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徒然なるままに その47

ブッダの教えって、実は方便で、
 ブッダの悟りの内容の中核は 説かれていない


というのが、
今の私の結論です。」

って、この前、私は書きました。



でも、
もしそうなら、
それってすごい事じゃないですか?






その人の悟りの内容って、人によって 違っていいんじゃないですか?

と言うより、完璧に同じなはずはない。



人それぞれだ、それでいい。」

それが 仏教の包容力・優しさ・自由さ。


だから、
自分で探しながらそこにたどり着きなさい。」

それが、仏教の厳しさ。



悟りというものが、あらゆる束縛から解放される事であるとすれば、

悟りの中味を限定する事は できないんじゃないか


って事です。






そんな事が分かってて、

天台宗の聖典・三大部の、魔訶止観の、十大章の、
果報・起教・旨帰は説かれない、

正修の中、十境の上慢・二乗・菩薩の各境もわざと説いてない、

天台大師は ブッダの心を解っていたんです。






日本中古天台は、邪教とまでメタクソに言われる事もあるけど、

天真独朗」とか「和光同塵」とか
己心中所行の法門(これは 魔訶止観の序ですけど)」とか、

すごい境地をバンバン言っている。



東大の田村芳朗先生は、この中古天台の思想を 
世界で最も発達した思想である
と評価しています。






江戸時代の天台教学の教科書『西谷名目』は、

「我々は 凡夫なんだから、
 凡夫が学ぶ場面が 一番大事だ」

として、
蔵・通・別・圓の四教の内、
一番下の蔵教に 一番 枚数を使っています。

かの大久保良順先生の人生最後の研究テーマは、
空・仮・中、 三諦・三観の中の「仮」の研究でした。



円教一番、中諦一番なんて 凡夫にはおこがましい。

まずは 基本から 
って事です。






ちょっとズレましたかねぇ。

とにかく、「天台、スゴイ!」です。

天台教学だけですよ、こんな事言ってるのは!

他の宗派は 言わない、言えない。





今日は、ここまで!


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