伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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風化させないために・・・-吾が忘れじの樺太ー

2013-01-22 19:12:24 | 樺太
 私は戦中の樺太留多香郡多欄内村で

 四男二女の末っ子として生まれた。

 父は仙台母は秋田出身で家は林業を
 営みまずまずの暮らし振りだった。


 昭和20年、私の3才の時ソ連軍の進攻で
 樺太は大混乱の中に投げ出され、空から
 何度も攻撃され、そのつど家族全員が山
 に隠れ野宿するという日が続いた。



 まもなく終戦になると男たちは銃を持った
 ソ連兵に殺されると言ううわさが流れた。

 たちまち私たちの村にも銃を持ったロシア
 兵が溢れた。
 手向かった人達が命を失った・・・・。

 大人達は誰もが最悪の事態を覚悟してい
 た。ある者は山に隠れ、年寄りや小さな子供
 達を抱えた家族はただじつと恐怖に耐えなが
 ら息を殺して自分達の運命を待っていた。





 そんな時、大人の恐怖にもみくちゃにされ小さ
 いながら大人の恐怖を何倍にも増幅させ受け
 とめていた私は、毎夜恐ろしい夢を見ていた。

 きまってそれはロシア兵に連れて行かれ、な
 みなみと血が溢れた洗面器の中に頭を押し込
 まれる夢だった。

 恐怖で心臓が氷りついた。

 「私は死ぬのだ・・・」

 どんなにもがいても抗いようもない力に捕えら
 れ、どんなに泣き叫んでも誰も助けに来てくれ
 ないのは分かっていた。

 たった一人で死んで行かねばならなかった。

 みんながこうして死んでいくのだと幼いながら
 自分に納得させていた。

 小さいながら

 必死で

 自分の運命と妥協することによって楽に生きる
 術を悟ったのだった・・・・。

 みんなそうなのだ

 みんなこうして死んでいくのだ・・・・。

 

 目を醒ますと、髪までぐっしよりと濡れ、
 心臓は飛び出さんばかりだった。

 夢は何度も襲ってきた。

 今度見たら「これは夢だ・・・」と叫ぼうとするの
 だが、なかなかうまく行かなかった・・・。






 この3才の時の恐怖の体験は

 いまだに私の脳裏から離れず

 時として頭をもたげ

 深い恐怖と悲しみにうちひしがれる時がある・・・・。



 今までどんな大きな試練があっても

 耐えてこられたのは

 あの苦しみを乗り越えてきたからかも

 しれない・・・。



 でも戦争はやだ・・・

 戦争は人間を悪魔にする・・・。





コメント
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