徒然草草の作者、兼好法師は執筆の態度について、次のような意味のことを言っている。
一日の所在なさに、筆をとって、あれやこれや、そこはかとなく、心に浮かぶもろもろの事柄を、紙の上に記して行くのは、ものぐるほしくさえ思える。
兼好法師はこんな見出しで、不朽の名作を残したが、こういう出だしを冒頭に、置いて一体何を言いたかったのか。それは原文を読んだ人がそれぞれに解釈すればよいわけであるが、僕はこのほんの数行にも満たない、書き出しはかなり含蓄の深い文章であると思っている。
当時であれ、現代であれ、1日を筆三昧で過ごそうと思えば、それ相応のものを人生でつかんでおかなければならないはずで、それまでの月日を雲のようにフワフワと流れたことは、まずないはずである。
自然界の森羅万象は言うに及ばず、人事全般にわたって、深い洞察と鋭い感覚でもって把握し、それを己というレンズで、太陽光線をプリズムを通すと、紙の上には、7色の美しい色の帯になって現れるように、他人には違ったように見えたり、あるいは、気づかのままに見過ごすようなことはがはっきりと浮かび上がらせて、筆の跡に残っているのである。
だからどうしてどうして、所在なさになんていう文句は額面通りに受け取ったら大きな過ちを犯すことになりかねない。
僕が初めて徒然草に触れたのは、中学生になってからのことである。徒然草をつれづれぐさと読めたのは中学3年になってからの話して、それでもこの文体が読みづらくて、自発的に読もうという気は全然起こらなかったので、中身は何なのか。全く知らなかった。
高校に入って、国語の時間に先生が読んで訳すのを聞いておぼろげながら、何が書いてあるのか、ぼんやりとではあるが、知ったようなわけで、それも内容がよくわかっていなかったので、文学史上に燦然と光を放つ名作だなんて評価は、雲の上の話で、少なくとも僕においては地上の出来事ではなかった。
ところがである。40代も半ばに達すると世の中のことが見え始めてくる。徒然草に、目を通すと書かれている意味が分かりかけてくる。今まで目にも止まらないちっぽけな事柄にも、無限と言って良いほど大きい社会が存在する。そして僕はハタと当惑し困惑した。
現在60歳代になり、ものが見え始めてくると、ものの実態実相が分かり、初めて新たな発見に驚くことが多い。
僕はここでヘミングウェイの「武器よさらば」を思い出す。
彼はその終章で次のような意味のことを言っている。
「なんの方法も教わらないままに、この世に送りだされてやっと物が見える頃になると、もう命を召されてしまう。」
まさにその通りである。こういうことを知ってから、心は穏やかではない。少しでも多くのものを見たい、と願う気持ちが強く、それだけ真剣に生きようとしている。そしてその生きざまを書き残そうと思っている。かくて、こんな形でブログを利用することになった。しかもこれは生涯続けて実行できることであり、よしんば、この筆の跡をたどる子孫が、読まなくても、自分の楽しみであるから、仮り物の意識がない。
よい趣味を持ったものだ。と今は思う。こういうことを漠然とではあるが、考え始め、時折したためてから40年になっている。
ほとんどのものは散逸してしまったが、今後は日常生活の中で、そこはかとなく、頭に浮かんでくる、よしなしごとも大切に書きとめて、人生のひとこま、ひとこまを大切にキープしてみたい。
だいたい、ものを書くと言うのは読者を想定してからやることだ。もちろんただ、自己満足のために、ほんの自分一人のために書くというケースもあるだろうが、僕は例に漏れず、誰かに読んでもらいたいという強い欲求を感じながら書いている。
とはいえ、こういうことは自分の内面を、自分以外の人に見せることになるので、非常にためらいも感じている。なによりも気恥ずかしい。
どうもこの辺が頭の中では理屈のつがらないところである。父は書物を残さなかったが、祖父は回想録をはじめ、数冊の書物を残してくれた。それらはすでに祖父の死後70年以上の歳月を過ぎてなお生き残っている。もうボロボロになってしまっているが回想録を父が死んだとき、体裁を整えて新しく製本をし直した。このようにして、僕の筆の後も、製本して、余生と言われる時代に、読み直して人生を振り返ってみたいものである。
一日の所在なさに、筆をとって、あれやこれや、そこはかとなく、心に浮かぶもろもろの事柄を、紙の上に記して行くのは、ものぐるほしくさえ思える。
兼好法師はこんな見出しで、不朽の名作を残したが、こういう出だしを冒頭に、置いて一体何を言いたかったのか。それは原文を読んだ人がそれぞれに解釈すればよいわけであるが、僕はこのほんの数行にも満たない、書き出しはかなり含蓄の深い文章であると思っている。
当時であれ、現代であれ、1日を筆三昧で過ごそうと思えば、それ相応のものを人生でつかんでおかなければならないはずで、それまでの月日を雲のようにフワフワと流れたことは、まずないはずである。
自然界の森羅万象は言うに及ばず、人事全般にわたって、深い洞察と鋭い感覚でもって把握し、それを己というレンズで、太陽光線をプリズムを通すと、紙の上には、7色の美しい色の帯になって現れるように、他人には違ったように見えたり、あるいは、気づかのままに見過ごすようなことはがはっきりと浮かび上がらせて、筆の跡に残っているのである。
だからどうしてどうして、所在なさになんていう文句は額面通りに受け取ったら大きな過ちを犯すことになりかねない。
僕が初めて徒然草に触れたのは、中学生になってからのことである。徒然草をつれづれぐさと読めたのは中学3年になってからの話して、それでもこの文体が読みづらくて、自発的に読もうという気は全然起こらなかったので、中身は何なのか。全く知らなかった。
高校に入って、国語の時間に先生が読んで訳すのを聞いておぼろげながら、何が書いてあるのか、ぼんやりとではあるが、知ったようなわけで、それも内容がよくわかっていなかったので、文学史上に燦然と光を放つ名作だなんて評価は、雲の上の話で、少なくとも僕においては地上の出来事ではなかった。
ところがである。40代も半ばに達すると世の中のことが見え始めてくる。徒然草に、目を通すと書かれている意味が分かりかけてくる。今まで目にも止まらないちっぽけな事柄にも、無限と言って良いほど大きい社会が存在する。そして僕はハタと当惑し困惑した。
現在60歳代になり、ものが見え始めてくると、ものの実態実相が分かり、初めて新たな発見に驚くことが多い。
僕はここでヘミングウェイの「武器よさらば」を思い出す。
彼はその終章で次のような意味のことを言っている。
「なんの方法も教わらないままに、この世に送りだされてやっと物が見える頃になると、もう命を召されてしまう。」
まさにその通りである。こういうことを知ってから、心は穏やかではない。少しでも多くのものを見たい、と願う気持ちが強く、それだけ真剣に生きようとしている。そしてその生きざまを書き残そうと思っている。かくて、こんな形でブログを利用することになった。しかもこれは生涯続けて実行できることであり、よしんば、この筆の跡をたどる子孫が、読まなくても、自分の楽しみであるから、仮り物の意識がない。
よい趣味を持ったものだ。と今は思う。こういうことを漠然とではあるが、考え始め、時折したためてから40年になっている。
ほとんどのものは散逸してしまったが、今後は日常生活の中で、そこはかとなく、頭に浮かんでくる、よしなしごとも大切に書きとめて、人生のひとこま、ひとこまを大切にキープしてみたい。
だいたい、ものを書くと言うのは読者を想定してからやることだ。もちろんただ、自己満足のために、ほんの自分一人のために書くというケースもあるだろうが、僕は例に漏れず、誰かに読んでもらいたいという強い欲求を感じながら書いている。
とはいえ、こういうことは自分の内面を、自分以外の人に見せることになるので、非常にためらいも感じている。なによりも気恥ずかしい。
どうもこの辺が頭の中では理屈のつがらないところである。父は書物を残さなかったが、祖父は回想録をはじめ、数冊の書物を残してくれた。それらはすでに祖父の死後70年以上の歳月を過ぎてなお生き残っている。もうボロボロになってしまっているが回想録を父が死んだとき、体裁を整えて新しく製本をし直した。このようにして、僕の筆の後も、製本して、余生と言われる時代に、読み直して人生を振り返ってみたいものである。