日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

死刑執行命令書のサイン

2015年07月17日 | Weblog
死刑執行命令書のサイン

〇五~〇六年に法務大臣に就任したS氏は
「私はサインしない。心の問題、宗教観、哲学の問題」だとして命令書にサインしなかった。死刑執行命令には大臣の署名がイル。そこで思うのだが、彼の言い分はすべて個人的な考えであり主張である。それならなぜ法務大臣に就任したのか。自己主張を貫くならば就任してはならないはずだ。大臣のいすはほしいがサインは嫌だというならどうして国の刑法を遵守しようとしているのか。申し開きのできない大臣就任である。こんな考えの人ははじめから法務大臣候補から除外しておくのが筋である。また仮に法務大臣を席が回ってきても辞退すべきである。公と私の区別が付かないような人物がその任務に就くのがそもそもの間違いである。彼はそのことをどう判断しているのだろうか。正義感があるのだろうか。

親殺し

2015年07月17日 | Weblog
親殺し

近頃高齢者社会が進んで、認知症の高齢者が増え、家庭で看護している子供が、もてあまして親を殺すという事件がよく起こる。

人情としては、親を殺して大悪人だというレッテルを貼るが詳しく内情を調べてみると、誰だってそこまで行ったらお手上げでよく辛抱して面倒を見てあげたと、おや殺しの大罪を減免したくなるようなものもある。

こういう子供には本当に同情するが、もっと積極的に誰かに相談していたらまた別の展開があったかもわからない。
確かにぼけ老人を抱えていると、お手上げ状態が続いて介護する側が倒れそうになるだろう。そこで思い余って一気に殺人に及ぶのだが、ここに人間の業を見る。

我を育ててくれた親を殺すなんて平静なときには想像も付かない。しかし五右衛門の釜ゆでじゃないけれど、我が身に耐えがたい苦痛が襲ったら釜の底に子供をしいて己の苦痛を逃れようとしたという逸話が現実味を帯びてくる。やっぱり人間には業がある。

。追い詰められると、人間は想定外の行動に出る。これが結果として親殺しになる。人間とはそういう存在なんだ。