に供養をする。この行事も河川汚濁に繋がるとして、お盆の仏に供養したお供え物を流す人は滅多にいない。
気はひけはするが、私は毎年流している。段ボールの箱にお供え物の果物やお菓子類を入れて紙を巻いたろうそくに火をつけて立て、水に流し「また来年も帰ってきてほしい」とお経を読んで見送る。川岸からこの箱船を流すと、どこからともなく魚が寄ってきて、このお供え物の奪い合いをする。これも供養かをじっと水面を眺める。

昔は地方ではこの風習が多分に残っているところもあるようだが、都会のど真ん中では見ようたって見られない。盗人みたいなやましさは残るが、生きている限り、この精霊流しは続けたい。
「では浄土へおかえりなさい。来年のお盆もきっと帰ってきてほしい。どんぶり茶とお経とお供え物でお迎えするから。」
こうやって今年の夏も早過ぎ去ろうとしている。まもなく蝉時雨もどこかに行ってしまう。