夏休みも残り少なくなってきた5日目は、まずは妙心寺へ、そして等持院、その後は思いつき、という旅程。ホテルでバス一日券をゲット。最初の写真は臨済宗妙心寺派の大本山である、妙心寺の南総門。
三門
楼上には極彩色鮮やかな飛天や鳳凰や龍の図が描かれているという、通常非公開の重要文化財。三門、仏殿、法堂、寝堂、大方丈が一直線に並び、東に浴室と浴室鐘楼・経堂が並ぶ、近世禅宗伽藍の最も完備した形を示している、とあった。
仏殿
法堂
鏡天井に8年の歳月を費やして描かれた狩野探幽の雲龍図がある。内部の欅の柱は原木を4つ割りにして丸く削られたもので、富士山麓より海路運ばれ、今の丸太町通に並んでいたうちを一旦解体して、丸太を運び、その後またうちを立て直した、よって丸太町通という名前になった、とあった。すごすぎない?
大方丈
庫裡
庫裡内部の大かまど
鐘楼
公開している場所は限られていて、法堂の天井の雲龍図と国宝の梵鐘(撮影不可)、庫裡を見学した。その後塔頭の一つ退蔵院が通年公開しているというので、見せてもらうことにした。
狩野元信の作庭と言われる枯山水庭園があり
日本の初期水墨画の代表作、如拙筆の国宝「瓢鯰図」(これは複製)を有し
中根金作1965年作庭の池泉回遊式庭園もある
塔頭一つをとっても見どころ満載である、恐るべし京都。侮れない妙心寺。46もある塔頭のいくつかが並ぶ石畳を通って、北総門に向かう。
手入れの行き届いた小径、暑くても清々しい
途中「氷」の暖簾をぶら下げた定食屋さん発見。が「氷は外で食べていただきます」と、あたしたちの前に入ろうとしたお客さんが断られていた。じゃあお昼でも食べて涼んでいきましょう、と早めのお昼。そこからは歩いて等持院へ。こちらは臨済宗天龍寺派。
足利尊氏が夢窓疎石を開山として中興、足利市の菩提寺である中京区三条高倉の等持寺の別院にしたあと、尊氏がこの寺に祀られて等持院と改められた。足利角将軍と徳川家康の木造が安置された霊光殿がある。
方丈の南庭を通り抜ける風が気持ちよかった
縁側にしばらく座っておしゃべりして、狩野興以の策と言われる襖絵を見て、鶯張の心地よい音を聞きながら霊光殿に向かった。映画の撮影所が等持院境内にできたことから方丈がチャンバラのロケに使用されて、随分と襖絵を痛めたらしい。今は修復されて年一回公開されているという。昔の映画って随分乱暴な取り方してたのね〜(苦笑)。
庭園は夢窓国師の作と伝えられている
錦鯉さんたちも暑いのか酸素を求めて集合していた
花木のあしらいと変化にとんだ石組みが魅力的な庭園
庭園の小高い築山には茶室清漣亭
足利尊氏の墓(中央)宝篋印塔
ついそこまで立命館大学が迫っている不思議な立地の等持院、小粒でもきらりと光るとはこのことか?と思えるような魅力的なお寺だった。方丈は妙心寺塔頭海福院に建立されたものが等持院に移築されたとか、妙心寺の退蔵院と同じ夢窓国師の作庭だったり、派は違っても同じ臨済宗の近所のお寺、関係が深かったのかしらんなどと思った。
というわけで、立命館大学のキャンパスを横切ってバスに乗り、銀閣寺道まで行ってみた。白沙村荘橋本関雪記念館に行きたかったのだけど、関雪の作品は片付けてあって伊那谷展をやっていた。残念だけど興味は持てなかったので、次回来た時に見ればいいやと諦めた。銀閣寺は観光客が多そうだったので、哲学の道を散策して夕食を取ってホテルに戻ることにした。
この日は結局2万歩以上歩いたけど、二人とも日傘を使い、日陰を選び、途中カフェに立ち寄り涼んだり、コンビニで水や氷を買ってサーモスに入れて冷たいまま飲んだりしたおかげか、熱中症は回避できた。還暦過ぎても対応を誤らなければ大丈夫だねぇ、よかったぁ、などとバスを乗り継ぎホテルへ。バス一日券は、払った金額の2倍以上利用して使い倒しましたぞ。超有名観光寺院の付近じゃなければ、意外に空いていて毎回座れて便利だった。
盛夏の中、充実したご旅行をなされましたね。素晴らしい🎵
はい、ありがとうございます。
まだまだお若い方にはまけしまへんえ〜