書店を逍遥する趣味のある人は
一時期
顔の半分を手で隠すようにして
こちらを横目で見つめながら
はにかんだ笑顔の半分を見せている写真が表紙の
この本が並んでいるのを
見たことがあると思う。
マイケル・J・フォックス。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で
大ブレイクした
カナダ生まれの俳優。
ハリウッドの大スターの回顧録だ。
彼が 自ら パーキンソン病であることを
カミング・アウトした時には
世界中に ニュースで流れ、
私にもそれなりに興味を引かれた。
けれども それだけだったし、
忘れてしまっていた。
この本の存在を 知ったのは
放射線に毎日通っていた時期に
いつもの食べ物屋の前の書店で
この笑顔を見ていたから。
そして 間もなく
姉が この本について 電話で語っていたから。
でも 私が読んだのは 文庫になってからだった。
(入江真佐子訳、SB文庫、
ソフトバンク パブリッシング株式会社、
2005.2.25、781円)
一時期、彼の人気は 想像し難いほどだった。
人は‘アイドル’とか ‘有名人’と呼ぶ。
彼自身は その頃の自分のことを
‘バブル・ボーイ’と読んでいる。
そして、ショービジネスの世界の中の有名人が住む
‘びっくりハウス’で迷子になった、と。
とんでもない贅沢もわがままも許される
特別階級。
そんな‘びっくりハウス’には
‘びっくりハウスのルール’というものがあって、
いつの間にか
それに慣らされてしまった彼を救ったのは
妻となったトレイシーだった。
トレイシーは この本で読んだ印象では
地味で 賢くて 芸能人というよりも
普通の感覚を持つ人。
マイケルは トレイシーのおかげで
びっくりハウスの幻想の世界を 冷静に見つめ、
現実の世界で
地に足をつけて 生活していられるようになった。
そういう選択をしたから、
診断が下されたときに つぶされずにすんだ、
と彼は語る(p186)。
トレイシーはマイケルの病気、
若年性パーキンソン病に対しても
恐れたり ひるんだりすることも
楽天的に見たり 放棄したりすることもなく
妻として 賢く対処している。
人気の絶頂期に発病した彼は
悩み、苦しみ、のた打ち回りながら
病気を隠し 闘病を隠して
スターであり続けた。
その間に経験し 考えに考えたいろいろな事は
かれの宝物だろう。
そして 支えてくれた 様々な人たちも。
この病気にならなかったら
彼は この10年間の
心豊かな 深みのある人生は 送れなかった、
だから 彼は
以前の自分には 決して戻りたいとは思わない。
マイケルは 自身の病気について
「いままでのつけが廻ってきたことを表している。
仕返しなのだ。
そんなことをしてもらう値打ちもない
分不相応な宴会の後に、
食べ散らかしたテーブルに持ってこられた
請求書なのだ。」
と捉えている。
そして インタビューに答えて、
「この病気を 贈り物だと考えている。」
と答えて
同じ病気に苦しむ方から 批判された。
けれど 彼は
もし それが 贈り物なら、
これからも 受け取りつづけなければならない
贈り物だ、と 訂正して
さらに
「最終的に
ぼくに第二の道
(被包囲心理でなく 旅に乗り出す道)
をとらせることになったものが、
勇気だったのか
受容だったのか
知恵だったのか なにかはわからないが、
それは 明らかに 贈り物と呼べるものだった。
そしてこの神経系の病気にならなければ、
ぼくは この贈り物の包みを開けることは
決してなかっただろうし、
これほど 深く豊かな気持ちにも
なれなかったはずだ。
だから ぼくは 自分のことを
幸運な男(ラッキーマン)だと思うのだ。」p8
と言っている。
そして これが本心から出た言葉であることが
読んでいると 確信できる。
彼は 本当に 幸運な男、ラッキーマンなのだ。
そう信じるに至るまでには
彼の心も 様々なところをさまよったし、
そう言えるようになるためには
いろいろな人の 手助けが必要だった。
けれど この困難な病気でさえ
人は 精神的には 克服する事ができるのだ。
精神的に 病を克服する。
これは 重要な事だ。
不治の病はあるけれど どうせ 人の命は
いつかは 終わるもの。
死亡率100%の人生をあゆんでいるのだ。
だから 心の中で 病を克服してしまえば
たとえ 人生の長さが どれほどであろうと
人生を全うしたと言えるのではないかと思う。
自分の不幸に心をとらわれたまま
生涯を閉じるなんて、
私は もったいない気がしてならない。
精一杯 生きたら
その人生は きっとキラキラと 光って見えるはず。
私はそう信じたい。
真面目な話や クサイ話は
本当は嫌いだし苦手な私だが
この本は いろいろな事を考えさせてくれたので
ちょっと頑張って
もう少し書いて見ようと思う。
一時期
顔の半分を手で隠すようにして
こちらを横目で見つめながら
はにかんだ笑顔の半分を見せている写真が表紙の
この本が並んでいるのを
見たことがあると思う。
マイケル・J・フォックス。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で
大ブレイクした
カナダ生まれの俳優。
ハリウッドの大スターの回顧録だ。
彼が 自ら パーキンソン病であることを
カミング・アウトした時には
世界中に ニュースで流れ、
私にもそれなりに興味を引かれた。
けれども それだけだったし、
忘れてしまっていた。
この本の存在を 知ったのは
放射線に毎日通っていた時期に
いつもの食べ物屋の前の書店で
この笑顔を見ていたから。
そして 間もなく
姉が この本について 電話で語っていたから。
でも 私が読んだのは 文庫になってからだった。
(入江真佐子訳、SB文庫、
ソフトバンク パブリッシング株式会社、
2005.2.25、781円)
一時期、彼の人気は 想像し難いほどだった。
人は‘アイドル’とか ‘有名人’と呼ぶ。
彼自身は その頃の自分のことを
‘バブル・ボーイ’と読んでいる。
そして、ショービジネスの世界の中の有名人が住む
‘びっくりハウス’で迷子になった、と。
とんでもない贅沢もわがままも許される
特別階級。
そんな‘びっくりハウス’には
‘びっくりハウスのルール’というものがあって、
いつの間にか
それに慣らされてしまった彼を救ったのは
妻となったトレイシーだった。
トレイシーは この本で読んだ印象では
地味で 賢くて 芸能人というよりも
普通の感覚を持つ人。
マイケルは トレイシーのおかげで
びっくりハウスの幻想の世界を 冷静に見つめ、
現実の世界で
地に足をつけて 生活していられるようになった。
そういう選択をしたから、
診断が下されたときに つぶされずにすんだ、
と彼は語る(p186)。
トレイシーはマイケルの病気、
若年性パーキンソン病に対しても
恐れたり ひるんだりすることも
楽天的に見たり 放棄したりすることもなく
妻として 賢く対処している。
人気の絶頂期に発病した彼は
悩み、苦しみ、のた打ち回りながら
病気を隠し 闘病を隠して
スターであり続けた。
その間に経験し 考えに考えたいろいろな事は
かれの宝物だろう。
そして 支えてくれた 様々な人たちも。
この病気にならなかったら
彼は この10年間の
心豊かな 深みのある人生は 送れなかった、
だから 彼は
以前の自分には 決して戻りたいとは思わない。
マイケルは 自身の病気について
「いままでのつけが廻ってきたことを表している。
仕返しなのだ。
そんなことをしてもらう値打ちもない
分不相応な宴会の後に、
食べ散らかしたテーブルに持ってこられた
請求書なのだ。」
と捉えている。
そして インタビューに答えて、
「この病気を 贈り物だと考えている。」
と答えて
同じ病気に苦しむ方から 批判された。
けれど 彼は
もし それが 贈り物なら、
これからも 受け取りつづけなければならない
贈り物だ、と 訂正して
さらに
「最終的に
ぼくに第二の道
(被包囲心理でなく 旅に乗り出す道)
をとらせることになったものが、
勇気だったのか
受容だったのか
知恵だったのか なにかはわからないが、
それは 明らかに 贈り物と呼べるものだった。
そしてこの神経系の病気にならなければ、
ぼくは この贈り物の包みを開けることは
決してなかっただろうし、
これほど 深く豊かな気持ちにも
なれなかったはずだ。
だから ぼくは 自分のことを
幸運な男(ラッキーマン)だと思うのだ。」p8
と言っている。
そして これが本心から出た言葉であることが
読んでいると 確信できる。
彼は 本当に 幸運な男、ラッキーマンなのだ。
そう信じるに至るまでには
彼の心も 様々なところをさまよったし、
そう言えるようになるためには
いろいろな人の 手助けが必要だった。
けれど この困難な病気でさえ
人は 精神的には 克服する事ができるのだ。
精神的に 病を克服する。
これは 重要な事だ。
不治の病はあるけれど どうせ 人の命は
いつかは 終わるもの。
死亡率100%の人生をあゆんでいるのだ。
だから 心の中で 病を克服してしまえば
たとえ 人生の長さが どれほどであろうと
人生を全うしたと言えるのではないかと思う。
自分の不幸に心をとらわれたまま
生涯を閉じるなんて、
私は もったいない気がしてならない。
精一杯 生きたら
その人生は きっとキラキラと 光って見えるはず。
私はそう信じたい。
真面目な話や クサイ話は
本当は嫌いだし苦手な私だが
この本は いろいろな事を考えさせてくれたので
ちょっと頑張って
もう少し書いて見ようと思う。