自分のブログを開くと
「一期は夢よ、ただ狂え」という
なかにし礼のことを書いたブログを開いている方が
おられたので
思わず私も開いてみた。
「一期は夢よ、ただ狂え」
彼が好きだった言葉
私も
好きである。
私も常にそんな気持ちで生きて来たように思う?
人生を夢だと思えば、苦しみでさえ夢だから乗り越えられる
4年前のブログより
23日なかにし礼さんがお亡くなりになった82歳。
戦後の旧満州からの引き揚げの壮絶な体験を記した
エッセイを読んでいた。
道新の記事より
収容所では人間の本性も見た。
その時の阿鼻叫喚が僕の死生観を形づくった
と話しておられたらしい。
好きな言葉は「一期は夢よ、ただ狂え」
だった。
人生を夢だと思えば、苦しみでさえ夢だから乗り越えられる
共感できるものがある。
4千曲を超える作品を世に送り出した。
石狩挽歌・・・は好きな唄だ・・・。
黙とう。
調べてみた
ネットより
一期は夢よ ただ狂え 閑吟集
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
(閑吟集より)
何になるだろう
真面目くさってみたところで
しょせん、人生は短い夢よ
ただひたすらに面白おかしく
遊び暮らせ
閑吟集(かんぎんしゅう)とは
室町時代後期の小歌の歌謡集。永正15年(1518年)に成立。ある桑門(世捨て人、出家した修行者)によってまとめられた歌謡集で、編者は不明。室町びとが感情を託して歌った311首がおさめられている。恋愛歌が中心。小歌230首のほか、大和節・田楽節・早歌・放下歌・狂言小歌・吟詠などを収める。
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
閑吟集のなかのひとつ、大意は「真面目に生きたところで何になろう。人生は所詮、幻のようなもの、我を忘れて何かに興じよ」か。
本来は恋愛歌からきているので、根本的には男女愛欲の海のなかで両手両脚を奔放になげだし狂い游ごうよという意味。
調べると
このように退廃的な意味だったが
なんとなく通じるものがある。
人
それぞれの解釈で良いでしょう
私は
人生を夢だと思えば、苦しみでさえ夢だから乗り越えられる
こんな日もあった