日々雑感

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シーウイ

2014年11月04日 | Weblog

シーウイ

1991年に、シーウイの生涯が映画化された、という話を聞いた。僕はその映画を見たくて、複製版のビデオあるいは、DVDをどこで、買ったらいいのか、探した。
宿の主人に聞くと、シーロム通りの つたや が、良いという。時計を見ると、9時を回っていた。夜はめったに繁華街にでない僕も、きょうばかりは、つたや、まで走った。
スリウオン通りで、バスを降りて、パッポンを通り抜け、シーロム通りに出た。分かりにくかったけれども、何とかこの大通りを、向こう側にわたって、ビデオかDVDを探し求めたが、店員は、それは売っていないという。
バンコクのシーロム通りの つたや で売っていないとするならば、日本で つたや に、問い合わせで、日本で買えばよいと思い、その日は手ぶらで帰った。
そして今日、僕は京都の今出川交差点で つたや を発見し、かなり食いさがって、探し求めているビデオか、DVDをほしいと求めたが、結局なかった。
なによりも驚いたのは、つたや では、いま海外出店はしていないそうである。
ということは、バンコク、シーロム通りにある、つたや は偽物であるということになる。タイでは、著作権的な発想があまりないから、何でも真似をする。つまり、コピー商品を作る、ということは聞いていたが、お店の名前まで丸ごと使っているということは、驚きを通り越してあきれた。とは言えひょっとすると、バンコクに進出した つたや が撤退したときに、この店の看板や商標権をそのままにして、引き上げたとも思い直してみた。
 これじゃあ、シーウィの生涯のビデオやDVDを探しても話にならない。僕はあきらめた。

「シーウイの生涯」の映画化のことを、インターネットで調べてみると、2003年、6月に、クランクアップされたそうである。ということは、本当に映画化されたということなのであろうか。バンコクエンターテインメントという会社が映画化をしたらしいが、上映はまだだ、ということである。
 僕はかってシリラート同病院の中にある、犯罪博物館で、ミイラになったシーウイに
対面して、怒りの炎をぶつけてきたことがある。憎悪の怒りが、僕の心の中で非常に激しいので、何としても、この映画をみたいものだと、熱望している。

ところで僕は今、京都に、紅葉を観賞するために、やってきているんだ。それなのに、なぜか紅葉観賞は頭から素飛んで、シーウィの事で頭で1杯になっている。
そのわけは、一つには、恐いもの見たさがあるのだろう。また僕の正義感が、許さない部分もあるのだろう。さらに、ツタヤ というニセモノが、バンコク、シーロム通り、にあるということに対する驚きもある。
11月3日、暖冬だった今年の、京都の紅葉は少し早かった。やはり、11月も、20日過ぎ、23日が24日の連休辺りが、いちばん紅葉する、時期ではあるまいか。

さて話の中心はシーウイである。
シーウイ。1950年代に子供を誘拐して、殺して食べた中国系タイ人である。子供の内蔵を、不老長寿の妙薬と信じて、5人の子供を殺害し、その内蔵を食った凶悪犯である。
穏和な人情が国民性だと思っているこの国、タイでも極悪非道な、特異な事件だけに、
人々の関心も高いのだろう、見学に行った日にも、大勢の現地人が見学に来ていた。
凶悪犯はほかにもミイラにして展示されているが、とりわけシーウイが有名なのだろう。
僕は読めなかったが、タイ語で解説が付けてある。
 今僕はこの天人ともに許せない凶悪犯、シーウイのミイラの正面におかれた椅子に座りながら、彼と向き合っている。目玉がなくなっているので、そこだけが白く光り、幽霊のような姿に見える。両肩を少し持ち上げた形になっているのは、男としては小振りな男なので、こうでもして、少し大きく見せようとしたのか、それとも偶然こうなったままで、樹脂でかためられたのか、それとも遊び心をそえて、わざと幽霊を連想するように仕上げたのか、その姿が、絵に描かれた幽霊を、よけいに連想させる。
本来だったら、彼はもうこの世にいないのだから、そこまで憎悪の念を、彼にぶっつける必要はないのだが、怒り心頭に発していた僕は、とても彼を許すことはできなかった。
地獄の果てまでも追いかけていって、この罪、すなわち5人の子供が味わった恐怖感と、死の苦しみに加えて、子供を殺され、食べられた両親の悲しみと恨みや悔しさ、それをこの世でしっかり償わせるまで、子供や両親が味わった以上の苦しみを、彼に与えて苦ませ、この世で味わわせてから処刑する、それが償いというものであると僕は思う。正義のバランスはこの辺にあると思うので、処刑されて、ミイラ保存されだぐらいでは、僕自身の怒りの炎は消えない。僕の正義感からすると、無実の人を、恣意的に殺した者の責任の取り方は、犠牲者に与えた以上の苦しみを味わわせるのが筋だと、思うところにあるから、この程度の罪の償い方には、満足できるものではない。
僕は正面に向き合って腰を下ろしている、シーウイにこの自分の思いを、おもいっきりぶっつけた。それでも腹の虫は収まらなかった。
 もう帰ろう。精神衛生によくない。僕は一人ごとをいった。そして博物館を後にしたわけだが、日本に帰国した今も、まだあの思いを引きずっている。
こういう事件は凶悪犯罪になるが、戦争だったら5人や10人殺したところで犯罪にもならない。その点が平和時の出来事と、戦争最中の出来事とでは判断が違うのである。そういうことも考えて、気をそらしてみて、すこしでも憎悪や怒りの念を和らげようと試みた。世界人口60億人という膨大な数の人間の中には、想像だにできないことを、やってのける悪が居るものだと、改めて人間に巣くう、野獣性に戦慄を覚えた。

シーウイ、悪魔に魅入られた男、凶悪犯の見本として、これから先、何年も善良な人々の憎悪や軽蔑の視線を浴びながら、シリラート犯罪博物館に標本展示されることだろう。
これだけ大それたことを、しでかしたからには、まさか、まともな人生を全うできるとは、思ってはいなかったことだろう。哀れなやつだ。僕はずーっとこんなことを、思い続けた。
だからせっかくの紅葉見物も関心薄である。紅葉の盛りにはまだ早い。今年は暖冬だから11月の月末頃が見頃になるのではないか。また改めて紅葉狩りにこよう。そう思って京都を後にした。