犯罪に思う
高等裁判所判事が児童買春をした罪で約三カ月間拘置されていた
彼に判決を下した裁判官は法制史上に、大きな汚点を残したと厳しく断罪したが、執行猶予5年のついた有罪と判断をした。
そして判決文の後ろの方で、世の中には志半ばにして病や事故で倒れるものも たくさんいることだけに対しても感謝しなさい と諭した.
僕はこの判決が重いとも、軽いとも思わない。
確かに司法界に汚点を残したという意味では、司法関係者には、それなりに重要なことだったかもしれないが、一般市井の庶民には、こんなことはそんな大きな問題ではない。そんなことよりも
殺人者に対して、もっともっと厳しく処分することの方が、社会の安定には不可欠のことである。
裁判官が児童買春という法律違反を起こしたとはいえ、目くじらを立てるようなものではない。
確かに道義的責任や法的な責任はあるが、それでは社会の中では、もっと慎まなければならない立場の人間が、この程度の法律違反を日常茶飯事的に行っている。
この程度の法律違反は片目をつぶってやり過ごせる程度のものであるが、恣意的な殺人犯だけは許せない。代表的な例はオーム真理教の麻原の件である。この点に関しては結論が早くて年内。法律的手続とか、事件の真理を調査するとかいう名分はあるにしても、一体それがどういう役割を果たすのか。10年も20年もかかって真実を追求するというが、いったいそれは社会的にどういう意味を持つのか。犯罪者に対して何をしようというのか。
ここに30年凶悪事件が頻発している。
ここに30年の間に今まで例を見なかったような凶悪犯罪が頻発している。特に質の悪い人間はすぐ人を殺す。そしてそのことが、これだけ頻発するとそれに馴染んでしまう。そういうマヒした感覚が恐ろしい。このままで善良な市民が被害にあわずして、安心して暮らせるか。問題はそこにある。警察の検挙率もさることながら、そんなことよりは犯罪のなかでも殺人は社会的制裁として徹底的に痛めつけると言う厳罰を示さない限り殺人事件の抑止力にもならない。
国家公安委員長に物申す。
まじめな警察官が一命をかけて凶悪犯人を捕まえるという以前に、凶悪犯は遠慮無く射殺する権利を与え、部下の命を守れ。
犯罪者の人権などは絶対に優先してはならない。犯罪者の人権を考えるばかりに、凶悪犯に対して、それなりの処置を取れないとするならば、もう法治国家という意味が薄れる。
法律だけが理論的に正しいか、正しくないかという問題もさることながら、庶民感情とあまり大きく乖離しないところで、法の正義が実現されてこそ、初めて人間感情にマッチした生きた法律と言えるのである
片や裁判官が児童買春という法律を犯して社会的制裁を受けた。この裁判の翌日包丁を持って市民に危害を加えるおそれのあった加害者を取り抑えようとした交番巡査が刃物によって切り殺された。 この警官は重傷を負いながらも拳銃を発砲して犯人を射殺した。
それが庶民の溜飲を少しは下げたが、もしこれがやられっぱなしだったら、この犯人だけでなく、現在の法律や警備のあり方に対して、ごうごうたる非難が巻き起こったことだろう。
自分の欲望のために人を殺す殺人犯は、この世に生かしていてはだめだ。命を奪ったものは必ず命でその償いをするというのが鉄則でなければならない。殺人犯の言い訳を聞く必要もなければ、情状の酌量を考慮する必要もない。
改心して犠牲者の霊を弔い人生をもう一度やり直すなどという類の言葉は被害者に対する冒涜である。
常に軸足はは何の落ち度もない被害者の側におくべきで、加害者の人権に配慮して云々というのは理屈には合わない。少なくとも健全な庶民感情を逆なでしたり、納得できないようなことはやめてもらいたい。
高等裁判所判事が児童買春をした罪で約三カ月間拘置されていた
彼に判決を下した裁判官は法制史上に、大きな汚点を残したと厳しく断罪したが、執行猶予5年のついた有罪と判断をした。
そして判決文の後ろの方で、世の中には志半ばにして病や事故で倒れるものも たくさんいることだけに対しても感謝しなさい と諭した.
僕はこの判決が重いとも、軽いとも思わない。
確かに司法界に汚点を残したという意味では、司法関係者には、それなりに重要なことだったかもしれないが、一般市井の庶民には、こんなことはそんな大きな問題ではない。そんなことよりも
殺人者に対して、もっともっと厳しく処分することの方が、社会の安定には不可欠のことである。
裁判官が児童買春という法律違反を起こしたとはいえ、目くじらを立てるようなものではない。
確かに道義的責任や法的な責任はあるが、それでは社会の中では、もっと慎まなければならない立場の人間が、この程度の法律違反を日常茶飯事的に行っている。
この程度の法律違反は片目をつぶってやり過ごせる程度のものであるが、恣意的な殺人犯だけは許せない。代表的な例はオーム真理教の麻原の件である。この点に関しては結論が早くて年内。法律的手続とか、事件の真理を調査するとかいう名分はあるにしても、一体それがどういう役割を果たすのか。10年も20年もかかって真実を追求するというが、いったいそれは社会的にどういう意味を持つのか。犯罪者に対して何をしようというのか。
ここに30年凶悪事件が頻発している。
ここに30年の間に今まで例を見なかったような凶悪犯罪が頻発している。特に質の悪い人間はすぐ人を殺す。そしてそのことが、これだけ頻発するとそれに馴染んでしまう。そういうマヒした感覚が恐ろしい。このままで善良な市民が被害にあわずして、安心して暮らせるか。問題はそこにある。警察の検挙率もさることながら、そんなことよりは犯罪のなかでも殺人は社会的制裁として徹底的に痛めつけると言う厳罰を示さない限り殺人事件の抑止力にもならない。
国家公安委員長に物申す。
まじめな警察官が一命をかけて凶悪犯人を捕まえるという以前に、凶悪犯は遠慮無く射殺する権利を与え、部下の命を守れ。
犯罪者の人権などは絶対に優先してはならない。犯罪者の人権を考えるばかりに、凶悪犯に対して、それなりの処置を取れないとするならば、もう法治国家という意味が薄れる。
法律だけが理論的に正しいか、正しくないかという問題もさることながら、庶民感情とあまり大きく乖離しないところで、法の正義が実現されてこそ、初めて人間感情にマッチした生きた法律と言えるのである
片や裁判官が児童買春という法律を犯して社会的制裁を受けた。この裁判の翌日包丁を持って市民に危害を加えるおそれのあった加害者を取り抑えようとした交番巡査が刃物によって切り殺された。 この警官は重傷を負いながらも拳銃を発砲して犯人を射殺した。
それが庶民の溜飲を少しは下げたが、もしこれがやられっぱなしだったら、この犯人だけでなく、現在の法律や警備のあり方に対して、ごうごうたる非難が巻き起こったことだろう。
自分の欲望のために人を殺す殺人犯は、この世に生かしていてはだめだ。命を奪ったものは必ず命でその償いをするというのが鉄則でなければならない。殺人犯の言い訳を聞く必要もなければ、情状の酌量を考慮する必要もない。
改心して犠牲者の霊を弔い人生をもう一度やり直すなどという類の言葉は被害者に対する冒涜である。
常に軸足はは何の落ち度もない被害者の側におくべきで、加害者の人権に配慮して云々というのは理屈には合わない。少なくとも健全な庶民感情を逆なでしたり、納得できないようなことはやめてもらいたい。