ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

『ラッキーマン』(2)

2005-07-20 | 読書
マイケルが 薬を飲んだのは

「それが治療に役立つからでも 
 慰めのためでもない。

 理由はただひとつ。

 隠すためだ。」p55

家族、ごく親しい友人や関係者以外の人たちに
知られてはならない。

そう思い込んでいたのだ。

スターなのだもの、当然だと思う。

周囲に癌を隠している私にも
相通じるものがあって
ハッとする。
 
彼は そうして 七年間 過ごしたのだ。



悲しみの五つの段階と呼ばれるものがある。

エリザベス・キューブラー・ロスが
著書『死ぬ瞬間』で書いたらしい。

末期がん患者が 死期を先刻されてから、
その死を受け入れるまでに、

① 否定と孤立

② 怒り

③ 取り引き

④ 落ち込み

⑤ 受容

の五段階を経るとされている。



そうか。

これは 末期のがん患者の死期の宣告に際しての
ものだったんだ。

私はてっきり
癌の宣告の時の 患者の受容に関して
言われているのかと思っていた。



いずれにせよ、

「ぼくの個人的なつらい経験が、

 ぼくが会ったこともない 
 スイス人の女性が作った
 ありふれた 長ったらしい リストに

 変えられてしまうのだ。」p274

とは 理解できる感じ方だ。

どんな人も それぞれの体験は
あくまで それぞれのもの。

①、②、③・・・と 番号を振って
そのとおりに なぞって歩いてきたわけではない。



マイケルの場合も
発祥は1990年11月。

マイケル29歳。

通常、パーキンソン病というのは
50歳から65歳のあいだに発病する。

彼の場合は 非常に珍しい 若年性のそれだった
(40歳以下の場合、らしい)。

筋肉の硬直  
動作が鈍く遅くなる
震える
まばたきが減る
顔の表情が乏しくなる
身体のこわばり
姿勢を簡単に変えられない
異常なほど長く 同じ姿勢を続ける

そして ついに患者が 医師を訪ねるきっかけは
手の震え。

その手の震えによって受診し、
診断を受けたマイケルは言う。

「同意する」と「受容する」とのあいあには
遠い道のりがある、と。



「あなたの病気は もう 治りません。」

そういわれた人の気持ちは どんなだろう?

「決して 良くなることは ありません。

 ただ 悪くなるのを なるべく抑えるだけです。

 できるだけ 動けなくなる日が 遅くなるように
 お薬で 調整してみましょう。」

それは 
死の宣告と 同じ意味をもっていたのではないか?

29歳だった彼は
「あと十年は 仕事が出来ますよ。」
と言われたらしい。

スーパースターだった マイケルが
病気の宣告を受けた時の気持ちは
私には 想像がつかない。



そう、
私は 思いがけない時に
たったひとりで 癌の告知を受けた

「もしかしたら 乳がんかもしれない。」
と 漠然とした不安を 
検査の時に 抱いていた。

それに
乳がんは 死の病ではないと 知っていた。

(大きさも 悪性度も
 こんなだとは 思っていなかったけど。)

けれど 思ったより冷静に受け止めて
シャンと運転して帰ったこれたのは

死の宣告を受けたわけではないからだ。



放射線治療に通うのが大変だとか
ホルモン療法の副作用が 無茶苦茶だとか
そんな事はまだ 知る由もない。

乳がんである事、
それだけを 受け止めたに過ぎない。

最初の総合病院の医師の
「乳がんは 今は 治る病気です。」
の言葉に表れているように、
私は 余命告知をされたわけではない。



パニックにならなかったのは
取り乱したりしなかったのは
「否定」も「怒り」も「取り引き」も
体験しなかったのは
 
きちんと治療を受けさえすれば
命にかかわる病気ではなかったからだ。



てっきり
私が ‘死’というものを
身近に感じて育ち、
‘仏の教え’と言われるものをかじり、
‘生と死’について
熟考しつつ生きてきたからだ、
と 自惚れていた。



「あなたは もう 治りません。」

「あとは 死ぬまで 悪くなっていくばかりです。」

そう告げられた人の 心のうちは
私には 想像できない。

姉も 義母も そういう種類の病気なのだ。

いつか 電話で 
姉に
「お姉ちゃんは、大丈夫よ。」
と言ったら
「そういう 根拠のない慰めは傷つく。」
と言われて 困った。

姉は マイケルと同じような
受容の道のりをたどったのだろう。

義母は たどらずに済んでいる。