伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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ミニ菜園の収穫とアオガエル

2023-07-01 19:03:10 | 自家菜園

ミニミニ菜園の収穫

ピーマン レタス しゅんぎく ハスカップ

アオガエル・・・先日よりも倍に成長

巨峰の葉を棲み処にしているよう

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ジャコシカ211

2023-07-01 15:17:08 | ジャコシカ・・・小説

 あやと高志は待ち続けた。

 

 高志もまた、未だ口も付けないコップをテーブルの上で両手で握ったまま、じっと中を覗きこん

 

でいた。

 

 やがて鉄五郎は、どこか半睡から引き戻されたように話し始めた。

 

 「ここからのわしの話しは多分支離滅裂で、辻褄が合わないところだらけだと思うが、それは焼

 

酎のせいではない。 

 

 わしは酒には強いんだ。それよりも高さんも知っての通り、わしは話しが苦手だし、その上話そ

 

うとしていることが、自分でも良く分かっていない。だからそのつもりで聞いて欲しい。

 

 退屈だったらそう言ってくれ、直ぐ止めるから。

 

 わしの家は代々大工で、わしも大工だ。ただし親父も祖父も、仕事場はもっぱら自分の住んでい

 

る東京が中心だったが、わしは地方廻りが多かった。

 

 当初は修行の意味が強かったが、次第に渡り職人でいる方が、わしの性に合っていると分かった。

 

 一年の内の大半は東京を離れていた。

 

 そんな生活を結婚を期に、切り上げることになった。31歳の時、親や周りの強いすすめに従い、

 

祖父の代からの工務店を引き継いだ。

 

 最初はおとなしく、地元の仕事に精を出し、旅廻りの仕事は止めていたが、2年が経ち和美が生

 

まれてから、調子が狂ってきた。

 

 最初のうちは仕事が終わっても、家に帰る時間が遅くなるだけだったが、そのうちに東京を離れ

 

る仕事を入れ始めた。

 

 一旦旅廻りの仕事に手を出し始めると、だんだん止まらなくなり、和美が2歳に近付く頃には、

 

1年のうちの半分以上は、東京を離れるようになっていた。

 

 

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危なかった

2023-07-01 00:40:25 | 演芸(カラオケ)クラブ

演芸クラブの教室の予約・・・二年前までは

毎月一日にカルチャーセンターの窓口で予約するために

朝9時前に部員が交替で並んでいた。

最近は

ネットで日付が変わった12時過ぎに

予約できることになり二年前にカルチャーセンターで

講習してきた。

日付が7月に変った12時過ぎ

ネットを開いたら

あらららら

10月は何故か夕方までどこも空きがない

どうしたのかなぁー

多分秋なので

イベントがあるのでしょう・・・

市の大きな行事の方が優先するのでございます。

よくよく探すと

ラッキー

リハーサル室が開いていたのでポチっと。

 

 

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