イチョウの下のよもやま話

埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ

御挨拶 2

2023年08月13日 | 日々之法話
「一隅を照らす運動」につきましては、
私なりにいろいろ思いもあるのですが、長くなりますので 
徒然に頭に浮かぶ事を申し述べさせていただきます。



   國寶何物 寶道心也 有道心人名為國寶

   故古人言 径(原文は亻偏)寸十枚非是國寶

   照千一隅此則國寶 

   古哲又云 能言不能行國之師也 

   能行不能言國之用也

   能言行能言國之寶也

   三品之内唯不能言不能行為國之賊

   之有道心佛師 西稱菩薩 東号君子

   悪事向巳ママ好事與他 忘巳ママ利他慈悲之極



●一隅を照らす運動は、昭和四十四年六月二十日に、
今東光師を初代会長に 天台宗として正式に発足しました。

ただ最初は、天台宗としての一つの標語のようなものでした。

つまり、一隅を照らす運動は 伝教大師の提唱された運動では
なかったのです。

しかし、その言葉の、耳に爽やかにリズミカルに響く現代的感覚は
単なる標語にとどまらず、速やかに、且つ確実に
その精神を社会に浸透させていきました。

現代では、アフガニスタンで銃殺された医師の中村哲先生など
著名な方々が この言葉を引用されています。



●では、千二百年前の伝教大師の提唱された事は
どんな事だったのでしょう。

それは、法華経の教えを 仏教の中心に置いて
正しくお釈迦さまの教えを世間に広めていき、
平和で穏やかな社会を実現しようという事であり、
その基調となる考え方は、
すべての人は平等で、どんな人でも「ほとけ」になれるのだ
というものです。

そのためには、皆が自分の利益の事よりも
他の人々の利益を先に考えるんだという慈悲心、
つまりは菩薩の心を持ち続ける事が肝要なのだと
大師は主張しています。

ここで大切な事は、
「己を忘れる」事が最初で、
「他を利する」のも「己」だという事をわすれてはならない
という事です。

先ずは自己をしっかり保つという事が
仏教の基本です。



つづく