goo

御挨拶 3

●一隅を照らす運動の根拠となった伝教大師真筆の
『山家学生式 六条式』の文章についての論争は、
「照一隅」か 「照一隅」か
という事ですが、
「照千一隅」が正しいと小衲は考えています。

意味は、
「今自身のいるこの一隅に在って、
遥か彼方、遠い未来まで見渡せる(見通せる)
率直な目と 洞察力を持つ事」
と理解したいと思います。

誤解されがちな事ですが、
「照」とは 仏教では「知る」という意味で、
安易に「てらす」と訳してはいけません。

『般若心経』の
「照見五蘊皆空」等がその例です。



●「照千一隅」の言葉はその前の文から、
「道心」を説明するために、
古人(昔の人)が言った物語の引用で、
伝教大師独自の言葉では ありません。



●先ず「道心」とは何かというと、
道を求める心 = 悟りを求める心 = 菩提心 の事で、
その心を持っている人を
伝教大師は「國寶」だと言われました。



●次に「古人」とは誰かというと、
中国天台の六番目の祖師大師湛然さんの事で、
その著「止観輔行伝弘決』に
「照千一隅」の故事が出てきます。

さらに、その故事は 司馬遷の『史記』の
「照千里』「守一隅」に由来します。

ちなみに、湛然さんのお弟子さんが道𨗉さんで、
伝教大師は 唐の天台山で その道𨗉さんから
直接 天台教学を伝授されています。



●『史記』『弘決』の故事というのは、
中国の魏と斉の それぞれの王様の国宝談義です。

魏王が
「私の国には 直径(?)が一寸もある珠玉が十枚もあって、
その珠の光の輝きは 戦車十二台、戦士千二百人の前後を照らすほど
なんですよ」
と自慢したこころ、
斎王は「私の国には そんな立派な宝玉は無いけれど、
四人の有能で素晴らしい武将がいて、
国の一隅(持ち場)をしっかり守ってくれていて、
その威光は千里四方を照らして、
国に外敵が侵攻する事を防いでくれているから
国民はいつも安心して暮らしています」
と答え、
それを聞いた魏王はすごすごと自国へ帰っていったという物語です。



●『六条式』は「古人」に続けて「古哲又云」と引用していますが、
これは、天台大師が
「心観明瞭 理恵相応 所行如所言 所言如所行」 
と示された事に、
湛然さんが能行能言に国宝の解釈をし、
伝教大師が古哲の言葉として これを引用したという事です。



つづく


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )