悪魔と善魔
僕が確信を持っているのは霊の存在である。霊とは何か。それは一見脳の働きのように見えるが、それを超越するところにある、精神全体を指す。
輪廻転生を信じる僕はこの世で肉体を失っても、精神は残り、それも以前の程度、つまり、みがかれた魂の段階に従って善魔と悪魔に分けられる。それを判別するのはさらに霊格の高い善魔すなわち神によってなされ、分けられた段階に応じて居場所が決定されるが、その所行は、その霊の格や質によって悪魔となって、世人に害を与え悩ませる。(魂の段階説))
不慮の事故で踏切りで事故死した霊は余程の供養がない限り、地縛霊となって、事故現場にとどまり、霊格の弱い人がいたら、引きずり込んで、似たような事故死を起こす。世間では踏切のあるところで事故があると、あの踏切は人を呼ぶ、というが、これがそれにあたる。
不慮の事故によって肉体を失った霊は悪魔となって手を変え、品を変え次々と不幸をもたらす。現世での人々の精神状態を見てみると、大抵の場合、ねたみ、妬み、理由のない悪口などで、常にマイナス感情に覆われている。極端な言い方をすれば、現世の人を不幸に陥れることに快感を覚えるという、たちの悪いものだが、それが精神界に帰った時は必ず悪魔世界の住人になる。そして無意識のうちに悪事は働く。
一方善魔のほうは魂の段階説では少なくとも天上界にある霊であり、その最高のものは神霊である。
世人はこんなことに無頓着であり求めようとはしないから悪魔対善魔の対決は圧倒的に悪魔の方が多く軍配が上がる。これは悲しむべき事柄であるが、現実世界では、人々が精神革命起こさない限り、変わりようがないというのが僕の味方である。
要するに現実界は悪魔に人々が苦しめられている構図であり、その救済は神霊による救済を願い、それにふさわしい霊格を作ることであろう。
僕が確信を持っているのは霊の存在である。霊とは何か。それは一見脳の働きのように見えるが、それを超越するところにある、精神全体を指す。
輪廻転生を信じる僕はこの世で肉体を失っても、精神は残り、それも以前の程度、つまり、みがかれた魂の段階に従って善魔と悪魔に分けられる。それを判別するのはさらに霊格の高い善魔すなわち神によってなされ、分けられた段階に応じて居場所が決定されるが、その所行は、その霊の格や質によって悪魔となって、世人に害を与え悩ませる。(魂の段階説))
不慮の事故で踏切りで事故死した霊は余程の供養がない限り、地縛霊となって、事故現場にとどまり、霊格の弱い人がいたら、引きずり込んで、似たような事故死を起こす。世間では踏切のあるところで事故があると、あの踏切は人を呼ぶ、というが、これがそれにあたる。
不慮の事故によって肉体を失った霊は悪魔となって手を変え、品を変え次々と不幸をもたらす。現世での人々の精神状態を見てみると、大抵の場合、ねたみ、妬み、理由のない悪口などで、常にマイナス感情に覆われている。極端な言い方をすれば、現世の人を不幸に陥れることに快感を覚えるという、たちの悪いものだが、それが精神界に帰った時は必ず悪魔世界の住人になる。そして無意識のうちに悪事は働く。
一方善魔のほうは魂の段階説では少なくとも天上界にある霊であり、その最高のものは神霊である。
世人はこんなことに無頓着であり求めようとはしないから悪魔対善魔の対決は圧倒的に悪魔の方が多く軍配が上がる。これは悲しむべき事柄であるが、現実世界では、人々が精神革命起こさない限り、変わりようがないというのが僕の味方である。
要するに現実界は悪魔に人々が苦しめられている構図であり、その救済は神霊による救済を願い、それにふさわしい霊格を作ることであろう。