いよいよ昭和23年の夏
引き揚げ船に乗ることになった。
引き揚げの時私は2回迷子になっている。
一度目は大泊の港までは数十キロもある
ため親は6歳になったばかりの私を知人の
馬車に頼んで乗せた・・・。
背中には子供用の母が綿糸で編んでくれ
たリュックを背負っていた。
どんなに心細かったことか・・・・
どこを見ても人の波で知らないとこに
1人放り込まれ私の心は恐怖で震えて
いた・・・・・。
小さいながら異常事態を察し・・・・
わがままなど言えなかった。
大泊に着いた時
知人に
「ここにいなさい・・・・」と大混乱の人ごみ
の中に置き去りにされた。
私は1人身も世もなく大泣きに泣いていた。
何時間かして母が見つけてくれた時は涙も
枯れはてていた・・・・。
(大泊港)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/8f/2652791d54f6ae7dc6cdfc2b17e2c004.jpg)
船の中では何度も迷子になっている。
嬉しくてデッキに出て遊んでいるうちに迷子
になりそのたびに白い服の若い船員さんに
自分の家族の居る船底に連れて行かれた。
服の胸にはがっちりと本籍や生年月日、
保護者名などが書かれた布が縫いつけられ
ていたので何度迷子になっても心配なかつ
た。
あの暗い幼少期の唯一の憧れは船員さん
だった・・・・。
今まで目にしたことのない真っ白な船員服
と優しく凛々しかった彼の姿は
数十年経った今も美しい光景となって
私の内に蘇る・・・・。
函館に下船した私達は
父の従兄弟を頼り伊達の地に降り立った。
迎えの馬車に乗り足をブラブラさせ
穏やかな日ざしの中、石けりなどをして
遊んでいる子供たちののどかな風景に
幼い私は
今まで味わったことのなかった
普通に生きているということの幸せを
強く感じていた・・・・。
(大泊の連絡船)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b1/7fcea58219bb6dfb5da9be416ff1ab0c.jpg)
その後伊達を離れて数十年
伊達時代に出会った夫と7年前に
またこの地に帰って来た。
今、あの幼い日伊達に辿り着いた時の
安堵と安らぎをじっくり味わっている。
引き揚げ船に乗ることになった。
引き揚げの時私は2回迷子になっている。
一度目は大泊の港までは数十キロもある
ため親は6歳になったばかりの私を知人の
馬車に頼んで乗せた・・・。
背中には子供用の母が綿糸で編んでくれ
たリュックを背負っていた。
どんなに心細かったことか・・・・
どこを見ても人の波で知らないとこに
1人放り込まれ私の心は恐怖で震えて
いた・・・・・。
小さいながら異常事態を察し・・・・
わがままなど言えなかった。
大泊に着いた時
知人に
「ここにいなさい・・・・」と大混乱の人ごみ
の中に置き去りにされた。
私は1人身も世もなく大泣きに泣いていた。
何時間かして母が見つけてくれた時は涙も
枯れはてていた・・・・。
(大泊港)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/8f/2652791d54f6ae7dc6cdfc2b17e2c004.jpg)
船の中では何度も迷子になっている。
嬉しくてデッキに出て遊んでいるうちに迷子
になりそのたびに白い服の若い船員さんに
自分の家族の居る船底に連れて行かれた。
服の胸にはがっちりと本籍や生年月日、
保護者名などが書かれた布が縫いつけられ
ていたので何度迷子になっても心配なかつ
た。
あの暗い幼少期の唯一の憧れは船員さん
だった・・・・。
今まで目にしたことのない真っ白な船員服
と優しく凛々しかった彼の姿は
数十年経った今も美しい光景となって
私の内に蘇る・・・・。
函館に下船した私達は
父の従兄弟を頼り伊達の地に降り立った。
迎えの馬車に乗り足をブラブラさせ
穏やかな日ざしの中、石けりなどをして
遊んでいる子供たちののどかな風景に
幼い私は
今まで味わったことのなかった
普通に生きているということの幸せを
強く感じていた・・・・。
(大泊の連絡船)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b1/7fcea58219bb6dfb5da9be416ff1ab0c.jpg)
その後伊達を離れて数十年
伊達時代に出会った夫と7年前に
またこの地に帰って来た。
今、あの幼い日伊達に辿り着いた時の
安堵と安らぎをじっくり味わっている。