伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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引揚者の列

2015-02-18 15:35:49 | 樺太
 昭和23年私たちは最後の時期の引揚で函館に降りた。

 
    その時のことをちっこかった私が8歳上の姉よりも

    鮮明に憶えていたのだから驚きだ・・・。



    函館の駅から小学校の体育館まで


    母に手を引かれ





    延々とあの直線

    コースを歩いた遠い記憶・・・


    長かった。



    その引揚者の長い列を函館の人々が

    見物していたなんてちっとも知らなかった。




    その時の光景を見ていた函館在住の人が


    20年ほど前新聞に投稿したエッセイを


    読んだ時は泣けた・・・・。



    「ぼろぼろの服を着てやつれていて同じ日本人とは思えず

      気の毒だった」って・・・


    その列の中に私も居たんだぞー


     迷子になりながらも頑張って来たんだぞぉー




     ネットの映像より・・・


       引き揚げ船に乗るために50Kも歩いた人たち


















  


     





   
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父怒る・・・

2015-02-18 15:03:17 | 樺太
 寡黙な父が兄が自衛隊に入りたい・・・


    と言った時烈火の如く怒った


    小学生の私は恐くて震えた・・・・。



 「どんな思いで家族が樺太から命からがら逃げてきたか

  忘れたのか・・・戦争が始まったら一番先に死ぬのが

  自衛隊なんだ・・・・」


  それっきり父は樺太での辛かったことは一つも語らず



    数々の思いを抱いたまま


    76歳で多難な人生を終えた。




  ことあるたびに


   引き揚げの時にお金を隠して持ってくれば

   良かった・・・あれもこれも持ってくれば良かったと


   愚痴っていた母も86歳で倒れ寝たっきりになり


   第二の故郷である大滝の病院でこれまた93歳で多難な人生を

   終えた。




   兄たち三人も70代の若さで次々と旅立ってしまった。




   おかチャンは頑張って樺太の語り部にならんとにぁー



 
   


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