朝5時半に起きた土曜日と違って、日曜日は遅く起きてゆっくりとホテルで朝食。チェックアウトと同時にクロスタで荷物を駅に送る手配をして、タクシーで養源院まで行こうと玄関を出た。タクシー寄せに一台もいない〜。でも、駅までの無料送迎バスが停まってた。5分後に出発だというので乗せてもらった。
京都駅から養源院まではぶっちゃけ近い、近いってことはタクシーの運転手さんに嫌な思いをさせられる(させる、ではなくて;笑)。とはいえ八条口から正面に回って、バスを待つのは時間が惜しい。仕方ないのでタクシーに乗った、そして案の定目的地を告げて降りるまで、運転手さんは「1,000円です」の一言しか発しなかった。あたしたち、ありがとうもお気をつけても口にするに値しない客だったらしい。ま、え〜けど。
で、養源院。俵屋宗達が描いた杉戸絵が有名。白象だけだと思っていたら、唐獅子も麒麟も描いていた〜。岩に老松図という襖絵(非公開)もあり、そちらは現存する俵屋宗達の唯一の襖絵だそうな。
この日のテーマは2つ、一つは雪舟展を見る、そしてもう一つは洛東で動物をたくさん見る、アナログなポケモンGOなのである。白象のみならず唐獅子も麒麟も一気に3種類もの動物をゲットもとい拝見、できるとはラッキー。
期待感高まるアプローチ
養源院は秀吉の側室淀君が、父浅井長政の21回忌に建立したお寺で、長政の戒名がお寺の名前になっている。ただその後火災で焼失。淀君の妹で二代将軍秀忠の正室お江によって、伏見城の遺構を用いて再建され、それ以降徳川家の菩提所として歴代将軍の位牌が祀られており、ほとんどの建物が重要文化財に指定されている。
受付であたしがなにげなく「三度目の正直なんです〜」などと口にしたら、持っていた風神雷神図のモチーフのバッグに気づいてくださって「熱心にありがとうございます〜」と、京都の有名なお寺とは思えない明るい対応をされて、さっきのタクシーの運転手とのやりとりはすっかりどこかに消えていった。ありがたいわ〜
もう一つここが有名な理由が、血天井。籠城戦だった伏見城の戦いで自刃した徳川方の兵士を弔うべく、血で染まった廊下を天井に上げて残してある。「鳥居元忠はこちら、横を向いてこうなっているのわかりますか?」などとお寺の方が案内してくださる。指された先に、これは指の跡、足の跡、と思えるような形のシミが残っていて複雑な気持ちになる。この英霊を慰めるための俵屋宗達による動物たちの杉戸絵、であった。
しんみりした気持ちで本堂を後にすると、門の近くでなんか黒い物影が動いている。猫だぁ〜、しかも黒猫〜(嬉)。
擦り寄ってくるでも逃げるでもなく
黒い子猫2匹が、門のど真ん中でまさに招き猫状態(笑)。あたしは、ちっとも夢に出てきてくれないケバが出てきたのかなぁ、だったら嬉しいなぁと思ってしばし猫たちを見てた。主人も「ケバだね、あれは」。2匹だからマロも連れてきたんだね。なんていう話をしながら次に向かったのは、養源院とは七条通を挟んでお向かいさんの京都国立博物館。5月26日まで「特別展雪舟伝説 カリスマの誕生」をやっている。
我が家は昨年6月に東寺の雪舟の庭を拝見している
この展覧会は京博の単独開催なので、どこにも巡回しない。展示作品の質や量を考えたら、長谷川等伯が憧れた画聖雪舟のこの展覧会のために、平日に京都日帰りしてもいいかも、と思っていた。主人にその話をしたら「え?一人で行くの?」って反応。そっか、行きたいのか〜と、混むかもしれない週末しか行けない身重(苦笑)の主人と一緒に、今回の旅となったのでした。
チケットはウェブサイトで調達してあったので、門を入ったらすぐに敷地内へ。気づくとグレーの物体と人々が蠢いている。あ!?あれはトラりんじゃないか〜と、小走りにそっちの方向へ。日曜日は何度か京博の公式キャラクターの虎形琳ノ丞(こがたりんのじょう)、通称トラりんのお出ましがある。スタッフと一緒に数十人の来館者にとりまかれて歩いてきて、ロダンの考える人像の前で撮影会となった。動いてるトラりん見ちゃった、ラッキー、とあたしもパチリ。
考えるトラりん、かわゆい
が、主役は雪舟伝説展である。誰もが知ってる、これぞ雪舟の作品から雪舟作と伝わる作品、雪舟から5代目があたしでございますと主張した長谷川等伯、お寺で色々見て学ばせてもらっちゃった伊藤若冲、雪舟から学んで描いた絵って渋いんだね〜と声をかけたくなる円山応挙、などなどの作品がどど〜んと展示されていた。1506没とされる雪舟から1888年没の狩野芳崖の作品まで、300年以上の期間を挟んで、いろんなかたちで雪舟とつながった作品の集大成、途中で椅子に座りたくなるほどの大量の作品が展示される濃密な展覧会だった。
結構間引きして観たんだけど、それでも久しぶりに脳が熱を出しそうだった。京博の見どころは、実はそれだけじゃない。京博の敷地の一部は、方広寺の昔の敷地の一部。このお寺の敷地内に、関白秀吉が「奈良よりでかい大仏を京都に建てるじょ〜」と大仏殿を建てた。1595年に大仏殿がほぼ完成、したんだけど大地震で大仏が崩れちゃった。で、怒った秀吉、残った台座に善光寺のご本尊を持ってきて祀らせた。そしたら秀吉が体調をくずしてしまう。ご本尊はお返したけど、秀吉はその後逝去。新たな大仏を金銅で建立しようと家臣が動いたものの、今度は鋳造中の大仏から火が出て大仏殿が炎上。家康は豊臣家の財源を枯らせるため、諦めないよう秀頼を励まし(?)1614年に大仏殿が完成、ただ梵鐘に書かれた文字にいちゃもんをつけるきっかけとなる。大坂夏の陣で結果的に豊臣家は滅亡するんだけど、方広寺鐘銘事件の舞台だった、その名残が敷地内のあちらこちらにある。そして方広寺には(敷地はずいぶんちっちゃくなったけど)今でも例の梵鐘が残ってるらしい(行きそびれた)。
京博の七条通の角にある交番の名前の由来がわかった〜って感じ
というわけで、いろんないわくのある場所を探検する、っていうのが今回第二の京博の楽しみなのじゃ。で、まずは雪舟伝説展が開催されていた平成知新館の、1階ロビーの消火栓の右上あたり。
狐さんの顔が浮いて見えるでしょ?
竣工後にはなかったのに、だんだん狐の顔が浮いて出てきた、という。このほぼ真北に榎本稲荷神社という小さなお稲荷さんがある。そしてこの印を地図上でまっすぐ南に伸ばして線を引くと、伏見稲荷大社がある、という都市伝説なのかなんなのか?みたいな話を本で読んだのでこれを見てみたかった。これ以外にも、知ってると面白いお印とかトリビア情報がある。
大仏殿の南門の柱跡を示すあと
東山を借景とした左右対称の表門(今は閉まってる)
の右側に残る、方広寺時代の石塁
巨石、なんだけど薄い(笑)。面積が大きく見えるように、平たい石ばかりを表側に揃えてあるんだって。権力者って、、、な世界、ぷぷぷ。
大仏殿の柱の金具などは庭に展示してある
さっきの巨石が並ぶ壁沿いを歩いて、京博の北側にある豊国神社へ。ここでは伏見城の遺構の唐門を見なくっちゃ、なのじゃ。
気品のある唐門、美しいだけではない
目無しの鶴
三井寺の龍と同じく、左甚五郎の手によるもの。あまりの素晴らしい出来栄えに、目玉を入れたらどこかに飛んでいってしまいそうだったため、目を入れなかった、という話。目を入れたことで暴れる龍を沈めたり、目を入れなかったから鶴が今もそこにいたり、左甚五郎の作品の素晴らしさの逸話は目がポイント、かしらん(笑)。お腹も空いてきたことだし、
大仏交番の向かいにある甘春堂のカフェで、靴を脱いで上がって、小さなお庭に面したお部屋で釜揚げうどんセットをいただいた。ここでしばし一休みして、次に向かったのは新日吉(いまひえ)神社。東博の東側の坂をちょっと登ったところにある。
狛犬さんもいらっしゃるんだけど
なんと
リアルなお顔の狛猿さんもいらっしゃる
単にそれが見たかっただけなんだけど(笑)、なかなか面白い。お猿さんが日吉大神のお使いだそうで、あ・うんのお猿さんが、敷地のずっと奥の本殿に一番近いところにカゴに入ってお迎えしてくださりまする。そこからちょっと北の方に歩いていくと、うなぎの寝床のような三嶋神社がある。
形状がうなぎの寝所状だけじゃなくてね
こちらのお使いはウナちゃん
安産のご利益もあるらしいし、うなぎ業界がうなぎ供養をする神社でもあるらしい。主人は「たまには食べられますように」とお祈りしてた。あたしが食べさせないみたいじゃない、も〜(苦笑)。
この辺り馬町というんだけど、五条坂に近いので清水焼など陶芸関係のお家が集まっている。その一人が河井寛次郎で、河井寛次郎記念館もちょっと路地を入ったあたりにある。ここは作品だけじゃなく、建物や調度品やコレクションをまとめて拝見して、芸術家の日常を感じることができる。
この通りの氏神様のお祭りの日だったみたい
奥には登り窯があった
勘次郎がデザインした自在鉤や椅子のある部屋
床は朝鮮張という作り方を模したものだそう。建物は飛騨高山の民家を参考に設計して、1937年に建築された。各部屋のランプシェードを含む調度品の多くを河井寛次郎がデザインしている。身の回りに置かれた品々は、丁寧に作られた素朴なものが多く、奇妙とも思える表現を作品にした人が送った日常が、こういうものに囲まれていたのか〜と、ある意味不思議な気持ちだった。
その温かい静かな雰囲気を一番体現しておられるお方
ここまででかなり満足してたんだけど、時計を見たら行けたら行こうと思っていた、もう一つの記念館にいく時間があることが判明。三嶋神社方面に少し戻ったところにある、陶芸家藤平伸のアトリエ兼住居を使った藤平伸記念館。春と秋それぞれ、6週間くらいだけ限定で公開されている。今回は「水辺」をテーマにした作品が展示されていた。アトリエ自体が素敵で、ここにも猫がいる。
猫の陶器の枕、う〜ん、いい夢見られるのかなぁ(苦笑)
この魚体の半分が顔(笑)
主人は「このタッチ好きだな〜」。わかる気がする(笑)。他にどなたも来館者がいらっしゃらなかったので、受付の女性と三人で、スケッチは精緻なんだけどここまで飛んじゃうってすごいですよね〜、っていう話でしばらく盛り上がった。
目印はこちら
寺町通の料理屋さんに17:30に夕食の予約を入れていたので、まだすこし時間がある。行けたら行きたい場所リストもタネ切れ。こういう時に便利なのが6年京都に住んでた主人の土地勘。ぶらぶら歩いて、建仁寺にでも行ってみる?なんて話をしながら歩いていて、六波羅蜜寺の前を通りかかった。文字通り頭に電球が灯った、「空也上人立像があるじゃん!」。宝物が収められている令和館の受付終了まであまり時間がないっていうタイミング、迷わずチケットを買った。
二人で勝手に「これは、呼ばれたね」。2022年に東博でやってた「空也上人と六波羅蜜寺展」は、絶対混んでると思って行かなかった。それが六波羅蜜寺で、こんなに静かで空いてて好きなだけ前に立っていられるなんて。しばらくぼ〜っと立ち尽くす。空也上人は、下から見上げるとその瞳に涙を湛えているようにみえた。平清盛坐像、運慶坐像、湛慶坐像、どれも今にも立ち上がりそうだったり、見つめてるこちらに気づいて睨みつけられそうだった。
そのあとは、宮川町あたりを歩いて四条大橋を渡り、夕食をとり京都駅へ。荷物をピックアップして改札に向かって歩き出した段階で、予約してた新幹線まで小1時間あった。アプリで確認したら、隣り合わせに座れる席があったので、45分ほど早いのぞみに変更。チケットレスは便利だ〜。新横浜駅まで爆睡、この日も2万歩強、いい旅でした。
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