埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
御挨拶 5
●照千一隅について いろいろお話してきましたが、
では「一隅を照らす運動」を
私たちはどう解釈し、定義付けていったらよいのでしょう。
先ほど申した事の繰り返しになってしまいますが、
【道心(必ず悟りを開こうという発菩提心)をもって、
自分も含めた周りの様子・状況・状態を正しく見極め、
遥か彼方、未来に向かって最大限の善処をしていく事】
と、結論したいと思います。
その際 大切な事は、、
自分は一隅を照らす国宝であると考える事は増上慢であって
決して思ってはいけない事、
謙虚 且つ 真摯に
忘己 から 利他へと ひたすらに
自分の心を高めていき、
慈悲の極みに至る事を誓い、願い、努める事だと思います。
仏教徒は「求道者」なのです。
つづく
では「一隅を照らす運動」を
私たちはどう解釈し、定義付けていったらよいのでしょう。
先ほど申した事の繰り返しになってしまいますが、
【道心(必ず悟りを開こうという発菩提心)をもって、
自分も含めた周りの様子・状況・状態を正しく見極め、
遥か彼方、未来に向かって最大限の善処をしていく事】
と、結論したいと思います。
その際 大切な事は、、
自分は一隅を照らす国宝であると考える事は増上慢であって
決して思ってはいけない事、
謙虚 且つ 真摯に
忘己 から 利他へと ひたすらに
自分の心を高めていき、
慈悲の極みに至る事を誓い、願い、努める事だと思います。
仏教徒は「求道者」なのです。
つづく
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