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お葬式とご法事 その8

今日、みなさんに一番お話したかったのは、
それから 一番面白いだろうなぁと思うのは、
そして 何より このセミナーの演題の内容・中心は、
と と と  だったわけですが、
とうとうそこまで お話が進みませんでした。

すみません。

結論を言わないわけにはいきませんので、
の 「人にとってお葬式って何だろう?」
に飛びます。



1. 遺体の処理 (物理的)

ご遺体の処理は、物理的な意味でのお葬式の儀礼です。

ご臨終の後、いろいろな儀式をしながら
ご遺体を火葬、墓地へ納骨します。






ここで、最近はやりの散骨について 
私の考えをお話します。

「自分が死んだら、骨は海に撒いてくれ、山に撒いてくれ」

いかにも自分は執着のない人間だと
標榜しているようにも思いますが、
海や山や その他、骨はどこへ撒いてもいいのかっていうと
そうじゃないでしょう。

自分ちの庭先に散骨されたら嫌でしょう。

友達や家族と 楽しくハイキングしてた道のはたに
骨が撒かれてたら嫌でしょう。

海水浴場に 骨がぷかぷかしてたら 
誰だって 二度とその海にはいきたくなくなりますよねぇ。

骨を撒ける場所は 限られています。

そこまで行くのは大変ですよ。

船やヘリコプターなんかをチャーターしたり、
重装備の登山服なんかの用意をしたり、

みんで行こうったって、
年老いた人には 身体が大変。

お金もかかる。

軽々しく「俺が死んだら 散骨でもいいよ」
なんて遺言された日には、
残された遺族は大変です。



「でも、私は あの姑と同じお墓に入るなんて まっぴらだ」

「死ぬまで我慢したんだから、死んだら せめて 
 あの世で旦那と 別々に生きたい」

なんていう お人。

仏教では、
仏教では、ですよ、
死んだらあなたは になる、
骨になるんじゃない。



の事を とか、とか、などとも言います。

これは 
目に見えない、ふれない、声も聴けない、匂いもない、
だから自由な存在なんです。

そう考えるんです。



死んで 最後に残ったのが 亡骸、
つまり 骨。

これを 現世、現象世界にあるお墓に置いて、
だけが、あなたのだけが
スーと天国へ向かって行く。

お墓は現世側の 来世への入り口なんです。



お盆や正月には お墓から ご先祖の
こっちの世界に帰って来る、

そして あっちの世界へ帰って行く。

私たちは 生きているから、身体があるから
お墓のあっちの世界には 行けない、
だから、
たとえば 送り盆や 迎え盆に
お墓に ご先祖の心、魂
迎えに行ったり 送って行ったり、


肉体があるから、ぎりぎりそこまでしか行けないんです。



ともあれ、
人は 死んだら骨になるんじゃなくて、
という名の 純粋な だけの存在になるんです。



どうも、散骨、散骨って言ってる人は
自分大好きなナルシストのような気がして仕方ない。

かえって執着してません?

お墓があるんなら 遺骨はお墓に収めて天国へ行って、
たまには こっちの世界に帰って来て、
息子や娘、孫たちに会う、
ってのがいいんじゃないんですか?






えっ、お墓がない?

~ だったらお墓を作ればいいでしょう。


えっ、お墓は高い? あなたはお金がない?

~ 大丈夫。安いお墓もあるんです。


えっ、お墓を作っても跡継ぎがいない?

~ 大丈夫。永代供養墓なんてのがありますよ。






今日は、ここまで!

まだまだ続きます!


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