明日から新年度が始まる。
新しく社会人になる若者が慣れないスーツ姿で闊歩する初々しい季節でもある。今年から、彼らの大半は平成生まれとなる。
平成元年は、1989年。日本経済が頂点を極めた年代でもある。
それから22年。日本が徐々に輝きを失いながら、衰退していく過程を経験した若者達でもある。
でも、今まであまり良くなかったということは、これから良くなっていく可能性もあるということ。そう前向きにとらえて欲しい。
そのためにわれわれ先輩達も努力し、若者の成長をサポートしていきたい。
彼らには、我々にはまったくない強みを持っている。それは第一にITリテラシーではないか。
インターネットやスマートフォンが当たり前の時代をコンピュータと共に育ってきたデジタル世代。やはり、まったくものの見方や考え方が、アナログ世代の我々とは異なるはずだ。
きっと新しい発想と共に、この国に新しいイノベーションを起こしてくれるであろう。そんな期待をしている。
そして、われわれ先輩世代は、未来に大きな可能性のある若者を否定することなく、大きく見守っていきたい。決して邪魔だけはしないように気をつけたい。きっと彼らはやってくれる。
ボストンで生まれた愚息も明日から社会人一年生。なんと駄目な奴だとついこの間まで思っていたのが、親ばかと言われるかもしれないが、結構、しっかりしてきた。そして最近、まったく違う発想と行動で時に驚きさえ覚えることがある。
近い将来、きっとこの父親を超えてくれることであろう。ただ簡単には超えられないように、また超えさせないよに、こちらもまだまだ頑張らねばならない。
それこそが、親が子供にすべき最後の務めかもしれない。むしろ子供にできる最後の贈り物かもしれない。
そのためにも、まずは自分自身の成長を期せねばならない。もう若くはないので、それほど一気に大きな成長は期待できないが、少しずつ少しずつでも、前に進みながら成長していきたいものだ。
新しく社会人になる若者が慣れないスーツ姿で闊歩する初々しい季節でもある。今年から、彼らの大半は平成生まれとなる。
平成元年は、1989年。日本経済が頂点を極めた年代でもある。
それから22年。日本が徐々に輝きを失いながら、衰退していく過程を経験した若者達でもある。
でも、今まであまり良くなかったということは、これから良くなっていく可能性もあるということ。そう前向きにとらえて欲しい。
そのためにわれわれ先輩達も努力し、若者の成長をサポートしていきたい。
彼らには、我々にはまったくない強みを持っている。それは第一にITリテラシーではないか。
インターネットやスマートフォンが当たり前の時代をコンピュータと共に育ってきたデジタル世代。やはり、まったくものの見方や考え方が、アナログ世代の我々とは異なるはずだ。
きっと新しい発想と共に、この国に新しいイノベーションを起こしてくれるであろう。そんな期待をしている。
そして、われわれ先輩世代は、未来に大きな可能性のある若者を否定することなく、大きく見守っていきたい。決して邪魔だけはしないように気をつけたい。きっと彼らはやってくれる。
ボストンで生まれた愚息も明日から社会人一年生。なんと駄目な奴だとついこの間まで思っていたのが、親ばかと言われるかもしれないが、結構、しっかりしてきた。そして最近、まったく違う発想と行動で時に驚きさえ覚えることがある。
近い将来、きっとこの父親を超えてくれることであろう。ただ簡単には超えられないように、また超えさせないよに、こちらもまだまだ頑張らねばならない。
それこそが、親が子供にすべき最後の務めかもしれない。むしろ子供にできる最後の贈り物かもしれない。
そのためにも、まずは自分自身の成長を期せねばならない。もう若くはないので、それほど一気に大きな成長は期待できないが、少しずつ少しずつでも、前に進みながら成長していきたいものだ。