今日は成人の日。
娘が千葉市の主催する成人式に出席し、その終了後に高校時代のパーティーがあるそうな。
朝から生憎の雨ですが、お化粧、髪結い、着付けと娘にとっては忙しい一日が始まりました。
父親としては、ただひたすら運転手に徹するのみ。
あの時生まれ出た子が、もう20年以上も経ってしまったのかと、今更ながら感慨に耽っている間もなく、配車のお呼びがかかる。
私が20歳の時は1976年、ちょうど1973年の第一次オイルショックと1979年の第二次ショックとの狭間であった。
大学を出ても就職は厳しいよ。特に、建築のデザイン・意匠なんか選んだら駄目だよ。
そんな先生方の悲観的な言葉がなぜか思い出される。
なぜか駄目だと言われると、生来の天邪鬼な性格から、駄目な方に行ってみたくなる。そして、意匠研究室を選択した。
今更ながらその選択の結果の是非などはよく分からないが、でも自分で選んだ道なので、それこそが自分の運命だったのであろう。
娘もこれから10年20年30年後に、今日の一日をどのように思い出すのであろうか。
運転手に徹した父親のことを少しでも思い出してくれるだろうか。
人生はこれからもいろいろ大変なことがあるだろうけど、自分自身の責任と覚悟でその行く先を選んで、自分自身の一度しかない人生を全うして欲しい。
それが親としてのささやかな願いである。
娘が千葉市の主催する成人式に出席し、その終了後に高校時代のパーティーがあるそうな。
朝から生憎の雨ですが、お化粧、髪結い、着付けと娘にとっては忙しい一日が始まりました。
父親としては、ただひたすら運転手に徹するのみ。
あの時生まれ出た子が、もう20年以上も経ってしまったのかと、今更ながら感慨に耽っている間もなく、配車のお呼びがかかる。
私が20歳の時は1976年、ちょうど1973年の第一次オイルショックと1979年の第二次ショックとの狭間であった。
大学を出ても就職は厳しいよ。特に、建築のデザイン・意匠なんか選んだら駄目だよ。
そんな先生方の悲観的な言葉がなぜか思い出される。
なぜか駄目だと言われると、生来の天邪鬼な性格から、駄目な方に行ってみたくなる。そして、意匠研究室を選択した。
今更ながらその選択の結果の是非などはよく分からないが、でも自分で選んだ道なので、それこそが自分の運命だったのであろう。
娘もこれから10年20年30年後に、今日の一日をどのように思い出すのであろうか。
運転手に徹した父親のことを少しでも思い出してくれるだろうか。
人生はこれからもいろいろ大変なことがあるだろうけど、自分自身の責任と覚悟でその行く先を選んで、自分自身の一度しかない人生を全うして欲しい。
それが親としてのささやかな願いである。
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