日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

レコード会社とお寺5-41

2019年10月04日 | Weblog

今日の新聞を見ると、ビクターの希望退職が、500人の予定者に対して、750人が応募したという。


かの有名なレコード会社、ビクターの凋落は、目を覆うばかりである。

なぜ今日のようなレコード会社におちぶれたのか、


答えは簡単に言うならば、自ら努力せず、安易に下請けに、仕事を出し、

その結果、軒下を貸して、母屋をつぶされたのである。

創作家、作曲家や作詞家や歌手を自前で、育てるのではなくて、

それらは、プロダクションという下請会社に、にゆだねて、ピンハネする事ばかりに、終始した。

結局残ったのは、ブランド名と、せんべい屋のごとく、レコードをプレスしたり、CDを描いたり、することだけが、メインの仕事になってしまった。

このように、自助努力無しに、他人のふんどしで相撲を取るような考え方が、いつまでも通用するはずはない、

ビクターのみならず、レコード会社はほとんど力を失って、どこかの会社の傘下に入るようになってしまった。

考えてみれば当然の結果である。何事においても社会的役割を果たさずして、従来通りの考え方で金もうけをしようというところに、大きな無理がある。


これと似たような現象が、お寺にも起こっている。

仏教本来の生きている人間の救済にかかわらず、伝統の上にあぐらをかいて、葬式や、法事が主たる仕事で、これらは檀家制度に、支えられていた。

ところが、昨今の社会情勢は、少子高齢化が進み、その基盤としたコミュニティーそのものが、崩壊しかけている。


そのことが全然頭にないわけだ。

つまり、社会的役割を果たそうという努力が、欠如している。そんなことで、お寺の経営が成り立つはずがない。

今では、宗教心が薄れ、宗教離れがかなりのスピードで進んでいる。それに対して対応が全くできていない。

社会的役割を果たさないものが、この世に存在して行けるわけがない。全国に7万戸あるといわれるお寺は、ますます窮地に追い込まれていくであろう。

お寺は、単に葬式や法事のみを行うことによって、霊園や石材店に、そのお顔を奪われてしまった。


、人心がお寺から離れているにもかかわらず、何も手を打たなかった結果である。つまり、自助努力がたりなかったので、こうなったのである。



お寺といえども、一つの経営体である限り、経営努力が必要である。つまり社会的ニーズに、お寺なりに応えていくという役割を果たさなければならない。

余談だが、全国に7万戸あるお寺を活用して、社会教育の場にすることが、できないだろうか。

このまま廃寺になっていくことは、惜しい気がする。


レコード会社やお寺を例にとったが、どんな企業でも、経営体である限り、社会的要求にこたえていかないと、

存在することは難しい。当たり前の話である。





























マスコミ報道による判断

2019年10月04日 | Weblog

マスコミ報道による判断

マスコミ報道による判断だが,今回の関西電力の案件を見ていると,

まさに原発マネー還流事件の構図である。

もしこれが金沢国税の調査が入ってなかったら、そのまま時が過ぎて時効となり,

免罪になっていたかもしれない。

送る側も受け取る側も同じ穴の狢であり、この問題は犯罪の匂いがするから

検察が調べたら良いのではないか。

第三者委員よりも検察案件だと思う。特別収賄罪、背任罪などが頭をよぎる。

関西電力は有力会社であり、特に八木は関経連の副会長までやっている。

一般に範を示さなければならない立場の人が、犯罪者の立場に立たされるような情勢である。

こんな輩が日本の経済を引っ張っていっているとすれば、単なる不祥事だけではすますことができない。

すぐにでも解明して己の責任を世間に問うことが強く求められている。

それで初めて、庶民の溜飲が下がるというもんだ。

後ろで何をやってるかわからんという状態だが、前看板は関西電力と言って押しも押される

日本の中の大企業である。

こういう疑いが持たれると、原発や火力水力発電までも、後ろに何かがあるのではないかと

庶民は勘ぐりたくなる。

社内処分で減給ととか言っているが頭がおかしいんじゃないの

その程度では全く庶民の感覚とずれている。

こんな奴らに電気代の上前をピンハネされていたかと思うと、悔しいやら腹が立つやら、

絶対責任をとらせなければ、とらせてせてやれという感情論が先に立つ

会見の様子を見ると、実に矛盾したことをシェアシェアとしゃべるが、このレベルなのかと

呆れた。大会社をひっぱってきた大物なら大物らしく大 うそをつけばよい。

今から本番が始まる。まだ今は序幕である。高みの見物をしよう