伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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そうだったのか・・・・大鵬さんは引き揚げ船「小笠原丸」に乗船していたのだ・・・・。

2013-01-21 00:56:38 | 樺太
 大鵬さんが亡くなり

 昨日道新に大きく報じられていた。

 私は相撲はあまり興味なかったが

 大鵬さんのことはよく知っていた・・・・。


 でも

 樺太引き揚げの時に「小笠原丸」に乗っていて

 稚内で下船していたなんて

 今まで知らなんだ・・・。

 その船は

 大鵬さん家族たちが下船した翌日、旧ソ連潜水艦

 に撃沈されたのである・・・。

 


 私が幼い頃

 いつも母が語っていた

 三船殉難事件・・・・


 母は家族を連れて港に向かったが

 満員で乗れなく押し戻されたこと・・・・

 とてもくやしかったが

 その三船は留萌沖で撃沈され

 沢山の人が犠牲になったこと・・・・

 乗れなくて良かった・・・・と

 何度もなんどもナンドモ語っていた・・・。


 小笠原丸に乗るつもりだった・・・・・と語っていた

 記憶がある・・・・。



 元横綱大鵬の納谷幸喜さんは

 戦中の樺太で生まれた。

 母は神恵内出身の納谷キヨさん、父は

 ウクライナ出身のポリシコさん。

 ロシア語が話せる父は幸喜さんが3歳の

 時に、日本の憲兵隊に連行され、生き別

 れになってしまった。

 「スパイのようなことをさせようとしたので

 しょうか。父とは、それっきりです」

 と語っていたそうである・・・・・。


 以上

 道新の記事より・・・・・・。




 稚内で下船しないで

 もし、さらに先の港へと乗船していたら・・・

 大相撲の歴史はまったく別のものになっていたこと

 でしょう・・・・。

 土俵に残した足跡は偉大です・・・・

 合掌・・・・。




 

 


 
コメント (4)
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