手術は 一応の成功をみたが
すべて今までどおりかどうかなんて、
誰にも わからない。
まして 姉には もうひとつ 病気がある。
手術してくれた医師は
そちらの 姉の 担当医だった。
義兄は とっさに 救急隊員に
姉の主治医のいる病院へ、と告げたらしい。
手術の翌日
私は娘と一緒に家を出た。
娘は大学へ、
私は 常磐線からバスに乗り換えて
姉の病院へ向かう。
交代しながら付き添うと言って
家族が来ていた。
姪は 赤ん坊のいろいろな荷物を 夫の両親に預けて
我孫子(あびこ)で電車を乗り換え、
千葉県から 毎日 通うことにしていた。
亭主は
「お前の入院の時には
お姉ちゃんにさんざんお世話になったんだから
今度はおまえの番だから
手伝えることがあったら
しっかりやってこい!」
と送り出されてきたが
義兄は 最近は 台所をあずかって
それなりに 家事をこなしていた。
私が教えた 玄米食を 用意していたのは 義兄だった。
「手は足りてるから。」
と断られてしまった。
疲労困憊している義兄のために
何がしかの役に立てるかと思っていたが
かえって邪魔かもしれない とも思い、
かえって私の体の心配をするかもしれない
とも思い、
甥っ子に
それとなく 料理が出来るかどうかを 聞いてみた。
甥は 「まかせて」と言わんばかりの
自信に満ちた表情。
でもなー。
甥っ子よ。
そんな、パスタなんか、
毎日 毎日 日に三度も 食べられないんだよ。
私は あくまでも 自分を中心に考える。
自分の体の快適のために
週に一度 治療のための外出を 止めなかった。
空いた時間に 姉の病院に行ける日を 探す。
姉のために、何でもしたいという気持ちは
あったけれど
甥や姪や 義兄が 毎日だれかしらいる病院には
さほど必要とは されていなかった。
ただ、姉に教わった爪もみを
手と足とに してあげた。
姉の足は 冷えていた。
しばらく やっていると、
暖かくなるのがわかった。
その翌日、
うつらうつらとしていた姉が
パッチリと目覚めたと 義兄から電話があった。
私は密かに、爪もみの 効果もあったと思っている。
それから 私は 自分のことと 仕事とで
忙しくなってしまい、
あまり 姉の病院へ 行けなくなってしまった。
ある日
思わず「どうしたの?」と聞きそうになったくらい
素っ頓狂な声の義兄から
電話があった。
「明日、退院するんだよ!」
よくなると 急にどんどんよくなった姉が
退院できるというけれど
私は 先日 車椅子の姉を見ていたので
にわかには 信じられなかった。
それにしても
義兄は とんでもない声を上げた。
嬉しさがあまると あんなふうな声がでるのか。
もう、一生、あの声で からかってやるんだ!
姉の退院。
2005年の2月のことだった。
すべて今までどおりかどうかなんて、
誰にも わからない。
まして 姉には もうひとつ 病気がある。
手術してくれた医師は
そちらの 姉の 担当医だった。
義兄は とっさに 救急隊員に
姉の主治医のいる病院へ、と告げたらしい。
手術の翌日
私は娘と一緒に家を出た。
娘は大学へ、
私は 常磐線からバスに乗り換えて
姉の病院へ向かう。
交代しながら付き添うと言って
家族が来ていた。
姪は 赤ん坊のいろいろな荷物を 夫の両親に預けて
我孫子(あびこ)で電車を乗り換え、
千葉県から 毎日 通うことにしていた。
亭主は
「お前の入院の時には
お姉ちゃんにさんざんお世話になったんだから
今度はおまえの番だから
手伝えることがあったら
しっかりやってこい!」
と送り出されてきたが
義兄は 最近は 台所をあずかって
それなりに 家事をこなしていた。
私が教えた 玄米食を 用意していたのは 義兄だった。
「手は足りてるから。」
と断られてしまった。
疲労困憊している義兄のために
何がしかの役に立てるかと思っていたが
かえって邪魔かもしれない とも思い、
かえって私の体の心配をするかもしれない
とも思い、
甥っ子に
それとなく 料理が出来るかどうかを 聞いてみた。
甥は 「まかせて」と言わんばかりの
自信に満ちた表情。
でもなー。
甥っ子よ。
そんな、パスタなんか、
毎日 毎日 日に三度も 食べられないんだよ。
私は あくまでも 自分を中心に考える。
自分の体の快適のために
週に一度 治療のための外出を 止めなかった。
空いた時間に 姉の病院に行ける日を 探す。
姉のために、何でもしたいという気持ちは
あったけれど
甥や姪や 義兄が 毎日だれかしらいる病院には
さほど必要とは されていなかった。
ただ、姉に教わった爪もみを
手と足とに してあげた。
姉の足は 冷えていた。
しばらく やっていると、
暖かくなるのがわかった。
その翌日、
うつらうつらとしていた姉が
パッチリと目覚めたと 義兄から電話があった。
私は密かに、爪もみの 効果もあったと思っている。
それから 私は 自分のことと 仕事とで
忙しくなってしまい、
あまり 姉の病院へ 行けなくなってしまった。
ある日
思わず「どうしたの?」と聞きそうになったくらい
素っ頓狂な声の義兄から
電話があった。
「明日、退院するんだよ!」
よくなると 急にどんどんよくなった姉が
退院できるというけれど
私は 先日 車椅子の姉を見ていたので
にわかには 信じられなかった。
それにしても
義兄は とんでもない声を上げた。
嬉しさがあまると あんなふうな声がでるのか。
もう、一生、あの声で からかってやるんだ!
姉の退院。
2005年の2月のことだった。