ミニミニ菜園の収穫
ピーマン レタス しゅんぎく ハスカップ
アオガエル・・・先日よりも倍に成長
巨峰の葉を棲み処にしているよう
ミニミニ菜園の収穫
ピーマン レタス しゅんぎく ハスカップ
アオガエル・・・先日よりも倍に成長
巨峰の葉を棲み処にしているよう
あやと高志は待ち続けた。
高志もまた、未だ口も付けないコップをテーブルの上で両手で握ったまま、じっと中を覗きこん
でいた。
やがて鉄五郎は、どこか半睡から引き戻されたように話し始めた。
「ここからのわしの話しは多分支離滅裂で、辻褄が合わないところだらけだと思うが、それは焼
酎のせいではない。
わしは酒には強いんだ。それよりも高さんも知っての通り、わしは話しが苦手だし、その上話そ
うとしていることが、自分でも良く分かっていない。だからそのつもりで聞いて欲しい。
退屈だったらそう言ってくれ、直ぐ止めるから。
わしの家は代々大工で、わしも大工だ。ただし親父も祖父も、仕事場はもっぱら自分の住んでい
る東京が中心だったが、わしは地方廻りが多かった。
当初は修行の意味が強かったが、次第に渡り職人でいる方が、わしの性に合っていると分かった。
一年の内の大半は東京を離れていた。
そんな生活を結婚を期に、切り上げることになった。31歳の時、親や周りの強いすすめに従い、
祖父の代からの工務店を引き継いだ。
最初はおとなしく、地元の仕事に精を出し、旅廻りの仕事は止めていたが、2年が経ち和美が生
まれてから、調子が狂ってきた。
最初のうちは仕事が終わっても、家に帰る時間が遅くなるだけだったが、そのうちに東京を離れ
る仕事を入れ始めた。
一旦旅廻りの仕事に手を出し始めると、だんだん止まらなくなり、和美が2歳に近付く頃には、
1年のうちの半分以上は、東京を離れるようになっていた。
演芸クラブの教室の予約・・・二年前までは
毎月一日にカルチャーセンターの窓口で予約するために
朝9時前に部員が交替で並んでいた。
最近は
ネットで日付が変わった12時過ぎに
予約できることになり二年前にカルチャーセンターで
講習してきた。
日付が7月に変った12時過ぎ
ネットを開いたら
あらららら
10月は何故か夕方までどこも空きがない
どうしたのかなぁー
多分秋なので
イベントがあるのでしょう・・・
市の大きな行事の方が優先するのでございます。
よくよく探すと
ラッキー
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