こちらは雲仙市千々石町にある橘公園。ここは県内でも有数の桜の名所で、休日は人でごった返している場所なのですが、この日は平日だった上、夕方に差し掛かっていたので、あまり混雑していませんでした。母と猿葉山に行った後、あまりお祭りムードのお花見が好きではない私たちは、橘公園を素通りしてまっすぐ家に帰る予定だったのですが、車の中から見ると人も少なそうだし、少しだけ立ち寄ってみることにしました
この公園の前はよく通るのですが、中をゆっくり散策したことは今までありませんでした。園内には軍神橋と呼ばれる橋が架かっていて、その下を美しい小川が流れています。
こちらは橋の上から眺めた様子。たくさんの桜の花がちょうど満開の時を迎えていました
河川敷に下りると、これまたステキな風景が広がっていました こんな公園が橋の下に整備されていたなんて知らなかったなぁ。
公園を流れる小川とそこに反射する光と桜のコラボレーション。お気に入りの一枚です
この河川敷には枝垂れ桜も多く植樹されており、八重咲きのものはまだ二部咲きほどで、これから見頃を迎えるようでした。
こちらは公園の奥にある橘神社。軍神と言われた橘周太(1865~1904)をお奉りしている神社です。橘周太は陸軍軍人で橘中佐として知られており、日中戦争における遼陽の戦いで戦死し、以後軍神として尊崇された人物ですが、軍人である前に人間として優れた人格者だったのだとか。そのため、千々石支所にある橘中佐の像は『至誠の人 橘周太』として紹介されています。
橘公園には1000本もの桜の木が咲き誇り、長崎に本格的に春が訪れたことを教えてくれます。気温もぐんぐん上昇し、山を歩けば桜以外にもたくさんの草花達が小さな花を懸命に咲かせています。長崎はもうすっかり春です。
今日は4月11日。あの東日本を襲った大地震からちょうど一ヶ月が経ちました。決して他人事ではないのですが、長崎での生活があまりにも穏やかすぎて、いくらニュースを見ても、新聞を読んでも、どうしてもその惨状が実感として伝わってきません。もちろん、大きな災害が起きたということは分かってはいるのですが、実際に現地に行って被災した方達と生活を共にしない限りは、本当の意味で現地の惨状や被災した方達の悲しみや苦しみを感じ取ることはできないと思うのです。たくさんの人が未だ行方不明で、たくさんの人が亡くなっているというのに、それを「数字」という形だけで示されると、被害の大きさを「これだけ多くの人が被災したのか」とだけ思ってしまいがちです。しかし、その数字の裏には一人一人の人生があり、その一人一人に愛すべき家族がいたことを、私たちは決して忘れてはいけません。人が一人亡くなるだけでもとても大きな悲しみに包まれるのに、何万人ともなるとその喪失感は計り知れないものがあります。
今の私にできることは、宮城県にいる義兄夫婦に声をかけ続けること。たいしたことはできませんが、震災の日から始めたTwitterで二人の様子を伺い知り、声をかけることが私の毎日の日課となりました。Twitterを通して安否の確認をしたり、必要な情報を提供したり、時にはたわいもない会話をしたり、今ではTwitterが私たち家族を繋ぐ大切な手段となりました。私の親族も含め、毎日のように起こる大きな余震の脅威に怯え、ストレスの多い毎日を送っている方がまだまだたくさんいます。どうか一刻も早く東北にも暖かい春が訪れますように。そして一刻も早く余震や原発の問題が終息し、被災した全ての人たちが元のように普通の生活を送ることができるようになりますように。改めてお亡くなりになった全ての方々のご冥福を心よりお祈りいたします。