娘達が子育てをする時代になった。
子供のときは家中の一員として、子育ての渦の中に巻き込まれ、じっくり観察することはできなかったが、今は客観的に観察できる。
出産して子育てをするということは、正しく24時間勤務でかなりの自己犠牲を強いられることである。これには母性本能が働くから、思うほどつらくないのかもしれないが、大変なことである。こういう一連の付き合いがあるから、危急存亡の瀬戸際に立たされたとき時は母を思い起こしたり、名前を呼んだりするわけだ。
それでも場合によっては、幼少期に母と別れる子供もいる。子供と別れる母もいる。これは母子ともに不幸なことである。皆健康で平和な家庭が人間にとって必要な理由がここにある.
自分が渦中にいるときは、出たとこ勝負で子育てに夢中で、娘が子育てをするのを、ながめるように客観的に見ることはできなかった。従ってヒステリックに子供を叱りつけている母親を見ると「お前の教育、しつけの仕方が悪い。ヒステリックに叱ってみたところで子供の教育やしつけにはなんの役にも立たない。もっと冷静になってしつけをしなくては」と注意したら
「何言ってるの。私が子供の時にどんな事をして育てたの?怒鳴ってばかりじゃないの。ビデオが何よりの証拠だ、からもう一度見直したら?」。
ビデオを見たらその通りで、よく怒鳴っている。子供を育てると言うのはある意味で怒鳴る(感情爆発)ことかと、自分の子育てを反省した。それにしても人間というのは自分の事は判らないが他人のことはよく見えるものである。