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葬式仏教 その1

今日は、いわゆる「葬式仏教」の問題について、です。


三回忌ぐらいまでならともかく、
それ以降の年回法事になりますと、

「仏教は 本来 私達に悟りを聞かせてくれる教えではないのか?」

「お釈迦様がお葬式をしたという話を聞いた事はないが?」

「今のお坊さんは お葬式や法事しか していない!」

等という疑問や、或いは批判も出て来るかもしれません。



私たち僧侶の内省も含めて、
歴史的、意義的にお話してみたいと思います。






およそ2500年前に インドで生れた仏教は、
いかにしたら 
自分を理想の境地に導けるか、
つまり「悟れるか」を 探求する宗教でした。



お釈迦様は

「私は 新しい教義を作ったり、
 難しい教えを説いたりしているのでは ないのだよ

 みんなが忘れてしまっている事や
 気が付かないでいる事を 話しているだけなのだよ」

と言い、

当時のインド宗教の主流であったバラモン教の
形式的な祭祀宗教を否定する立場に立って、

基本的には あらゆる存在やその在り方には
すべて 価値がある という
≪諸法実相≫の真理を 私達に悟らしめる事を
説法の目的とされました。



また、
「人は皆 別々の存在で、 それぞれに価値がある」
という理念から、

≪対機説法≫といって、
諭す相手に応じて 教えの内容も変わる事を 
当然としました。



だから、バイブルだけのキリスト教などに比べ、
仏教には 膨大な数の経典があるのです。






さて、このようなインド仏教では、
追善供養は さほど重視されなかったのですが、

方便として、死後の≪霊魂≫の存在と、
生者の供養が死者に届くという≪回向≫の考え方は
肯定されていました。



 (≪方便≫というのは、
  本来の目的を達成するために 仏が私達に 仮の教えを説く事で、
  私達の側から見れば、それは 紛れもない真実です。)



そして、≪中陰≫といって
死後の生を受けるまでの期間が認識され、
具体的には
七日を基準に 最長で七日が一巡した七×七=四十九日
と規定されました。






中国仏教になると、
追善供養は 完全に儀礼として 確立します。

中国もまた 
インドと同じく 悠久の歴史を持つ国であり、

仏教が伝来する以前から 確固たる文明が栄えていて、
その思想の中心は 社会的道徳倫理について でした。



その中、
子の 親に対する≪孝≫を重要視する儒教の祖先崇拝は
際立った存在であり、

その葬法が そのまま仏教の追善儀礼として
利用されました。



すなわち、

 「臨終から三日目に 遺体を納棺して殯宮に安置し(殯:もがり)、

  三ヵ月後に墓に納め(埋葬)、

  死を悼んで号泣するという礼を終え(卒哭:そっこく)、

  服喪に入る。



  卒哭の翌日に霊魂も祖廟に合し(ふ祭:「ふ」は示偏に付)、

  哭する(泣き叫ぶ)のは 朝夕のみとなる。

  その十二ヵ月後に小祥祭(しょうしょうさい)、

  更に 十二ヵ月後に大祥祭(だいしょうさい)の追善供養を行い、

  その翌月に 譚祭(たんさい)をして 

  霊魂は 祖霊に帰し、

  遺族は 通常の生活に戻る」

というもので、



卒哭(そっこく)が 百か日忌、

小祥祭が 一周忌、

大祥祭が 三回忌 となります。



また、この三つの追善供養と、
前のインドの七日ごと四十九日までの七回の忌日供養を
合計した十の供養が、

道教の十王思想と習合して、
後の日本の十三仏思想の元となります。






次回は 日本における仏教儀礼に入っていきます。


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