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法話 お通夜にて その1

先代住職にお声を掛けていただいて当地にやって来た時は
30歳を迎える頃でした。

その時から どの会合に顔をだしても、
ずっと最年少でした(笑)。

若輩者で浅学菲才、
発言権を持たない会合に出席する事もありました(苦笑)。

口をきけば生意気ばかり言っていましたが
若いと許される事もあったと思います(冷や汗)。



そんな私も50代半ばを過ぎ、
なんと、時折 講演会の講師のご依頼を受ける事も出てきました。

もはや「一番の若手」では なくなってきている事を
実感する次第です(苦笑)。


ご葬儀やご法要で
私なりに 何かをお伝えできればと
ご法話をさせていただくように心掛けておりますが

講演や法話の中から 
この「よもやま話」にアップさせていただこうと思います。

普段 実際に考えている事ですので
皆さんのお耳に届いた内容も含まれているでしょう。

ご意見やご異見、ご質問などを頂戴できれば幸いに思います。






最初は お通夜に際してのご法話として考えたものです。

ご一読していただければわかるように、
ずいぶん前に書いたものです(汗)。

かと言って、今の状況に即して今書いても
もっと上等な文章になるかどうか、不安です(汗)。






通夜法話




葬儀の前夜に なぜ 通夜という名の法事を行なうのか
不思議に思われている方も多いのではないでしょうか。

仏教の場合、
一方では 「無念無想」などといって
悟りを表現する場合もあるかも知れませんが、

「因果」を認識する事が、実は 教理上 とても重要な事であり、

儀礼においても、
何故 そのような行いをするのか、
そうする事によって、何故 人が救われるのか、
といった理由は、

「無念無想」以前に とても大切な事なのです。



この時間を、ほんの少し 使わせていただいて、
何故 通夜を行なうのか、

当地・埼玉県深谷市の 通過儀礼の特色と併せて
考えてみたいと思います。





まず、お通夜そのものを見る前に、
その前提として、
この法事が 必ずしも 仏教の教えによって行なわれるのではない
という事を申しておきたいと思います。



日本の冠婚葬祭は
仏教、儒教、道教、神道、キリスト教、地域の土着信仰 等々が
複雑にからみ合い、

しかも 違和感なく 成り立っているようです。



それは、土台となる宗教、宗派 等によって
様々な展開を見せているのですが、

儀式の考え方、内容を決定付けているのは、
何と言っても その地域の昔からの信仰であるといえるでしょう。



たとえば、仏教の葬儀を見ても、
大小の地域性、考え方の違いがあって、

儀礼の起源や意義にも諸説があり、
必ずしも安易に定義付けられるものでは ありません。



今晩のお通夜、明日の葬儀も、
初めて当地の儀式を体験する 親戚や 知人の皆様にとりましては、
驚かれたり、戸惑われたりする場面も
或いは多いかと存じます。





                      続きます


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