京都大学の山中伸弥教授のノーベル医学・生理学賞受賞は本当にうれしかった。冥土の土産的にノーベル賞をもらう人は多いけど(苦笑)、山中先生の場合は明確な目的を持って研究に邁進していらっしゃるバリバリの現役。これで日本政府がゲノム解析競争でアメリカに喫した敗北の暗い過去から決別するための、踏ん切りがつくのでは?と思う。
山中先生についてはいろいろと報道されているので、その魅力は十分世に知られているけど、今一つ日本では報道されていない山中先生とともに医学・生理学賞を受賞された、ケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授が、ガーディアンのインタビューに答えて、興味深いことを語っておられる(動画はこちら)。あ、ちなみに、ガードン教授が受賞理由となった発見をされた、まさにその年に山中教授がお生まれになった。なんという偶然か、と思う。
1953年に研究を始めた時の目的は、「我々の体の異なる細胞すべてが、同じ遺伝子情報を持っているか否かを発見するため」だったと語っておられる。実験結果はYESであった、つまり原理的に、ある一つの細胞から別の細胞を作ることができるということがわかった、と。しかしその段階では医療・治療に使えるとは全く想像だにできず、純粋に科学的な実験であったとも認めていらっしゃる。そのうえで、基礎研究を支援し、それをベースにした応用研究を待つ(場合によってはかなり長い間待つ)制度は必須である、ほとんどすべての基礎研究上の発見は、その後の研究によって有用であることが実証されるものである、と英国における基礎研究支援の重要性にも触れていらっしゃる。これは山中先生が支援者に対する感謝を口にされるのと同義であろう。
また、サイエンスの授業は15歳になって初めて1学期ほど取ったが、成績表に「サイエンスを極めたいと本人が言っているらしいが、それは本人の時間の無駄であり、同時に彼を教える教師の時間の無駄でもあり、愚かしい」と校長がコメントしたため、その後一切サイエンスの授業を取らなかったとも。まぁ、そんな人を見る目のない人にうっかりサイエンスなんか教わらなかったのが幸いしたとも言えよう(笑)。
しかし、ここで山中先生との恐るべき共通点を発見してしまう。山中先生は整形外科として手先があまり器用ではいらっしゃらなかったようで、手技に時間を要し「じゃまなか」と呼ばれていらしたそうだ。
ガードン教授も学生時代「この子にサイエンスは無理」と烙印を押され落ちこぼれ扱い、山中先生も「整形外科としてはど~よ」の烙印。それでもこのような偉業を達成されたのは、ひとえに本人の信念と熱意の賜物なのだろう。天職のことをcalling(神の導きによって就く職という意味からこのようないい方をする)というのだけど、まさにこのお二人は、人間の細胞が可逆的であることの発見と、その発見を人間に有用に応用するための方法の発見、を行うべく神に呼ばれた方々なのだろうとも思う。
受賞すべくして受賞した二人、と思うと、単に日本人が受賞したというだけよりもっと嬉しい。
写真はネットのニュースサイトから拝借しておる
山中先生についてはいろいろと報道されているので、その魅力は十分世に知られているけど、今一つ日本では報道されていない山中先生とともに医学・生理学賞を受賞された、ケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授が、ガーディアンのインタビューに答えて、興味深いことを語っておられる(動画はこちら)。あ、ちなみに、ガードン教授が受賞理由となった発見をされた、まさにその年に山中教授がお生まれになった。なんという偶然か、と思う。
1953年に研究を始めた時の目的は、「我々の体の異なる細胞すべてが、同じ遺伝子情報を持っているか否かを発見するため」だったと語っておられる。実験結果はYESであった、つまり原理的に、ある一つの細胞から別の細胞を作ることができるということがわかった、と。しかしその段階では医療・治療に使えるとは全く想像だにできず、純粋に科学的な実験であったとも認めていらっしゃる。そのうえで、基礎研究を支援し、それをベースにした応用研究を待つ(場合によってはかなり長い間待つ)制度は必須である、ほとんどすべての基礎研究上の発見は、その後の研究によって有用であることが実証されるものである、と英国における基礎研究支援の重要性にも触れていらっしゃる。これは山中先生が支援者に対する感謝を口にされるのと同義であろう。
また、サイエンスの授業は15歳になって初めて1学期ほど取ったが、成績表に「サイエンスを極めたいと本人が言っているらしいが、それは本人の時間の無駄であり、同時に彼を教える教師の時間の無駄でもあり、愚かしい」と校長がコメントしたため、その後一切サイエンスの授業を取らなかったとも。まぁ、そんな人を見る目のない人にうっかりサイエンスなんか教わらなかったのが幸いしたとも言えよう(笑)。
しかし、ここで山中先生との恐るべき共通点を発見してしまう。山中先生は整形外科として手先があまり器用ではいらっしゃらなかったようで、手技に時間を要し「じゃまなか」と呼ばれていらしたそうだ。
ガードン教授も学生時代「この子にサイエンスは無理」と烙印を押され落ちこぼれ扱い、山中先生も「整形外科としてはど~よ」の烙印。それでもこのような偉業を達成されたのは、ひとえに本人の信念と熱意の賜物なのだろう。天職のことをcalling(神の導きによって就く職という意味からこのようないい方をする)というのだけど、まさにこのお二人は、人間の細胞が可逆的であることの発見と、その発見を人間に有用に応用するための方法の発見、を行うべく神に呼ばれた方々なのだろうとも思う。
受賞すべくして受賞した二人、と思うと、単に日本人が受賞したというだけよりもっと嬉しい。
写真はネットのニュースサイトから拝借しておる
まあ、こういうことはしょっちゅうですワ、私の場合。なにかしくじってますね。
えーと、ご両人にそんな逸話があってうれしい。山中先生がますます好きになった、「教員の時間を無駄にしておる」と言われた校長先生はもはや、メイドに行かれたのでは?
などと言うことを書いたつもりでしたが、思い出せない。ノーベル賞に程遠いまろより。
そうですねぇガードン教授がもうかなりのお年なので
校長先生は三途の川を渡り切っておられることでしょう。
今頃あの世でどんなご感想をお持ちかしらん(笑)
落ちこぼれで思い出した移植時の主治医。
注射もマルクも下手で、点滴のルートを取る時には血管を突き破られ
IVHを埋め込む手術の際には動脈と肺を突かれて肺気胸に;;
東大卒ですごいという前評判だったけど超不器用。
病状の説明だけはとってもわかりやすくて
「あんた研究か、学生教える方に行ったほうが絶対いいよ!」って喉まで出かかった医師が居ました(-"-;)
あの先生も研究に行ってたらすごい発見しはったかもな~って思ってしまった私でした。
「超不器用」では済まされない、アメリカだったら間違いなく裁判ざたのケースですぜぃ。
うんうん、「悪いこと言わんから臨床は止めた方がいい」って
誰かが言ってあげるべきですよね(苦笑)
だけど、、、ノーベル賞受賞者がたまたま「おちこぼれ」だっただけで
「おちこぼれ」が必ずしもノーベル賞を取れるわけではあるますまいて(爆)