ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

さてさて

2005-07-10 | 考えたこと
2004年の夏は ようやく終わろうとしている(笑)。

2004年の夏は(シツコイ!)
オリンピックの夏だった。

日本選手の予想以上の活躍に
早寝・早起き・早朝散歩を自身に課していた私も
ついつい 夜更かし。

そうして、
間もなく始まる、パラリンピック

iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii

ぎっくり腰の影響で 模様替えが遅くなった
我が家のリビングも
先月 無事に 夏バージョンになった。

和室がないので 
こうでもしないと 私はイグサに 触れられない。

スリッパは 冬でもイグサのが好き。

iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii


そんなことが あったっけ、と思うくらい
昔の事のよう。

プチ鬱になったことなんかも、
ずっと前のように思える。

あのころ 車のCDプレイヤーに入っていたのが
中島みゆきだったのも きっと良くなかった(笑)。

(大吟醸だか、大銀幕だか?)



亭主は 新たに引き受けた仕事で出張が増え、
まれに空いた日には 
実家に行っていた。

亭主には 休める日がなくなっていた。

実家では 
義母の面倒を見るために 義父の負担が増え、
家の中・外、
ゴミが増えた。

亭主は 義弟ともども 空いた日には 
なるべく実家へ行って
いろいろと片付けてくる。

義弟は週末、亭主は平日。

それぞれ ゴミやガラクタを片付けては
車に山と積んで 戻ってくる。

義父には ゴミの収集の日に
収集場所に持っていく、という
簡単なことでさえ
なかなか やりにくくなっていた。

(収集場所は 坂を降りてすぐの場所なのだが。)



そうして迎えた秋(やっと!)、
私は コンサートの切符を手に入れた。

大好きなグループがゴスペルを歌う。

宗教音楽は(仏教より)キリスト教のが好き。

私は亭主の了解を取り付けると
切符を手配し、
子供たちに この日はコンサートに行くから
他の予定は入れずに
ママに付き合うこと、と厳命した。

これだけで 相当勇気が必要だった。

亭主や子供たちに拒否されたら、とも思ったし。

そして 
駅前のコンビニで 発券機を使うなんて、
考えたこともないことをやった。

(世の中、便利になったもんだ!)



ちょうどコンサートの日に 
アポを入れたいという客がいたが
亭主は
「その日はちょっと都合が・・・。」
と言って断った。

今まで同様にして(来客がなかなか帰ってくれなくて)
予定した時間がどんどん遅くなってしまって、
夕食が食べられなくて・・・、
ということは 何度も経験済み。

思っていた以上に 
亭主は 約束を大事に思ってくれていた。



その土曜日の夕方
私は生まれて初めて
コンサートというものに行った。

結婚前から 
コンサートに行こう、と言っていた亭主だったが
ついに 私が切符を取るまで 
連れて行ってはもらえなかったわけだ。

けれど 娘と 土曜日も学校・部活のある息子を交え、
家族四人で 並んで椅子に座る、
それだけで嬉しく、
この行事を大事に思ってくれる亭主が
はやばやと 車を出してくれる、
それだけで ありがたかった。



ただ 気分は 晴れ晴れとしなかった。
プチ鬱のなごりがあったようだ。

沈みがちな自分を 普通くらいの気分に何とか保ったが
亭主は 私の顔を見て 少し心配していた。

普通なら ウキウキして
もっと ニコニコしているはずの私が
無表情だったからだろう。

そうは思ったが 
私もそれ以上に気分が落ち込むのを抑えるのがやっと。

これは 残念なことに
コンサートが始まっても同じだった。



亭主も子供たちも
ノリのよいゴスペル、
しかも ハーモニーは確かで美しい、
こういうのは 大好きなはず。

楽しんでもらえたと思う。

私はようやく 自分を平静なラインに
引き留めていた。

リズミカルな曲では
手拍子を求められる。

やりたくなかったが
亭主や子供に囲まれて、
拍手をしないと どうしたかと 思われるだろう。

しかたなく、手拍子を打つ。

リズミカルな運動は
鬱の克服に役立つ、と 以前書いたことがあるが
この時の手拍子は
少しだけ役に立った。

治療のための外出が取りやめになったり
変更になったりして
家から出ないこと11日目の9月のことだった。